落語「親の顔」の舞台を行く
   

 

 立川志の輔の噺、「親の顔」(おやのかお)より


 

 「こんにちは」、「八っつあん、お上がり、どうした」、「呼び出し食らった」、「警察から?」、「学校から。金太も一緒に。学校で何か悪いことをしたのかと思って、呼びつけると、こんな物を出したんです」、「答案用紙か。懐かしいな。≪5点≫。これ10点満点かい?」、「100点満点です」、「偉いね、全部回答欄を埋めてるね。白紙じゃ無いよ。中身を見てみよう」。
 「『太郎君と次郎君が草刈りをします。太郎君が2分の1、次郎君が3分の1刈りました。草はどれだけ残るでしょうか?』。ふん、ふんッ。で、金ちゃんの答えは『やってみなければ分からない』。これは良いな」、「良くないですよ。あのバカッ」。
 「他も見てみないと分からないだろう、『81個のミカンを3人に等しく分けなさい』。で、金ちゃんの答えは『ジューサーでジュースにして分ける』。フ~ン、なかなかだな」、「バカなんです。普段から食い物のことばっかり考えてるから、頭の中が食い物だらけになっているんですよ。バカがッ」。
 「『牛、馬、羊、猪、ライオン、仲間はずれはどれでしょう』。で、金ちゃんの答えは『仲間はずれはいけません』。はははッは、これは良い」、「良くありませんヨ。問題の答え合わせじゃ無く、何で親が行くんですか?」、「・・・この答案用紙を見たら、会いたいんじゃない」、「分からない」、「怒らないで。昔から言うだろう、『親の顔が見たい』って・・・」、「親の顔が見たい・・・? 昔から・・・? 知らない」、「面倒くさいだろうが、息子を連れて行ってきな」。

 「どうぞどうぞ、お父さんこちらに入って。金太君も並んでどうぞ。私が担任です」、「良いんです。今隠居に聞いてきましたから・・・」、「お家で答案用紙見ましたか?」、「持って来ました」、「何か気がついたことは有りませんか?」、「これは1問10点で10問で100点ですよね。全部×なのに5点付いてるんです。これがどうしてなのかな~」、「採点していた時、0点では忍びないので、名前が書けていたので、それで5点を・・・」、「このバカ。先生に気を遣わせるな。同じ書くならもっと大きな字で・・・」。
 「お父さん、問題の中身なんですが・・・、『太郎君と次郎君が草刈りをします。太郎君が2分の1、次郎君が3分の1刈りました。草はどれだけ残るでしょうか?』。の問いに『やってみなければ分からない』。と言う答えでは・・・」、「先生、本当に申し訳ない。このバカがッ。間違えるには程が有るんだッ」、「お父っつあん、二人が仲が良ければ早く終わるし、仲が悪ければ、相手にさせようとして、なかなか終わらないんだ。仲が分からない時は、一度やってみないと分からないんだ」、「(息子と答案用紙とを見つめ直して)先生、これ合っているんじゃないですか」、「正解ではありません」、「お父っつあんに聞くな。何でも聞けば分かると思ったら大間違いだ。問題を見れば『残さずやれ』だッ」。
 「『81個のミカンを3人に等しく分けなさい』。で、答えは『ジューサーでジュースにして分ける』。何だこれは?」、「お父っつあん、大きさも甘さも違うよ。皮をむいてジュースにすれば皆同じになるよ」、「先生、先生、これ惜しいですよね」、「お父っつあん、では、正解は?」、「何でも聞くな。ジューサーには一度には入らないから、分けて入れる。ね、先生。とりあえず4点入れておきましょう」。
 「『牛、馬、羊、猪、ライオン、仲間はずれはどれでしょう』。で、金ちゃんは『仲間はずれはいけません』。お父さん、違いますよね」、「ちょっと待って下さい。牛、馬、羊、猪、ライオン・・・、え~と?、え~と?」、「お父さん、そうです、干支です」、「え~と?、え~と?な~~、ライオンだ」、「そうです、ライオンです」、「これは、引っかけ、ですよね。初めからライオンだと分かったら、他の動物を食べてしまいますよね。だからこれは『そっとライオン』ですよね」。
 「お父さん、本日は忙しい中お越し頂きありがとうございます。問題には考える幅がございますが、お父様はもっと幅があります。大変安心しました」、「帰って良いんですか。だったら、この問題に10点下さい」、「どの問題ですか?」、「『本能寺を焼いたのは誰ですか』ですが、息子の答えは『僕ではありません』。です」、「どうぞ、何点でも付けてください。その代わり、お願いがあります。貴方の実家にお邪魔しても良いですか?」、「何しに来るんです?」、「貴方の親の顔を見たいんです」。 

 



ことば

立川 志の輔(たてかわ しのすけ、1954年2月15日- )は、富山県新湊市(現:射水市)出身の落語家、タレント。本名、竹内 照雄(たけうち てるお)。オフィスほたるいか所属。出囃子は『梅は咲いたか』。 身長176cm。

  1983年1月、29歳で談志に入門。「志の輔」の前座名で落語家となる。
  1984年10月、二つ目に昇進。高座名も引き続き「志の輔」を名乗る。
  1988年、89年、にっかん飛切落語会若手落語家奨励賞を連続受賞。
  1990年5月、「志の輔」の名前のまま、落語立川流真打に昇進。
  1990年 第44回文化庁芸術祭賞 演芸部門受賞。
  2008年 第57回芸術選奨文部科学大臣賞 大衆演芸部門受賞。
  2015年、紫綬褒章受章。

  新作落語を殆どやらなかった師匠と異なり数多くの新作落語を創作し、口演している。最初の創作落語は、この『親の顔』。小説家・清水義範の短編小説『バールのようなもの』をもとにした新作落語で、創作にあたって清水義範本人から許可をもらった。それ以降、清水義範とは交流があり、「自分の作品はいつでも落語にしてよい」とのお墨付きをもらっている。他にも、清水義範の短編小説やエッセイをもとにした『バス・ストップ』(原作:『バスが来ない』)、『みどりの窓口』(原作も同名)、「ハナコ」などの新作落語があり、志の輔が口演する新作落語の代表作となっている。

  最初に清水先生の「みどりの窓口」を読んだ時、きっと一日中駅の柱の陰からじっと、切符を買いに来る人たちを観察し続けている清水先生が見えました。本を読むたび、作家の方々の行動力は凄いなと驚き、以前は頻繁にテレビのレポーターもやっていた私は、好むと好まざるとに関わらずいろいろな現場に行き、しんどい取材をしながらも、結果いろいろなネタを集めていたのですが、近頃では忙しさにかまけてフットワークが悪くなり、なかなか飲み屋以外の現場に行くことが減りました。これではイカン、と思う今日この頃なのです。映画「踊る大捜査線」で「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ」と織田裕二が言ってましたが、私もまたいろんな現場に顔を出そっと。ひょっとするとどこかの現場でお会いするかもしれませんね。(志の輔)

  1996年からは「志の輔らくご in パルコ」を、渋谷PARCO劇場で毎年開催(2005年は未開催(PARCO劇場の改装工事などの関連もあり))。2006年1月には「志の輔らくご in パルコ vol.10」で、落語界でも初めての同一会場での1か月公演を行い話題となる。以後、2012年現在に至るまで1か月公演を毎年行い、渋谷PARCO劇場における毎年1月の恒例となっている。

 落語「みどりの窓口」より孫引き

小説家・清水義範(しみず よしのり);(1947年10月28日 - )。「親の顔」、「みどりの窓口」の原作者。
  短編集『蕎麦ときしめん』では司馬遼太郎の文体で猿蟹合戦を叙述したり(『猿蟹の賦』。猿蟹合戦ネタでは他に丸谷才一の文体を用いた『猿蟹合戦とは何か』も発表している)、『日本人とユダヤ人』やそれをめぐる状況のパロディとなっている表題作など様々なパスティーシュの手法が用いられている。以降この手法を用いた短編を書き続け、その数は数百編に達する。この他にもユーモア色の濃い推理小説のシリーズを複数手がけたり、自伝的な青春小説シリーズを執筆している。

■Q: 『太郎君と次郎君が草刈りをします。太郎君が2分の1、次郎君が3分の1刈りました。草はどれだけ残るでしょうか?』;
 A:、(先生が求めた答え)、1-(1/2+1/3)=1-(3/6+2/6)=1/6 全体の1/6だけ草刈りが出来ずに残ります。

 金ちゃんの答えは『やってみなければ分からない』。確かにそうです。

 家を建てるのに、例えば職人200人掛かるとすると、話を簡単に100日工期が掛かるとすれば、平均1日2人です。では、3人にすれば何日で出来るでしょう? と言うような問題を出す先生がいますが、金ちゃんではありませんが、『やってみないと分からない』が正解です。
 家の建築は行程があるので、職人を多数入れれば早くなると言うことは無いのです。基礎が出来ていなければ柱は立ちません。コンクリートが乾かなければ次の行程に移れません。雨が降れば、外壁やペンキは塗れません。数学の上だけでは答えは出ないのです。

■Q: 『81個のミカンを3人に等しく分けなさい』;

 A: 金ちゃんの説と、方法が一番なのです。81÷3=27で 27個では不平等が必ず出ます。

 分数で、リンゴ1個と半分に割ったリンゴを足すとどうなりますか? と言う問題が出たことがあります。この時私は、リンゴの大きさがあるので単純に足したら不正解だと思って、その事を書いたら×でした。しっかりとリンゴの設定をしないと、金ちゃんみたいな事が起こるのです。

