落語「猫屏風」の舞台を行く
   

 

  柳家喬太郎の噺、「猫屏風」(ねこびょうぶ)より


 

 ある寺に預けられている小坊主、謙虚で頭も良く機転もきき和尚もかわいがっていますが、絵を書くのが好きで、朝から晩までずっと猫の絵ばかりを描いている。

 「絵を描くことは良いが、それでは修行が出来ない。今晩は仕置きだから、皆と一緒じゃなく一人で本堂で寝なさい」、「それがお仕置きでございますか?」、「そうだ。本堂の真ん中で寝なさい」、「はい、お休みなさい」。
 「あ~、広々として気持ちいいな。お仕置きではないな・・・。ウ~ん、恐い。・・・何だい、眠れやしない。チョットの風の音でも恐いな~」。
 「おはよう。朝の掃除も終わったか。お勤めもしておるか、そうか、そうか。・・・ん、本堂中、猫の絵だらけだ、何をした」、「寂しかった」、「それを我慢するのが修行じゃ。でも、良く描けているな。壁だけで無く床にも描いてある。しかし、これだけの才がある者を、この寺に閉じ込めておくのも、かえって無慈悲じゃな。絵の才能を磨かせて世間を見るのも良い。今日これから出て行きなさい」、「和尚さん・・・」、「世間に出たら、昼間は広い世の中を見て、夜は狭いところで寝る。いいな」、「分かりました」。
 小僧さん、荷物をまとめて寺を出ましてトボトボと。「寺の事しか知らないよ。そうだ、隣村には大きなお寺があって、大勢のお坊さんがいると聞いた。そこに行ってみよう」。5里ほどあります。

 「ごめん下さいまし・・・。ごめん下さいまし・・・。お寺が大きいから聞こえないのかな。ごめん下さいまし・・・。お腹が空いたな。入らしてもらおう。誰かいらっしゃらないですか」。

 「田の十よ、大変だ。あの寺に小僧が一人で入って行ったよ」、「何だよ、あの化け物寺にかよ」、「何で止めなかった」、「遠かったし、止める間もなかった」、「何年ぶりか、あそこに人が踏み込むのは・・・」、「子供けェ~、肉は軟らかいな~」、「あ~~、無くさなくてもいい命が・・・」、「無事に出て来てくれたら」、「そんなことは無いが・・・」。村人が心配しているがそんな事は知らず。

 「ごめん下さいまし・・・、誰も居ないのかな? でも、お灯明が点いているから、帰って来るまで休ませてもらおう。大きな本堂だな~、仏具も立派だ。たいそう立派な屏風だな。お腹空いたな~。眠くなったが寝ちゃいけない、未だ挨拶をしていない。眠いな~、お腹が空いたな~。眠いけれど、ご挨拶してからだッ。眠気覚ましに・・・絵を描こう。最初にこの屏風を見たときに思いっきり描きたかったんだよな~」、大きな屏風に大小様々な猫を描き上げ、その疲れも手伝って眠たさは最高潮。「そうだ、和尚が言っていたよ、『寝るときは狭いところで』。この戸棚の中で寝よう」。
 ぐっすりと寝入った丑三つ刻、ガタガタと言う音と「キィキィギャァ、ドタンバタン」、小僧も目を覚まし「ナムアミダブツ」、その後も大きな音が鳴り響きます。そこは子供で、恐い恐いと言いながら眠り込んでしまった。

 「田の十よ、昨日子供が化け寺に入って行っただよ。化け物が出るときは必ず灯明が点いてるだよ。昨夜も点いていた。亡骸を皆で葬ってやろう。無残なとこ見なければならないが、村の者で片づけてやろう」、「血の臭いだ」、「我慢すべ~」、「見ろや~」、本堂の真ん中に、牛ほどの大きなネズミが横たわっています。方々食いちぎられて死んでいます。
 「デカいお化けネズミだ」、「昨夜の子供はどうした?」、「起きなせ~」、「お腹が空いた~」、「図太いというか、のんきな子だ。出て来なせ~」、「わぁ~、これを食えと」、「そんなこと言ってない。どっから来た」、「そうか、隣村のお寺からか。昔は大勢のボン様が居たが、化け物が出るという噂が立って、今では無住だ」、「いったい誰があの化け物を・・・」、「見ろやぃ、たいそうな猫が描いてある」、「あいすいません、私が描きました」、「巧いもんだ。朱の墨を使ったか?」、「黒だけです」、「あの猫たちの口の周りが赤いのは何だぃ」、「私はそんな絵は描いていません」、「見ろや、魂を込めて描いた猫が護ったんだな」、「結果、化け物退治が出来たんだ。何か猫に褒美をしたいな」、「山の中だから、魚は無いが鰹節はどうだ」、「猫はネズミ退治をしたので、歯はボロボロで食べられるか?」、「だったら、鰹節欠(画)いてやったら・・・」、「いえ、私は未だ、鰹節は描いたことはありません」。

