落語「手紙無筆」の舞台を行く
   

 

 春風亭小朝の噺、「手紙無筆」(てがみむひつ)より


 

 コンピュター付きのハカリが出来て、乗った女性が怒っていた。そのハカリが喋って、「お一人ずつお乗り下さい」。

 「署長、被害者は縞のネクタイで首を絞められて死んでいます」、「ん~、なかなか良いネクタイだ」。

 「お母さん、アメリカって遠いの?」、「黙って泳ぎなさい」。

 動物園の担当者に子供が質問しました。「ここにいるゾウは悲しそうな顔をしていますが、どうしてですか?」、「良い質問だね。人間で言うと120歳位なんだよ。長生きすると悲しいこともあるんだろうね」、「こっちにいる若いゾウも悲しそうな顔してますよ」、「そらそうだろ。親に120年も生きられているんだから」。

 街頭で手相を見ている人が居ます。「貴方のご主人、近い内に変死しますね」、「それは解っているの。私は捕まるんですか、捕まらないんですか?」。

 噺に出て来る職人は読み書きが出来ないという人が揃っているようで。「そこで何やっているんだい?」、「兄貴に手紙書いているんです」、「お前は字が書けないんだろう」、「良いんです。兄貴は字が読めないから」。

 「私の所に手紙が来たのですが、読めないので、兄貴に読んでもらおうと思って来ました。いつもは書生さんに読んでもらうのですが、出掛けているので、こちらに来ました」、「この手紙か。読んでおいてやるから、4~5日経ったらおいで。今すぐ読めとは高慢ちきな。2~3日前には電報でもよこしな」、「チョッと読んでくださいよ」、「お前には言わなかったが、俺は鳥目なんだ」、「鳥目は夜目が見えないんでしょ。今は昼間ですよ」、「そうそう、俺のはミミズクの鳥目」、「アッ、兄貴は読めないのでしょう」、「貸してみろ、読んでやるよ。これは手紙じゃないか」、「さっきから言ってるじゃ無いですか」。
 「どっから来た手紙だ」、「そこに書いてあるでしょ」、「聞いた方が早い」、「本所の伯父さん所かららしい」、「書いてある。本所の伯父さんから八公へ」、「おかしいな。いつもは八五郎様とか八五郎殿と書いてある」、「不服そうだな。偉い人にはみんな公が付いている。徳川家康公、織田信長公、豊臣秀吉公、どうだ。渋谷の忠犬ハチ公だって付いている」。
 「中はどうなっています?」、「懐かしいな。仲には最近行っていない」、「吉原でなく、手紙ですよ」、「チョット待ちなさい(封筒から手紙を取り出して)、あら、字ばかりで絵がない。見ると伯父さんは長いことないな。薄墨を使うようじゃ長いことないな」、「兄貴、手紙が裏返し、ではないんですか」。
 「使いの者が待っているんで早くお願いします」、「『半纏を着て風呂敷を持っている』、なにかの手がかりになるな。お前、なにか頼まれていないか」、「そう言えば、子供を連れて上野動物園に行った帰り、広小路でバッタリ伯父さんに会いましてね、『お客を通すから、お店(たな)から本膳を借りてくれ』と言っていましたよ」、「そうだろう、その様に書いてある」。八公の言うとおりの口語体の文面になった。カマを掛けての作文ですから大変です。「本膳は何人前ですか」、「5人前だな」、「おかしいな、10人前と言ってましたが」、「早く言いなよ。書いてあるよ。壊すといけないから5人前ずつ2回に分けて運んでおくれよ」、「付く物は書いてありますか」、「箸は前の荒物屋で買うからいいよ」、「本当にそう書いてありますか。前は崖なんですが・・・」、「隣だな」、「右隣は警察で、左隣は消防署なんですが・・・」、「最近消防署では箸は売らなくなった」。 
 「猪口は書いてありませんか」、「有った。御平という字が大きかったので、その陰で見えなかった」。

 



ことば

無筆(むひつ);字の書けない人。江戸時代、教養の高さや識字率の高さはヨーロッパの最先端パリやロンドンを数倍引き離して5割以上の力を持っていた。江戸の終わり頃には男子70~80%、女子で20%、武家では100%の高さを誇っていた。女子の低いのは、稽古事の踊・唄・楽器・作法や裁縫、家事万端にも時間を割いています。子供は5~8歳になると寺子屋に入った。12~3歳までの生徒に読み・書き・そろばんを特に教えた。
 その結果、明治に入って欧米化が急速に進んだのも、この下地があったからです。また、江戸時代には貸本屋という商売があって、繁盛していたのもこのお陰です。

落語「鼻欲しい」に詳しい。

手紙(てがみ);半切紙(ハンキリガミ)=書簡用の丈短く横に長い和紙。もとは杉原紙を横に二つに切ったもの。
(「手」は文字・筆跡の意) 用事などをしるして、他人に送る文書。書簡。書状。

