落語「箒屋娘」の舞台を行く 二代目桂小南の噺、「箒屋娘」(ほうきやむすめ)より
■オチ;現在の噺では、素直な説明で終わりを迎えますが、明治の後半頃までは、ちゃんとオチがありました。
■住吉大社(すみよしたいしゃ);大阪市住吉区住吉2-9にある神社。全国に約2,300社ある住吉神社の総本社であるほか、下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社。また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名で、三が日の参拝客数は、毎年200万人を超えます。
別称として「住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)」ともいい、神社で授与される神札には「住吉大神宮」と書かれている。また、地元では「すみよしさん」または「すみよっさん」と呼ばれる。
住吉神社
■1文でなく1朱;江戸中期までは1朱で銭250文です。乞食にしてみれば250倍の貰いですから目の色が変わるのは当然です。1両は4分、1分は4朱。4進法です。1両=銭4000文。
■住吉街道(すみよしかいどう);新興都市の大坂と既存都市の堺を結ぶ、住吉参詣を兼ねた道路「住吉街道」として整備された。紀州街道の堺以北の区間はこの住吉街道がほぼそのまま踏襲されている。
■天下茶屋(てんかじゃや);お茶屋さんの屋号ではなく、現・大阪市西成区に現存する地名で一~三丁目まであります。南海本線・高野線に天下茶屋駅があります。現在ではほぼ全域が住宅地となっており、大阪の典型的な下町のひとつとみなされている。住吉神社は南海線の天下茶屋駅から南3駅で住吉大社駅前にあります。
■ぼた餅とおはぎ;もち米とうるち米を混ぜたものを(または単にもち米を)蒸すあるいは炊き、米粒が残る程度に軽く搗いて丸めたものに餡をまぶした食べ物。米を半分潰すことから「はんごろし」と呼ばれることもある。
■五常(ごじょう);儒教で、人の常に守るべき五つの道徳。
■雀逃がし;供養のため、捕らえられた生き物を放してやる放生会(ほうじょうえ)のひとつ。殺生を戒める仏教の教えにより,魚鳥など生きものを放って肉食や殺生を戒める儀式。慈悲の実践を意味する。日本では旧8月15日に行われた京都の石清水八幡宮の放生会が有名で,宮中の節会に準じた。
■ササラ;細かく割った竹を束ねたもの。飯器などを洗うのに用いる。大きな物では、札幌の路面電車が除雪のために走らせるのが、ササラ電車。
■薮入り(やぶいり);かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。1月16日と7月16日がその日に当たっていた。7月のものは「後(のち)の藪入り」とも言う。
■赤前掛け(あかまえかけ);赤前垂れ(あかまいだれ)。京阪地方の色茶屋の仲居や、料理屋、旅籠屋の下女などが、昔はみなこの赤い前垂れをしていた。やがて赤前掛けという名詞となった。
■長町裏(ながまちうら);箒屋娘の住んでいる長屋。現在の浪速区日本橋三丁目~五丁目。南海電車難波駅の東側で、紀州街道(堺筋)沿いは宿屋街で、その裏手にあった。当時は亀吉も言う極貧困長屋街。
■ラオ屋(らおや);『らう屋』、または『らお屋』とも読む。かつては、羅宇(吸い口と火皿の間にある竹)のヤニ取りやすげ替えを生業とする露天商があって、羅宇屋と呼ばれていた。小型のボイラーから出る蒸気で羅宇を掃除し、その際に鳴る「ピー」という笛にも似た音が特徴的であった。ラオ屋は戦後に急激に数を減らし昭和39年には東京で4軒だけとなった。そして最後の羅宇屋は、浅草寺門前で営業していたが2000年頃に廃業した。が、ここ最近背負子スタイルの羅宇屋で復活している。落語「紫檀楼古木」でラオ屋を説明しています。
■船場(せんば);大阪市の中央区部、東西をかつての東・西横堀川、北と南を大川および長堀川によって囲まれた東西1km、南北2kmに長い長方形の地。現在は北浜や御堂筋などを含む問屋街・金融街。大阪市の中心業務地区にあたる。大坂の町人文化の中心となったところで、船場言葉は江戸時代から戦前期にかけて規範的・標準的な大阪弁とみなされていた。
■安土町三丁目(あづちちょう3ちょうめ);木綿問屋相模屋さんがあるところ。上記船場の一部の町。本町通りの一本北が安土町通り、心斎橋筋の東で、地下鉄本町駅東側。
■木綿問屋(もめんどんや);木綿が日本で本格的に栽培されるようになったのは、戦国時代初期(15世紀末期)とされ、本格的な流通市場の形成はそれ以後のことになる。江戸時代に入ると、木綿の生産量の増大とともに庶民の衣料の原料としても用いられるようになり、各地の生産地あるいは消費地に木綿問屋が成立した。江戸時代前期には木綿の生産地または集積地にて生産地の荷主と消費地の注文主との間を仲介して商品の管理を行って口銭や蔵敷料を受け取る荷受問屋が、後期には自己資本にて生産地から木綿糸や織物を仕入れて染色などの加工を行って仲買人や小売商に販売する仕入問屋が発展した。
■群鶏の一鶴(ぐんけいのいっかく);多くの人の中で、特にすぐれている者。何のとりえもない人々の中に一人だけ優れた人物が混じっていること。掃き溜めに鶴。
2016年4月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |