落語「転失気」の舞台を行く
   

 

 三代目三遊亭金馬の噺、「転失気」(てんしき)


 

 古い川柳に『ブーブーを屁とも思わぬ芋酒屋』。昔、葭(よし)町の親父橋の角に居酒屋さんが有った。安い酒屋さんで、中には酒癖の悪い客が「ブーブー」言うのが出てくる。亭主はそんな事は屁とも思わない、と言うことです。

 別に、「ブーブー」は糸車からでたとも言い、管(くだ)を巻くときに「ブーブー」と音を出すからだとも。また、『クダをまく』も酒飲みが絡むからで、そこから出たのかも知れません。

 

 有る寺の住職が体調を崩し、医者の往診を頼んだ。帰り際医師から「転失気」が有るかと聞かれた。住職は分からなければ聞けばいいもの、「てんしき」は無いと返答した。「では、それに合わせて薬を調合します」と帰って行ったが、それには住職も心配になってきた。
 小僧の珍念を呼んで、なんとか「てんしき」について知ろうとするが、珍念は「てんしき」を知らなかった。住職は「ここで『てんしき』について教えてもよいが、それではお前のためにならない」と、前の花屋に行って、「てんしき」の有無を聞いて、有ったら借りてこいと言った。

 

 花屋で聞くと、「大きいのか、小さいのか」、「えぇ、大小があるんですか」、「唐草の入った風呂敷じゃないのか。『てんしき』?分からないからお婆さんに聞いてみる」、「有るよ、台所に転がっているよ。鍋敷き」、逆にお爺さんにどんなものだと聞いたら、「丸だの四角だの三角だのあるよ。ねじれた、てんしきも有るよ。小僧さん帰ったら住職に言ってくれ。二つあったんだが、床の間に飾っておいたら、お客さんに褒められたので、差し上げた。一つは味噌汁に入れて食べちゃった」。

 帰って住職に同じ事を説明したが、全く分からない。医者で薬をもらうとき、「自分の腹から出たように、『てんしきは何ですか』と聞きなさい」と、言いつかった。

 

 薬は出来ていた「2合を1合に煎じて飲みなさい」。先生に会って、てんしきについて聞いた。「ははは、アレは『放屁』の事だ。分からないか、『おなら』の事だ。『へ』だ。漢方医で使う言葉で、傷寒論の書物の中に『気を転(まろ)め失う』と書き、屁の事だ」、「真面目に教えてくださいよ。だって、住職は『借りてこい』と言いました」。

 

 利口な小僧は気が付いた。「そうか、花屋も、住職も知らないのだ。帰って『おならです』といえば『そうだろう、良く覚えておけ』と言うに違いない。お酒と言おうかしら。違っていたら『違う』と言うだろう。お酒より盃と言おう」。
 寺に帰って「『てんしき』とは『さかずき』のことです」と住職に報告すると、「天に口で呑むで、呑む酒の器、『呑酒器』と書くか」と答えた。「今後は、盃を持ては俗っぽくていけないから、今後は『呑酒器』を持てというぞ」。珍念さんおかしくてたまらない、「何を笑っておる」。

 

 翌日、先生のお見舞いです。体調が良いので診察せず帰ろうとするのを引き止めて、「先生、昨日は呑酒器が無いと言いましたが、粗末なものでございますが有りました」、「粗末なものは恐れ入りましたな。有る方がよろしい」、「先生は呑酒器をお好みですか。ここでチョット出してご覧にいれます」、「それには及ばない」、「チョットだけ出します」。珍念を呼んで三つ重ねの呑酒器を持ち出した。「この箱の中です」、「良く入れましたな。蓋を取ると臭いませんか」、出てきたのが酒器だったので先生大いに驚いて「少々お尋ねいたします。寺方では盃を転失気というのですか。医方では傷寒論の中に出てくる転失気で、放屁のことを言います」、「えぇ!これ珍念」、
「やり過ぎる(飲み過ぎる)とブーブーが出ますから」。

 

 

 




ことば

 

転失気(てんしき);中国の古典医学書「傷寒論」(しょうかんろん)の中に出てくる医学用語なのです。傷寒論は中国・後漢の名医・張仲景が著した古医書です。その中に放屁のことだと書かれている。

 

 てんしきには書き方に三種類あって、『転失気』、『転矢気』、『転屎気』。 噺では『気を転(まろび)失う』という読み方で説明していますが、失も矢も、似た漢字。これは、元の中国で書き間違ったか、あるいは日本での写本の段階で間違ったのか、分かっていない。 でも、矢が糞という意味があるので、微妙になってきます。
  私の経験で、ラジオのプログラムに「転矢気」と出ていて、これは明らかに誤植だと思われましたが、放送局で出稿するときから間違っていた、それは分かりません。でも、この説で言うと、あながち間違えではないことになります。 

 

