落語「ひねりや」の舞台を行く 「ひねりや」より
■古くからあった落語を圓朝が明治時代の設定に改作したといわれています。オチは「唖の釣り」と同じです。
■この噺は、禁演落語五十三題;戦時中の昭和16年10月30日、時局柄にふさわしくないと見なされて、浅草寿町(現台東区寿)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象となった、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目のこと。戦後の昭和21年9月30日『禁演落語復活祭』によって解除。建立60年目の2001年には落語芸術協会による同塚の法要が行われ、2002年からははなし塚まつりも毎年開催されている。
また、毎年8月下席の浅草演芸ホール夜の部の興行は「禁演落語の会」と銘打ち、落語芸術協会が評論家の解説をつけて禁演落語を口演している。題名は、下記の通り。
この表は、落語「三助の遊び」より孫引きしたもので、禁演落語53話の最後に書き出した「ひねりや」です。
■ひねりや;普通と変ってひと工夫してあること。また、変った趣向があること。一風変った趣向にすること。その人。ひとひねり知恵を絞った者では無く、自分だけで面白いと思っている偏屈者です。
■日本橋本町(にほんばし ほんちょう);本町一丁目から四丁目まで有った。現在の中央区日本橋室町二~三丁目、日本橋本町二丁目、あたり。日本銀行の東側。当時の大店(おおだな)が集まっている商業の中心地。
■沢庵石(たくわんいし);沢庵=漬物の一種。干した大根を糠(ヌカ)と食塩とで漬けて重石(オモシ)でおしたもの。沢庵和尚が初めて作ったとも、また「貯え漬」の転ともいう。たくあん。たくわん。重しに使われる石。
沢庵石、季節の旬野菜をおいしく頂く「お漬物」。漬物石はお漬物を作るために欠かせない、ひとつのアイテムです。漬物石か小さいものは1kg、大きいものは10kgサイズのものがあります。軽くても、重くても、いわゆる重石(おもし)。野菜に重力をかける役割を果たしているのが「漬物石」です。
■しめ縄(しめなわ);標縄・注連縄・七五三縄・〆縄。(シメは占めるの意)
神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄。一般には、新年に門戸に、また、神棚に張る。左捻(ヨり)を定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂(カミシデ)を下げる。輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形である。しめ。章断(シトダチ)。
■大八車(だいはちぐるま);江戸時代から昭和時代初期にかけての日本で荷物の輸送に使われていた総木製の人力荷車。代八車とも書く。
なお、同様の構造の荷車は少なくとも平安時代から使用され続けているが、一般的には江戸時代からとされることが多い。
曽根吉は大八車で吉原に行ったと言いますが、車力の男が大八車を引かなければいけません。乗り心地も悪く、構造も似ている人専用の人力車で行けば良い物と思います。ただ、人力車の発明は明治に入ってからですから、時代設定は江戸時代なのでしょうか。圓朝が改作して明治に直したと言っていますので・・・。
■吉原(よしわら);廓と言えば江戸では吉原を指します。新吉原(浅草に移った後の吉原)は、江戸の北にあったところから北州、北里とも呼ばれました。俗にお歯黒ドブに囲まれた土地で、総坪数二万七百六十坪有りました。ドブには跳ね橋が九カ所有りましたが、通常は上げられていて大門が唯一の出入り口でした。大門から水戸尻まで一直線の道路を仲の町と言い、その両側には引き手茶屋が並んでいました。
上図、天才絵師・葛飾北斎の三女、葛飾応為筆 「吉原格子先之図」
上図、「青楼二階の図」 歌川国貞画 文化10年(1813)3月 江戸東京博物館蔵
■茶屋(ちゃや);江戸時代、上方の遊里で、客に芸者・遊女を呼んで遊ばせた家。揚屋(あげや)より格が低かった。
また、江戸時代、江戸新吉原で、客を遊女屋などに案内することを業とした家。引手茶屋。
■芸妓(げいぎ。げいこ);舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つ。
江戸時代には男芸者と女芸者とがあった。江戸時代には京都や大坂で芸者といえば男性である幇間(太鼓持ち)を指し、芸子が女性であったが、明治になると芸者が男性を指すことはなくなり、以降は大阪でも女性を芸者というようになった。京都では芸妓(げいこ)とよばれる。現代では料理屋(料亭)、待合茶屋に出入りする芸者が売春を行うことはない。地方の温泉地等ではコンパニオンと呼ばれる派遣の芸妓などが存在し、また俗に枕芸者と呼ばれるものも一部に残っている。
■百両(100りょう);現在の貨幣価値に換算すると、1両=8万円。100両=800万円~1000万円。出された芸妓も驚いた。声に出して、それは驚いた。
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