落語「風呂敷」の舞台を行く 古今亭志ん生の噺、「風呂敷」(ふろしき)
■この噺は、別題を風呂敷間男(ふろしきまおとこ)とも言われます。原話は諸説あり、安政2年(1855)に刊行された笑話集『落噺笑種蒔』の一編「みそかを」ともいわれるが、『百花園』第7巻74号には初代三遊亭圓遊が台湾の話を翻案したとあります。
■風呂敷;起源は定かではないが正倉院の所蔵物にそれらしきものがある。古くは衣包(ころもつつみ)、平包(ひらつつみ)と呼ばれていた。それが風呂敷と呼ばれるようになったのは室町時代末期に大名が風呂に入る際に平包を広げその上で脱衣などして服を包んだ、あるいは足拭きにしたなどの説があるが明確ではない。言葉自体の記録としては、駿府徳川家形見分帳の記載が最初のものとされる。その後、江戸時代になり銭湯の普及とともに庶民にも普及した。なお平包の言葉は風呂敷の包み方の一つとして残る。
一枚の布ではあるが様々の形状、大きさのものを包むことができるため広く普及していった。
包み布の生活文化圏は世界にも多くありますが、日本の風呂敷ほど実用性、デザイン性に富み、加えて作法まで備えたものは他に例を見ません。1300年の長きにわたり使い続けてきたこの方形の布には、日本人独特の「心の文化」や「知恵の文化」「美意識」が詰まっています。ここでは、結ぶ、包む、
敷く、覆う等さまざまな使い方・包み方や、ビックリするような使い方があります。
■女は三階に家なし;女は三界に家なし。《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、
■貞女は屏風にまみえず;「貞女(ていじょ)は両夫に見(まみ)えず」。貞節な女性は、亡夫に操を立てて、再び別の夫をもつことをしない。貞女は二夫(じふ・にふ)に見えず。貞女は二夫を更(か)えず。
■おでんに靴を履かず;志ん生曰く、「おでんを食う時に、靴を履いて食っちゃいけない。おでん屋の親父が靴を履いて食べてる人を見たら、『靴はいているから、勘定払わずに逃げたら早いだろうな』というふうに心配させてはいけないということ」。
■じかに冠を被らず;.「李下(りか)に冠を正さず」
。すももの木の下で冠を直すと、すももを盗んでいると疑われる。君子は災いが起こらないように、未然に防がなければいけない。だから人から疑われるようなことはするなという漢の時代のいましめ。決して冠の下に手ぬぐいを入れて、痛くないように被ることでは無い。
■泡食って(あわくって);驚きあわてて。
■鬢(びん)のほつれ毛;頭の左右側面の髪がほつれている頭髪。乱れ髪。色っぽい形容の常套句。
2015年5月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |