落語「カボチャ屋」の舞台を行く
   

 

 十代目柳家小三治の噺、「カボチャ屋」(かぼちゃや)より


 

 与太郎さんは仕事もせずに二十歳(はたち)にもなってブラブラしている。伯父さんの所に母親が来て泣いていった。亡くなった父親も棒手振りの八百屋だったので、カボチャを売らす事になった。「カボチャ野郎がカボチャ売るんだから、看板下げて売るようなものだ」、大きいのが10個、小さいのが10個ある、「両方合わせてハタチだ」、「そんな物はハタチとは言わない。大きいのが13銭、小さいのが12銭、これは元(元値=原価)だから、売るときは上を見て(掛け値をして)売るんだ。お前だって小商人のせがれだ、分かるだろ」、「上見て売るんだね」、「細かい事は言わない。売り声は大きな声で。暑さが厳しいから日陰を歩くんだぞ。表通りより裏路地を歩いて、おかみさん連中にひいきにして貰え。うるさい奴も居るから逆らわないように」。与太郎さん言われるがままに、半纏股引腹掛けを付け、ワラジを履いて、フラフラと出て行った。

 売れないのは、黙って歩くからだと気が付き、「カボチャ・・・、カボチャ~、カボチャ」と言ったら、歩いている男に「カボチャとは何だ」と叱られた。同じ言うなら唐茄子と言って歩けと教えてもらった。
 教えられたとおり「唐茄子、唐茄子屋~、唐茄子やでござい、唐茄子やだな~。あれ、路地に入ってきてしまった」。伯父さんが路地は売れると言っていたので、ドンドン入ると行き止まりで、天秤がつかえて回れない。ガリガリやっていると男が出てきて傷つけたから殴るという。殴った後に唐茄子を買ってくれと頼むと、初めて唐茄子屋だと認めてくれた。荷を下ろして身体だけ回したら帰れるようになった。
 旨そうな唐茄子だと値を聞いてくれた。「大きいのが13銭、小さいのが12銭。出来立てだから河岸で泳いでいた。本場物だが、本場はどこだか分からない。山で採れるから箱根山で、雲助が内職で作っていた。旨いよ、砂糖をイッパイ掛けてきた」、「世辞がイイから大きいの二つ、50銭でお釣りくれ」、「釣りが無いから50銭に負けておく」、「上に負けてはいけない。家に取りに行くから待っていな」。
 その男は、長屋中の住人に声を掛けて、唐茄子を買うように勧めてくれた。その間与太郎さん口を開けて上を向いていた。「もうい~かい。売るときは上を向いているんだ。まぶしくてしょうが無い」。こんな唐茄子屋だから長屋の連中が売ってくれて、完売した。「商売というのは、伯父さんが言ったとおり『上を向いて』いれば売れるんだ」。帰ろうとすると、売ってくれた男が「愛想の無い野郎だ。『有り難うございました』ぐらい言っていけ」、「どう致しまして」。

 伯父さんに完売の報告。「そうかそうか、皆売れたか、さすが親父の子だ。で、売り上げ見せろ。え、偉いな、元をちゃんと別にしてある。儲けは何処だ」、「それ」、「それって何だ」、「上を見ていたから見せられない」、「お前はいったいいくらで売ったんだ」、「大きいのが13銭、小さいのが12銭」、「それは元じゃないか。上を見て無いじゃないか」、「見たよ。こーやって。喉の奥がカラカラに乾いちゃった」、「上を見ろというのは掛け値をしろと言うことだ。13銭を15銭で、12銭を14銭で売るから利益が出る。掛け値が出来なくて、女房子供が養えるか」、「いないも・・・」、「いたらと言う話だ。どうやって食わせるんだ」、「箸と茶碗で・・・」、「そんな事分かっている。元で売ってくるくらいだったら、家で寝ている方がマシだ」、「あたいも、その方が楽だ」、「しっかりしろ、二十歳にもなって」、「なりたくないも」、「なりたくないと言っても、お前は二十歳だ」、「誰がした」、伯父さんカンカンに怒ってもう一度、荷を担がせて追い出した。

 「上見ろと言うから、一生懸命空見てたんだ。掛け値なら『掛け値しろ』と言ってくれれば良いんだ」。また先程の長屋に来てしまった。「親方~、買っておくれよ」、「よせよ、買ったばっかりじゃないか。しょうが無い、13銭の貰おうか」、「13銭じゃなくなっちゃった。15銭なんだ。掛け値すれば利が出て女房子供を養えるんだって。上を見るのは掛け値をしろと言うことなんだ。このバカヤロウ」、「俺が怒られているようだ。とぼけて上を見ているのかと思ったら、そうじゃ無いんだな。生地だな、おめでたいよ。お前年は幾つだ」、「あたいの歳は・・・六十」、「よせよ、どう見たって二十歳にぐらいだ」、「元は二十歳、四十歳は掛け値」、「掛け値するやつがあるか」、「掛け値しなけりゃ女房子供が養えない」。

 



ことば

かぼちゃ屋(かぼちゃや);別題は「唐茄子屋」。原話は、安楽庵策伝が元和2年に出版した『醒睡笑』第五巻の「人はそだち」。 元々は「みかん屋」という上方落語の演目で、大正初年に四代目柳家小さんが東京に持ち込んだ。主な演者として、五代目柳家小さんや七代目立川談志などがいる。 上方では「みかん屋」の題で二代目桂ざこば一門が多く演じる。ざこばは六代目笑福亭松鶴から直接教わった。
 噺の内容は「唐茄子政談」に売り歩く所は良く似ています。この噺はカボチャを買うお客さんとの会話のおもしろさを強調しています。ですから悪人も出てきませんし、事件にも遭遇しません。

カボチャ;ウリ科カボチャ属(学名 Cucurbita)の総称。特にその果実をいう。原産は南北アメリカ大陸。主要生産地は中国、インド、ウクライナ、アフリカ。果実を食用とし、カロテン、ビタミン類を多く含む緑黄色野菜。
 日本語における呼称は、この果菜が国外から渡来したことに関連するものが多い。 一般にはポルトガル語由来であるとされ、通説として「カンボジア」を意味する Camboja (カンボジャ)の転訛であるとされる。ほかに「唐茄子(とうなす)」「南京(なんきん)」などの名もある。 漢字表記「南瓜」は中国語: 南瓜 (ナングァ; nánguā)によるもの。 英名は pumpkin (パンプキン)であると理解されている場合が少なくないが、実際には、少なくとも北米では、果皮がオレンジ色の種類のみが pumpkin であり、その他のカボチャ類は全て squash (スクウォッシュ)と総称される。 したがって日本のカボチャは、kabocha squash (カボチャ・スクウォッシュ)などと呼ばれている。
 日本では女性の好物として、江戸時代から「芝居・コンニャク・イモ・タコ・南瓜(なんきん)」の名が挙げられることがあった。

 黒皮栗かぼちゃ 西洋かぼちゃの一種で、市場の主流。扁円形で表面に少し凸凹がある。洋風の揚げものなどに向く。

 

 

青皮栗かぼちゃ 西洋かぼちゃの一種。早熟栽培され、通称「東京かぼちゃ」。関東地方を中心に出回る。皮は灰緑色で、表面の溝が浅い。

 

 

赤皮栗かぼちゃ 西洋かぼちゃの一種。あまり普及していない。皮の朱色が美しく、ソテーや揚げものに好まれる。

 

 

黒皮かぼちゃ 市場からほとんど消えた日本かぼちゃの一種。形は腰高、皮は黒緑色で、縦に溝がある。ねっとりとし、甘みが少ない。

 

 

会津かぼちゃ 市場からほとんど消えた福島県会津地方の在来種。形は菊の花弁のようで、皮は緑色でひだが多く、白いまだらが混じっている。

 

 

 野菜図鑑「かぼちゃ」 ホームページより

唐茄子(とうなす);かぼちゃを小型化し、甘味を強くした改良品種で、明和年間(1764~72)から出回りました。 唐茄子もかぼちゃも、初物でも安値で、「初かぼちゃ女房はいくらでも買う気」という川柳があります。そのせいか、「かぼちゃ(唐茄子)野郎」といえば、安っぽい間抜け野郎の代名詞。だから、与太郎が唐茄子を売らされるのには必然性があるわけです。また、「かぼちゃ(唐茄子)野郎」といえば、「安っぽい間抜け」の意味になるため、最初の路地裏で男が怒ったのも無理はありません。

元と掛け値(もととかけね);元は元値、原価でこの値段で売ったら何のために売り歩いているのか分からない。商売は掛け値をして、初めて利益が出て、お客さんも売り主も生産者も潤うのです。上を向いてお天道さんが喉の奥までさして、喉がカラカラになることではありません。

■半纏・股引・腹掛け;江戸時代、服装によってその人の職種が分かりました。この取り合わせは職人の服装で、現在はお祭りでよく着られる服装です。お祭りでも実戦部隊、すなわち御輿を担いだり、山車を引いたりする人達です。金は出すが口は出さないというスポンサーの旦那衆は着物に羽織を着けます。頭には笠を被りますが、実働部隊は手ぬぐいで、汗をゴシゴシ拭き、決して扇子は持ちません。江戸の職人も親方と呼ばれる頭(かしら)は、人を束ねるのが仕事ですから、祭りの旦那衆と同じように着物姿です。棒手振りや建築関係の一人親方は職人ですから、職人の服装です。下図:熈代照覧より部分

半纏(はんてん)=和服の一種で、江戸時代とくに18世紀頃から庶民の間で着用されるようになった短い上着である。形は羽織に近い。半天、袢天、半纏、絆纏とも書く。主に職人や店員など都市部の肉体労働者の作業着として戦後まで広く使用され、労働者階級を示す「半纏着(の者)」という語があった。種類については袖の形による広袖袢纏、角袖袢纏、筒袖袢纏、デザインの面では定紋や屋号などを染めつけた印袢纏などがある。印半纏は雇い人に支給されたり、出入りの職人などに祝儀に与えられることも多く、職人階級では正装として通用し、俗に窮屈羽織とも呼ばれた。

股引(ももひき)=日本の伝統的ボトムスであり、下着としても使われた。腰から踝(くるぶし)まで、やや密着して覆う形のズボン型。腰の部分は紐で締めるようになっている。安土桃山時代にポルトガルから伝わったカルサオ(カルサンとも)と呼ばれる衣服が原形とされる。 江戸時代には鯉口シャツ(ダボシャツとも)や、「どんぶり」と呼ばれる腹掛けと共に職人の作業服となり、農作業や山仕事などにも広く使われた。
 半股引、膝上までのハーフパンツに似た形の半股引(はんだこ)と呼称される。現代では、祭りにおける神輿の担ぎ手の服装として知られている。

腹掛け(はらがけ)= ① 胸から腹までをおおい、背中で細い共布を十文字に交わらせてとめて着用するもの。多く紺木綿(こんもめん)で作り、前面に幅いっぱいの「どんぶり」と呼ぶ物入れをつける。職人などが着用する。
ドンブリという大きな前ポケットが付いていて、小銭などを無造作に取り出して、支払いに使うことから、「どんぶり勘定」の言葉が出来た。 腹掛けの下には鯉口シャツ(ダボシャツとも)を着るのが普通です。暑ければ鯉口を脱ぎます。
② 幼児が寝冷えしないように衣服の下に着けるもの。胸・腹をおおい、ひもを結んでとめる。腹当て。金太郎さん。

路地(ろじ);人家の間の狭い道路。表通りには大店(おおだな)や商店が繋がっていました。その囲まれた中に、裏店(うらだな)とか、裏長屋が作られていました。長屋に入る道、長屋の通路などを路地と言いました。袋小路になっていたり、住民さえ通れれば良いので、棒手振りが回転できないような狭い路地もあったのです。

二十歳(はたち);はたとせ。20歳。 今の法律では次のような権利義務が生じます。
成人(成年・民法4条)を迎える。
 本人の意思だけで契約などの法律行為が有効に行える(民法5条)。
  父母の同意なく本人の意思だけで結婚(婚姻)が可能になる(民法737条)。
  飲酒・喫煙が可能になる。アメリカ合衆国では21歳で 飲酒が可能になる。
  公営競技(競馬・競輪・競艇・オートレース)の投票券が購入できる。
  消費者金融から金銭の借り入れをすることができる。
  少年法の対象から外れる。
  選挙権が与えられる。 2015年6月の改正公職選挙法成立により20歳以上から18歳以上となった。
以下の免許・資格の取得が可能になる。
 中型自動車の運転免許
  一等航空整備士の資格
  商業施設士の資格
  鉄道車両の操縦免許(動力車操縦者)
  船舶に乗り組む衛生管理者の資格
短期大学・高等専門学校卒業の最低年齢。
国民年金への加入義務が生ずる。

各年齢の呼び方(以下数え年で言います)
30歳 三十路(みそじ)  立年(りゅうねん)「三十にして立つ」(『論語』為政編)
40歳 四十路(よそじ)  不惑(ふわく)「四十にして惑はず」(『論語』為政編)心に迷いがなくなる。
50歳 五十路(いそじ)  天命(てんめい)「五十にして天命を知る」(同上)天が自分に与えた使命を自覚する。
60歳 六十路(むそじ)  耳順(じじゅん)「六十にして耳順ふ」(同上)善悪などを素直に判断できるようになる。
                本卦還り(ほんけがえり)生まれた年の干支と同じ干支の年がくること。
61歳             還暦(かんれき)干支が60年後に出生時の干支に還って(かえって)くるので。
70歳             従心(じゅうしん)「七十にして心の欲するところに従ひて矩を踰えず」(『論語』為政編)
77歳             喜寿(きじゅ)「喜」の草体「㐂」が七十七のように見えるため。
80歳 八十路(やそじ)  傘寿(さんじゅ)「傘」の略字(仐)が八十と分解できるため。
88歳             米寿(べいじゅ)「米」の字が八十八と分解できるため。
90歳             卒寿(そつじゅ)「卒」の略字(卆)が九十と分解できるため。
99歳             白寿(はくじゅ)「百」の字から一をとると白になる事から。
100歳            百寿(ももじゅ)。紀寿(きじゅ)1世紀 = 100年から。

 


                                                            2015年10月記

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