落語「猫の恩返し」の舞台を行く 五代目古今亭志ん生の噺、「猫の恩返し」(ねこのおんがえし)より。別名「猫塚の由来」
■藤岡屋日記(ふじおかやにっき);江戸時代末期の江戸を中心とした事件や噂などを須藤(藤岡屋)由蔵が、詳細に記録した編年体日記をまとめたもの。全152巻150冊。採録時期は文化元年(1804年)から明治元年(1868年)までの65年間に及ぶ。日記原本は、関東大震災で焼失した。
■両国回向院;東京都墨田区両国二丁目8番にある寺。山号は諸宗山無縁寺回向院。墨田区本所地域内に所在していることから「本所回向院」とも呼ばれている。振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬する。
■回向院の「猫の恩返し」説明板によると、
猫塚は盗賊鼠小僧の墓の隣にあります。過日は、直に土の上に墓が置かれていたので、鼠小僧の墓と間違えられ、頭の部分は削られ小さくなってしまいました。今ではご覧のようにガラスケースの中に収まっていますので、安心です。施主名が「細川」と線香立てに彫られています。落語「猫定」に過去の猫塚の写真があります。
左、猫塚。 右、鼠小僧次郎吉の墓。手前の白い墓石を削ってその粉を持っていると勝負事に勝てると言われます。この墓石の向かって左側に、猫塚があります。
■八丁堀(はっちょうぼり);東京都中央区の地名で、旧京橋区にあたる地域内。現行行政地名は八丁堀一丁目から八丁堀四丁目。江戸時代初期には、多くの寺が建立され、寺町となっていた。しかし、1635年幕府によって、八丁堀にあった多くの寺は、浅草への移転を命じられた。その後、寺のあった場所に、町奉行配下の与力、同心の組屋敷が設置されるようになった。時代劇で同心が自分達を“八丁堀”と称したのはこれにちなむ。
■棒手振り(ぼてふり);振売・振り売り・振売り(ふりうり)。近世までの日本で盛んに行われていた商業の一形態。ざる、木桶、木箱、半台、カゴを前後に取り付けた天秤棒を振り担いで商品またはサービスを売り歩く様からこう呼ばれる。ぼてふり(棒手売)、におなじ。
■猫に小判;貴重なものを与えても何の反応もないことのたとえ。転じて、価値のあるものでも持つ人によって何の役にも立たないことにいう。豚に真珠。
■大晦日の晩(おおみそかの ばん);明日は元日という前の晩です。江戸時代の時間の感覚は朝、日が昇って初めて日にちが変わります。暗い内は前の日で、現在では元日になっていても、日が出るまでは前日の夜です。
■水瓶の水(みずがめのみず);炊事、飲用水は瓶に水を溜めておいて、ひしゃくでくみ出して使います。毎回井戸まで出向くことはありません。
■酔い醒めの水千両と値が決まり;酔い醒めの水は甘露の味。酔いざめの渇きに飲む水の味のうまいことをいう。
■質両替屋(しちりょうがえや);質屋を兼ねた両替および金融を主な業務とする商店あるいは商人のこと。
外貨両替、金融などを扱う両替商が多く存在した。現代では主に、空港などで外貨の両替を行う店舗および窓口を指す。
江戸時代は貨幣は三貨制度で有ったので、金貨・銀貨・銭の交換にはその時点での交換比率で交換された。
■用箪笥(ようだんす);身の回りの小物を入れておく小型のたんす。手箪笥。手近に置いて、手まわりのこまごました物を入れる小形の箪笥。洋箪笥とは違います。
■鐶(かん);金属製の輪。箪笥(タンス)の引き手、茶釜の取っ手、蚊帳の四隅の輪など。
■鼠小僧(ねずみこぞう);彼は義賊でもなんでもなかった、と言うのが今や通説です。
■三両(3りょう)江戸時代の金貨幣の単位。1両=4分、1分=4朱。四進法です。3両は1両(小判一枚)の3倍(小判三枚)。現代の貨幣価値にしておおよそ1両=8万円です。
■猫の恩返し
文化十三年(1816)の晩春のことである。
(筆者永井義男曰く)
石塚豊介子編『街談文々集要』に拠った。
『藤岡屋日記』や『宮川舎漫筆』にも同工異曲の話が記載されている。
(筆者永井義男曰く)
藤岡屋由蔵編『藤岡屋日記』に拠った。
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