落語「算段の平兵衛」の舞台を行く
   

 

 

 三代目桂米朝の噺、「算段の平兵衛」(さんだんのへいべい)より


 

 大坂の近辺な農村、丁髷(ちょんまげ)時分の噺でございますが、算段の平兵衛(へぇべぇ)と異名(いみょ~)を取った男がおりまして、まぁまぁ、その時分は何しろ苦しぃ時代でございますので、朝は朝星夜は夜星をいただいて、みんな働いてる中に、この男だけがこれといぅ仕事が無いんですなぁ。
 今で言ぅたらブローカーみたいなことやって、で、こぉ自分は中に入って利益を取るとか、何か催し事に首突っ込んで幾らか掠(かすり)を取るとか、何かそぉいぅ時にゴジャゴジャ、ゴジャゴジャと立ち働いては、ちょっとずつ利益を得るといぅよぉなことをしながら、真面目にコツコツ働いてる人よりも旨い酒呑んだりしてるといぅ。
 今の世の中には何してるや分からんちゅう人、ぎょ~さんありますけどね。昔の農村、そぉいぅ人おらなんださかい、まぁあんまり皆には好かれまへんわなぁ。と言ぅて、憎まれるか、嫌われるかといぅと、やっぱり頭は確かにえぇんでっさかいね、こぉいぅやつわ。どっちかといぅと恐れられてるよぉなところがあったんですなぁ。
 この村のお庄屋はん、今で言や、まぁ村長さんですかなぁ、お庄屋さんがおんなじ村の中に、別嬪なお花といぅ若い女ごはんを囲ぉてたんですなぁ。まぁ二号さんと言ぅやつでね、昔はこれ「お手掛けはん」てなこと言ぃましたなぁ。
 東京のほぉでは「お妾さん」とこぉ言ぅ、関西では「お手掛けはん」でね、目を掛けるか手を掛けるかだけの違いでございまして、実質においては何ら変わりはないと思うんですが。明治の初年頃には「権妻(ごんさい)」なんていぅ面白い言葉が、まぁ東京を中心にあったんですなぁ。権大納言とか権兵衛とか、あの権ですわなぁ。権大納言といぅのは本当の大納言ではないんですなぁ、仮の大納言みたいなもん。お妾さんは本当の妻女ではないので権妻やといぅ、えらい難しぃこと言ぅたもんですなぁ。太宰権帥(だざいごんのそつ)やとか、菅原道真が流されたときは権といぅ字が付いてた。
 ちょっと古い昔、大阪では「コナカラ」ちゅう言葉がありましてね、コナカラちゅうのはこれちょっと分からん、これ枡のこってすなぁ。お酒やらお米やらを計った枡に「小半(こなから)」ちゅう枡がありまして、一升枡の半分が五合(ごんごぉ)枡「半(なから)」でございます。さらにその半分で「小半(こなから)」二合五勺、二合半やから「コナカラ」二合はんのことを「こなから」と言ぅ、えらい持って回った話でございます。
 このコナカラが同じ村におってはいけませんわなぁ、どぉしても本妻さんの耳へ入ります。そぉするとお定まりの揉め事があって「どぉしても別れなさい」と手切れちゅうことになる。お花は何がしかの手切れのお金をもらいまして、お庄屋はんと縁は切れたんですが・・・。

 庄屋は「お花を村から追い出すのは忍びない」と思い、通称「算段の平兵衛」と呼ばれる、就農せずに人間関係や金銭問題の仲裁を専業としている村の独身男にお花を嫁がせることに決めた。

 平兵衛は庄屋がお花に支払った手切れ金も遊び暮らしてるうちに、持って来たお金はドンドン、ドンドン減ってしまいますわ。「どもしゃ~ない、だいぶ心細なったなぁ。このところ儲け口もないし、ちょっと銭儲けしてこぉ、稼いでくるから元手出せ」、その稼いでくるちゅうのが博打でっさかいね、そんなもの稼げると決まったもんやない。行ては取られ、行ては取られする。カッカカッカきます「もぉちょっと・・・、え? ないのん? しょがない、ほんならその着物と帯とちょっと質屋へ持って行け」。元手こしらえて行く、また取られる。もぉそぉなるとあれ不思議なもんですなぁ、博打とか勝負ごとといぅものはみなそぉでして、追い込みゃ追い込むほど、あらあきませんなぁ。
 競馬なんかに行てもね「これが外れたら帰りの電車賃が無い」ちゅなときの馬券はめったに取れたためしがない、わたしも体験がございますわ。で、こぉ見てるとな、誰か知った顔がおりまんねん「ちょっとすまんけど貸してんか」てなことを言ぅて、まぁそぉいぅときはホンマにカッカカッカとなる。「勝負事は余裕のある金でせなんだらあかん」といぅのは事実で、あっちやこっちの不義理重なってるのに、その中から無理やり金こしらえて持って行たやつ、めったに取れまへん。 二人は生活に困ってきます。

