落語「円生・艶笑噺」の舞台を行く 六代目三遊亭円生の噺、「艶笑噺」(えんしょうはなし)より
■円生でも、こんな艶笑噺をすることがあるんですね。「お色気噺独演会」で語られた貴重な噺になります、と言っても小咄をまとめて高座で披露しただけで、普段の人情噺の中では男女の機敏な心の動作や会話が出て来ます。でも、円生も断っていますが、映画に出てくるような写実的な噺では無く・・・、男女の粋な(?)話を取り上げています。決してベットシーンなどでは無いと言っています。
■間男(まおとこ);夫のある女が他の男と密通すること。また、その男。情夫を持つこと。男女が私通すること。間男を発見された場合、二つに重ねて四つに切っても良かった。ただ、10両の命であったから(10両盗めば首が飛ぶ)、10両払えば示談が成立したが、助命のための示談金は享保年間以後、ずっと七両二分と相場が決まっていました。高い買い物ですが、どちらも止められない。
夫のある女性が他の男性と肉体関係など男女の関係をもつこと。また、そういった男性をいう。こういった関係や男性を間男と呼ぶ理由は諸説あるが、「夫婦の間に入ってくる男性」からきたとする説が浸透しています。また、読みは「まおとこ」以外に「まお」とも読む。寝取られた男をフランスでは”コキュ”という。
フランス小話で・・・。
そのⅡ 友人の病院で不思議な病気を見てきた。「それってどんな病気なの?」、「男のお道具がピンとなったきり、小さくならないんだ」、「まあ!」と細君下を向いたが、ややあって「その病気、伝染するの?」。
そのⅢ、珍しく昼過ぎに我が家に戻った亭主は、下着姿の女房を見て、「だれか、ここには男が居る」、女房は心配そうな声で「誰も居ないわよ」、「いや、確かに居る」、まづ戸棚を調べて「ここには居ない」、次に浴室のドアーを開けて「ここにも居ない」、押し入れを探したが居ない、リビングを探したが「ここにも居ない」。最後に物置小屋の戸を開けると、目の前にプロレスラーのような、腕っ節の強そうな男が居た。男の顔を見るなり、直ぐ戸を閉めて大声で叫んだ「ここにも居ない」。
そのⅣ、
■不倫(ふりん);日本経済新聞に掲載された渡辺淳一の小説『失楽園』が不倫を題材にした大胆な性描写で話題となり、1997年、映画化、テレビドラマ化され流行語になった。
■コキュ~;仏語〔cocu〕:妻を寝取られた男。コキュ。フランス小話では主役です。
以上の項、落語「茶漬間男」より孫引き
■美人局(つつもたせ);なれ合い間男。マクラで解説していましたが、夫の有る女が他に男をこしらえた場合だと言ったら、聞いた青年は「あ~、恋人ですか」。恋人には違いないが、間男と言います。女房の亭主は”損料”として5両取った。
■貞操帯(ていそうたい);女性の貞操を保持するための、鉄製で鍵の付いた器具。中世ヨーロッパで十字軍出征の騎士などがその妻に使わせたという。
■悋気(りんき);ねたむこと。特に情事に関する嫉妬。やきもち。三角関係などの嫉妬などがこの言葉に当たる。
■品川(しながわ);東海道品川宿の飯盛女がいる宿。品川は四宿の一つで、宿として機能するより遊女屋として栄えた。東海道五十三次の最初の宿場、品川新宿(しんしゅく)は現・第一京浜から八ツ山橋を渡り、旧東海道を下る(当時は上る)と、歩行新宿(かちしんしゅく、北品川1丁目)、北品川宿(北品川2丁目)、目黒川を渡って南品川宿(南品川1丁目)の三区画に分かれていて、約1.5kmの長さがあった。板橋、千住、内藤新宿(しんじゅく)の四宿のひとつで、官許の吉原の”北里”または”北国”と対抗し”南郭”または”南国”、単に”南”と称して、幹線街道の東海道の最初の宿駅として栄えた。江戸の北半分に住む男連中は吉原に足を運んだが、南半分に住む男連中は品川に足を運んだ。
「品川青楼遊興」(三枚続き)豊国画 寛政年間 東京国立博物館蔵。
遊女屋は旅籠屋、遊女は飯盛り女として届けられていた。江戸時代末の最盛期には約90軒の貸座敷があり、千人以上の飯盛り女が居た。関東大震災の時も被害が出ず盛況したし、昭和の初めには貸座敷は43軒あった。戦後も八ツ山橋よりが一部被災したが復興し面影を残したが、しかし、昭和33年3月に売春禁止法が施行されてから、この遊里も消滅した。
