落語「長者番付」の舞台を行く
   

 

 三代目桂三木助の噺、「長者番付」(ちょうじゃばんずけ)・別名「うんつく」


 

 気心が分かった者同士が旅をするのは良いものです。足が疲れたというので、本街道に出て立場で休みたいので歩いていたが、茶屋が出てきたので休むことになった。

 「お茶なんか要らないから、酒は無いか」、「イイ酒で『むらさめ』があります。気持ち良く酔って村を出る頃酔いが覚めます。次は『にわさめ』で、庭に出ると酔いが覚める。他には『じきさめ』で、飲んでるそばから酔いが覚めます」、渋の着いた湯飲みに『むらさめ』を持ってきた。「汚い湯飲みだな。婆さんが使ってるのではないか」、「大丈夫です。後で綺麗に洗っておきますから」。飲むとむらさめどころか口ざめの喉ざめであった。ツマミを所望すると何も無いので、卵ならあるだろうと頼むと表の木ノ上にミミズクの卵を取るからチョット待ってくれ。要らないから畑の葉っぱを所望した。「あんたら、あの葉を食べるのか」、「食べるから持って来い」、「江戸の方は食べるかな~。あれはタバコだけれども」。どじょう汁を頼めば裏の川に捕りに行くと言い、鯨汁は紀州まで出掛ける。後ろの鉢の中に入っているのは「焼き豆腐だが、煮直し煮直ししている内に角が取れて丸くなった」。何も無いので勘定と言い、「この酒は随分薄いが、水で割ったな」、「酒の中に水ではないよ、水の中に酒を落としたよ」。造り酒屋を聞くと「この小川を渡ると隣村で、真っ直ぐ行くと右側に見える」と教えてくれたが、小川を渡って『むらさめ』だったら、どの酒も同じ。

 造り酒屋で旨い酒を飲み直そうと、訪ねたら親父が出てきた。一升ばかり売ってほしいと交渉すると 「造り酒屋だから一升や二升のはした酒は売らねぇ」と、断られてしまった。どのくらいならいいのかと聞くと、 「そうさな。馬に一駄、一車か船で一艘ぐれえかな」 一駄は四斗樽が二丁、車なら六丁、船一艘なら五、六十丁というから、兄貴分の怒ったの怒らないの。「人をばかにするのもいい加減にしろッ。 こちとらァ江戸っ子だ。馬に一駄も酒ェ買い込んで道中ができるかッ。この、『うんつくめ』の『どんつくめッ』」。その勢いに恐れをなしたか、親父は謝り、酒は売るから腰掛けて待っていてくれと言っておいて、こっそり大戸を下ろしてしまった。
 気づいたときは遅く、薪ざっぽうを持った男たちが取り囲んでいた。さては袋だたきかと身がまえると、親父は「さっきお前さまの言った 『うんつくのどんつく』 というなあ、どういうことか、聞かしてもれえてえ」 と大変な鼻息。兄貴分、これはまずいと思いながら、後ろに張ってある長者番付に目を止め、江戸ではそれを「運つく番付」という、と口から出まかせ。「それだけでは納得できない」。

 江戸の三井と大坂の鴻池は東西の長者の大関だが、と前置きしてウンツクのウンチクを、ひとくさり。 「鴻池の先祖は伊丹で造り酒屋をしていたが、そのころはまだ清酒というものがなかった。あるとき、番頭が金の始末が悪く、辞めさせると、腹いせに火鉢を酒樽に放り込んで逃げた。ところが、運は不思議で、灰でよどみが下に沈み、澄んだ酒ができた」。これを清み酒として売って大もうけ、運に運がついて、ドンドン運が付いてど運つく、だから大身代ができた。ど運つくの大運つくだ。悪口を言ったのでは無いと弁明。
 また、三井の先祖は越後新発田の浪人で、六部で諸国を廻っていたとき、村はずれの荒れ家に泊まると、夜中に井戸から火の玉が三つ。その火の玉が三つの井戸に消えた、翌朝調べると、井戸の底にそれぞれ千両箱が沈んでいた。これをもとに松坂で木綿を薄利多売し、これも大もうけして、やがて江戸駿河町に呉服屋を開き、運に運がついて今では大長者。
 おまえのところも今に長者になるから、運つくのど運つくと褒めたのがわからねぇかと、居直る。 奥に掛かる暖簾(のれん)から顔を出したかみさんは、メンツク、青っぱなを垂らした子供はコウンツクで、今に大運つくになると口から出まかせを並べると、親父は大喜び。
 酒を振舞った上、今度造り酒屋で酒を買いたいときは、新川から来たので利き酒をしたいと言えば飲ませてくれると、教えられる。

 江戸では大ばか野郎をウンツクというが、 まんまとだまされやがったとペロリと舌を出した二人、ご機嫌で街道筋に出ると、後ろから親父が追いかけてきた。
 「江戸へ帰ったら、りっぱな大ウンツクのどウンツクになってくだせえょ」、「なにを抜かしゃあがる。オレたちはウンツクなんぞ大嫌えだ」、「えっ、嫌えか? 生まれついての貧乏性か」。

 



