落語「円生・艶笑噺」の舞台を行く
   

 

 六代目三遊亭円生の噺、「艶笑噺」(えんしょうはなし)より


 

 「まぁ、お前さんどうしたの」、「大変だ」、「何をそんなに私に拝んでいるッ」、「すまね~、助けてくれ。5両作ってくれ」、「どうしたの?」、「熊公の所に行ったら、かみさんが『お入りよ』と言って、お茶を出してくれて俺を『いい男だ』と言って、膝をつねるんだ」、「膝をつねって5両じゃ分からないよ」、「それから・・・そのォ・・・なんだ。そこに熊公が出て来て5両持って来いと凄まれた」、「あきれたね。稼ぎも無いのに浮気などするから」、「5両作ってくれよ。殺されるかも知れないんだ」。
 「お前さん、あのかみさんと何度有ったんだよ」、「初めてだよ」、「一辺なんだね」、「いいよ、熊さんの所に行っておいで」、「行ってくるから・・・」、「何だよ、手なんか出して。良いんだよ、熊さんに言っておやり、私が言ったと・・・、10両下さいと」、「5両払いに行くんだ」、「分からない人だねッ、熊さんと3度有ったんだ、差し引き10両貰っておいで」、「3度ッ。ありがて~、持つべきものは女房だ」。

 この続きは有りませんから・・・。これで一席で、この様な噺は短いものです。

 焼きもちの噺も有るんです。ヨーロッパでは貞操帯というのが有って、戦場に行く亭主は女房に貞操帯を付け、カギを持って行くんです。亭主が帰ってくれば良いですよ。帰ってこなければ生涯付けたままになります。残酷ですな。
 こちらにはそんなことは有りませんが、「けしからん 悋気頭に判を押し」と言う川柳が有ります。
 頭と言ったって、こちらの頭で無く男の頭です。そこに判を押せば、こすれて消えてしまったら浮気の証明です。これが浮気止めです。

 「おい、チョッと出掛ける。品川の留公のところなんだ。仕事の話が終わったら、一杯飲むから泊まってくるかも知れない。今晩は帰らないかも知れなぃ」、「品川に行くんなら、お馴染みの所に行くんだろ」、「仕事の話だよ」、「お前は浮気っぽいのだから、お出し」、「何?」、「おまじないをしてあげるから、お出しなさい」、「何したんだ?」、「そこに馬という字を書いたんだから、変な事すると馬がこすれて無くなっちゃうよ。浮気止めだ。行っておいで」。

 仕事の話は手短にして、お馴染みの品川の遊廓に上がる。久しぶりだから歓待してくれる。酒肴で楽しんだが、お引けになってしょんぼりしてしまった。
 「何をしょんぼりしているの?」、「今夜は浮気止めをされちゃったんだ。頭に馬の字を書かれたんだ」、「大丈夫だよ。明日、私が書いてあげるよ」。・・・で、翌朝。「馬を書いてくれなくちゃ」、「分かったよ。おだし。書いてあげたから、安心してお帰り」。
 「今帰って来たよ」、「お帰りッ」、「留公と飲んで、酔いつぶれて寝ちゃったんだ」、「ふん、浮気をしてきたんだろう。改めるからお出し」、「大丈夫だよ」、「良いからお出し。あら、夕べは浮気をしたね。私の書いた馬と違うよ。私の書いた馬は左馬だよ、これは右馬じゃないか」、「う~うん、良いじゃ無いか、行きが左で帰りが右だ」、「可笑しいね」、「可笑しくないよ」、「でも、私が書いた馬より少し太ったね」、「太った? そうかも知れない。品川で豆を食わしたから」。