  平兵衛はお花に「美人局 (つつもたせ)をやれ」とけしかける。お前ちょっとその顔に白粉(おしろい)のひとつでも刷(は)いてな、神棚の五勺の酒下ろして燗徳利入れて、わしゃこっちに隠れてるさかい、うまいこと言ぅてくわえ込めよ。「そんなこと、よぉやらんで」ちゅうたかて、まぁやっぱり連れ添う相手に感化されるもんですかな「鬼の女房に鬼神」てな言葉もありますが「まぁまぁ以前はあぁいぅ仲やったんやし、少しぐらいお小遣いもろてもかめへんかいなぁ」てなもんで、お花さん鏡台の前へ座りまして、慌ててちょっと白粉を刷く。えらいもんですなぁ、女ごはんちゅうのはね、全て「こんなことをしょ~か」ちゅうたら、顔にピッと緊張感が走ると二割ぐらい綺麗に見えるもんで、あらあるんですなぁホンマに。
 「こいつで男を落とし込もぉ」てな気になりますといぅと、この神棚から燗徳利に五勺のお酒を入れましてな、で、お燗をつけて、ちょっと盃やなんか並べて待ってるところへ、なんにも知らんと庄屋はん、隣村のほぉからブラブラ、ブラブラ・・・「暗剣殺に向こぉた」ちゅうのはこのこってんなぁ、機嫌よぉ帰って来た。
 お花が色仕掛けで庄屋を誘惑して平兵衛夫婦の家に呼び込み、酔った庄屋がお花に迫った瞬間に、身をひそめた平兵衛が捕まえ、金をゆすろうという計画だ。平兵衛のたくらみは首尾よく成功するが、平兵衛が殴った途端に庄屋は死んでしまった。夫婦そろって驚き慌てるが、平兵衛は一計を案じる。

  夜になり、平兵衛は庄屋の死体を、庄屋の家の前まで運び、庄屋の声色を使って家の中の婆に、「今、平兵衛のところから戻った」と告げた。婆は「お花のもとへ通っていて帰宅が遅くなったのだろう」となじり、戸を開けない。平兵衛は狼狽したふりをし、「庄屋が締め出されて謝ってる、てな恥ィさらされん。村の衆に見られたら、首吊って死ななしょうがない」と言うと、婆は「甲斐性があるなら、首でも何でも吊れッ」と言い放つ。「よう、そのひと言を言うてくれた」。
 平兵衛は、庄屋が身に着けている帯をそばの木の枝にくくり、そこに庄屋の死体を吊るして帰宅した。しばらくして外の様子を見た婆は仰天。「首吊りは変死じゃ、村の庄屋がお上の詮議を受けるようなことになれば家の恥・村の恥・・・。算段の平兵衛に相談せな」。平兵衛の家に駈け込んだ婆は、平兵衛に門跡さんへあげよぉと思ぉてとっといた二十五両ひと包み、これあんたに差し上げるでな。問題のもみ消しを依頼する。

  折りしも、隣村は月明かりの下で盆踊りの練習をしている最中だった。平兵衛は死体に浴衣を着せ、自分も浴衣に着替え、頬被りでそれぞれの顔を隠して、死体を背負って隣村へ向かう(♪下座から「堀江盆踊り唄」が流れる)。
 平兵衛は死体を抱えたまま踊りの輪の中にまぎれ込み、死体の冷たい手で隣村の男たちの顔をなで回す。行事を冒涜されたと感じて激高した隣村の男たちは、暗くてよくわからないままに死体の手を掴み、一斉に殴りかかった。死体をすかさず放り出した平兵衛は夜陰にまぎれて姿を消す。男たちがぐったりしている人間の顔を確認すると、隣村の庄屋であり、すでに死んでいたため、「殴り殺してしまった」と勘違いし、「算段の平兵衛に相談せな」と、かき集めた25両を持って平兵衛の家に駈け込む。

 「明るみに出れば、ふたつの村がかたき同士になる。どうか丸い話に・・・」、 平兵衛は「これからわしが庄屋の家に行って、『庄屋を捜しに行こう』という名目で婆を崖下へ連れ出す。お前らは崖の上まで死体を運んで酒盛りをしている振りをし、わしが提灯で合図をしたら、庄屋が誤って落ちたように装って崖から死体を落とせ」と提案する。
 その一方、婆に対しては「隣村の男を25両で買収し、もみ消す話をつけてきた」と、吹き込んで連れ出し、庄屋の死体が崖から滑り落ちる様子を見せる。こうすれば、婆や隣村の男たちがすでに庄屋の死を知っていることを、お互いに関知しなくなり、川向うの薮医者が検死の結果事故死と診断するので、下手人は出ず、死んだ庄屋も面目が立ち、婆と隣村の男たちは、お互いに「自分たちが庄屋を殺した」と思っているので口止めがきき、そして、平兵衛にとっては双方から金をもらったことおよび、平兵衛こそが庄屋殺しであること自体を誰にも気付かれないという「算段」であった。

 丸く収まると思っていたが、その後、平兵衛の近所に住む盲目の按摩師・徳の市が「最近金回りがよいようで・・・。ちょっとしのがせてもらえんか」と、くり返し平兵衛をゆすり始める。誰もが恐れる平兵衛を金づるにする徳の市に対し、村人たちは疑問に思う。 「平兵衛の痛いとこ握ってるか知らんけども、こんなことしてたら、終(しま)いにはどえらい目に遭いよるで」、「昔から言うやないか、『盲(めくら)ヘエベエに怖(お)じず』」。(「盲蛇に怖じず」の地口オチ)。

 



ことば

現代に蘇った噺;やり手がなく滅んでいた噺を、昭和の戦後に三代目桂米朝が先人から断片的に聞き集め、復刻した大ネタ。 くすぐりが非常に少なく、なおかつ人の死体やエゴに満ちた登場人物を陰惨に感じさせずに描写する必要があり、演者にとっては技量が試される。三代目米朝は「悪が栄えるという内容なので、後味が悪くならないように演じるのが難しい。平兵衛をどこか憎めない男とか、共感するようなところあるように描かないと落語として成り立たない」と論じている。

算段(さんだん);苦心してよい方法や手段を考え出すこと。「居候を追い出す算段をする」。
 あれこれと工夫して、金銭の都合をつけること。工面(くめん)。「引っ越しの費用を算段する」「やりくり算段」。
 手段を工夫すること。特に、金銭を工面(クメン)すること。

朝は朝星夜は夜星(あさはあさぼし よはよぼし);朝はまだ星が出ているうちから農作業に精を出し、そして夜は星が見えるほど暗くなるまで仕事をするということ。
 「朝から晩まで働け!」という意味の句ではなく、自分の子供に対して、背中を見せると言うことは、「正しく正直に、そしてひたむきに歩む」という意味が込められています。

ブローカー;商行為の媒介を業とする者。仲買人。仲立人。
 商行為の媒介を業とする仲立人のことであるが、一般にはより広義に使われる。取引相手の探求・紹介だけでなく取引契約の円満な実現を誘導し、成功すれば手数料を得る。商品、手形、為替、保険、船舶、通関などの各業界のブローカーがある。
 仲立人とも呼ばれ、独立の第三者としての立場にあって、他人間の商行為の仲介を営業とするものをいう。代理商のように一定商人に従属するものでなく、自由に市場をかけ回って、売手のために買手を探し、買手のために売手を求めて、取引の仲介行動をするところに特色がある。真の意味におけるブローカーは、単に取引の相手を探求し紹介するだけでなく、両者の取引契約を円満に実現させるよう誘導し、これを成立させるために努力し、その成約に当たっては証人となる義務をもち、その仲立行為が成功したときは契約書に署名するものである。

掠を取る(かすりを とる);上前をはねること。また、そのもうけ。口銭、割前を取る。

庄屋(しょうや);今で言や、まぁ村長さんですかなぁ。(米朝
 庄屋(しょうや)・名主(なぬし)・肝煎(きもいり)は、江戸時代の村役人である地方三役の一つ、郡代・代官のもとで村政を担当した村の首長。いずれも中世からの伝統を引く語で、庄屋は「荘(庄)園の屋敷」、名主は「中世の名主 (みょうしゅ)」からきた語とされている。
 10万石以上の大名はその中でもトップクラスであるが、それよりも裕福であった大庄屋もいたと伝えられている。有力家による世襲が多く、庄屋の呼称は関西、北陸に多く、関東では名主というが、肝煎というところもある。 城下町などの町にも町名主(まちなぬし)がおり、町奉行、また町年寄(まちどしより)のもとで町政を担当した。身分は町人。町名主の職名は地方・城下町によってさまざまである。