傷寒論(しょうかんろん);後漢末期から三国時代に張仲景が編纂した伝統中国医学の古典。内容は伝染性の病気に対する治療法が中心となっている。原典が焼失し、その後何回か復刻されましたが、その都度焼失。最後の復刻本が日本に渡ってきて、 江戸時代では漢方医学のもっともポピュラーなテキストになった。 

 

傷寒論の陽明病の脈証と治療法を述べた箇所に、次のようにあります。
 「陽明病で、潮熱があり、大便の少し固いのは、大承気湯を与えよ。固くないのには、これを与えてはならない。もし便秘が六七日も続くのには、恐らくは燥屎(乾いた糞塊)があるだろう。これを知る方法は、少量の小承気湯を与えよ。小承気湯が腸中に入つて、転失気するのはこれは燥屎がある。だからこれを下せ。もし転失気のないのは、その便は、始めは固くも後は必ず水様便となるから、これを下してはならない。これを下すと、必ず腹がひどく張り、食べられなくなる。(また転失気しないで)、水を呑みたがるものに水を与えると、必ずしやつくりが起る。その後に発熱するものは、必ず大便がまた固くて少なくなる。小承気湯でこれを緩和させよ。転失気しないのは、下さないよう注意せよ。」
註;転失気は普通には放屁のことと解しているが、腹中でガスが動くことである。放出すれば屁となる。
(丸山清康『全訳傷寒論』)


傷寒論には「反失気」という文字もある。霍乱〈かくらん〉病の脈証と治療法を述べた箇所に、
 「傷寒のように見えるが、その脈が微濇なのは、本来これは霍乱である。いまこれが傷寒ならば、(最初は吐下がなく)かえつて四五日して、陽経から陰経に転じ、陰に入つた時に、必ず下痢する。発病当初から嘔吐・下痢するのは、治療が困難である。(下痢の止んだ後に)、便意があつても便が出ず、かえつて放屁ばかりあるのは、これは陽明に属したのである。便は必ず固くなり、十三日で癒える。それは(陽明経が十三日で)終わるからである。」
(丸山清康『全訳傷寒論』)

失気が放屁であり、転失気は腹中で動くガスであるという。
 また、江戸時代の儒者浅川鼎が書き残した中に
「転矢気ハ矢気肛門ニ逼リ、外ニ洩レズ、声響ノ内ニ反転ス、俗ニ屁カヘリトイフコレナリ。転気、或ハ転気ニ作ル、傷寒論弁陽明脈証并治篇ニ、転失気ノ字三見ス、宋板及ビ諸本皆転失気ニ作ル、玉函経独り転矢気ニ作ル、何ニテモ通ズレドモ、転矢気ニ作ルヲ文理穏順トス。何トナレバ、矢気ハタヾ矢ノ気ナレバ、即チ屁ナリ、失気ハ矢気ノ放失スルナレバ、放屁ナリ、其放失スベキ、矢気ノ外ニ洩レズシテ、内ニ転反スルヲ、転失気トイフ。故ニ弁霍乱病脈証并治篇ニ 似欲 大便  而反失気、仍不利者此属陽明也 トアル、反失気ノ転失気ニ同ジキニテモ、転反ノ義ナルヲ知ルベシ。モシ此条ノ反ノ字ヲ語辞トナシテ、反テ失気スナド訓ゼバ、反ノ字義通ゼズ」。
(浅川鼎『善庵随筆』)。
失気が放屁のことであり、転失気も反失気も同じ意味で放出されずに体内へ戻ってしまったガスだという。


オチの「プープー」;今ではわかりづらくなっていますが、金馬もマクラで説明しています。 古い江戸ことばで、酔っ払いの苦情、小言を意味します。それを、放屁の音と引っ掛けただけの単純なものです。

 

寺言葉(てらことば);寺で使われる隠語。お酒のことは般若湯、蛸(タコ)を天蓋、あわびを捨て鐘、マグロは赤豆腐、卵のことを御所車、中にキミがござるからだという。ドジョウが踊っ子、みんな隠語で『てんしき』はもっと分からない。

 

2合を1合に煎じて;二合の湯に煎じ薬を入れて、1合になるまで煮詰め、それを服用する。

 

親父橋(親仁橋。おやじばし);日本橋の東堀留川に架かっていた橋。元吉原の創設者庄司甚右衛門に因んで付けられたと言います。別説には日本橋を渡って東に曲がり魚河岸を抜けて、元吉原に向かう途中に有りますが、遊びに出る息子は、ここでフト親父のことが思い起こされるという。今は東堀留川は埋め立てられてありませんし、親父橋もありません。

 

 

 明治の「親父橋」 山本松谷画 明治東京名所図会より

 

江戸の屁;落語「四宿の屁」をご覧下さい。

 

  

 

酒器(しゅき);酒を飲むための器。ここでは三つ重ねと言っていますので、大中小の盃を三段に重ねたもの。出陣・帰陣・祝言などの際の献杯の礼などで三三九度の盃を酌み交わす。

 



 
                                                           2015年2月記

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