書生(しょせい);学業を勉強する時期にある者。学生。明治・大正頃の用法。
 他人の家に世話になり、家事を手伝いながら学問する者。

鳥目(とりめ);(鳥のように夜目が見えなくなるからいう) 夜盲症(ヤモウシヨウ)のこと。

ミミズク(木菟・角鴟); フクロウ目フクロウ科の鳥のうち、頭側に長い羽毛(いわゆる「耳」)を持つものの総称。ワシミミズク・オオコノハズクなど。右写真。

本所(ほんじょ);東京都墨田区の一地区。もと東京市35区のひとつ。隅田川東岸の低地。商工業地域。江戸の後期に江戸が拡大して隅田川の東まで御府内とした。その時、本所とその南・深川が選ばれた。明治に入って本所区、深川区になった。

 

 隅田川の対岸、スカイツリーやアサヒビールの本社やビアホールがあるのも墨田区本所辺りです。

徳川家康公;(1542~1616) 徳川初代将軍(在職1603~1605)。松平広忠の長子。幼名竹千代。初名元康。今川義元に属したのち織田信長と結び、ついで豊臣秀吉と和し、1590年(天正18)関八州に封ぜられて江戸城に入り、秀吉の没後伏見城にあって執政。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で石田三成らを破り、03年征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を開いた。将軍職を秀忠に譲り大御所と呼ばれた。07年駿府に隠居後も大事は自ら決し、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、幕府260余年の基礎を確立。諡号(シゴウ)、東照大権現。法号、安国院。

織田信長公;(1534~1582) 戦国・安土時代の武将。信秀の次子。今川義元を桶狭間(オケハザマ)に破り、諸方を征略、1568年(永禄11)足利義昭を擁して上洛したが、73年(天正1)義昭を追って幕府を滅ぼす。安土城を築き、天下統一の歩を進めたが、京都本能寺で明智光秀に襲われて自刃。

豊臣秀吉公;(1537~1598一説に1536~1598) 戦国・安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。木下弥右衛門の子。幼名、日吉丸。初名、藤吉郎。15歳で松下之綱(ユキツナ)の下男、後に織田信長に仕え、やがて羽柴秀吉と名乗り、本能寺の変後、明智光秀を滅ぼし、四国・北国・九州・関東・奥羽を平定して天下を統一。この間、1583年(天正11)大坂に築城、85年関白、翌年豊臣の姓を賜り太政大臣、91年関白を養子秀次に譲って太閤と称。明を征服しようとして文禄・慶長の役を起し朝鮮に出兵、戦半ばで病没。

忠犬ハチ公;死去した飼い主の帰りを東京・渋谷駅の前で約10年間のあいだ待ち続けたという犬。犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれている。 渋谷駅前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなって、待ち合わせの場所としても有名。
 ハチの飼い主は東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区)に住んでいた大学教授・上野英三郎であった。彼は大変な愛犬家であり、出かけるときには渋谷駅までハチを伴うことも多かった。しかしながらハチを飼い始めた翌年にあたる1925年(大正14年)に上野は急死した。 上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。 さらに、1934年(昭和9年)には渋谷駅前にハチの銅像が設置されることとなり、その除幕式にはハチ自身も参列した。
 写真;国立科学博物館蔵の忠犬ハチ公の剥製。

上野動物園(うえのどうぶつえん);東京都台東区上野公園の桜の名所上野恩賜公園内にある東京都立の動物園。落語「動物園」を参照。
 開園は、1882年3月20日で、日本で最も古い。現在は指定管理者制度により公益財団法人東京動物園協会が管理する。 上野恩賜公園内にあり、上野駅(公園口)から徒歩5分の場所にゲートがある。敷地は西園と東園に分かれており、両園を結ぶ都営モノレール(上野懸垂線)は日本初のモノレールである。 スマトラトラ、ニシローランドゴリラ等の希少動物をはじめ、500種あまりの動物を飼育している。この飼育動物の種類は、日本で愛知県名古屋市・東山動植物園(550種)に次いで多い。 日本一の入園者数を記録する動物園である。旭川市旭山動物園が月間入園者数で上回る月もあるものの、年間入園者でみると当園が日本1位である。下写真。

広小路(ひろこうじ);江戸時代から火災が多い江戸の街中に、火除け地として設置され、江戸の三大火除け地は浅草雷門前の浅草広小路、隅田川に架かる両国橋の両岸の両国広小路、上野御成街道、上野寛永寺黒門前の上野広小路が有った。この噺の広小路は寛永寺の跡地が上野公園となり、その中にある上野動物園の帰り道、上野公園からだらだらと下ってきた所が、山下でその先が上野広小路です。繁華街として、賑わっている。

   

 広重画 江戸名所図会より、左「広小路」、現・松坂屋辺り。右、「上野山下」、公園から降りた京成上野駅辺り。

本膳(ほんぜん);日本料理の正式の膳立てで、二の膳・三の膳などに対して、主となる膳。一の膳ともいう。膾(ナマス)・坪(ツボ)・香の物・味噌汁などの献立から成り、飯をこれにつける。
本膳料理の略:正式の日本料理の膳立て。室町時代に武家の礼法とともに確立し、江戸時代に内容・形式ともに発達した。本膳(一の膳)・二の膳・三の膳から成り、最も鄭重な場合にはさらに与(ヨ)の膳・五の膳を供する。一汁三菜・一汁五菜・二汁五菜・二汁七菜・三汁七菜・三汁九菜・三汁一一菜などの種類がある。
落語「本膳」参照。

御平(おひら);(女房詞) 御平椀の略。平型かぶせ蓋の塗物椀で、煮しめを盛る器。



                                                            2017年2月記

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