落語「ダイヤモンド」の舞台を行く
   

 

 五代目古今亭今輔の噺、「ダイヤモンド」より


 

 お婆さん、お婆さんと言われて、今輔は本当のお婆さんになってしまいました。

 今、隠居所に行ったのは日本橋の斎藤さんですよ。宝石商の『東洋堂』の番頭さんです。「親父が生きている時分は、親父の腰巾着だったんだ。親父は女道楽で、新橋、赤坂、柳橋だと、毎晩歩いていたんだ。今晩は何しに来たんだろう」、「あのダイヤモンドの値踏みをしに来たんでしょう」、「そうか、『年寄りにはあんな大きなダイヤモンドでは似合わないから、蒲鉾のリングに小さなダイヤモンドを埋めた方が似合いますよ。それだったら10万円で譲って貰っても良いよ』と言ったんだが、婆さんは商売人に見てもらってから考えるんだな」、「私が立ち聞きしてきます。裏の納戸から聞いてきます」。

 「斎藤さん、このダイヤモンドなんです。どのぐらいの価値がありますか」、「ダイヤモンドは値上がりしていますから・・・」、「主人に10万円で買って貰ったんです」、「石を見なくても20~50万円、モノによったら100万円は下りません」、「主人は女道楽で、特に新橋の子はかわいがり、夏になると伊香保だ箱根だと、冬になると伊豆だ伊東だと連れ回し、御集会の費用は全部出してあげたんですよ。ヤキモチ焼いて小突いて尻餅尽かした事か・・・。温習会が終わるまで外に出さないと言ったら、『それでは仕事にならない』と言うので、その為に番頭さんが3人も居るんでしょ~。何か有れば電話が掛かってきます。それがイヤなら10万円のダイヤモンドを買いなさいと言ったんです」。
 「はぁ~、あのダイヤですか。私が納めたのでよく存じています。はぁ~、あのダイヤですね。旦那さんにお線香を上げさせて下さい」、「私が線香上げたばっかりですから、蝋燭に火が着いています。どうぞ」、「南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ。35年前のダイヤモンドの一件、絶対広言しないとお約束しましたが、私は生身、ご主人は仏様になっています。本当の事を言わなければならない時期になりました。お許し下さい。ナムアミダブ、ナムアミダブ。ご主人のお許しが出ましたので、申し上げます。これは
 ”新ダイヤ”です」、「斎藤さんが新ダイヤを掴ましたのですか」、「いえ、本当の事を申し上げますと、『温習会に8万円の経費が掛かっている。ワシも観たいので何とかしてくれ』と言われましたが、私も番頭で現金を動かす事は出来ません。『この急場をしのげれば良い』と言われますので、お納めしたのは”新ダイヤ”で値打ちは無く、軽石同然です」。
 「それって、バカにするのも・・・。ナムアミダブ、ナムアミダブ『斎藤の首を絞めてやれ』とお父さんが言います」、「ご勘弁を」、「冗談ですよ。『斎藤にお酒を出してやれ』と言っています。これが100万円でも冥土に持って行けませんし、息子からは小遣い貰っていますから、本物のつもりではめていましょう」、「そうしていただくと、大旦那もお喜びでしょうし、私もお礼を申します」、「お酒はコップでいかがですか」、「いただきます。美味しいお酒ですね」。

 「元気に歌など唄って楽しそうですね」、「斎藤さんがお見えなんですよ」、「ゆっくりしていって下さい。いま、女房が燗をして肴も作っています」、「ご在宅とは存じませんで、直接ご隠居所に伺いまして旦那様には失礼しました」。
 「正一や、お前が言っていたこのダイヤモンド、親子だから5万円で良いよ」、「家内が、『お母さんに買ってあげた物を、私がしたんでは申し訳ない』と辞退したんです」、「良いんだよ。お金は後で・・・、旅行でもしたときに、お小遣いでくれれば良いよ」、「では、お父さんに聞いてみます」、「そんな事聞かなくていいよ」。「ナムアミダブ、ナムアミダブ、お父さん、女房が『お母さんに買ってあげたんだから、私がしたのでは不愉快でしょう』と言います。お母さんが持っているのと、女房が持っているのとでは、どっちが良いでしょうか、そうですかナムアミダブ、ナムアミダブ。お母さんがはめている方がイイと言いました」、「そんな事言いましたか。では私も聞いてみましょう。ナムアミダブ、ナムアミダブ、この指輪、嫁が反対すると・・・。ははは、そうですか、ナムアミダブ、ナムアミダブ」、「お前の言う通りでしたよ。私がしている方がイイと」、「そうでしょ」、「お父さんが正一に一言小言を言ってくれって」、「どんな」、
「むやみにね、人の話を立ち聞きするもんで無いとさ」。