 



ことば

■古典な風合いの噺ですが、東北から中国・四国地方に渡る広い地域に伝わる民話『絵猫と鼠』を、小泉八雲が「猫を描いた少年」として出版、これをもとに柳家喬太郎が落語に仕上げた新作落語です。
 似た話に涙でネズミを描いたという、岡山県総社市にある「井山宝福(ほうふく)寺」は画聖と呼ばれた「雪舟」ゆかりの禅寺です。雪舟が修行をおろそかに絵ばかり描いて柱に縛り付けられ、足の指を使って涙で描いたネズミのエピソードはあまりに有名です。

 ネズミを画いた雪舟 「秋冬山水図」・国宝  左、冬景。右、秋景。 東京国立博物館蔵。

お勤め(おつとめ);仏前で日課として読経すること。勤行 (ごんぎょう) 。
 勤行(ごんぎょう)とは勤め励むこと。仏教用語としては、仏教における実践徳目である波羅蜜のひとつ精進波羅蜜(しょうじんはらみつ。この場合は仏道修行に勤め励むこと)と同一視され、寺院や自宅の仏壇の前で時を定めて行う読誦・礼拝などの儀式をいう。お勤め(おつとめ)ともいう。 勤行には、平時の日課として行われる日常勤行のほか、彼岸会、盂蘭盆会などの年中行事に行われるもの、故人の追善の法要として行われるものがある。

5里(5り);距離の単位。里(り)は、尺貫法における長さの単位。現在の中国では500m、日本では約3.9km朝鮮では約400mに相当する。 5里=約20km。歩くと約5時間。昼に寺を出ると、夕方化け寺に着くことになります。

灯明(とうみょう);神仏に供える灯火をいう。仏教においては、サンスクリット語の「ディーパ」の訳で、闇(無明)を照らす智慧の光とされ、重要な供養のひとつとされる。灯明は古くは油をともす油皿(あぶらざら)が使われていたが、現在は、ろうそくまたは電球によるものが多い。 灯明を供えるために用いられる仏具は、「燭台」や「灯籠(灯篭)」、「輪灯」などがある。 なお、灯明をともすための燭台は、仏教における基本的な仏具である三具足・五具足のひとつとなっている。

■屏風(びょうぶ);(風を屏フセぐ意) 室内に立てて風よけ、または仕切り・装飾として用いる具。縦長の木枠の上に紙や絹を貼ったものを、2枚(2曲、2扇)・4枚・6枚などつなぎ合せ、折り畳めるようにしたもの。多くは片面に絵や書をかいて飾る。中世以後は左右二つの屏風を一双として組み合せ、関連する図柄を描くのが原則となる。中国では木など硬質の材料を用いることもある。

 
 真っ白な屏風。ここに好きな猫を思う存分画いたのでしょう。

丑三つ刻(うしみつどき);丑の時を4刻に分ちその第3に当る時。およそ今の午前2時から2時半。「草木も眠る―時」。深夜の一番幽霊化け物が出やすい時刻。落語の中に、昼間に出て来た幽霊が居た。「バカじゃ無いか、真昼間に出てきて」、「だって、真夜中は恐いんだもの」。

ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏);阿弥陀仏に帰命するの意。これを唱えるのを念仏といい、それによって極楽に往生できるという。六字の名号。

亡骸(なきがら);魂のぬけがら。死体。しかばね。

無住(むじゅう);寺院に住職のいないこと。また、その寺。

ネズミ;広くはネズミ目(齧歯類)のネズミ亜目、またリス亜目のホリネズミ、さらにモグラ目のトガリネズミを含む小形哺乳類の総称。200以上の属、約千8百種を含み、種数としては哺乳類の約3分の1。そのうちネズミ亜目ネズミ科はカヤネズミ・クマネズミ・アカネズミ・ハツカネズミなどの属を含む。普通はドブネズミ・クマネズミなどのイエネズミをいう。

 

 北斎漫画ネズミ 「家久連里」(かくれさと)部分。

(ねこ);(鳴き声に接尾語コを添えた語。またネは鼠の意とも)
 広くはネコ目(食肉類)ネコ科の哺乳類のうち小形のものの総称。体はしなやかで、鞘に引きこむことのできる爪、ざらざらした舌、鋭い感覚のひげ、足うらの肉球などが特徴。一般には家畜のネコをいう。エジプト時代から鼠害対策としてリビアネコ(ヨーロッパヤマネコ)を飼育、家畜化したとされ、当時神聖視された。現在では愛玩用。在来種の和ネコは、奈良時代に中国から渡来したとされる。古称、ねこま。

 



                                                            2020年10月記

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