落語「でば吉」の舞台を行く 初代桂小文治の噺、「でば吉」(でばきち)より
■初代 桂小文治(かつら こぶんじ);落語家の名跡。元々は上方落語の名跡であるが、先代が大阪から上京してそのまま東京に定住し門弟を育成。初代小文治→十代目桂文治→現桂小桂文治の、名跡は孫弟子に受け継がれた。この先代小文治が初代で、当代は二代目であるとする文献も多く、当代自身も二代目を名乗っているが、先代以前に小文治を名乗った落語家が実際に存在している。
・明治26年3月28日 大阪に生まれる。
私は一度だけ、この初代の高座を見たことがあります。NHKのスタジオ録音での落語会がもようされ、関西弁で話される落語を聞いたのですが、題名は、もう覚えていません。たまたま、次のトリの演者、金馬か円歌だったと思うのですが、スタジオに時間通り来ず、穴が開きかけた時に初代小文治が高座に戻ってきて、「録音だと言っても、笑いが途中で止まってしまっては、次の落語家さんがやりにくいでしょうから・・・」、と言うような意味のことを語って、一席語り出したのです。今で言う出演料は考えずに次の落語家さんの為に噺をつないだのです。落語の内容は覚えていませんが、すごい噺家さんだな~、と言う思いが感動となって記憶に残っています。
■でば吉;この名前は正式名では無く、あだ名であったのです。歯が出ていたので出歯と呼ばれ、出歯公とか出歯吉とか呼ばれたのでしょう。どちらにしても、見下げられた名前です。
「でば吉」と「辰巳の辻占」(東京噺)、「辻占茶屋」(上方噺)はよく似ている噺です。聞き比べると中間が極似です。それは当たり前で、
■頼母子講(たのもしこう);金銭の融通を目的とする相互扶助組織。鎌倉時代に信仰集団としての講から発生。人々が寄り合って金子を出し合い、これを講中の困窮者に融資し救済したのが始まり。くじや入札等の方法によって借り受ける者を決め、それが組合員全員にいき渡るまで行う。一度落札した者は再び入札する権利を失い、単に掛け銭の義務のみを負担するというものであった。無尽講。
■出て姫(でてひめ);芸娼妓の異称。商売に出ている女の意。女郎。姫は娘、女を指して言う語だが、特に遊女を指して言う。例、姫買い:女郎買い。姫たらし:女たらし。
■キョロリが味噌舐めた;きょろりが味噌を舐る(きょろりがみそをねぶる)。
何事があっても平気(な顔)でいることにいう。
■ミナミ;江戸時代には道頓堀が大坂の南の端で、その繁華街はミナミと通称された。それが明治の初期以降千日前が開発され、さらに明治17年南海電鉄が開通して、その難波駅に通じる戎橋筋が次第に賑わいを呈するようになって、現在はこの一帯から島之内にかけてまでの地域をミナミの総称として呼ばれている。だから、これはもはや方角に関係なく住吉辺りからこの方面(北方向)へ遊びに出るのでも「ミナミに行こうか」となる。
■年増(としま);娘盛りをすぎて、やや年をとった女性。江戸時代には20歳過ぎを言った。中年増、中ぐらいの年増で、23、4歳から28、9歳ごろの女。では大年増は、年増の中でも年かさの女。広辞苑
■間夫(まぶ);情夫。特に、遊女の情夫。遊女が商売上の利得を抜きにして真実に思う(本気で恋する)客。
■万寿鎚(ばんじゅつち);槌(つち)とは、物を打ち付けたり、潰したりする工具の総称。英語からハンマー(hammer)とも。漢字では、打撃部分が木製のハンマーを槌、打撃部分が金属製のハンマーを鎚と書く。「かなづち」はもっぱら「鎚」の方を意味する。生涯使えるから万寿鎚。
■下手人(げしゅにん);自ら手を下して人を殺した者。
■薬袋紙(やくたいし);雁皮(ガンピ)の紙料を蘇芳(スオウ)と楊梅皮(モモカワ)とで赤茶色に染めて漉いた、土佐特産の和紙。緻密で耐久性があり香気を保つので、薬を包むのに重宝された。
■お茶屋(おちゃや);引手茶屋。遊郭で、遊客を妓楼に案内する茶屋。遊女と遊ぶ貸座敷に行くには、通常お茶屋を通して行くことになります。電話がある時代ではありませんので、おちょやんを走らせ小照が空いているかどうかの確認と、空いていれば茶屋に呼び出します。東京では、男衆(おとこし)が走り回ります。
■三勝(さんかつ)・半七;「今ごろは半七さん、どこでどうしておじゃるやら」で有名。1695年(元禄8)大坂千日前で心中した大和国五条新町の赤根屋半七と島の内の垢擦り女美濃屋三勝。この心中事件は浄瑠璃や歌舞伎などの題材となり、「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」が最も有名。
■一心寺(いっしんじ);坂松山高岳院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)、浄土宗、開基1185(文治元)年、法然上人二十五霊場第七番札所、大阪市天王寺区逢阪2丁目。遺骨で作る骨仏の寺としてよく知られている。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、広い境内を有している。
骨で仏様を造る。一心寺でこの前代未聞のしきたりが始まったのは明治20年です。安政3年(1856)、年中無休でおせがきの法要を営む常施餓鬼法要が始まりました。それにより、納骨に訪れる方も後を絶たず、納骨されたご遺骨をもっとも丁重にお祀りするためにお骨佛の造立が発願されたのです。
■施餓鬼(せがき);地獄の餓鬼の世界におちて苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会。もともと時節を選ばずに行われたが、盂蘭盆会とともに行われることが多く、両者が混同されるようになった。真宗以外の各宗派で行われる。施餓鬼会(せがきえ)。
■神経(しんけい);外界の物事を鋭敏に感じ取って反応する心のはたらき。物事に触れてよく気がつく心のはたらき。また、気にしすぎること。気に病むこと。神経質。神経症。
■箱屋(はこや);三味線などを持って芸者に従って行く男衆。箱まわし。箱持ち。
■扱店(みせ);東京では一花街に一検番であるが、大阪は複数の扱店が置かれた。芸者の開廃業の手続や伎芸試験にあたるとともに、芸者の毎日の営業を仲介した。
■千日の墓原(せんにちの はかはら);千日墓地。現在、道頓堀とT字形に南に折れた大阪一の大衆娯楽地帯。千日前の千日とは今もある法善寺(大阪市中央区難波1-2)のこと。
千日デパートは、1958年(昭和33年)12月1日に開業した商業ビル。1972年(昭和47年)5月13日、大阪市南区(現在の中央区)千日前の千日デパートで起きた火災で、死者118名・重軽傷者78名、日本のビル火災史上最悪の大惨事となった。その跡に建てられたビルに、ビックカメラが開業。現在に至っている。
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