 



ことば

五代目古今亭 今輔(ここんてい いますけ);(1898年(明治31年)6月12日 - 1976年(昭和51年)12月10日)群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名は、鈴木 五郎(すずき ごろう)(旧姓:斎藤)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。出囃子は『野毛山』。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。
 『お婆さん三代記』、『青空お婆さん』、『ラーメン屋』、『葛湯(くずゆ)』『妻の酒』、この噺『ダイヤモンド』といった新作がほとんどであるが、古典怪談噺は本格派で、『江島家怪談』、『もう半分』、『藁人形』、『死神』などを得意とした他、『ねぎまの殿様』、『囃子長屋』などの珍品や芝居噺の『もうせん芝居』、三遊亭圓朝作の長編人情話『塩原太助一代記』など。 小山三時代までは素噺の達人と評されたが、上州訛りに苦労した末に新作派に転向した。 米丸時代からSPレコードを吹き込み、戦後も多くの録音が残している。
 「古典落語も、できたときは新作落語です」というのが口癖で、新作落語の創作と普及に努めた。弟子たちに稽古をつける際も、最初の口慣らしに初心者向きの『バスガール』などのネタからつけていた。だが、もともとは古典落語から落語家人生をスタートしていることもあって、高座では古典もよく演じており、一朝や前師匠小さんに仕込まれただけあって高いレベルの出来であった。特に『塩原太助一代記』は、自身が上州生まれだったこともあり人一倍愛着が強く、晩年は全編を通しで演じていた。
ウイキペディアより 落語「妻の酒」より孫引き

ダイヤモンド;(英語: diamond)は、炭素 (C) の同素体の1つであり、実験で確かめられている中では天然で最も硬い物質である。日本語で金剛石(こんごうせき)ともいう。結晶構造は多くが8面体で、12面体や6面体もある。宝石や研磨材として利用されている。ダイヤモンドの結晶の原子に不対電子が存在しないため、電気を通さない。 地球内部の非常に高温高圧な環境で生成されるダイヤモンドは定まった形で産出されず、また、角ばっているわけではないが、そのカットされた宝飾品の形から、菱形、トランプの絵柄(スート)、野球の内野、記号(◇)を指してダイヤモンドとも言われている。
 4月の誕生石である。石言葉は「永遠の絆・純潔・不屈」など。
ダイヤモンドは1キロ取り出すために5300トンの自然原料が処理されている。 産出国では上位6カ国、すなわちロシア (22.8%)、ボツワナ (19.9%)、コンゴ民主共和国 (18.0%)、オーストラリア (13.2%)、南アフリカ共和国 9.3%)、カナダ (8.1%) だけで、世界シェアの90%以上を占める。

宝飾としてのダイヤモンド

4C;ダイヤモンドの品質を知るための指標としてGIA(アメリカ宝石学協会)が考案したもの。色(カラー)、透明度(クラリティ)、カラット(重さ。1カラット0.2g)、カット(研磨)(en)によって品質を評価する。ラウンドブリリアントカット(58面体)に対してカット評価がされるので、他のカットの場合、カットの種類しか鑑定書に記載されない。近年はダイヤモンド自体のスペックを測る4Cではなく、見た目の美しさによって価値を見出す指標を考えるなど、その存在価値が見直されている。(例:O.E.カット)

メレダイヤモンド;0.1カラット以下の小粒なダイヤモンド。宝飾品においては中石を引き立てるために周囲に散りばめられるなどの利用をされる。

有名なダイヤモンド
 『カリナン』は1905年に南アフリカで発見され、カット前の原石は3106カラットもあり、これをカットすることで、合計1063カラットの105個の宝石が得られた。これらは当時のイギリス国王であるエドワード七世に献上されている。105個のなかで最大のカリナンIは530.20カラットで「偉大なアフリカの星 (The Great Star of Africa)」の別名を持ち、カットされたダイヤモンドとしては長らく世界最大の大きさを誇っていた。カリナンIはロンドン塔内に展示されており、見学することができる。下に写真有り

 現在、世界最大の研磨済みダイヤモンドは、『ザ・ゴールデン・ジュビリー』。
 この石は545.67カラットありました。1986 年に南アフリカのプレミア鉱山で発見された原石(755.50ct)からクッション・シェープに磨かれました。 そして、タイ国王の在位50周年を記念して国民から献上されました。 ザ・ゴールデン・ジュビリー(The Golden Jubilee Diamond)は世界最大の研磨済みダイヤモンドです。 原石は南アフリカ産出で755カラット(151g)あり、ユダヤ人宝石研磨師ギャビ・トルコフスキー Gabi Tolkowski によってカットされました。 色はオレンジがかった濃いブラウンでカラーグレードはファンシーイエローブラウン。 カットはファイアーローズクッションカットと呼ばれます。 現在、タイ国王のラーマ9世 Rama IX (プミポン国王 Bhumibol Adulyadej )が所有しています。 (王の即位 50周年を英語でゴールデン・ジュビリーといいます)
 ダイヤモンド 原石は1985年にデビアス社の持つ南アフリカのプレミア鉱山で「名もない褐色の石」として産出しました。 デビアス社はセンティナリー・ダイヤモンドのカットに際して、この石をセンティナリーのカットを依頼していたギャビ・トルコフスキー Gabi Tolkowskiに彼が考案した新しいカッティングのための工具と技術の試験用として提供しました。 それらの技術はこれまで試されたことがなく、この石が失敗しても失うものがないということで実験台として最適であると考えられたためでした。 カットは1988年までに行われ、「名も無い褐色の石」からそれまで世界最大だった「カリナンI」よりも15.37カラット(3.07g)も重いファンシーイエローブラウンの美しいダイヤモンドが得られました。

 その他、以下に右図に示した有名なダイヤモンドについて。

  1.グレート・ムガル:フランスの宝石商タヴェルニエの旅行記に記された伝説のダイヤモンド。原石の状態では787.50カラットあったとされ、事実とすればその当時世界最大だが、わざわざベニスから呼んだカット職人がカットに失敗し280カラット余りに。その後の行方は不明。卵を半分に切ったような形、といった記述からオルロフと同じではないかと考える研究家もいる。右図1
 2.リージェント:インド産。わずかに青みを帯びる。グレート・ムガルから切り出されたのではないかと考えられている。140.64カラット。ルーブル美術館蔵。 右図2&11
 3.フロレンティン:インド産のイエロー・ダイヤモンド。137.27カラット。長年トスカーナ大公家に所蔵されていたが、その後所有権がハプスブルク家へ移る。ハプスブルク最期の皇帝が帝政崩壊時に持ち逃げしたあと、現在まで行方不明。 右図3&5
 4.南の星(Star of the South):ブラジル産。128.48カラット。2002年に著名なフランスのブランド、カルティエ社が購入した。その後、さるインド人の個人所有物になったらしいが真相は不明。 右図4&12
 6.サンシー:インド産、微かに黄ばんだダイヤモンド。55.23カラット。ルーブル美術館蔵。
右図6と下図。
 7.ドレスデン・グリーン:おそらくインド産のグリーン・ダイヤモンド。41カラット。ドレスデン美術館蔵。
右図7
 8.コ・イ・ヌール(1852年以前):ムガール帝室に伝来した、歴史的に最も古い有名なダイヤモンド。186.0125カラット。 右図8
 9.ホープ:おそらくインド産。サファイアのような濃青のダイヤモンド。所有者が次々に不慮の事故で死亡すると云う呪いの宝石の都市伝説で有名。45.52カラット。アメリカ合衆国国立自然史博物館蔵。 右図9と下図。
 10.コ・イ・ヌール(ブリリアント・カット上面、1852年以後):インドのマハラジャから東インド会社を経て、イギリスのヴィクトリア女王へ献上された後、夫のアルバート公がオランダの研磨業者にブリリアント・カットに仕立て直しを命じ、重量が105.602カラットに減少。現在もイギリス王室が所蔵しており、ロンドン塔に展示されている。右図10&12と下図の王冠
右図出典原図:http://runeberg.org/nfbf/0177.html 

 
カリナンⅠ (The Great Star of Africa)       10.コ・イ・ヌール

 
6.サンシー                    9.ホープ

模造ダイヤモンド;宝飾用のダイヤモンドの代用品(イミテーション)としては、ジルコニア(二酸化ジルコニウムの結晶)やガラスが用いられる。ダイヤモンドとそのイミテーション、模造ダイヤモンドの見分け方として、フェルトペンで結晶の上に線を書くというものがある。ダイヤモンドは親油性の物体であり、油脂を弾かない。一方、ジルコニアなどのイミテーションや模造ダイヤモンドは油を弾く性質を持っている。したがって、油性フェルトペンの筆跡が残らなければ偽物だと見分けることができる。
 別の方法としてはラインテストがある。黒い線の上にダイヤモンドをテーブル面を下にして乗せると、下の黒い線は見えないが、キュービックジルコニアでは下の黒い線が透けて見える。また、本物のダイヤより硬度に劣るため磨耗しやすい。宝石商などがルーペでダイヤを見て真贋を判定するシーンが映画、ドラマ等でよく見られるが、あれはカットされた角の磨耗を見ており、本物のダイヤは当然磨耗で角が丸まることがない。 また水晶などダイヤモンドとは全く組成が異なる鉱物を指して「○○ダイヤモンド」(○○には産地名などが入る)などと呼ぶことがある。こうした名称はフォールス・ネーム (false name) またはフェイク・ジェムストーン (fake gemstone) といい、販売業者が値を吊り上げるなど、手前の都合良いよう勝手にこじつけただけのものである。紛らわしいので、現在はまともな宝石店、ジュエリー・ショップではその使用を避けている。
ダイヤモンドの項ウイキペディアより

腰巾着(こしぎんちゃく);腰に下げる巾着。から転じて、常にある人につき従って離れない者。

新橋、赤坂、柳橋;東京の花柳界があったところ。
新橋(しんばし)、始まりは1857年(安政4年)、現在の銀座八丁目付近に三味線の師匠が開業した料理茶屋が始まりだといわれる。当時、新橋の芸者(芸妓)能楽太夫の名にちなみ「金春芸者」(こんばるげいしゃ)と呼ばれていた。「金春新道」沿いに粋な家屋が明治初年まで立ち並んでいた。 明治に入り、江戸期からの花街柳橋とともに「柳新二橋」と称し、人気の花街となった。明治期に新政府高官が新橋をひいきにしたのは、東京の花柳界では新橋は新興であり、伊藤博文、板垣退助らが同地に集った。当時の名妓には板垣に落籍された小清(こせい)などがいる。 大正期になると芸者の技芸の向上に取り組んだ。1925年(大正14年)に新橋演舞場の杮落とし公演として『東をどり』を初演、中村喜春、まり千代などといった名妓を輩出した。 昭和中期には最盛期を迎え、芸者約400名を擁していた。高度経済成長期、石油ショック以後には料亭、芸者数が減り、2007年(平成19年)現在、料亭12軒、芸者70名。同年は「新橋芸者発祥150周年」が祝われた。 現在の港区新橋には「新橋南地」別名、「烏森」=からすもり)という花街があった。元は本項「新橋」と一緒であったが、その後に分離し、現存しない。 年に一回新橋演舞場にて”都をどり”を開催しています。

赤坂(あかさか)、かつて赤坂には「溜池」(ためいけ)という大きな池が存在し、その周辺に各藩の大名屋敷が混在していた。溜池は当時、風光明媚でホタルが飛び交う場所として知られていた。それに随時して茶店がつくられ、のちに岡場所(江戸時代の非公認の花街、遊廓)が形成される。しかし、芸妓の置く花街として機能するのは明治以降である。主に、軍人、政治家が利用し、最盛期には芸妓400名、特に萬龍(まんりゅう)という芸妓が売れっ子として名を知られ彼女の写真が完売になるほどである。昭和30年(1955年)には芸妓300名、料亭80軒であったがバーやスナック、クラブなどがの業種が増え、政治家による「待合政治」が批判を生み減少し、2007年現在、料亭6軒、芸妓10人前後である。2009年(平成21年)、4年前の2005年(平成17年)に閉店していた料亭「金龍」が新業態の店として復活し話題を呼んだ。

