落語「意地比べ」の舞台を行く
岡鬼太郎作
■作者は岡 鬼太郎(おか おにたろう、明治5年8月1日(1872年9月3日) - 1943年(昭和18年)10月29日)は、歌舞伎作家、劇評家、著述家。本名嘉太郎(よしたろう)。号は鬼吟(きぎん)。
■強情者参上! 中国の古典『晋書』にある「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」は、晋の孫子荊(孫楚=そんそ)がまだ若かった頃、厭世し隠遁生活を送りたいと思い、友人である王武子(王済=おうさい)に、漱流枕石=「山奥で、石を枕に、清流で口を漱ぐという生活を送りたい」というところを間違えて、漱石枕流=「石で口を漱ぎ、流れを枕にしよう」といってしまった。王武子が「流れを枕に?石で口を漱ぐ?できるものか」と揶揄した。すると孫子荊は負けじと「流れを枕にするのは俗世間の賤しい話で穢れた耳を洗いたいからだ。石で口を漱ぐのは俗世間の賤しいものを食した歯を磨きたいからだ」といい返し、自分の過ちを認めなかったという。
■50円;明治の初め頃、明治政府は1両を1円と言い変えました。1円を10万円としたら、当時の500万円の貨幣価値があります。右から左に融通できるような金額ではありません。現在の感覚で数千万円はしたでしょう。
■表店(おもてだな);格子状になった表通りに面した店。その表店に囲まれた裏側に長屋があった。それを裏長屋と言った。その裏長屋や表店を持っているのが、地主と言った。大家は長屋の管理人で、地主に雇われている。
■無利息無証文催促無し(むりそく・むしょうもん・さいそくなし);
■嘘も方便(うそもほうべん);嘘をつくことは悪いことではあるが、時と場合によっては嘘が必要なときもあるということ。例えば、時には嘘も良い時があります。結構重い病気だったとして本人に伝えるとき大したこと無いよ、と嘘をついたりするのを時には嘘も悪くはないって感じです。
■無尽(むじん);庶民金融の一。頼母子講(たのもしこう)のことで、互助的な金融組合。組合員が一定の掛金を出資、一定の期日に抽籤または入札によって所定の金額を順次に組合員に融通する組織。鎌倉時代から行われた。無尽。無尽講。
■溜飲(りゅういん)が下がる;胸がすいて気持がよくなる。不平・不満が解消して気分が落ち着く。
■すき焼きするから牛肉;明治に入って四つ足(獣肉)が表だって食べられるようになった。それまでは、獣肉は忌避されていて、食卓に上るようなことは無かった。ま、これは建前の世界で、本音では、イノシシは山鯨、またはボタンと称し、馬は桜、鹿はモミジ、と言葉を変えて食していた。また、薬食いとして病人には食べさせていた。
「オランダ商館の厨房」 川原慶賀筆 『唐蘭館絵巻』より 長崎市立博物館蔵。
「牛鍋」 安愚楽鍋 東京家政学院大学図書館蔵。 江戸時代、「ももんじ屋」(イノシシ料理店)等と名を変えた料理屋で食べられていたが、幕末になると横浜、京都などで牛鍋屋が開業した。牛肉にネギを入れ、味噌で調理した牛鍋は、明治期に爆発的に流行した。
2016年10月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |