落語「有馬のおふじ」の舞台を行く 五代目古今亭志ん生の噺、「有馬のおふじ」(ありまのおふじ)より
■お富士さん;6月1日が富士山山開きで、その前日から富士神社は参詣で賑わう。富士詣でが大流行したが、どうしても行けない人や女性のために各地に富士山に模した山を築き、富士神社が創建された。江戸に有る各所の浅間神社もその1つで、現在の台東区浅草にもある。6月1日はお山開きで富士参詣の土産として、麦わら細工の蛇を買うのが風習であり、これを知らないと落ちも分からない。
1615(慶長20)年の6月1日(太陽暦の7月9日)に江戸に雪が降り、天変地異を恐れた人々が本郷に富士神社を建立し、それから6月1日を例祭と定めた。「お富士さん」は駒込富士神社(文京区本駒込五丁目7番)のこと。江戸時代には富士信仰のため登山する「富士講」が組織されていました。実際に富士詣りに行けない善男善女のため、最初、本郷の地に富士の形を模した築山を築き、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)から木花咲耶姫を勧請して創建。これが戦国末期の天正元年(1573)のことでした。
その後、寛永5年(1628)ごろに現在地駒込に移転して、今も参詣が絶えません。元の地を元富士(冨士浅間神社=文京区本郷7丁目2−6)と言い、本郷の東京大がある南側で、元富士警察にその名をとどめています。
上写真、駒込富士神社。
浅草浅間神社の由緒
浅草浅間神社所蔵の文化財
上写真、浅草浅間神社。
■水木辰之助(みずきたつのすけ);歌舞伎(かぶき)俳優。初世(1673―1745)が著名。大坂生まれで、歌舞伎の半道方斉藤新八の子。名優大和(やまと)屋甚兵衛の甥(おい)で、のち女婿(じょせい)となった。大和屋牛松、鶴川(つるかわ)辰之助の名を経て水木と改名。若衆方から若女方となる。『娘親の敵討』(1691)、『水木辰之助餞振舞(たちふるまい)』(1695)の湯女(ゆな)有馬のお藤で評判をとり、女方四天王の一人となる。槍踊(やりおどり)、猫の所作や、変化(へんげ)舞踊の初めともいえる『七化(ななばけ)』を上演するなど、とくに舞踊で三都に名声を得た。しかし31歳で引退した。水木帽子、水木結びの名を残す。槍踊は,宝井其角によって〈煤掃や諸人がまねる槍踊〉と詠み残される。
■有馬温泉(ありまおんせん);
兵庫県神戸市北区有馬町(摂津国)にある日本三古湯の温泉。林羅山の日本三名泉や、枕草子の三名泉にも数えられ、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされた。瀬戸内海国立公園の区域に隣接する。豊臣秀吉も通っていた大公の湯も有る。
地質的には、活断層である有馬-高槻構造線の西端にあるため、地下深くまで岩盤が割れており、その割れ目を通って地下深くから温泉水が噴出している構造。
泉質は湧出場所により異なり、塩分と鉄分を多く含み褐色を呈する含鉄塩化物泉、ラジウムを多く含む放射能泉、炭酸を多く含む炭酸水素塩泉の3種類がある。
それぞれ、湧出口では透明だが、空気に触れ着色する含鉄塩化物泉(赤湯)は「金泉(きんせん)」、それ以外の透明な温泉は「銀泉(ぎんせん)」と呼ばれている。ただし、泉源により成分は若干異なる。 なお、「金泉」、「銀泉」という名称は、有馬温泉旅館協同組合の登録商標となっている。
■馬道(うまみち);むかし浅草寺に馬場があり、僧が馬術を練るためその馬場へ行くおりこの付近を通ったところ、その通路を馬道というようになったと言われている。(台東区教育委員会の説明板より)
■小湯女(こゆな);年若い湯女(ユナ)。摂津名所図会有馬には、「十三四歳より十八九までの若女…、これを小湯女といふ」。
■5月晦日(5がつみそか);お富士様の縁日は、植木市で昔の祭日は5月晦日(みそか)と6月朔日(ついたち)で明治以降は富士山の山開きが7月1日になったので、6月晦日と7月朔日にも行われるようになった。合計4日間の珍しい祭日となっている。
縁日になると、周辺の道路に色々物売りが出、明治以降は六郷家の下屋敷跡を中心に植木市が立つようになり、ちょうど入梅の時で植木を移植するのに最好期 にあたり、お富士様の植木市で買った木はよくつくと言い伝えられ、次第に盛んとなった。現在では5月・6月の最後の土日に柳通りを中心に植木屋がならび、時ならぬジャングルを現出している。ちなみに平成20年の浅草警察署の調査では4日間の人出は延30万人と云われている。
■富士横町(ふじよこちょう);現在の台東区浅草五丁目3にある富士権現(浅草富士浅間神社=浅草警察署前。隣の富士小学校に名が残る)は、富士山を形取った小山があった。往来からここまでの小径を富士横丁と言い、一帯を富士下と言った。
上写真、浅草浅間神社より見る富士横町。正面突き当たりが浅草寺です。
■麦藁蛇(むぎわらへび); 右写真。浅草お富士さんの麦藁細工の蛇は、宝永年間(約250年前)駒込の百姓喜八という人が夢告により、疫病除け、水あたりよけの免府としてひろめてから、霊験あらたかと評判になり、浅草でも出されるようになった。
「
富士土産舌はあったりなかったり」
古川柳
雑踏で麦藁蛇についている赤塗りの附木で出来た舌をどこかに落としてしまったという意味の句で、参詣者のにぎわいがわかる。昭和初期頃までは境内において植木市の風物として頒布されていたが、戦後には姿を消してしまった。
前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ
|