落語「高瀬舟」の舞台を行く
森鴎外の短編小説
■小説『高瀬舟』(たかせぶね);森鴎外の短編小説。大正5年(1916)1月、「中央公論」に発表された小説。江戸時代の随筆集「翁草」(神沢杜口著)の中の「流人の話」をもとにして書かれた。財産の多少と欲望の関係、および安楽死の是非をテーマとしている。
三遊亭円生はこの噺を落語と言うより、朗読の話術で聞かせます。
原本はこちらに有ります。
■高瀬舟;河川や浅海を航行するための木造船。室町時代末期頃の岡山県の主要河川(吉井川、高梁川、旭川等)で使用され始め、江戸時代になると日本各地に普及し、昭和時代初期まで使用された。中世には船体が小さく、底が深く(高背)、近世には型が大きくなり、底が平たく浅くなった。帆走もしくは馬や人間が曳いて運行され、物資の輸送を主な目的としていた。角倉了以が、京都・伏見間で開いた高瀬川は、高瀬舟の運航にちなんで名付けたものです。(右写真)
■高瀬川(たかせがわ);京都の高瀬川は天正年間に豊臣秀吉が東山の大仏殿を造営するときに、その材料を運搬するため角倉了以に命じて作らせた掘り割りです。鴨川に並行して西側を流れ、竹田と言うところで鴨川を横切って伏見で宇治川に合流するものです。円生のマクラより。
明治40年頃の高瀬川。画面中央で縄を引いている男二人が見える。
■角倉了以 (すみのくらりょうい) ; (天文23年(1554).京都~慶長19年(1614).7.12.) 京都
安土桃山時代の海外貿易家、土木事業家。幼名は与七、のち了以。諱は光好。京都嵯峨の土倉吉田家の出。文禄元年(1592) 豊臣秀吉から、慶長9年(1604) 以降は徳川氏から朱印状を与えられ安南国トンキン(東京=インドシナ半島) に朱印船 (角倉船と呼ばれた) を派遣し巨利を得た。また治水事業、河川開発の技術にも長じ、慶長11年の大堰川 (丹波-山城) の浚渫、疎通をはじめとして、富士川 (駿河岩淵-甲府) 、高瀬川 (京都二条-伏見) 、などの開削を行い、天竜川 (遠江掛塚-信濃諏訪) は、ここは難工事で成功していない。これらの河川を利用して材木その他の物質を搬出し資産をなした。
高瀬川の完成直後に病没。六十一歳。
落語「鰍沢」で、富士川の急流を見てきましたが、その富士川を河運に適したようにしたのも彼です。
■京都町奉行(きょうとまちぶぎょう)は、江戸幕府が京都に設置した遠国奉行の1つ。老中支配であるが、任地の関係で実際には京都所司代の指揮下で職務を行った。東西の奉行所が設置され、江戸町奉行と同様に東西1ヶ月ごとの月番制を取った(ただし、奉行所の名称は江戸・大坂とは違い、「東御役所」・「西御役所」と呼ばれていた)。京都郡代から分離する形で寛文8年12月8日(1669年1月10日)に設置された。京都町政の他畿内天領および寺社領の支配も行うため、寺社奉行・勘定奉行・町奉行の三奉行を兼ねたような職務であった。
東町奉行所跡=京都市中京区押小路通大宮西入る (地下鉄東西線「二条城前」駅から徒歩約3分) 現在は、NTT壬生電話局になっている。
■京都牢屋敷(きょうとろうやしき);六角獄舎は、京都町奉行所付属の牢獄で、正式名称を「三条新地牢屋敷」といいます。小川通御池上ル西側にあった牢獄が宝永5年(1708)の大火で類焼し、翌年に六角通神泉苑西入因幡町に移転したもので、六角通に面していたため、「六角の獄舎」と呼ばれました。元治元年(1864)の蛤御門の変(右図)の際に、平野国臣(くにおみ)ら33名の志士が斬首されたことで有名です。
建物は東西約65m、南北約53m、面積約3640㎡、総坪数1102坪で、外側を竹柵来、内側を築地で囲み、本牢・切支丹牢・女牢などがありました。
■流刑地(るけいち);遠島(えんとう)。江戸時代には、追放(追放。その地に入れない処罰。例えば江戸追放=江戸の市内には入れない)よりも重い刑と規定されて「遠島」(えんとう)と称されており、江戸幕府では東日本の天領の流刑者を主に八丈島等の伊豆七島と佐渡島に流した。西国では天草諸島や五島列島などが流刑地となった。幕府はこのほか、改易した大名やお家騒動で処罰されたその重臣らを遠方の各藩預とする処分をしばしば下した。
南西諸島への遠島も行われていた。江戸時代には薩摩藩が政治犯を支配下に入れた琉球へ盛んに送っている。薩摩藩を含めて、一部の藩は領内の島や山奥を流刑地にしていた。赦免は刑期満了の他に、本国で改めて投獄・処刑する為にもなされる。
■入相の鐘(いりあいのかね);日暮に寺でつく鐘。晩鐘。
■夜舟(よふね);夜行の船。
■同心(どうしん);江戸幕府の諸奉行・所司代・城代・大番頭・書院番頭などの配下に属し、与力(ヨリキ)の下にあって庶務・警察の事をつかさどった下級の役人。
■身代(しんだい);一身に属する財産。家の財産。
■扶持米(ふちまい);俸禄を給して、家臣としておくこと。また、その俸禄。主として米(扶持米)を給与した。給与として支給される米。ふち。
■白河楽翁侯(しらかわらくおうこう);松平定信(マツダイラサダノブ)のこと。江戸後期の幕府老中。田安宗武の子。奥州白河の藩主。老中の職につき寛政の改革を断行。また、和歌・絵画に長じ、「花月双紙」、「宇下人言(ウカノヒトゴト)」、「集古十種」などの編著がある。隠居して楽翁と号す。(1758~1829)
■政柄(せいへい);政治の権柄。政権。
■智恩院(ちおんいん);京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。
浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集めた。
■住所不定(じゅうしょふじょう);現在では、住民票がないとか、住所の登録がないとかで、把握できない人の状態。ですから、公園で寝ている人も、お金持ちの家を転々として優雅に暮らしている人も、住んでいる所が一定でない以上、同じ「住所不定」の人に該当する事になります。
■遊山船(ゆさんぶね);船遊びの船。
■二百文の鳥目(ちょうもく);200文の価値は江戸中期で、1文が約20円。200文だと約4000円になります。
■疫病(えきびょう);流行病。伝染病。はやりやまい。
■親類縁者(しんるいえんじゃ);血族および姻族の総称。親戚。親族。
■西陣(にしじん);西陣織(ニシジンオリ)の略。京都市西陣を本拠地として製造・販売に従事する個人または団体が製織する織物で、機業の各工業組合規定の証紙・検印の押されたもの。帯・着尺・ネクタイ・洋服地・緞帳など多品種にわたるが、長い伝統に基づく技術や意匠の蓄積、新しい技術・意匠の開発によって、手工芸性を加味した高級紋織物として著名。
■織場(おりば);織物を織る場所。
■空引(そらびき);錦(にしき)、綾織(あやおり)などの紋織物に使われた手機(てばた)。織ろうとする紋様をあらかじめあらく編んだものを機台上方の枠(わく)に仕掛け、これに基づいて紋の織出しに必要な経(たて)糸の上下を、機台上の空引工が織工の動作に合わせて行う。
■労咳(ろうがい);結核(けっかく、Tuberculosis)で、マイコバクテリウム属の細菌、主に結核菌 (Mycobacterium tuberculosis) により引き起こされる感染症。結核菌は1882年にロベルト・コッホによって発見された。日本では、明治初期まで肺結核は労咳(癆痎、ろうがい)と呼ばれていた。現在でも、多くの人が罹患する病気で好発部位は肺であるが全身の臓器・器官に感染し顕著な症状を呈している部位名に「結核」を付け加えた呼び方により細分化される。
■年寄衆(としよりしゅう); 江戸時代、町村内の行政をつかさどる役人。
■役場(やくしょ);京都町奉行所のことで、「東御役所」・「西御役所」が有った。
■おぼろ夜;朧夜。おぼろ月の夜。霧や靄(もや)などに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月。
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