落語「猫と金魚」の舞台を行く 八代目橘家円蔵の噺、「猫と金魚」(ねこときんぎょ)
■新作落語;芸術家・高見沢路直(のちの漫画家・田河水泡)が「高沢路亭」のペンネームで書き上げた。高沢路亭は収入のために創作落語を大日本雄辯會講談社の雑誌『面白倶楽部』に売り込み、同誌で連載。世界初の専業落語作家となっていた。
同作は読み物として書かれ、実演を前提としていなかった。しかし初代柳家権太楼がこれを高く評価し、高沢に高座での実演を了承してほしい旨の手紙を送った。高沢は快諾した。以降、権太楼はこれを持ちネタとするだけに留まらず、この演目を「初代柳家権太楼の自作」と公表していた(後者の件については、高沢の了承を取っていない)。
初代権太楼の死後かなり経って、放送局が、この演目の本当の作者が田河水泡であることを突き止め、著作権料を支払うために田河に連絡をとった。田河は放送局に対し、著作権料は全額、権太楼の遺族(再婚相手と遺児)に廻してもらって、権太楼の霊へのはなむけとしてほしい、と伝えた。
金魚を狙っているわけでは無く、ポヤ~って温かいのでお気に入りの場所です。 ・田河水泡(たがわすいほう);(明治32年(1899)2月10日-平成元年(1989)12月12日)90歳没。本名、高見澤 仲太郎(たかみざわ なかたろう)。 昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、さまざまなキャラクターグッズが作られるなど社会現象となるほどの人気を獲得した。昭和44年(1969) 紫綬褒章受章。昭和62年(1987)勲四等旭日小綬章受章。
昭和4年(1929)、『目玉のチビちゃん』連載開始と前後して結婚。同作の連載終了後、『のらくろ』の執筆に取り掛かる。同作の執筆のきっかけは、結婚後犬を飼い始めた事により、昔写生中に見た陽気な真っ黒な犬を思い出し、あの犬が今どうなっているか気になったので描いてみたというものである。設定を軍隊にすることにより、自らの徴兵時代を反映させる事が可能になり、独特の世界観を作り上げていった。同作は主人公の階級が上がるたびにタイトルが変わっていくという実験的な作品でもあったが、爆発的な人気を獲得。戦前としては異例の長期連載となった。また、いわゆるのらくろグッズが市場に溢れることになり、日本で初めて漫画のキャラクターが商業的に確立した作品とも言える。1941年に打ち切られるものの、その影響力は凄まじく、幼い頃の手塚治虫はのらくろを模写し、技術を磨いていたという。
平成10年(1998)に水泡の遺族は、水泡の遺品を生地の隣区である江東区に寄贈した。公益財団法人江東区文化コミュニティ財団が運営する「森下文化センター」(江東区森下3-12-17)1階を、水泡の常設展示館「田河水泡・のらくろ館」として、ここで常設展示されている。
■金魚
左;琉金。 右;ランチュウ。原話のランチュウで上から見ると美しさが分かる金魚です。江戸川金魚フェアで
■猫と金魚
ウイキペディアより
■双眼鏡(そうがんきょう);2個の望遠鏡の光軸を平行に並べ、両眼で同時に遠景を拡大して見る光学器械。倍率は普通7~8倍が見易い。
■湯殿(ゆどの);浴室。風呂場。
■一から十まで;はじめからおわりまで。何から何まで。すべて。バカか無知で無い限り、聡明な者なら一を聞いて十を知ります。
■頭(かしら);一群の人の長。統領。特に、鳶職・左官などの親方。この話では鳶職の頭。建築現場では足場上や高所作業をする職人集団で、火災時は火消しとして働く。普段はお得意さんの店から半纏をもらっていて、その店専属の何でも屋にもなっています。
■加藤清正(かとうきよまさ);(1562~1611)安土桃山時代の武将。尾張の人。豊臣秀吉の臣。通称虎之助と伝える。賤ヶ岳七本槍の一。文禄・慶長の役で勇名を馳せ、関ヶ原の戦では家康に味方し、肥後国を領有。朝鮮半島出兵に際して、虎退治したので有名。
「加藤清正の虎退治」 月岡芳年画
■濡れネズミ;虎のように強くても、ネズミになってしまったら、猫には敵わない。
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