別嬪(べっぴん);嬪は嫁。夫に連れ添う女。奥御殿で、天子のそば近くに仕える女官。嬪の中でも選ばれた特別の嬪。美人。

二号さん(にごうはん);昔はこれ「お手掛けはん」てなこと言ぃましたなぁ。東京のほぉでは「お妾さん」。目を掛けるか手を掛けるかだけの違いでございまして、実質においては何ら変わりはないと思うんですが・・・。
 ちょっと古い昔、大阪では「コナカラ」ちゅう言葉がありましてね、コナカラちゅうのはこれちょっと分からん、これ枡のこってすなぁ。お酒やらお米やらを計った枡に「小半(こなから)」ちゅう枡がありまして、一升枡の半分が五合(ごんごぉ)枡「半(なから)」でございます。さらにその半分で「小半(こなから)」二合五勺、二合半やから「コナカラ」二合はんのことを「こなから」と言ぅんですなぁ。(米朝)。

権妻(ごんさい);二号さん。明治の初年頃には「権妻(ごんさい)」なんていぅ面白い言葉が、まぁ東京を中心にあったんですなぁ。権大納言とか権兵衛とか、あの権ですわなぁ。権大納言といぅのは本当の大納言ではないんですなぁ、仮の大納言みたいなもん。お妾さんは本当の妻女ではないので権妻やといぅ、えらい難しぃこと言ぅたもんですなぁ。太宰権帥(だざいごんのそつ)やとか、菅原道真が流されたときは権といぅ字が付いてた。(米朝)。
 現在で言う部長代理とか、課長代理、権宮司でしょう。

手切れ金(てぎれきん);手切れに際して、相手に与える金銭。
 手切(てぎれ)のための金。特に、男と女がその愛情関係を断つ際に、そのしるしとして相手に渡す金銭。慰藉(いしゃ)料。手切り金。てぎれ。
 継続してきた男女間の不倫関係を解消・清算するときに、男女の間における合意に基づいて、一方から他方に対し「手切れ金」が支払われることがあります。 不倫関係にある男女間には、互いに慰謝料を請求する権利は原則としてありません。ただし、不倫関係を穏便に解消する目的で、一方が他方に手切れ金の支払いを求めることがあります。男女の間に合意が成立すれば、不倫関係の解消を条件として手切れ金が支払われます。

美人局 (つつもたせ);男女が共謀し行う恐喝または詐欺行為である。妻が「かも」になる男性を誘って姦通し、行為の最中または終わった途端に夫が現れて、妻と関係したことに因縁をつけ、法外な金銭を脅し取ることである。また、妻でない女性で同等行為に至った場合でも類推される。 元々「つつもたせ」に女性が誘惑して金銭をゆすり取る意味はなく、博打用語から出た言葉であることから、筒はサイコロ博打で使う筒のことで、「細工した筒を使う」という意味からと考えられる。
 加害者の女が18歳未満である場合、被害者の男性は、淫行条例、児童福祉法、児童買春・児童ポルノ禁止法(児童買春)などの法律に違反する可能性がある。そのため、警察に被害届や告訴状が出せず、泣き寝入りになりやすい。もちろん、加害者側もそれを見越して、18歳未満の女性を用意する傾向がある。また、おやじ狩りなどに代表される青少年犯罪の一形態として同種事件が起こる事例も報告されている。強盗殺人事件に発展したり、脅し取った金が暴力団の資金源になったりする事例もある。

鬼の女房に鬼神(おにのにょうぼうに きじん);「鬼の女房に鬼神がなる」。鬼のような冷酷・残忍な夫には、それと釣り合う同じような女が女房になる。似たもの夫婦。大阪(中京)いろはがるた『を』の一文。

暗剣殺(あんけんさつ;九星(きゅうせい)方位のひとつ。その年の五黄(九星の一。土星に配し、本位は中央、運気が強い)と相対する方位で最も凶とする。最悪の大凶。
 九星:陰陽道(オンヨウドウ)で、九つの星に五行(ゴギヨウ)と方位を組み合せ、これを人の生年に当てはめて吉凶を判断するもの。

門跡さん(もんぜきさん);一門の法跡の意。
 ・ 祖師の法統を継承し、一門を統領する寺。また、その僧。
 ・ 皇子・貴族などの住する特定の寺の称。また、その寺の住職。宇多天皇が出家して仁和寺に入ったのに始まり、室町時代に寺格を表す語となり、江戸幕府は宮門跡・摂家門跡・准門跡などに区分して制度化。

