落語「やかん」の舞台を行く 十代目桂文治の噺、「やかん」
■愚者(ぐしゃ);おろかな人。ばかもの。ぬかるみを歩いているようだと思っているうちは良いが、バカ者と分かった瞬間心が変わります。
■しったかぶり;落語「転失気」、「千早振る」、等で知ったかぶりをします。
■やかん(薬缶);漢字に直すと直ぐ分かります。薬を煎じるために使われた水沸かし。
右図;歌川広重画 『東海道五十三次・袋井』部分
■ウナギ(鰻);ウナギ科の硬骨魚。細い棒状。産卵場は、日本のウナギは台湾・フィリピン東方の海域、ヨーロッパ・アメリカのウナギは大西洋の中央部の深海。稚魚はシラスウナギ・ハリウナギなどと称し、春に川に上り、河川・湖沼・近海などに生息。また養殖も、浜名湖など東海・四国地方で盛ん。蒲焼として珍重、特に土用の丑の日に賞味し、ウナギにとっては厄日です。
■カレイとヒラメ;「左ヒラメに右カレイ」とは、ヒラメとカレイの見分け方であることは有名だ。両者ともカレイ目に属し、腹を手前に置いて左に顔があるのがヒラメ、右にあるのがカレイである。ところがカレイの仲間でも、左に顔があるものもいるから話しはややこしい。ヌマガレイがそうだ。さらに面白いことにこのカレイ、アメリカ西海岸では左に顔のあるものが50%、ところがアラスカ沖では70%、それが日本では100%となるのである。「左ヒラメに右カレイ」は、万国共通ではないのだ。
■根問い(ねどい);根元まで掘り下げて問いただすこと。どこまでも問うこと。根掘り葉掘り問うこと。
■おにばな(お煮端);茶を煮出して吞むのがお煮端。大店などでは1人1人に出してたら賄えないので、いっぺんに煮出す出し方。変わって、出端は、煎じたての香味のある茶。ではじめ。煮花(ニエバナ)。
■猫も杓子も;だれかれの区別無くみんな。誰もかれもすべてということ。語源=猫の手と杓子の形が似ているところから。また、女も子供もで「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も」が転じたとも言われる。が確証は無い。
「信州川中島合戦之図」 広重画 左翼に武田信玄、右翼に上杉謙信がいる。
■川中島の合戦(かわなかじまのかっせん):日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう。最大の激戦となった永禄4年(1561)第四次の戦いが千曲川と犀川(さいがわ)が合流する三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊)を中心に行われたことから、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれる。両軍の合戦は、浄瑠璃では近松門左衛門の「信州川中島合戦」、近松半二の「本朝廿四孝」、歌舞伎では河竹黙阿弥の「川中島東都錦絵」に脚色。
川中島;信濃国北部、千曲川のほとりには善光寺平と呼ばれる盆地が広がる。この地には信仰を集める名刹・善光寺があり、戸隠神社や小菅神社、飯綱など修験道の聖地もあって有力な経済圏を形成していた。善光寺平の南、犀川と千曲川の合流地点から広がる地を川中島と呼ぶ。当時の川中島は、幾つかの小河川が流れる沼沢地と荒地が広がるものの洪水堆積の土壌は肥えて、米収穫高は当時の越後全土を上回った。鎌倉時代から始まったとされる二毛作による麦の収穫もあり、河川は鮭や鱒の溯上も多く経済的な価値は高かった。古来、交通の要衝であり、戦略上の価値も高かった。武田にとっては善光寺平以北の北信濃から越後国へとつながる要地であり、上杉にとっては千曲川沿いに東に進めば小県・佐久を通って上野・甲斐に至り、そのまま南下すれば中信地方(現在の松本平)に至る要地であった。(ウイキペディアより)
右図;第四次川中島の戦い(岩国美術館所蔵「川中島合戦図屏風」左隻部分)
■那須与一(なすのよいち):鎌倉初期の武士。下野那須の人。与市・余一とも。名は宗高。文治元年(1185)屋島の戦に扇の的を射落して名をあげた。生没年未詳。時代が違いますので、彼が川中島で戦うことは無いのですが、おもしろさを倍加させています。
■赤(あか);銅(あかがね)と言われ銅をさす。
■忍びの緒(しのびのお);兜(かぶと)の緒の近世の称。
2015年2月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |