落語「左の腕」の舞台を行く 三代目桂三木助の噺、「左の腕」(ひだりのうで)より
■原作は松本清張、時代小説・短編集「無宿人別帳」1958年(新潮文庫)の中に「左の腕」で収載されています。2015年にテレビドラマ化され、卯助を升毅、麻吉を津田寛治が演じた。三木助の専売特許で、落語というよりスタジオ録音され、効果音も入って朗読に近いものです。三木助は元博徒であったというからこの作品に愛着があったのかもしれません。
■松本清張(まつもと せいちょう);(1909年(明治42年)12月21日- 1992年(平成4年)8月4日)は、小説家。この噺「左の腕」の原作者。
1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』、『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす。
以後、『ゼロの焦点』、『砂の器』などの作品もベストセラーになり戦後日本を代表する作家となる。その他、『かげろう絵図』などの時代小説を手がけているが、『古代史疑』などで日本古代史にも強い関心を示し、『火の路』などの小説作品に結実した。
緻密で深い研究に基づく自説の発表は小説家の水準を超えると評される。また、『日本の黒い霧』、『昭和史発掘』などのノンフィクションをはじめ、近代史・現代史に取り組んだ諸作品を著し、森鴎外や菊池寛に関する評伝を残すなど、広い領域にまたがる創作活動を続けた。
■三代目 桂 三木助(かつら みきすけ);(1902年3月28日〈戸籍上は1903年2月17日〉 - 1961年1月16日)は、落語家。本名小林 七郎(こばやし しちろう)。出囃子は「つくま」。NHKとんち教室の落第生。日本芸術協会所属だったが最晩年に脱退し、フリーを経て八代目桂文楽がいた落語協会に移籍。当時まではとりわけて注目もされていなかった、円朝作と云われる落語「芝浜」を独自に練り上げ得意にした。以降、芝浜は夫婦の情愛を美しく描いた名作落語として認識されるようになり、多くの落語家が口演するようになった。現在でも三代目三木助のものが傑作と云われることから通称「芝浜の三木助」、他にも通称は「田端の三木助」、「隼の七」等と言われる。右写真、三木助。
■入れ墨(いれずみ);この短編では、タイトルが示しますように、刑の一環として刺青は多用されてきました。
三社祭の彫り物をした男。
■松本清張 新潮文庫佐渡流人行 ≪下≫、「左の腕」、要約
深川の料亭松葉屋に、おあきという美人の娘と、その父親である卯助という親子が雇い入れられました。紹介したのは、板前の銀次でした。卯助は飴売りをやっていたのですが、小汚い格好のために難儀していたのです。おあきも近所のカミサンから子守を頼まれ、わずかな金を稼いでいましたが、暮らしは楽ではありませんでした。
■細工した飴(さいくした あめ);飴細工。製菓技術のひとつであり、飴を用いて造形物を作り出すこと、およびその造形物をいう。その細工の技術と美術的な観点、製作過程に特徴があり、食べることを目的としない、鑑賞するための展示品として製作される場合もある。
深川の飴細工師。2015.11.02撮影 深川江戸資料館にて
■深川の料理屋(ふかがわの りょうりや);深川一番の有名どころ平清(ひらせい)。江戸っ子は縮めて「ひらせ」と言った。しかし、江戸っ子は”ひ”と”し”が言い分けられなかったので、江戸訛りで”しらせ”と発音していた。富岡八幡の東側、三十三間堂があった土橋にあり、二軒茶屋の上をいく超高級料亭です。江戸一と言われた山谷の八百善に次ぐ深川烹家(ほうけ)の巨璧(きょへき)と「江戸繁盛記」は伝えています。文化の頃(1804~18)から繁昌し明治に入ってからも続き、明治32年(1899)に廃業した。どちらも、一般庶民が入れるような、料理茶屋ではありませんでした。
江戸高名会亭盡「深川八幡前・平清」 広重画
松本楼(まつもとろう);富岡八幡宮の鳥居内にあった料亭です。伊勢屋とともに、二軒茶屋と称された名店でした。現在の八幡裏の数矢小学校辺りに有りました。深川で江戸以来の老舗は、平清、尾花屋、梅本に山本、二軒茶屋、ほかに小池がありました。噺の中に出てくる松葉屋は、実際に有ったわけではありません。
深川七場所と言って、富岡八幡宮、永代寺周辺は江戸の町が膨張するに従い、幕府の隅田川東側の埋め立てが進み、移住者を増やす為にも遊所・岡場所の営業を当初は許していた雰囲気がありましたし、神社仏閣の周りには自然発生的に遊所が散見されます。その中に、江戸でも有数の料理茶屋が混在していました。
■通いの下男(かよいのげなん);店に住み込みでは無く、自宅から通ってくる、下働きの男。しもべ。下僕。
■住み込みの女中(すみこみの じょちゅう);こちらは住み込みのおあきさんで、松葉屋に住み込みで働いています。
■相川町(あいかわちょう);深川相川町。卯助の住まい。現在の江東区永代一丁目1番辺り。永代橋の東詰め土手際の町。東側に行けば、深川の中心街・門前仲町に出ます。
■裏長屋(うらながや);表通りから入った裏側にある長屋。
■門前町(もんぜんちょう、-まち);深川の富岡八幡宮前の町。ここの稲荷横町に住んでる稲荷の麻吉がいた。
■目明かし(めあかし);江戸時代、放火・盗賊その他の罪人を捕えるため、与力・同心の配下で働いた者。多くは以前軽い罪を犯した者から採用した。おかっぴき。てさき。訴人。御用聞き。(広辞苑)
ここから、林美一著「江戸の二十四時間」より、岡っ引きについて引用します。
■強請(ゆすり);他人をおどしてむりに金銭や品物を出させること。また、その人。
■無尽講(むじんこう);相互に金銭を融通しあう目的で組織された講。世話人の募集に応じて、講の成員となった者が、一定の掛金を持ち寄って定期的に集会を催し、抽籤(ちゅうせん)や入札などの方法で、順番に各回の掛金の給付を受ける庶民金融の組織。貧困者の互助救済を目的としたため、はじめは無利子・無担保だったが、掛金をおこたる者があったりしてしだいに利息や担保を取るようになった。江戸時代に最も盛んで、明治以後も、近代的な金融機関を利用し得ない庶民の間に行なわれた。頼母子(たのもし)。頼母子講。頼母子無尽。無尽金。無尽。
■手慰め(てなぐさみ);なぐさみにするちょっとした博打や賭博遊びや動作。
■寺銭(てらせん);ばくちや花札などで、その場所の借賃として、出来高の幾分を貸元または席主に支払うもの。てら。寺金。
■生国は越後(しょうごく えちご);今の新潟県。そこが生まれた地だと言う。
■ザクロ口(石榴口);江戸時代の銭湯の湯ぶねの入口。湯のさめるのを防ぐために、湯ぶねの前部を板戸で深くおおったもの。身体を屈(カガ)めて中に入る。ザクロの実の酢は鏡の金属面をみがく料となるから、「屈み入る」と「鏡要る」とをかけた名という。
■無宿人(むしゅくにん);江戸時代、親から勘当され、人別帳(ニンベツチヨウ)からはずされた者。農家から食べられず都会に出て来て人別帳に記載されていない者。無宿。江戸幕府では、犯罪予備者として取り締まりの対象とし、佐渡の金鉱山に送ったり石見銀山に送ったりした。
■長門(ながと);旧国名。今の山口県の西部・北部。古くは穴門(アナト)。長州。
■押し込み(おしこみ);人家におしこむ強盗。おしこみ強盗。
■匕首(あいくち);合口・相口。(「匕首」とも書く)
鍔(ツバ)がなく、柄口(ツカグチ)と鞘口(サヤグチ)とがよく合うように造った短刀。九寸五分(クスンゴブ)。
■上州(じょうしゅう);上野(コウズケ)国の別称。今の群馬県。
■堅気(かたぎ);(芸娼妓・ばくちうちなどに対していう)まじめな職業。
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