宮門跡:江戸時代、法親王が住職している寺の称。仁和寺・青蓮(シヨウレン)院・聖護(シヨウゴ)院・輪王寺などの類。
摂家門跡:江戸時代、摂家の子弟の入室した門跡の称。大覚寺・大乗院・実相院・三宝院・随心院・蓮華光院等。
准門跡:江戸時代、門跡に准ぜられた寺院の称。本願寺の類。脇門跡。

下手人(げしゅにん);殺人犯。現在は、専ら「殺人犯」の意味で用いられる。
 江戸時代、庶民に科されていた6種類の死刑のうちで、最も軽い種類。 現在の日本では、死刑は「絞首刑」のみだが、江戸時代には罪状に応じて6種類の死刑が定められていた。その中で最も軽い刑罰が「下手人」である。伝馬町の牢屋敷にて非公開で、斬首(刀で首をはねる)により処刑する刑で、他に付加的な刑罰は科されない。引取り人がいる場合には、処刑後に死骸を引き渡し弔うことも許されていた。刀剣の試し斬り等に使用することは認められていなかった。

 以下に6種類の刑罰を記します。
 ・鋸挽き(のこびき);日本橋の南の広場に、方3尺、深さ2尺5寸の穴晒箱という箱をなかば土中に埋め、箱に罪人を入れ、首だけが地面から出るようにした上で3日間(2晩)見せ物として晒した(穴晒)。その際、罪人の首の左右にタケの鋸と鉄の鋸を立てかけておいたが実際に鋸で首を挽くことはなく、晒した後は市中引き回しをしたうえで磔とした。元禄時代に罪人の横に置かれた鋸を挽く者がおり、慌てた幕府はその後、監視の役人を置くようにしたという。 江戸時代に科されていた6種類の死刑の中で最も重い刑罰であり、主人殺しにのみ適用された。 この刑は明治元年(1868年)11月13日の達で、火刑とともに廃された。

 上写真、鋸挽き刑 明治大学博物館蔵。
 
 ・磔(はりつけ);罪人を板や柱などに縛りつけ、槍などを用いて殺す公開処刑の刑罰のこと。磔刑(たっけい)。ナザレのイエスが受けた磔刑(または十字架刑)もこれです。
 ・獄門(ごくもん);斬首刑の後、死体を試し斬りにし、刎ねた首を台に載せて3日間(2晩)見せしめとして晒しものにする公開処刑の刑罰。梟首(きょうしゅ)、晒し首ともいう。付加刑として財産は没収され、死体の埋葬や弔いも許されなかった。獄門の刑罰を科される犯罪は、強盗殺人、主人の親類の殺害、地主や家主の殺害、偽の秤や枡の製造などであった。また獄門に市中引き回しが付与されることもあった(市中引き回しの上打首獄門)。
 ・火刑(かけい);受刑者に火をつける、あるいは火であぶることにより絶命させる死刑のひとつ。火罪(かざい)、火焙り(ひあぶり)、焚刑(ふんけい)とも呼ばれる。 火刑は、公開処刑で見せしめ(一般予防)的要素が強く、一度の処刑で多数の人間に対し、凶悪犯罪の結果は悲惨な死であるというメッセージを与える事が出来るという点で効果的である。火刑では、火傷で死ぬことより、煙で窒息死したり、ショック死したりすることのほうが多い。八百屋お七がこの刑に処せられた。
 ・死罪(しざい);斬首により命を絶ち、死骸を試し斬りにする斬首刑の刑罰のこと。付加刑として財産が没収され、死体の埋葬や弔いも許されなかった。罪状が重い場合は市中引き回しが付加されることもあった。 盗賊(強盗)、追い剥ぎ、詐欺などの犯罪に科された刑罰である。強盗ではなく窃盗の場合でも、十両盗めば死罪と公事方御定書には規定されている。また、十両以下の窃盗でも累犯で窃盗の前科が2度ある場合、3度目には金額に関わらず自動的に死罪となった。しかし、窃盗でも昼間のスリと空き巣は、被害者自身が物の管理が出来ていなかったことを理由に、死罪が適用されなかった。
 ・下手人;そして一番軽い死刑。と言っても死罪です。

 左から、火刑。磔。首吊りの刑。明治大学博物館蔵。

盲目の按摩師・徳の市;落語の本題のこの部分は省かれることが多い。
盲蛇に怖じず(めくらへびにおじず);物事を知らない者はその恐ろしさもわからない。無知な者は、向こう見ずなことを平気でする。天下一の野心ぐらいは、餓鬼大将は誰でも持っているものだ。けれども、自信は、それにともなうものではない。むしろ達人ほど自信がない。怖れを知っているからだ。盲蛇に怖じず、バカほど身の程を知らないものだが、達人は怖れがあるから進歩もある。



                                                            2020年7月記

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