落語「蕎麦の隠居」の舞台を行く
   

 

 入船亭扇橋の噺、「蕎麦の隠居」(そばのいんきょ)


 

 初めてのお客が蕎麦店に見えた。その品の良い隠居は「お蕎麦を半分」と注文した。美味しそうに食べて蕎麦湯をすすって、「ご馳走様。おいくらかな」、店の小僧さんが16文と答えた。ご主人を呼んで、「お前さんは蕎麦屋を営んで何年になるな」、「親父の代からの蕎麦屋で、若いときから店を手伝い、親父が亡くなってからこの店を引き継ぎました。丁度今年が厄年でございます」、「品書きに『蕎麦十六文、花巻二十四文、あられ二十四文、しっぽく・天麩羅三十二文、上酒一合四十文』とあるのは読めるが、蕎麦を一枚たのんで半分残したわけではなく、最初から半分たのんだのだから。とはいえ料金も半分の八文では愛想がないからと十文でいいかね。私は蕎麦食いだから、ちょくちょく来るよ」と10文払って帰っていった。

 明くる日の同じ頃やって来て「お蕎麦を1枚」。美味しそうに食べ終わって、ご主人はと聞いた。「お前さんは蕎麦屋を営んで何年になるな」、「親父の代からの蕎麦屋で、親父が亡くなってからこの店を引き継ぎました。丁度今年が厄年でございます」、「それは分かったが、この蕎麦猪口はなんだい」、「出石焼(いずしやき)を使っておりまして、窯元から直接仕入れています」、「口がチョイと欠けているだろう。この様なものを出しては困る」、「気が付きませんで・・・」。16文払って帰って行った。

 明くる日の同じ頃やって来て「お蕎麦を2枚」。如何にも美味しそうに食べて32文払ったが、又ご主人が呼び出された。「お前さんは蕎麦屋を営んで何年になるな」、「親父の代からの蕎麦屋で、親父が亡くなってからこの店を引き継ぎました。丁度今年が厄年でございます」、「それは分かったが、この机をご覧なさい。拭き忘れていて、前のお客さんの汚れが残っているよ。食べ物商売は綺麗事でなくてはいけません」。また、お小言を頂戴した。

 明くる日の同じ頃、またやって来て「お蕎麦を4枚」。如何にも美味しそうに食べて、又ご主人を呼び出した。「お前さんは蕎麦屋を営んで何年になるな」、「親父の代からの蕎麦屋で、親父が亡くなってからこの店を引き継ぎました。丁度今年が厄年でございます」、「それは分かったが、この蕎麦つゆはなんだい」、「本場物をたっぷり使って吟味しています」、「舐めてごらん。そうだろう。生暖かいだろ。そんな中途半端はいけない。蕎麦は汁で食べさせるのだから」、と64文払ってお帰りになった。またまた、お小言を頂戴した。
 毎日来ては、小言を頂戴しては帰って行った。さすがの主人もねを上げた。「明日は店を休みにしたい。今日も来てくれたのは有り難いが、毎回お小言だ。今日だって、32枚食べた時にはいっぺんに出すと蕎麦がのびるといけないからと半分の16枚づつ出したところ、『32枚の蕎麦を積み上げたのを眺めながら食べるから旨いので、それを途中で持ってきたり片付けられたりしたのでは食べた気がしない』と小言だ。厄年だからかな」。

 明くる日、同じようにやって来て「お蕎麦を64枚」。言われた小言を見直していっぺんに出した。まるで隠居の廻りに垣根が出来たようになった。蕎麦の方から口に飛び込んでいくようで、皆感心して見ていた。1024文になった。「主人呼びましょうか」、「ははは、そこに来ているじゃないか。このせいろ、黒いのや赤いのがあるが、同じ柄で出さないといけないよ、物は器で食べさせる」。1024文払ってお帰りになった。
 主人がっくりきて「やはり店締めるよ。冗談じゃない。付き合いきれない」、おかみさんからも励まされ、納得はしたものの、「倍々で食べてくれている、この分だと明日は『128枚』だよ。そんな量は出せない」、女房や店の者は手伝いを頼めばなんとかなるからと、翌日は大勢手伝いを頼み準備万端整えて隠居が来るのを待ちかまえた。

 当日、話を聞いた近所の人も隠居の食べっぷりを見ようと集まってきた。そのなかを隠居がやって来た。「はい、御免」、「いらっしゃい、何を差し上げましょ」、「御蕎麦を、半分」。

 



ことば

蕎麦(そば);この咄に出てくる品書きとほぼ同じものが『守貞謾稿』(嘉永6年(1883))に載っている。江戸の蕎麦屋に関する記述で蕎麦屋の行灯看板の図とともに壁の張紙の図がある。

御膳大蒸籠  代四十八文  :3杯分の大盛り
一、そば    代拾六文  
一、あんかけうどん  代拾六文  
一、あられ   代二十四文  :ばか(青柳)と云ふ貝の柱をそばの上に加ふを云ふ。

一、花まき   代二十四文  :浅草海苔をあぶりて揉み加ふ。
一、しつほく   代二十四文  :京坂と同じ。焼鶏卵・蒲鉾・椎茸・くわひの類を加えふ。
一、玉子とじ  代三十二文  :鶏卵とじなり。
一、天ふら   代三十二文  :芝海老の油あげ三、四を加ふ。
一、上酒一合  代四十文

