落語「累草子」の舞台を行く
八代目林家正蔵(彦六)の噺、「累草子」(かさねぞうし)より
■歌舞伎でもおなじみの「累(かさね)もの」で、二代目
三遊亭圓生作。弟子の圓朝がこれをさらに進化させて『真景累ヶ淵』につながっていきます。
■二代目三遊亭円生;この「怪談・累草紙」の作者です。二代目圓生は、初代圓生の門人で、天保12年(1841)頃、二代目圓生を襲名したと記録に残っています。
嘉永元年(1848)この二代目圓生の元に入門して、小圓太という芸名を貰いましたのが、後の名人圓朝と成る人です。師匠の二代目圓生は、この圓朝に大変辛く当ったようで、「弟子の圓朝の噺を先に演ってしまう」という妨害もあったと、書き残されております。しかし、様々あったにも関わらず、病を得た二代目圓生を恨みを忘れて圓朝は面倒を見たと言うことです。また、墓石を全生庵の自分の墓所の中に建てています。
■親不知(おやしらず);新潟県糸魚川市の西端に位置する崖が連なった地帯である。正式には親不知・子不知(おやしらず・こしらず)といい、日本海の海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけで、古くから交通の難所として知られる。
右上写真: 親不知・子不知の断崖、国道8号は山肌にへばりつくように、北陸自動車道は海上高架橋で通過する。
■巣鴨鶏声ヶ窪(けいせいがくぼ);正式名称、白山鶏声ヶ窪と言います。現在の地下鉄南北線・本駒込駅の西側、旧中山道通りの坂になったところで、正式名称の地名ではなく、俗にその様に呼ばれた地です。文京区白山五丁目29番辺りの旧中山道。
右図:「白山 鶏声ヶ窪」 広重画
■吉田監物(けんもつ);物語上の架空の人物です。当然、堀越与左衛門も、息子も噺の中の人物です。
■越中(えっちゅう);現在の富山県にあたる地域。越前国(石川県と、福井県の北部)、越中国、越後国(新潟県)の前身となる行政区分。
■郷士(ごうし);江戸時代の武士階級(士分)の下層に属した人々を指す。江戸時代、武士の身分のまま農業に従事した者や、武士の待遇を受けていた農民を指す。平時は農業、戦時には軍事に従った。郷侍(ごうざむらい)とも。
■世継ぎにやられ(よつぎに~);江戸時代の武家は本人の実力でなく、家柄で役職や地位が決まっていました。その家に世継ぎが居ないとその家は、今までの役職や家柄を没収されてしまいます。その為、女子だけの家や、子供のいない家では、家族相続するための男子が必要になってきます。男の子が複数いる家では長男が跡取り息子になり、次男、三男以下は、他家に養子に出されてしまいます。例外的に、長男が、または次男が早死にすると、繰り上がってお家相続となる事があります。八代目吉宗や遠山の金四郎などは、その典型です。
■関の兼吉(せきのかねよし);室町初期、美濃、関の刀工。本名清次郎。法名善定。室町期に栄える関鍛冶七流中の筆頭、善定派の開祖。
「関の兼吉」の刀。東京国立博物館蔵
■差し添え(さしぞえ);太刀や刀にそえて佩(ハ)く小刀。わきざし。
■上方唄(かみがたうた);江戸時代に、上方で広まった三味線伴奏歌曲を江戸でいう称。また、広く、地歌の別称。
■音締め(ねじめ);三味線などの弦を巻き締めて、適正な調子に合せること。また、その結果の美しく冴(サ)えた音色。
■能登の七尾(のとのななお);今の石川県の北部。七尾=石川県北部の市。能登半島の東岸、七尾湾の南岸に位置し、石川県能登地方の中心都市。造船業・水産加工業が盛ん。人口5万4千(2017年5月現在)。七尾南湾を取り囲む形で、東部は富山湾に面しており、湾に沿って北東へ伸びる崎山半島は、先端の観音崎で能登島と向き合っている。和倉温泉、赤浦温泉、赤崎温泉など温泉が多い。
写真:お磯さんが行く予定であった七尾市中心部周辺の空中写真。1975年撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。町中より温泉地で歌を唄いたかったかも知れません。
■厠(かわや);(川の上に掛けて作った屋の意。また、家の側の屋の意ともいう) 大小便をする所。便所。
■松皮疱瘡(まつかわ ほうそう);《かさぶたが重なって、松の皮のようになるところから》悪性の疱瘡。
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