ことば

東の旅;この噺は上方種・長編の一部。古くから親しまれた上方落語の連作長編シリーズ 「東の旅」の一部。
 「東の旅」シリーズは、東の旅発端 → 七度狐 → 鯉津栄之助 → うんつく酒 → 常太夫義太夫 → 軽業 → 軽業講釈 → 三人旅浮之尼買 → 軽石屁 → 矢橋船 → 宿屋町 → こぶ弁慶 → 三十石
 
 東の旅は大坂から始まり、奈良に出て、本街道を伊勢まで行きます。伊勢からは鈴鹿を通って琵琶湖に出て京都から大阪に戻ります。

造り酒屋(つくりざかや);造り酒屋は本酒屋ともいい、醸造元で、卸専門の店ではこの噺のように小売はしない建前でしたが、地方には、小売酒屋を兼ねている店も多く見られました。現在では酒造免許と小売り免許は違うので、蔵元さんでも小売り免許を持たないと、一般の消費者に売ることは出来ません。
 清酒、事始め噺の中で、鴻池が清酒を作ったというのは間違いです。伊丹にある鴻池村の新六という人が、江戸の酒需要が多いのに気づき伊丹の良質な酒を江戸に送って財を築きました。これが鴻池財閥の基礎を作りました。酒の中に灰を入れた逸話は新六より前の時代から有ったのが解っています。
 実は享保年間(1716~36)、灘の山邑(やまむら) 太左衛門が苦心の末発明し、「政宗」として売り出したのが最初。全国に普及したのは、その一世紀も後の文化年間(1804~18)なので、江戸も後期近くなるまで、一部の地方では、濁り酒しか知らなかったことになります。今では濁り酒(もろみ)は袋に入れて搾り、清酒と酒粕に別けます。
 日本酒・蔵元さんの数も減りながら、全国で1576蔵(平成22年現在・国税庁)あります。

 蔵元の店先にツルされる杉玉。「新酒が出来ましたよ」と言うアピール用ディスプレー。

うんつく;知恵の足りない者を卑しめていう語。まぬけ。あほう。この噺の、上方落語の演題でもあります。うんつくは運尽と書き、「運尽くれば知恵の鏡も曇る」(貧すれば鈍する)ということわざから、上方言葉で阿呆、野暮の意味が付きました。 したがって、「ど運尽く」は大馬鹿。「ど」は上方の罵言なので、本来は江戸落語にない語彙で上方落語のものが、そのまま残ったのでしょう。 ところが、後にはこれをもじって、本当に「運付く」で幸運の意味が加わったから、ややこしくなりました。

本街道(ほんかいどう);江戸時代、脇街道に対して、五街道のこと。
 また、伊勢本街道(伊勢神宮から西に与喜浦)と、それに接続した初瀬街道(伊勢本街道。初瀬から奈良市の猿沢池まで)を言う。約129kmの行程。

立場(たてば);五街道等で次の宿場町が遠い場合その途中に、また峠のような難所がある場合その難所に、休憩施設として設けられたものが立場。茶屋や売店が設けられていた。俗にいう「峠の茶屋」も立場の一種である。馬や駕籠の交代を行なうこともあった。藩が設置したものや、周辺住民の手で自然発生したものもある。また、立場として特に繁栄したような地域では、宿場と混同して認識されている場合がある。この立場が発展し、大きな集落を形成し、宿屋なども設けられたのは間の宿(あいのしゅく)という。

ミミズク;フクロウ科のうち羽角(うかく、いわゆる「耳」)がある種の総称。 羽角がある以外はフクロウ科に同じ。 羽角は、長く伸びたものから、コミミズクのようにほとんど判別できないものまであり、形もさまざま。
 鶏卵では無く、ミミズクの卵を提供しようなんて、それは一歩引きますよね。

タバコの葉(たばこのは);タバコの葉の大きさは、大きいもので長さが約70cm、幅が約30cmくらいです。草丈は、花が咲くころで約120cmまで生長。ひとつの苗には約20枚の葉が付き、上から数枚ずつ、 上葉(うわは)、本葉(ほんぱ)、 合葉(あいは)、中葉(ちゅうは) と呼ばれています。 葉の付く位置によって、味や香りにも違いがあり、 これらをブレンドすることによって 「たばこ」の喫味が調えられていくのです。 (JTの解説より)

四斗樽(しとだる);四斗入る樽。一斗は一升瓶で10本。合計40本分の酒が入る。それを馬の背中の両側に積むので倍になり、そんな量は道中に持参することは不可能。

六部(ろくぶ);六十六部の略。法華経を66回書写して、一部ずつを66か所の霊場に納めて歩いた巡礼者。室町時代に始まるという。また、江戸時代に、仏像を入れた厨子(ずし)を背負って鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を請い歩いた者。

「六十六部」 明治中期 バックの橋は日光・神橋 「古い写真館」朝日新聞社 落語「花見の仇討ち」より

江戸駿河町の呉服屋;現在の東京・日本橋室町の三越です。

新川(しんかわ);現在の中央区新川。江戸時代は新川という地名は無く、霊岸島と言った。その脇を流れる堀の名前が新川と言った。ここには上方の酒問屋が集まっていて、現在も問屋さんが群居しています。落語「宮戸川」の舞台です。

利き酒(ききざけ);酒の善し悪し、等級を吟味すること。



                                                            2015年5月記

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