■Q: 『牛、馬、羊、猪、ライオン、仲間はずれはどれでしょう』;

 A: 干支(えと)は、十干、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類からなり、十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類からなっており、これらを合わせて干支と呼ぶ。十干十二支は戦国時代に作られた陰陽五行説よりもはるかに古い起源をもつのです。
 ある日を甲子とすると、第2日が乙丑、第3日が丙寅というように進んで第60日の癸亥へと進み、第61日に至ると再び甲子に還って日を記述していった。これは、3,000年以上経った今に至るまで、断絶することなく用いられている。また、干支紀日は『日本書紀』など東アジアの歴史書にも広く使用されている。

 干支で著名なものとしては、
 ・ 初午…2月最初の午の日に稲荷神社で祭礼が行われる。
 ・ 端午の節句…5月の月初めの午(端午)の日に行われる年中行事。
 ・ 土用の丑の日…土用(立秋前の18日間)の丑の日。風呂に入ったり、灸をしたり、「ウ」のつく食べ物(ウナギ・ウリ・梅干し等)を食べるとよいとされた。しかし、牛は食べなかった。土用は立春前、立夏前、立秋前、立冬前の年4回あります。
 ・ 亥の子…旧暦10月の亥の日に行う刈上げ行事。
 ・ 酉の市…11月の酉の日の鷲神社等で行われる祭礼の際、神社境内に立つ市。熊手を売ります。
 ・ 子の日祭…ネズミが大黒天の使獣と考えられたところから、子の月(11月)の子の日に行われた。
 ・ 丑紅…寒中に作った紅は質が良いとして丑の日に「丑紅(寒紅)」を売る行事。
 ・ 戌の日…犬はお産が軽いとされることから、妊婦の帯祝いなどにはこの日を選ぶ風習がある。
 ウイキペディアより

 噺の中の先生は干支(えと)と言っていますが、正式には十二支の事です。確かにこの中にはライオンは居ませんから、ライオンが正解なのでしょう。

■Q: 『本能寺を焼いたのは誰ですか』;

 A: 本能寺の変(ほんのうじのへん)とは、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件。 信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、やはり館に火を放って自刃した。2人の非業の死によって織田政権は崩壊し、天下人となった光秀であったが、中国大返しで畿内に戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、僅か13日後に光秀もまた同様の運命を辿った。この事件は戦国乱世が終息に向う契機となったので、戦国時代における最後の下剋上とも言われる。
 右、燃える本能寺で戦う信長(月岡芳年画)

 そうです、本能寺を焼いたのは金ちゃんでは無い事は確かです。

新しい発想
 北国の小学校で試験問題が出た。『氷が溶けたら何になりますか?』。ある女の子が答えたのは『春が来る』でした。北国では氷が溶ければ春がやって来ます。先生が思っていた『氷が溶ければ水になる』より、大きな発想で、×は付けづらくなってしまいました。
 同じようなことは、中学の理科で、『煙突の中の煙はどうなるでしょう』と質問が出ましたが生徒達は固まったまま答えが出ません。先生が言いました『温かい煙は上に上がります。その分、次の煙を引っ張ってカマドの火は活きよく
良く燃えるのです』、女生徒が不服そうに横で言いました『そんなこと言われても、煙になったことないもん』。

 「恋ふ」の命令形は「恋ヒヨ」です。
 若い国語教師が動詞の活用形を説明して、例を挙げると、ひとりの女子学生が質問しました。 「先生、恋ヒヨという命令は成り立つのでしょうか」。 恋をすることを誰も命令することは出来ないと。若い教師は真摯なまなざしに内心たじろぎ、言葉を吟味せずに惰性で講義をしていた自分を恥じた。
 後年、この教師は数々の著書を出し、のちの国文学者になった大野晋であった。 日本語の”ご意見番”として重きをなしたのも、文法には血が通っていなければならない。と言う教訓を終生、胸にかざしてきたという。 
 ひとりの教え子の言葉と、それを受け入れたその時に、彼の歴史は動いた。

 小学2年生の算数の問題です。「ゆきこさんの家からえきまで30分かかります。8時50分にえきにつくには、家を何時何分に出るとよいですか? りゆうもかんがえましょう」。さて、答えは?
 8時20分と書いてあって、書き直して8時15分と書いてあります。その理由として、8時20分だとぎりぎりで、あせるとあぶないから。イイ答えです。何処が間違っているのでしょうか。

 これは間違っているでしょう。銭湯より戦闘の方が難しいのに。

  

親の顔を見たい;よその子供の言動に驚き呆れたような場合にいうことば。
《「育てた親の顔を見たい」の意》よその子の言動に呆れて発する言葉。
 同じ顔を見たいでも、「孫の顔が見たい」では、多いに違います。

 


                                                            2019年11月記

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