その他にも出来ますものは、
鴨南蛮 :鴨肉とネギを加ふ。冬に専らとす。
親子南蛮:鴨肉を加えし鶏卵とじ也。鴨肉といえども多くは雁等を用いるもの也。
あん平 :しっぽくに同じく、これに加える葛醤油を掛けたもの。価格もしっぽくに同じ。
小田巻 :しっぽくと同じ品を入れ鶏卵を入れて蒸したるもの也。大茶碗に盛る。
 
 蕎麦の値段が16文だったのはかなり長い間だった。「明和・安永期(1764~1780)以降ずっと一杯16文で売られてきたかけ蕎麦が、幕末の頃には24文と値上がりした。」(大久保洋子『江戸っ子は何を食べていたか』) 
 

 上図左;「守貞漫稿」 嘉永6年(1853)。 当時の『盛りそば』は、今と同じようにザルに入って提供された。奥の丼は『ぶっかけ蕎麦』が入る丼です。ぶっかけは蕎麦に汁をぶっかけて提供するからで、時代が下がると、ぶっかけというのは下の2字をとって『かけ』と言われるようになった。
 左上のけんどん蓋は、今の出前箱の元祖で、倹飩うどんやそばなど、1杯盛りの食品を入れて運ぶ箱。上下または左右に溝を切って、ふたのはめ外しができる。江戸時代、1杯ずつ盛り切りにして売ったうどん、そばを入れてお客に提供した。江戸時代店もお客も気を使わずに済むところにより、繁盛して、他の店も真似をするようになった。ここから出た言葉にお愛想がないことを「つっけんどん」といいます。
 上図右;「新板柳樽」 嘉永5年(1852)。 晦日蕎麦を食べているところ。

蕎麦屋
  

上図、「大晦日曙草紙」 天保10年~(1839)。手前の腰掛けている客はぶっかけを食べている。奥の男はもりを食べていて、チロリを店の者に渡しているのは燗酒のお替わりを頼んでいるのでしょう。

 蕎麦については、落語「そば清」にも説明があります。

蕎麦の食べ方;扇橋は噺の中で食べ方を説明しています。盛りそばは、長いままつまみ上げたら、裾(すそ)の方を少しだけ汁に浸け、すすると旨いと言われ、江戸っ子はそれを粋と言った。扇橋は蕎麦猪口の中に全部浸けて、それをかき回して食べるなんて、論外だと言っています。大きな音を立てて口の中に吸い込むと香りも良く味わえて旨さが倍加します。でも、女性はそんな食べ方は出来ませんから、かけを頼みました。
 中東や西洋では音を立てて物を食べるのは、マナー違反で最低の行為だとされています。そこで育った男を蕎麦屋に連れて行ったことがあります。そこで、蕎麦はノイズを出して食べると美味いんだよと言ったのですが、ジョークとしてか受け取りませんでしたが、回りを見るとノイズだらけで、彼も理解したようです。
 話戻って、汁にどっぷりと浸けるのは不粋ですが、有る男が死の床で「お蕎麦をドップリと汁に浸けて食べたかった」という逸話があります。江戸以降の蕎麦つゆは濃くて、蕎麦を全部付けたら辛くて食べられなくなります。現在は薄口になって、ドップリと浸けて食べても味わいは損なわれません。しかし、江戸からの老舗では今でも濃い付け汁が出ますのでお気を付け下さい。蕎麦湯をもらって飲んでもまだ濃いくらいです。

厄年(やくどし);日本などで厄災が多く降りかかるとされる年齢のこと。平安時代にはすでに存在し、科学的な根拠が不確かで起源も曖昧だが、根強く信じられている風習である。
 一般に数え年で男は二十五、四十二、六十一が厄年。女性は十九、三十三、三十七をいう。特に男の四十二歳、女性の三十三歳は最も警戒すべき大厄としている。これらの年回りは身体と精神に大きな変化があるときだとされています。
 この噺の蕎麦屋さん、四十二歳の大厄だと言っています。

出石焼(いずしやき);兵庫県豊岡市出石町一帯で焼かれる磁器。
この噺の蕎麦屋さん、随分高価な食器を使っています。口元が微妙に欠けた蕎麦猪口は替えるのに忍びない。

 

 国内でも珍しい、白磁を中心とした焼き物である。透き通るように白い磁肌に、浮き彫りや透かし彫りによる精緻な紋様が際だつ。
 出石藩において、江戸時代中期に大量の白磁の鉱脈が発見された。そこで白磁を特産物とするため伊万里焼の陶工を招聘し、伊万里焼に倣った染付、赤絵などの色物磁器を生産したことが始まりとされる。やがて生産が盛んになって窯元が増え、産地を形成するようになった。これは現在の出石焼に対して古出石焼と呼ばれているもので、最盛期は天保年間(1830-1844)とされる。しかし盛衰を繰り返しつつ明治初期に完全に衰退する。
 その後、明治9年(1876)に桜井勉らが設立した盈進社(えいしんしゃ)が伊万里焼の陶匠柴田善平や友田九渓を指導者として招き、出石焼の品質改良に成功する。この出石白磁を各地の博覧会に出品することで出石焼の名声は高まり、明治37年(1904)開催のセントルイス万国博覧会では金賞を受賞する。
 昭和55年(1980)3月に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されている。
ウイキペディアより、下写真も。

 出石焼の器に盛られた出石蕎麦。せいろに盛りつけされず、皿盛です。わんこそばの様に小分けして出てくる。

1024文(1024もん);1000文を1貫と言いますから、小僧さん1貫と24文だと言い直しています。1両は5貫文だとすると1貫文は1/5両=1000文。現在で16000~17000円位です。64枚よく食べましたね。



                                                            2015年4月記

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