落語「新助市」の舞台を行く 八代目林家正蔵(彦六)の噺、「新助市」(しんすけいち)より
■緑林門松竹(みどりのはやし かどのまつたけ)の噺の一部。圓朝初期の作品。別名「忍岡義賊の隠家」。芝居噺として演じられたという。後にやまと新聞に連載。年齢や年代などの記述はなく、地名についても明確でない。悪党の痛快な活躍を楽しむ大活劇。それにしても次々と登場人物が死んでいく。剣術師天城殺しまでが面白い。彦六の正蔵らにより、新助市殺し、またかのお関など数席が演じられている。
【あらすじ】
■蒼白譽石(そうはくよせき);三酸化二ヒ素(さんさんかにひそ)、または三酸化ヒ素は化学式 As2O3
で表されるヒ素の酸化物である。無味無臭。常温常圧では粉末状の白色固体。毒性が強く、かつて害虫やネズミの駆除などに使われた。水溶液は虫歯や白血病治療薬にも用いられる。両性酸化物である(酸とも塩基とも反応する)が、水に溶かすと水和して亜ヒ酸
(As(OH)3) となり、弱酸性を示す。また、単に三酸化二ヒ素のことを亜ヒ酸と呼ぶこともある。毒殺の手段としても利用された。
16世紀頃からヨーロッパでも毒殺に利用された。無味無臭で水溶性が高く、検出する手段がなかったため、ワインやビールに混入して飲ませることで、当時としては完全犯罪に近い犯行を可能にした。
フランスなどでは、遺産相続に絡む係争でしばしば用いられたため「遺産相続毒」などとも呼ばれた。ナポレオンも亜ヒ酸によるヒ素中毒で死亡したと言われている。
石見銀山ネズミ取り;(いわみぎんざん-)江戸時代、石見国笹ヶ谷鉱山で銅などと共に採掘された砒石(ひせき)すなわち硫砒鉄鉱(砒素などを含む)を焼成して作られた殺鼠剤(ねずみ捕り)であり主成分は亜ヒ酸。単に「石見銀山」や「猫いらず」とも呼ばれ、広く使われた。実際の「石見銀山」では産出されなかったが、その知名度の高さにあやかるため「笹ヶ谷」とは呼ばなかった。毒薬として落語・歌舞伎・怪談などにも登場する。
■風眼(ふうがん);新助が失明したというくだりがありますが、淋菌性結膜炎のことで淋病の菌が眼に入って起こり、膿が止まらず角膜が侵されて失明に至る性病の一種として、当時は梅毒と並んで恐れられていた。東海道中膝栗毛3にも、「十年ばかしもあとに風眼とやらを患ひおりまして」。
■飯炊き(めしたき);台所で飯を炊いたり、薪割りしたり、力仕事を主な仕事とする地方出の雇われ男。
■根津の七軒町(ねずのしちけんちょう);池之端七軒町。上野不忍池西側の町。現・台東区池之端二丁目あたり、落語の舞台として登場する。
■上野山下(うえのやました);上野公園下(JR上野駅南側=当時は寛永寺山下)を言った、里俗で言われた町名。
■桜湯(さくらゆ);塩漬にした桜の花に熱湯を注いだ飲物。「茶を濁す」意から茶を忌む婚礼の席などで用いる。
■薬味箪笥(やくみだんす);漢方医が種々の薬を入れておく箪笥。小さい引き出しがたくさんある。百味箪笥。
「医者」三谷一馬画 先生のところに薬をもらいに来た人が並んでいます。部屋の奥には薬棚が並んでいます。
■七穴(しちけつ);人間に空いている七つの穴。目、鼻、口、耳、臍、生殖器、肛門の七つ。
■一つ目の弁天様(ひとつめ べんてんさま);一つ目は隅田川東側の本所・竪川に架かる最初の橋。以下東側に六の橋まである。その橋を渡る道を一つ目通り、二つ目通りと呼ぴ、以下六つ目通りと言います。
■囲い者(かこいもの);別宅に住まわせておく妾。かこい女。
■在所(ざいしょ);生れ故郷のいなか。郷里。村里。いなか。ざい。
■佐竹の三味線堀(さたけの しゃみせんぼり);現在の台東区小島1~2丁目西側にあった堀。三味線の形をしていたのでこう呼ばれた。その西側には佐竹左京太夫の屋敷があった。現在、佐竹商店街になっている。不忍池から流れ出た忍川が三味線堀に落ち込み、その後鳥越川となって隅田川に流れ出た。
■匕首(あいくち);鍔(ツバ)がなく、柄口(ツカグチ)と鞘口(サヤグチ)とがよく合うように造った短刀。九寸五分(クスンゴブ)。合口・相口とも書く。
右写真;星梅鉢紋散合口拵(ほしうめばちもんちらしあいくちこしらえ)、中身:短刀 銘備州長船住清光 江戸末期 江戸東京博物館蔵。
2019年12月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |