落語「ダイヤモンド」の舞台を行く 五代目古今亭今輔の噺、「ダイヤモンド」より
■五代目古今亭 今輔(ここんてい いますけ);(1898年(明治31年)6月12日 - 1976年(昭和51年)12月10日)群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名は、鈴木 五郎(すずき ごろう)(旧姓:斎藤)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。出囃子は『野毛山』。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。
■ダイヤモンド;(英語: diamond)は、炭素 (C)
の同素体の1つであり、実験で確かめられている中では天然で最も硬い物質である。日本語で金剛石(こんごうせき)ともいう。結晶構造は多くが8面体で、12面体や6面体もある。宝石や研磨材として利用されている。ダイヤモンドの結晶の原子に不対電子が存在しないため、電気を通さない。
地球内部の非常に高温高圧な環境で生成されるダイヤモンドは定まった形で産出されず、また、角ばっているわけではないが、そのカットされた宝飾品の形から、菱形、トランプの絵柄(スート)、野球の内野、記号(◇)を指してダイヤモンドとも言われている。
宝飾としてのダイヤモンド
4C;ダイヤモンドの品質を知るための指標としてGIA(アメリカ宝石学協会)が考案したもの。色(カラー)、透明度(クラリティ)、カラット(重さ。1カラット0.2g)、カット(研磨)(en)によって品質を評価する。ラウンドブリリアントカット(58面体)に対してカット評価がされるので、他のカットの場合、カットの種類しか鑑定書に記載されない。近年はダイヤモンド自体のスペックを測る4Cではなく、見た目の美しさによって価値を見出す指標を考えるなど、その存在価値が見直されている。(例:O.E.カット)
メレダイヤモンド;0.1カラット以下の小粒なダイヤモンド。宝飾品においては中石を引き立てるために周囲に散りばめられるなどの利用をされる。
有名なダイヤモンド;
現在、世界最大の研磨済みダイヤモンドは、『ザ・ゴールデン・ジュビリー』。
その他、以下に右図に示した有名なダイヤモンドについて。
1.グレート・ムガル:フランスの宝石商タヴェルニエの旅行記に記された伝説のダイヤモンド。原石の状態では787.50カラットあったとされ、事実とすればその当時世界最大だが、わざわざベニスから呼んだカット職人がカットに失敗し280カラット余りに。その後の行方は不明。卵を半分に切ったような形、といった記述からオルロフと同じではないかと考える研究家もいる。右図1
模造ダイヤモンド;宝飾用のダイヤモンドの代用品(イミテーション)としては、ジルコニア(二酸化ジルコニウムの結晶)やガラスが用いられる。ダイヤモンドとそのイミテーション、模造ダイヤモンドの見分け方として、フェルトペンで結晶の上に線を書くというものがある。ダイヤモンドは親油性の物体であり、油脂を弾かない。一方、ジルコニアなどのイミテーションや模造ダイヤモンドは油を弾く性質を持っている。したがって、油性フェルトペンの筆跡が残らなければ偽物だと見分けることができる。
■腰巾着(こしぎんちゃく);腰に下げる巾着。から転じて、常にある人につき従って離れない者。
■新橋、赤坂、柳橋;東京の花柳界があったところ。
赤坂(あかさか)、かつて赤坂には「溜池」(ためいけ)という大きな池が存在し、その周辺に各藩の大名屋敷が混在していた。溜池は当時、風光明媚でホタルが飛び交う場所として知られていた。それに随時して茶店がつくられ、のちに岡場所(江戸時代の非公認の花街、遊廓)が形成される。しかし、芸妓の置く花街として機能するのは明治以降である。主に、軍人、政治家が利用し、最盛期には芸妓400名、特に萬龍(まんりゅう)という芸妓が売れっ子として名を知られ彼女の写真が完売になるほどである。昭和30年(1955年)には芸妓300名、料亭80軒であったがバーやスナック、クラブなどがの業種が増え、政治家による「待合政治」が批判を生み減少し、2007年現在、料亭6軒、芸妓10人前後である。2009年(平成21年)、4年前の2005年(平成17年)に閉店していた料亭「金龍」が新業態の店として復活し話題を呼んだ。
柳橋(やなぎばし)、柳橋に芸妓が登場するのは文化年間(1804年-1817年)で、上田南畝の記録によると14名が居住していた。1842年(天保13年)、水野忠邦による改革で深川などの岡場所(非公認の花街、遊廓)から逃れてきた芸妓が移住し、花街が形成される。やがて洗練され江戸市中の商人や文化人の奥座敷となった。幸いにも交通便にも恵まれ隅田川沿いに位置していたため風光明媚の街として栄えてくるようになる。1859年(安政6年)には、芸妓140名から150名に増加した。
明治期には新興の新橋と共に「柳新二橋」(りゅうしんにきょう)と称されるようになる。明治時代の客筋は、ほぼ商が5割、髭3割、雑2割(商は実業家、相場師、銀行家など。髭は、政治家、軍人、弁護士など。雑は、俳優、力士、芸人など)。このころは柳橋芸者のほうが新橋より格上で、合同した場合は、新橋の者は柳橋より三寸下がって座り、柳橋の者が三味線を弾き始めないと弾けなかった。
1928年(昭和3年)には、料理屋、待合あわせて62軒、芸妓366名の大規模を誇り、芸妓の技芸も優れ、新橋演舞場や明治座に出演し披露していた。代表的な料理屋は伊藤博文が利用した「亀清楼」であった。
第二次世界大戦による休業と被害、敗戦を経て復興した。1952年(昭和27年)は料亭57軒であったが1964年(昭和39年)の東京オリンピック以後、衰退していき、特に隅田川の護岸改修(カミソリ堤防)で景色が遮断され、花街にとって大きな致命傷となった。それでも、花街は世間に迎合せずその伝統を守り通し、1999年(平成11年)1月、最後の料亭「いな垣」が廃業し200年近くの歴史に終止符を打った。
■温習会(おんしゅうかい);京阪花柳界の秋季行事である、芸妓の技芸の競演会。一般の舞踊・音楽のおさらい会、小学校などの学芸会の意にも用いる。
■伊香保だ箱根;東京近郊の温泉地。
箱根(はこね);神奈川県足柄下郡箱根町にあり、箱根は、年間約2000万人の観光客が訪れる日本屈指の観光地です。
その魅力は1日2万5000㌧もの湧出量があり、20箇所に分けられる温泉場。
芦ノ湖や季節によって彩りが変わる山々、花々など、自然に囲まれた景色。
美術館、遊覧船、立ち寄り湯、庭園などの多様な観光施設とイベント。
お客様のいろいろなご要望に合った宿が選べる、“宿満足”の地なのです。
■伊豆だ伊東;東京近郊の箱根の南側にある温泉地。
伊東(いとう);伊豆半島の根本にあり、温泉町であり、漁港でもあるので魚が旨い。
■新ダイヤ;上記、ダイヤモンド項目中の模造ダイヤモンド参照。世界で有名なダイヤモンドは数十億円しますが、同じレプリカの模造ダイヤモンドは1万数千円で買えます。貴方は大富豪。
■冥土(めいど);死者の霊魂が迷い行く道。また、行きついた暗黒の世界。冥界。黄泉。黄泉路(ヨミジ)。死後の世界。
■南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ;阿弥陀仏に帰命するの意。これを唱えるのを念仏といい、それによって極楽に往生できるという。六字の名号。
2016年8月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |