落語「風呂敷」の舞台を行く
   

 

 古今亭志ん生の噺、「風呂敷」(ふろしき)


 

 兄ぃの家に、仲間のおかみさんが息せき切ってやって来た。亭主は帰りが遅いから先に寝ていろと言うので、湯に行ってお茶を飲んでいるところに、新さんが「兄貴は居るかぃ」と顔を出した。茶飲み話をしていたら外は雨になって、戸を閉めて話をしていたら、亭主がへべれけになって帰ってきた。
 亭主はヤキモチ焼で乱暴で新さんを見たらどうなるか分からない。「不倫と勘違いされて殺されかねない」と恐れるあまり、とっさに新さんを押し入れに隠し、お酒を買ってくるからと言って出てきた。「だから助けてよ」、「分かったよ。ハエが手を擦るようなことすんなよ。新公は押し入れに入っていて、亭主はその前にあぐらをかいている。どうすれば良いんだよ。女は三階に家なしと言って3階から降りてくるのは大変だから3階は作らない。また、貞女は屏風にまみえず、と言って貞女の向に屏風があると先が見えない。おでんに靴を履かず、じかに冠を被らずと言って、直に被るとイタイ。亭主が寝なかったら一生涯新公は押し入れの中だぞ」、「早く助けて下さいな」、「先に帰っていろ。直ぐに行くから」。

 奥様に押し入れから麻の風呂敷を出すように言ったがなかなか出ない。「早く出せというと遅くなるんだから。ハヤクだ。あ、お前は風呂敷を広げて出すやつがあるか。これでは旗だ」、「自分でたたんで持って行きな。何処に行くの」、「何処でも良いだろ」、「出掛けると、どっかに引っかかって、『上げ潮のゴミ』」、「ゴミの気持ちも分からないで・・・。ゴミだって、真っ直ぐ流れようと思ってんだ」、「女房だから聞くんだ」、「お前なんかシャツの三つ目のボタンだ。有っても無くても良いんだ」。

 風呂敷を持ってやって来た。酔った男が言うには「帰りが遅くなるので、心配するといけないからと、先に寝なと言ったが、帰ってみると仇に有ったような顔をして、『どうして早く帰ったの』と言うんだ。時間を潰して停車場で寝ているわけにもいかない。『帰りが早いから、もう寝なさい』とはどういうことなんだ。帰りが遅いから寝なさいなら分かる。『お寝よ』と言うが、一緒になって半年ぐらいなら分かるが、化けるほど夫婦になって・・・、それも伊達巻きを胸高に結んで、鬢のほつれ毛を掻き上げて、白い肌で横座りで『寝ましょうよ』と言うなら分かるが、ゴキブリの背中のような色をして、なんで亭主を脅かす。ところでお前はどうしたんだ」。
 「俺は町内でゴタゴタがあって、チョット行ってきた」、「どんなゴタゴタだ」、「いいよ」、「聞かせろよ」、「今、友達の家(うち)に行ったらな、おかしな話があったんだよ。そこのカミさんが留守番をしていると、そこへ、幼なじみが遊びに来た。茶飲み話をしていると雨が降ってきたので戸を閉めたら、そこに乱暴者の亭主が不意に帰ってきたと思え。そのカカアがあわ食って、押し入れに男を隠しちまった。すると、亭主が酔っぱらって、その前で寝ちまった」、「そりゃ、困ったろうな」、「そこで、俺がカミさんに頼まれて、そいつを逃がしてやったんだ」。「どうやって逃がした」、「やだな、言いたくないな」、「教えろよ」、「お前みたいに酔っていたんだ。この押し入れだなと思ったから、亭主の頭から風呂敷を被せた」と、同じように酔っ払いの亭主に風呂敷を被せ「見えないな」と念を押して、「もうチョットこっちに来な」と言いながら、後ろの押し入れを開けた。そこには男が居て、「出な!」と声を掛けると、恐る恐る男が出てきて「忘れ物すんじゃないよ!」と声を掛けた。「下駄を間違えるなよ!」と言うと、頭を下げながら出て行った。「それで風呂敷を取ったと言うことだ」、酔っ払いの亭主から風呂敷を取った。亭主感心して、
「そうか。そいつは上手く逃がしたな」。