■お引け(おひけ);遊廓では即寝床に向かう事はなく、酒盛りをするか、芸者、幇間をあげて飲みあかします。ま、どちらにしても、酒を飲んで遊んでから個室に向かいます。お酒を切り上げたその時、または、その時間を言います。例外として超安い女を買うと、それだけの事もあります。これを無粋といいます。
■左馬(ひだりうま);「馬」の字を左右反転させたもの。縁起のよい図柄とされる。
馬は左側から乗ると倒れないとされるため、また「うま」を逆さに読んだ「まう(舞う)」が祝い事を連想させるためなど、由来には諸説がある。天童市の独自の土産置き駒。
■ガマの油(がまのあぶら);ガマの油売りの口上=「さあさあ、お立ち合い、ご用とお急ぎのない方は、ゆっくりと見ておいで。遠目山越し笠のうち、ものの文色(あいろ)と理方(りかた)がわからぬ。山寺の鐘は、鏗鏗(こうこう)と鳴るとはいえ、童児来たって鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら、とんとその音色がわからぬが道理。・・・だがしかし、お立ち合い、投げ銭やほうり銭はお断わりだ。
手前、大道に未熟な渡世をいたすといえど、投げ銭、ほうリ銭はもらわない。しからば、なにを稼業にいたすかといえば、手前持ちいだしたるは、これにある蟇蝉噪(ひきせんそう)四六の蝦蟇の膏だ。・・・四六、五六はどこでわかる。前足の指が四本、後足の指が六本、これを名づけて四六のガマ。このガマの棲める所は、これよりはる~か北にあたる、筑波山の麓にて、おんばこという露草を食らう。・・・このガマの脂をとるには、四方に鏡を立て、下に金網を敷いて、その中にガマを追い込む。ガマは、おのれの姿が鏡にうつるのを見て驚き、たら~り、だらりと脂汗を流す。これを下の金網にてすきとり、柳の小枝をもって、三七二十一日の間、とろ~リ、とろりと煮つめたるがこの蝦蟇の膏だ、腫れ物、切り傷一切に効く。普段は1貝で100文だが、今日はお披露目であるから二つで100文だ、お立ち合い。・・・その他に刀の切れ味を止める。ここに取り出したる刀は先が切れて元が切れないと言うものではない。一枚の紙が2枚、2枚が4枚、8枚、16枚、32枚、春は3月落花の舞い。(ふぅ~っと吹くと)雪降りの形。蝦蟇の膏を刀に付けると白紙も切れず、この腕も切れない。刀の膏を拭き取ると触っただけで、この様に切れる。切れても心配いらぬ。傷口に蝦蟇の膏を付ければピタリと血は止まり痛みも取れて治る」。
■貝の容器(かいのようき);入れ物に蛤の貝を使っていたのでしょう。今で言えばひと瓶またはひと缶。
■お不動様(おふどうさま);不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。大日如来、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、金剛愛染明王らと共に祀られる。
ひたすら精進努力いたします。 お不動さまは、一瞬たりとも弱まることのない燃えさかる火焔の中に住しています。この御姿を通して、日頃の努力を怠らず、積み重ねていくことで道が開かれることを示しています。
■水垢離(みずごり);神仏に祈願する前に、水を浴びて身を清め、穢(けが)れをとり除いて心身を清浄にすること。みそぎ。主として身体についた汚れを清める意味に用いられた。しかしこれはやがて、宗教的な祭礼や神仏への祈願を行うときに、冷水や海水を浴びて心身の垢を落とす水垢離(みずごり)の慣習を生みだした。 また多くの民族のあいだでは、水の崇拝と並んで聖泉崇拝が見いだされ、各地の霊場や聖地ではその地に湧きでる泉を浴びたり飲用したりして、病気の平癒を祈願する風習がひろまった。
水垢離をするガマの油売りの娘(イメージ)。百文払うと左、半貝だと右。
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