 ガマの油という噺がございます。あの当時の容器というのはハマグリでございます。膏薬を貝の両側に入れて1貝・百文です。半貝と言って片側に詰めて売ったのが50文です。このガマの油売りは大層売れました。父親が口上を言い、十七~八の色白でいい女が軟膏を売ります。男連中はこの娘に声を掛けられると、喜んで買い求めたものです。
 ところが、プツリと来なくなってしまった。男連中は心配し始めて、あすこのスケベ親父が囲ってしまったとか、大名のお妾さんになってしまったとか噂されました。
 半月ばかりすると、「おぃ、大変だ。俺は今見てきた。お不動様の水垢離をするところがあるだろう。あすこで水を浴びている娘が居たんだ、よく見ると肌が真っ白な膏薬売りの娘なんだ。思わず姉さんどうしたんですかと聞くと、娘もビックリして素っ裸の前を押さえて『父が大病でございまして、御利益を持って治りますようにと願掛けです』、それを聞いて感心して親孝行だからと、懐を探ると百文有ったから渡すと、両の手で『ありがとうございます』と拝むんだ」、「・・・」、「その綺麗なこと、ゾッとするほどだったよ」、「旨いことやったね。百文で・・・。俺も行ってくる」、「俺も・・・」、「与太郎も行くのかい」、「行く」。
 「姉さん、おとっつあんが具合が悪いんだってね。それだけ信心すれば治るよ。ほんのわずかで50文しかないんだ。少ないけれど親に旨い物でも食べさせておくれ」、「ハイありがとうございます」、「ずるいや、みんなには両手で拝んだって言うじゃないか。片手で受け取るのは、どういう訳何だい?」、「五十は半貝(開)でございます」。

 



ことば

円生でも、こんな艶笑噺をすることがあるんですね。「お色気噺独演会」で語られた貴重な噺になります、と言っても小咄をまとめて高座で披露しただけで、普段の人情噺の中では男女の機敏な心の動作や会話が出て来ます。でも、円生も断っていますが、映画に出てくるような写実的な噺では無く・・・、男女の粋な(?)話を取り上げています。決してベットシーンなどでは無いと言っています。

間男(まおとこ);夫のある女が他の男と密通すること。また、その男。情夫を持つこと。男女が私通すること。間男を発見された場合、二つに重ねて四つに切っても良かった。ただ、10両の命であったから(10両盗めば首が飛ぶ)、10両払えば示談が成立したが、助命のための示談金は享保年間以後、ずっと七両二分と相場が決まっていました。高い買い物ですが、どちらも止められない。

  

 夫のある女性が他の男性と肉体関係など男女の関係をもつこと。また、そういった男性をいう。こういった関係や男性を間男と呼ぶ理由は諸説あるが、「夫婦の間に入ってくる男性」からきたとする説が浸透しています。また、読みは「まおとこ」以外に「まお」とも読む。寝取られた男をフランスでは”コキュ”という。
   フランス小話にも格好の題材とされる。また、川柳にも良い題材を与えています。
   『戸棚にしまう女房の隠しぐい』 末摘花
   『どっかどう戸棚へしゃがみこむ一大事』 亭主が急に帰って来たので、ドタバタと戸棚に逃げ込む。まさに一大事です。
   『間男と亭主抜き身と抜き身なり』
   『抜いて逃げ抜いて亭主が追いかける』 同じ抜き身でも亭主は間男の逸品には敵わない。
   『間男の不首尾こぼしこぼし逃げ』 間男がこぼすのは愚痴ではありません。この様なことが繰り返すと淋病になるという迷信があった。
   『間男の淋病心覚えあり』 現場に踏み込み見つけると、武士なら二人を重ねて四つにしたが、町人なら内済金を五両取って済ませた。この五両は田沼時代以降七両二分にあがった。
   『四つにすべきを黄なるもの五ツにし』
   『一分だめしの奴なれど五両取り』
   『入れるか入れないで七両二分とられ』

   フランス小話で・・・。
   あまり咄嗟のことで逃げ隠れが出来ない二人に、亭主が頭にきてヒステリックな大声で怒鳴った。・・・が、亭主気が付いて言った。「おい、せめて俺が文句を言っている間は腰を動かすのは遠慮したらどうだッ!」。

   そのⅡ  友人の病院で不思議な病気を見てきた。「それってどんな病気なの?」、「男のお道具がピンとなったきり、小さくならないんだ」、「まあ!」と細君下を向いたが、ややあって「その病気、伝染するの?」。

   そのⅢ、珍しく昼過ぎに我が家に戻った亭主は、下着姿の女房を見て、「だれか、ここには男が居る」、女房は心配そうな声で「誰も居ないわよ」、「いや、確かに居る」、まづ戸棚を調べて「ここには居ない」、次に浴室のドアーを開けて「ここにも居ない」、押し入れを探したが居ない、リビングを探したが「ここにも居ない」。最後に物置小屋の戸を開けると、目の前にプロレスラーのような、腕っ節の強そうな男が居た。男の顔を見るなり、直ぐ戸を閉めて大声で叫んだ「ここにも居ない」。