柳橋(やなぎばし)、柳橋に芸妓が登場するのは文化年間(1804年-1817年)で、上田南畝の記録によると14名が居住していた。1842年(天保13年)、水野忠邦による改革で深川などの岡場所(非公認の花街、遊廓)から逃れてきた芸妓が移住し、花街が形成される。やがて洗練され江戸市中の商人や文化人の奥座敷となった。幸いにも交通便にも恵まれ隅田川沿いに位置していたため風光明媚の街として栄えてくるようになる。1859年(安政6年)には、芸妓140名から150名に増加した。 明治期には新興の新橋と共に「柳新二橋」(りゅうしんにきょう)と称されるようになる。明治時代の客筋は、ほぼ商が5割、髭3割、雑2割(商は実業家、相場師、銀行家など。髭は、政治家、軍人、弁護士など。雑は、俳優、力士、芸人など)。このころは柳橋芸者のほうが新橋より格上で、合同した場合は、新橋の者は柳橋より三寸下がって座り、柳橋の者が三味線を弾き始めないと弾けなかった。 1928年(昭和3年)には、料理屋、待合あわせて62軒、芸妓366名の大規模を誇り、芸妓の技芸も優れ、新橋演舞場や明治座に出演し披露していた。代表的な料理屋は伊藤博文が利用した「亀清楼」であった。 第二次世界大戦による休業と被害、敗戦を経て復興した。1952年(昭和27年)は料亭57軒であったが1964年(昭和39年)の東京オリンピック以後、衰退していき、特に隅田川の護岸改修(カミソリ堤防)で景色が遮断され、花街にとって大きな致命傷となった。それでも、花街は世間に迎合せずその伝統を守り通し、1999年(平成11年)1月、最後の料亭「いな垣」が廃業し200年近くの歴史に終止符を打った。

温習会(おんしゅうかい);京阪花柳界の秋季行事である、芸妓の技芸の競演会。一般の舞踊・音楽のおさらい会、小学校などの学芸会の意にも用いる。

伊香保だ箱根;東京近郊の温泉地。
伊香保(いかほ);群馬県渋川市伊香保町にある温泉郷。伊香保の温泉は昔から名湯として知られていますが、その起源は、第11代垂仁天皇の時代に発見されたという説と、草津温泉と同じように行基によって見つけられたという説があります。どちらにしても、南北朝時代の書物にすでに温泉が湧き出ていると書かれているのですから、本当に古くからある温泉なのです。渋川伊香保温泉観光協会ホームページより、下左写真。

 

箱根(はこね);神奈川県足柄下郡箱根町にあり、箱根は、年間約2000万人の観光客が訪れる日本屈指の観光地です。 その魅力は1日2万5000㌧もの湧出量があり、20箇所に分けられる温泉場。 芦ノ湖や季節によって彩りが変わる山々、花々など、自然に囲まれた景色。 美術館、遊覧船、立ち寄り湯、庭園などの多様な観光施設とイベント。 お客様のいろいろなご要望に合った宿が選べる、“宿満足”の地なのです。
「箱根七湯」として開湯以来、現在では「箱根二十湯」に増えた温泉。 泉質もさまざま、開湯時に編集された『諸国温泉功能鑑』という温泉番付では、七湯すべてが掲載されるなど、病気療養を目的とする湯治の場としても古くから人気がありました。四季を彩る風景も美しく、美術館や博物館、レジャー施設も多彩に揃うので観光もよりどりみどり。箱根湯本/塔ノ沢エリア、宮ノ下/小涌谷エリア、強羅エリア、仙石原/湖尻エリア、芦ノ湖/芦之湯エリアの5つのエリアに分けることができます。箱根温泉旅館ホテル協同組合ホームページより右上写真。

伊豆だ伊東;東京近郊の箱根の南側にある温泉地。
伊豆(いず);伊豆市は、静岡県の伊豆半島中央部に位置し、この半島で最大の面積を占める基礎自治体で
すが、伊豆と言ったら伊豆半島全域を指します。国立公園ですから、海も、温泉も風光も料理も旨い。

 

伊東(いとう);伊豆半島の根本にあり、温泉町であり、漁港でもあるので魚が旨い。

新ダイヤ;上記、ダイヤモンド項目中の模造ダイヤモンド参照。世界で有名なダイヤモンドは数十億円しますが、同じレプリカの模造ダイヤモンドは1万数千円で買えます。貴方は大富豪。

冥土(めいど);死者の霊魂が迷い行く道。また、行きついた暗黒の世界。冥界。黄泉。黄泉路(ヨミジ)。死後の世界。

南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ;阿弥陀仏に帰命するの意。これを唱えるのを念仏といい、それによって極楽に往生できるという。六字の名号。



                                                            2016年8月記

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