落語「持参金」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「持参金」(じさんきん)


 

 長屋の独り者の辰のところに伊勢屋の番頭が朝早く訪ねてきた。番頭は20円貸してあった金を今晩中に返して欲しいと頼みに来た。辰つぁんぼやくことしきり、「たまに早起きしたらろくなことが無い。あの借金、忘れてたんや。20円どころか、逆さに振っても20銭も出ぇへんで、それも、今日の晩までやなんて・・・」。
 そこに金物屋の太助はんが訪ねてきて、嫁さんを世話するという。「歳は二十二で辰つぁんと年回りは良い。しかし、背がスラァ~と・・・低い。で、色がクッキリと黒い。鼻はどっちかと言うと内へ遠慮してる方やけど、でぼちんは出てる方やナ。で、両方のほっぺたがツーンと出てて、あごが出てるさかいに、まぁ、こけても鼻は打たんわなぁ。両方の眉毛の長さが違うところに愛敬があるなぁ。目は小さいけど、口はでかいで。三味線とか針仕事とか、女一通りのことは何をさしても半人前やけど飯は三人前食うで。で、人との挨拶とか、折り目節目の挨拶とかはあんまりやらんけど、いらんことは人一倍しゃべりよるでぇ。仕事は遅いけど、つまみ食いは速いでぇ!」、これだけ言い出しておいて、このおなごに≪ひとつだけキズが有る≫という。「腹に子供があって、もう産み月だけど。どうや、このおなご、もらうか?」、気が進まないので断ると、「まぁ、ええわ。どこぞ他をあたるわ。こんなおなごでも、金の20円もつけたら、もろうてくれる口がどこぞにあるやろ。邪魔したな・・・」。
 20円と聞いて、帰りかけた太助さんを引き戻し、「そ、その女、金が20円、付きまんのん?」、「まぁ、そんなおなごやさかいな、持参金というほどのことはないが、20円だけ、段取りさせてある」、「はは、もらいまひょ。20円付きで」。
 「お腹のキズのことも承知やな、では、この話進めていいな」、「今晩もらおう」、「今晩とはあんまり急な」、「今晩やさかいにもらう。明日ならもういらん。何でしたらな、20円だけ今晩で、嫁はんはまた来年ということに・・・」。
 話が決まったら、「おまはん、ちょっとは風呂行って、男前上げて、多少は掃除もして、貧乏長屋ちゅうても、杯事の真似事などしたいさかいに、家主はんとこいて、杯借りておいで。それから、イワシでもええさかいに、尾と頭のついたもん用意しとき」。
 「へへっ、けったいな日ィやなぁ、起き掛けに忘れてた借金催促されて、どないしょう、て思うてたら、晩方にはその金持ってカカが来る、ちゅうねん。世の中ておもろいもんやなぁ」。
 そこにまた番頭さんが念を押しにやって来た。「金できた、20円できた。えぇ、間違いおまへん。暗うなった時分に取りに来ておくなはれ」。

 ややこしい一日が暮れました。金物屋の太助はん、おなごしはんを連れてやってまいります。

 太助さんに第一声、「ああ、太助はん、20円!」、「待てぇ!まあ、座れ。お前さんも、こっちお入り。いやいや、遠慮せいでもええ。今日からここがあんたの家になんねやさかい。大きな顔して座ったらええ。杯の準備はできてるか」、と言う事で、20円は話題に上がらず、三三九度の真似事をやって、仲人は宵の口と言って帰りかけたので、辰つぁん慌てて「肝心の物。20円」、「忘れた」、「忘れるんなら、嫁はん忘れなはれ」、「間に合わんでな、明日の朝」、「今晩と約束していたのに。20円、明日や、ちゅうて・・・、嫁さんだけ置いて行きやがって。これは、話しに聞いてた通りのおなごやなぁ」。二人っきりになった部屋に間が持てない。「あんた、そんな隅っこに小そうなってんと、もうちょっと真ん中の方へ来なはれ。将棋でも指しまひょか?・・・.知らん?そら、知らんわなぁ。もう、寝まひょか」。

 特にこれといってすることもなく、枕をならべて寝てしまいます。さて、明くる日の朝、番頭さんがやって来ました。

 「20円できてるか?」、「こっちも今朝ちゅうことにになってしもうて」、「確かな人が引き受けてくれてますさかい、大丈夫です」、「そうかぁ?私も番頭さんとか言うても、店へ帰れば奉公人や。そうたびたび店を抜け出してくるわけにもいかん。すまんが、ここで待たしてもろうてもええやろか」、「どうぞ」。
 「恥を話すと、もう、だいぶん前のこと、仕事の仲間内の寄り合いがあって、呑めん酒をぎょうさん呑まされて、悪酔いして、店へ帰ってきて、二階で上げたり下げたりしてた。家におなべちゅう女中が、顔に似合わず気の優しいとこがあってな、水汲んできてくれたり、背中さすってくれたりしてたんやけどな、だんだんと落ち着いてくると、家の二階に若いおなごと二人きりやないかい。それで、ややこしいことになってしもうたんや。
 それからも一人もん同士やから、忍び逢うてたんやけど、おなごは受け身やないかい。そのうちにハラがボーンと・・・。こんなこと、旦那さんに知れたら別家前でえらいこっちゃ。どないしょうと、金物屋の太助はんに相談したら、太助はんが『そらもう、早う宿下がりさせ!そらどこぞに押し付けてしまわんならん。そんなおなごでも金の20円も付けたらどこぞのアホがもらいよるやろう』。そのアホがいた。こら早いことまとめてしまわんならん、早う金の20円を用意せぇって昨日からヤイヤイと。こんなこと人に言えんがな。ほんまにおまはんには世話になった」。
 「実はわたい、夕べ、カカもらいましてな」、「え、なんでそれを早う言うてくれんねん、そんな最中と知ってたら、こんな話し持って来ぇへんねん」、「金物屋の太助はんの世話でもろうた」。番頭さん事情が分かって驚くまいことか。「腹の子の親が誰や分からんよりは、あんたやて分かってたほうが、なんかの時に頼りに・・・」、「そんなおかしな言いようしなや」。
 「わたいがあの人引き受けたら、よろしいやろ?」、「何もかも承知で、収まってくれるか」、「収まるも何も、もうこうなってしもうたもんは・・・」、「重ねがさねやけど、よろしゅうお頼み申しますわ。で、20円やけど・・・」、「それ、太助はんがもって来てくれる」、「太助はん、私の家で、私が帰んの待ってはんねんで」、「えぇっ」。
 「そら、いつまで待っててもあかん理屈やで! ほたら、この手ぬぐいを20円やとして、わたいがあんたに渡す。それを受取って、太助はんに渡す。それをまた、太助はんがわたいのところへ・・・。
ははは、なるほど、金は天下の回りもんやなぁ」。

 



ことば

 私は東京で生まれて、東京で育って、いまだ東京から出て生活をした事がありません。落語の世界では上方言葉を聞いても理解も出来ますし違和感はありません。しかし今回の米朝さんの上方弁をそのまま文字化するにあたって、聞き言葉と違って書き言葉には大変な苦労をしました。全部、東京言葉で書き改めようかと何度も思いましたが、書き始めた事だし、米朝さんのニアンスを生かす意味もあって、最後まで上方弁にしましたが、東京言葉が混じっているかも知れません。どこがと言われても困るのですが、そのところは笑ってお許し下さい。
 関西の友人に聞くと上方言葉は一種類では無く、大きく分けても各県ごとでも違いますし、都市によっても違います。どこの言葉をとるかで違いが出ます。米朝さんの上方弁は、人によってはそんな言葉は無いと言います。でも上方弁の真ん中をとって、ベタベタな上方弁では無い、上方の標準語として捕らえれば、東京人とすれば何の違和感もありません。