 そのⅣ、新婚間もない若い警官が、たまたま新居の近くを巡回していた。新妻の顔を見たくて家に立ち寄ったら、奥様下着姿でベットにいたので制服を脱ぎ捨ててベットに潜り込んだ。・・・ホッとして、制服を着込んで街に戻ると友達が声を掛けてきた、「何時から警官を止めたんだい?」、「どうして?」、「消防士の恰好をしているじゃ無いか」。   

不倫(ふりん);日本経済新聞に掲載された渡辺淳一の小説『失楽園』が不倫を題材にした大胆な性描写で話題となり、1997年、映画化、テレビドラマ化され流行語になった。

コキュ~;仏語〔cocu〕:妻を寝取られた男。コキュ。フランス小話では主役です。

 以上の項、落語「茶漬間男」より孫引き

美人局(つつもたせ);なれ合い間男。マクラで解説していましたが、夫の有る女が他に男をこしらえた場合だと言ったら、聞いた青年は「あ~、恋人ですか」。恋人には違いないが、間男と言います。女房の亭主は”損料”として5両取った。
 「堪忍の一致しまいに5両取り」
 「生けておく奴では無いと5両取り」
 と言う川柳があります。
 夫婦なれ合いで、鼻の下の長い男をカモに亭主が散々ごねついて、5両の金を取った。その後値上がりして七両二分(7.1/2両)になった。

貞操帯(ていそうたい);女性の貞操を保持するための、鉄製で鍵の付いた器具。中世ヨーロッパで十字軍出征の騎士などがその妻に使わせたという。
 被装着者の性交や自慰を防ぐ施錠装置つきの下着。主に、妻・夫あるいは恋人・愛人・性的パートナーの純潔を求めて、性交渉を不可能にするために用いられる。女性用の物が有名だが男性用の物もある。貞操帯は強制的に装着させられる場合と、自発的に装着する場合がある。通常、被装着者は自らの意思で貞操帯を取り外すことはできない。

悋気(りんき);ねたむこと。特に情事に関する嫉妬。やきもち。三角関係などの嫉妬などがこの言葉に当たる。 
 「疝気は男の苦しむところ、悋気は女の謹むところ」、という言い回しがあります

品川(しながわ);東海道品川宿の飯盛女がいる宿。品川は四宿の一つで、宿として機能するより遊女屋として栄えた。東海道五十三次の最初の宿場、品川新宿(しんしゅく)は現・第一京浜から八ツ山橋を渡り、旧東海道を下る(当時は上る)と、歩行新宿(かちしんしゅく、北品川1丁目)、北品川宿(北品川2丁目)、目黒川を渡って南品川宿(南品川1丁目)の三区画に分かれていて、約1.5kmの長さがあった。板橋、千住、内藤新宿(しんじゅく)の四宿のひとつで、官許の吉原の”北里”または”北国”と対抗し”南郭”または”南国”、単に”南”と称して、幹線街道の東海道の最初の宿駅として栄えた。江戸の北半分に住む男連中は吉原に足を運んだが、南半分に住む男連中は品川に足を運んだ。

  

 「品川青楼遊興」(三枚続き)豊国画 寛政年間 東京国立博物館蔵。

 遊女屋は旅籠屋、遊女は飯盛り女として届けられていた。江戸時代末の最盛期には約90軒の貸座敷があり、千人以上の飯盛り女が居た。関東大震災の時も被害が出ず盛況したし、昭和の初めには貸座敷は43軒あった。戦後も八ツ山橋よりが一部被災したが復興し面影を残したが、しかし、昭和33年3月に売春禁止法が施行されてから、この遊里も消滅した。
  落語「品川心中」、「居残り差平次」に詳しい。  

お引け(おひけ);遊廓では即寝床に向かう事はなく、酒盛りをするか、芸者、幇間をあげて飲みあかします。ま、どちらにしても、酒を飲んで遊んでから個室に向かいます。お酒を切り上げたその時、または、その時間を言います。例外として超安い女を買うと、それだけの事もあります。これを無粋といいます。
 2.遊廓にはお終いの時間が決められていた。吉原では、お引けが午後10時、中引けが午前0時、大引けが午前2時です。それ以後は大戸を閉めて客は取りません。

