落語「菊江の仏壇」の舞台を行く 五街道雲助の噺、「菊江の仏壇」(きくえのぶつだん)より
かすり【飛白・絣】、所々かすったように文様を織り出した織物または染文様。文様を織り出したのを織絣、模様を染め出したのを染絣という。「―の着物」。
経帷子(きょうかたびら);亡くなった方に着せる死装束。手甲や脚絆、頭陀袋などの組み合わせからなります。
白一色の麻、木綿、紙布などでできています。縫い目の糸をとめず、裏地のない単衣になっています。
遺族の手で着せてあげ、左前に合わせます。経帷子には、南無阿弥陀仏や、南無妙法蓮華経という名号やお題目、梵字や経文・朱印などが書き記されています。
本来巡礼のための装束ですが、西方浄土へ巡礼に出るという発想から、経帷子を着せる習慣が始まったとされています。
お花さんにそっくりな、菊江さんは湯上りの設定で白薩摩に洗いざらし髪という扮装で店にやって来ました。これが、終盤への伏線となります。
白薩摩は、白地のものは薄い絣柄が入っていて夏の浴衣などに用いられる一方、死に装束である経帷子は、綿もしくは麻等で作られているのですが、同じ単衣で絣柄のような文字が入っているので、大旦那は間違えてしまったのでしょう。
さらに、菊江は洗い髪で髪をザンバラと散らしていたので、暗い部屋の中、仏壇の中にいるので幽霊とそっくりになってしまった。
■「幽霊図(お雪の幻)」;安永期 円山応挙(1733-95)の代表作
。夜分、奥さんを見掛けて絵筆を執ったと言われる。これ以後、幽霊には足が無くなった。
■親に似ぬ子は鬼っ子;親に似ない子がもしいるなら、それは人間の子ではなく鬼の子である。ことわざ事典
■門跡(もんせき);本来は一門の祖跡の意で,祖師の法門を受継ぐ寺院またはその主僧のこと。平安時代宇多天皇が僧となって京都御室の仁和寺に住み,この寺を御門跡と呼ぶようになった。それ以来法親王の住む寺院を門跡と称し,最高の寺格を示す称号となった。宮門跡,摂家門跡,清華門跡,公方門跡,准門跡などの別があり,門跡の住持を門主 (もんす) ,御門主と称したが,のちにはこれら住持のことを門跡,御門跡ともいうようになった。
■新造(しんぞう);新妻(ニイヅマ)。若妻。転じて、下級武士や上層の町人の妻女の敬称。
■とうは立っていた;年増な女。
主に女性の、年季が入って瑞々しさの失われたさま、年頃を過ぎてしまった様子を形容する表現。「とうが立つ」とは、茎(とう)が食べられる野菜が成長してしまって不味くなること、食べるによい頃合いを過ぎることを意味する語。
実用日本語表現辞典より
■帳場格子(ちょうばごうし);商店で、帳場のかこいに立てる2枚折りまたは3枚折りの低い格子。結界。
■柳橋(やなぎばし);台東区柳橋。きたり喜之助が住んでいた、両国橋の西側、京葉道路を渡った北側、柳橋を渡ると浅草柳橋(町)です。花柳界があって賑わった地です。落語「不孝者」、「一つ穴」に詳しい。
■お灯明(おとうみょう);神仏に供える灯火。みあかし。
■芸者茶屋(げいしゃじゃや);芸者を呼んでそこで遊べる貸席業。待合茶屋。待合は主として芸妓との遊興や飲食を目的として利用され、料亭・置屋とともにいわゆる三業の一角を占める。
かつては寝具が備わっており、芸妓や娼妓(送り込み制の場合)と寝ることも使用法の一つにあったが、現在では売春が禁じられていること、時代の変化等によりそのようなことはない。現在では上記の通りに飲食や芸妓遊びに使われる。
飲食の際は飲み物は備わっているが料理は直接提供できない。したがって仕出し屋などから取り寄せる必要がある。
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