持参金(じさんきん);嫁または婿などが結婚する時に、実家から持参する金。

 天保12年69歳で他界するまで子供54人もうけて、多産の大記録を立てた十一代将軍家斉がいます。ただ、成人したのは37人ですが、成年に達したときには養子に出さなくてはなりません。養子に出すためには現金と加増という持参金を付けて、各大名に押しつけたのです。年齢や美貌は関係無しに大名に嫁がせたので、各大名は戦々恐々となり禄が増えると喜ぶ藩も有りましたが、断る理由を探す藩までいろいろ出てきます。美人が来れば良いのですが、盲人や病弱の者も居て大変ですが、威光と持参金で全員押しつけてしまったのです。

でぼちん;ひたい。お鍋さんの器量を・・・、背がスラァ~と・・・低い。で、色がクッキリと黒い。鼻はどっちかと言うと内へ遠慮してる方やけど、でぼちんは出てる方やナ。で、両方のほっぺたがツーンと出てて、あごが出てるさかいに、まぁ、こけても鼻は打たんわなぁ。両方の眉毛の長さが違うところに愛敬があるなぁ。目は小さいけど、口はでかいで。三味線とか針仕事とか、女一通りのことは何をさしても半人前やけど飯は三人前食うで。で、人との挨拶とか、折り目節目の挨拶とかはあんまりやらんけど、いらんことは人一倍しゃべりよるでぇ。仕事は遅いけど、つまみ食いは速いでぇ・・・。その上にキズが有るという。いったいどんな女なんだ。でも、優しいのが取り柄です。
 顔の方は”おかめ(お多福)”を連想させます。その昔には美人の代名詞だったのですが・・・、今では・・・。
右写真;浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市に出ていた熊手のお多福。

20円;現在の金の価値とは違います。この噺の頃は100万円ぐらいの価値はあったんでしょうね(たぶん)。

三三九度(3・3・9ど);祝言などの際の献杯の礼。三つ組の杯で3度ずつ3回酒杯を献酬すること。三三九献。

宿下がり(やどさがり);奉公人が暇を貰って親元または請人(ウケニン、口入れ屋、職業紹介所)の家に帰ること。早い話が、クビになる事。

別家前(べっけまえ);商家への年季奉公を無事に勤め終えて、主家の屋号を称することを許され、資金をもらって独立すること。また、その商家を別家と言った。独立前の微妙な時期ですから、しくじったら今までの苦労が水の泡になってしまいますので、番頭さんは必死。

家主(やぬし。いえぬし);長屋の管理を任されている管理人。そのよび名から長屋の持ち主のように思われがちですが、じつは土地・家屋の所有者である地主から、長屋の管理を任されている使用人で、家守(やもり)、大家(おおや)、差配(さはい)ともよばれていました。現代で言う管理人です。豊かな地主は多くの長屋を持ち、それぞれに大家を置いた。
 その仕事は、貸借の手続き・家賃の徴収・家の修理といった長屋の管理だけでなく、店子と奉行所のあいだに立って、出産・死亡・婚姻の届け出・隠居・勘当・離婚など民事関係の処理、奉行所への訴状、関所手形(旅行証明書)の交付申請といった、行政の末端の種々雑多な業務を担当していました。
 それだけに店子に対しては大いににらみをきかせ、不適切な住人に対しては、一存で店立て(強制退去)を命じることもできました。
 大家の住まいは、たいてい自分が管理する長屋の木戸の脇にあり、日常、店子の生活と接していましたから、互いに情がうつり、店子からはうるさがられながらも頼りにされる人情大家が多かったようです。

(「大江戸万華鏡」 農山漁村文化協会発行より) 落語「お化け長屋」から孫引き



                                                            2015年7月記

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