左馬(ひだりうま);「馬」の字を左右反転させたもの。縁起のよい図柄とされる。 馬は左側から乗ると倒れないとされるため、また「うま」を逆さに読んだ「まう(舞う)」が祝い事を連想させるためなど、由来には諸説がある。天童市の独自の土産置き駒。
 右写真、左馬。
 奥様、良くこんな難しい字を、あんな限られた頭に書いたものだと感心します。帰りに品川の遊女が書いてくれたのは、普通の馬の字だった。

ガマの油(がまのあぶら);ガマの油売りの口上=「さあさあ、お立ち合い、ご用とお急ぎのない方は、ゆっくりと見ておいで。遠目山越し笠のうち、ものの文色(あいろ)と理方(りかた)がわからぬ。山寺の鐘は、鏗鏗(こうこう)と鳴るとはいえ、童児来たって鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら、とんとその音色がわからぬが道理。・・・だがしかし、お立ち合い、投げ銭やほうり銭はお断わりだ。  手前、大道に未熟な渡世をいたすといえど、投げ銭、ほうリ銭はもらわない。しからば、なにを稼業にいたすかといえば、手前持ちいだしたるは、これにある蟇蝉噪(ひきせんそう)四六の蝦蟇の膏だ。・・・四六、五六はどこでわかる。前足の指が四本、後足の指が六本、これを名づけて四六のガマ。このガマの棲める所は、これよりはる~か北にあたる、筑波山の麓にて、おんばこという露草を食らう。・・・このガマの脂をとるには、四方に鏡を立て、下に金網を敷いて、その中にガマを追い込む。ガマは、おのれの姿が鏡にうつるのを見て驚き、たら~り、だらりと脂汗を流す。これを下の金網にてすきとり、柳の小枝をもって、三七二十一日の間、とろ~リ、とろりと煮つめたるがこの蝦蟇の膏だ、腫れ物、切り傷一切に効く。普段は1貝で100文だが、今日はお披露目であるから二つで100文だ、お立ち合い。・・・その他に刀の切れ味を止める。ここに取り出したる刀は先が切れて元が切れないと言うものではない。一枚の紙が2枚、2枚が4枚、8枚、16枚、32枚、春は3月落花の舞い。(ふぅ~っと吹くと)雪降りの形。蝦蟇の膏を刀に付けると白紙も切れず、この腕も切れない。刀の膏を拭き取ると触っただけで、この様に切れる。切れても心配いらぬ。傷口に蝦蟇の膏を付ければピタリと血は止まり痛みも取れて治る」。
 落語「蝦蟇の膏」に詳しい。

貝の容器(かいのようき);入れ物に蛤の貝を使っていたのでしょう。今で言えばひと瓶またはひと缶。
 100文とは、1両=一文銭(江戸初期)、4貫文で、4,000枚、中期で5貫文、幕末で10,000文です。1両が8万円とすると1文が20円。100文で、2,000円(幕末で800円)、以外と高いものです。で、上記口上から二貝100文ですから一貝1,000円(同400円)です。当時 (江戸中期)ソバが16文、天麩羅ソバが32文、鰻丼が100文でした。

お不動様(おふどうさま);不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。大日如来、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、金剛愛染明王らと共に祀られる。  ひたすら精進努力いたします。 お不動さまは、一瞬たりとも弱まることのない燃えさかる火焔の中に住しています。この御姿を通して、日頃の努力を怠らず、積み重ねていくことで道が開かれることを示しています。

水垢離(みずごり);神仏に祈願する前に、水を浴びて身を清め、穢(けが)れをとり除いて心身を清浄にすること。みそぎ。主として身体についた汚れを清める意味に用いられた。しかしこれはやがて、宗教的な祭礼や神仏への祈願を行うときに、冷水や海水を浴びて心身の垢を落とす水垢離(みずごり)の慣習を生みだした。 また多くの民族のあいだでは、水の崇拝と並んで聖泉崇拝が見いだされ、各地の霊場や聖地ではその地に湧きでる泉を浴びたり飲用したりして、病気の平癒を祈願する風習がひろまった。

  

 水垢離をするガマの油売りの娘(イメージ)。百文払うと左、半貝だと右。
 左、『ヴィーナスの誕生』部分(1879年)ウィリアム・アドルフ・ブグロー画、 パリオルセー美術館所蔵。
 右、カピトリーノのヴィーナス(恥じらいのビーナス)  ローマ カピトリーノ美術館所蔵。



                                                            2021年1月記

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