 



ことば

この噺は、別題を風呂敷間男(ふろしきまおとこ)とも言われます。原話は諸説あり、安政2年(1855)に刊行された笑話集『落噺笑種蒔』の一編「みそかを」ともいわれるが、『百花園』第7巻74号には初代三遊亭圓遊が台湾の話を翻案したとあります。
 上記の別題からわかるように、元は艶笑落語(バレ噺)であったが、昭和の戦時中に「禁演落語」として自粛対象となったことをきっかけに、エロティックな要素を排した滑稽噺としての演じ方が成立した。

風呂敷;起源は定かではないが正倉院の所蔵物にそれらしきものがある。古くは衣包(ころもつつみ)、平包(ひらつつみ)と呼ばれていた。それが風呂敷と呼ばれるようになったのは室町時代末期に大名が風呂に入る際に平包を広げその上で脱衣などして服を包んだ、あるいは足拭きにしたなどの説があるが明確ではない。言葉自体の記録としては、駿府徳川家形見分帳の記載が最初のものとされる。その後、江戸時代になり銭湯の普及とともに庶民にも普及した。なお平包の言葉は風呂敷の包み方の一つとして残る。 一枚の布ではあるが様々の形状、大きさのものを包むことができるため広く普及していった。
 風呂敷自体、様々な大きさのものが作られ強度を上げるため刺子を施すなどもされた。サイズの大きいものは大風呂敷といい布団を包めるようなものもある。 明治時代以降、西欧から鞄類が入り風呂敷の利用は減っていき、現代、街中で見ることは希である。しかし近年、環境問題が取り上げられる中、レジ袋に代わるものとして利用を提案する意見がある。

 包み布の生活文化圏は世界にも多くありますが、日本の風呂敷ほど実用性、デザイン性に富み、加えて作法まで備えたものは他に例を見ません。 1300年の長きにわたり使い続けてきたこの方形の布には、日本人独特の「心の文化」や「知恵の文化」「美意識」が詰まっています。ここでは、結ぶ、包む、 敷く、覆う等さまざまな使い方・包み方や、ビックリするような使い方があります。
右写真:一升瓶を風呂敷に包み、年賀のしるしとした物。

女は三階に家なし;女は三界に家なし。《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。

貞女は屏風にまみえず;「貞女(ていじょ)は両夫に見(まみ)えず」。貞節な女性は、亡夫に操を立てて、再び別の夫をもつことをしない。貞女は二夫(じふ・にふ)に見えず。貞女は二夫を更(か)えず。

おでんに靴を履かず;志ん生曰く、「おでんを食う時に、靴を履いて食っちゃいけない。おでん屋の親父が靴を履いて食べてる人を見たら、『靴はいているから、勘定払わずに逃げたら早いだろうな』というふうに心配させてはいけないということ」。
本来は「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」。瓜の畑で靴を履きなおすと、瓜を盗んでいるかと疑われる。

じかに冠を被らず;.「李下(りか)に冠を正さず」 。すももの木の下で冠を直すと、すももを盗んでいると疑われる。君子は災いが起こらないように、未然に防がなければいけない。だから人から疑われるようなことはするなという漢の時代のいましめ。決して冠の下に手ぬぐいを入れて、痛くないように被ることでは無い。

泡食って(あわくって);驚きあわてて。

鬢(びん)のほつれ毛;頭の左右側面の髪がほつれている頭髪。乱れ髪。色っぽい形容の常套句。
右図:広辞苑

この噺のマクラから、
「女が通るという道はここかい」、「年増が来た。年増は良いね」、「今度はご新造だ」、「ご新造も良いね」、「数珠を持った後家さんも色気が有るね」、「そんなに色っぽいんだったら、家の女房も御家にしたい」。

 


                                                            2015年5月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system