落語「試し酒」の舞台を行く
   

 

 古今亭志ん朝の噺、「試し酒」(ためしざけ)


 

 友人宅で、大宮さんは病み上がりで最近はトンと酒が飲めなくなってしまったが、連れの下男は飲めると思うので、私の代わりに飲ませてみたい。下男の久蔵(きゅうぞう)は5升は飲めるというが、そんなには飲めないだろうし3升でも難しい。久蔵さんを部屋に呼んで、5升飲めたらお小遣いをやる約束、負けたら何も芸が出来ないので、言い出した大宮さんがここのご主人をどちらかにご招待。久蔵さん、自分の主人に散在掛けては申し訳ないと、ちょっと表に出て考えさせて欲しいと、出て行った。

 女中さんに酒の用意をさせて、下男に小遣いをやるのは別に、大宮さんに料理屋で散財させるのだから、下男が飲み干せたら大宮さんを箱根にご招待します、と約束をした。女中さんが持ってきた金蒔絵の入った1升入る盃を自慢しているところに、久蔵さんが戻ってきた。5升の酒を飲みますが大きな物でやりたい。先程の金蒔絵の入った盃でやることになった。

 盃になみなみと酒が注がれた。中の蒔絵がキラキラと泳ぐようであった。「止めるなら今のうちだよ」、「いえ、やらせていただきます」。試合開始。アッという間に平らげた。味も何も分からなかった。
 2杯目もやり始めて、こんなにも旨い酒があるのに、自分の家の酒とは大違い。いくら飲んでも飲み飽きないイイ酒だ。酒の始まりの講釈が出た。昔、唐土(もろこし)の儀狄(ぎてき)という人がこしらえ、時の王様に献上すると、これを造ってはいけないとキツいお咎め。その理由は、結構な物だが人を滅ぼし、しいては国を滅ぼす。「沢山飲むからいけないので、わしみたいに少しにしておけば良いんだ」。
 「二人の旦那が、飲み干したらいい、飲めなかったら良い、と顔には出さないが腹の中で思っている。間に入ったわしは楽しくてしょうが無い」。で、2杯目完飲。

 「旨そうに飲むね。金とお酒とどっちがイイ」、「それはお金に決まっている。そのお金で酒が買えるから」。
ユックリと味わいながら飲み続けている。「先程の唐土の話はおもしろかった」、「聞いたばかりだけれど、酒の話しはいろいろ知りたい。生国は丹波で大江山の酒呑童子が居たぐらいで酒飲みが多い。都々逸でもイイのが有って『明けの鐘ゴンと鳴る頃三ヶ月型の櫛が落ちてる四畳半』何のことだか分からないが。『雨戸叩いてもし酒屋さん無理言わぬ酒頂戴な』夫婦のイイ情景だね。わしが好きなのがあるよ『朝顔のツボミのようなあの筆先で書いた恋文今朝開く』、酒もイイが女(あま)っ子も良いね。『酒は米の水 水戸様は丸に水意見するやつ向こう見ず』、酒を飲んでいるのに身体に毒だというやつは張り倒してやれば良いんだ」。随分酔っ払ってきた。「後2杯飲めば良いのか。心細くなってきた」。

 初めはどんどん入るが、最後は下駄を履くまで分からない。最後の一口が入らないものだ。「4杯目も空けてしまったよ」、「じゃんじゃんついて下だせい」。かなり酔いが回ってきた。

 「旦那さん、待たせたね、これを飲んで小遣いもらって帰りますから。キューッと飲んでしまいますから」、喉につかえさせながらも、話もせずに一気に飲み干した。「旦那さん飲みました」、「分かった分かった。私の負けだ。小遣いはやるよ。聞きたいことがある」、「もう、後何杯飲めばイイ」、「もう飲まなくても良いんだ。先程、表に出て行って考えてきたが、あれは何かまじないか酔わない薬でもあるのかい。有ったら教えて欲しいのだ」、「あれかい、わしは今まで5升というまとまった酒は飲んだことがないんだ。表の酒屋に行って5升試しに飲んで来たんだよ」。

 


 

 志ん朝さんの噺の概略を書くより聞き込んでしまいます。

凄いですね、久蔵さん、都合1斗(10升)、1升瓶(1.8L)でも多いのに、これが10本ですよ。これを飲んでしまったんです。
 昔、柳橋の万八楼で開かれた酒飲み会でも、勝るとも劣らない良い勝負です。その記録もガセだと言われているのにです。ちなみに滝沢馬琴の「兎園小説」十二集より記録を拾うと、

 文化14年(1817年)3月23日、両国橋万屋八兵衛方・万八楼(右図)で行われた。大食大飲会で酒組の記録は、

 ・芝口の鯉屋利兵衛、30歳、3升入杯6杯半(19.5升)、その座に倒れ、「余程」の休息ののち、目をさまし、水を茶碗で17杯飲む。
 ・明屋敷の者、3升入杯3杯半(10.5升)、少しの間倒れ、目をさまし、砂糖湯を茶碗で7杯飲む。
 ・小田原町の堺屋忠蔵、68歳、3升入杯3杯(9升)。
 ・小石川春日町の天堀屋七右衛門、73歳、5升入丼鉢1杯(5升)、直に帰り、聖堂の土手に倒れ、明7時まで打臥す。
 ・金杉の伊勢屋伝兵衛、47歳、3合入杯で27杯(81升)、飯3杯、茶9杯、甚句をおどる。 (うそだろう~。ウソです)
 ・本所石原町の美濃屋儀兵衛、51歳、5升入杯11杯(55升)、五大力をうたい、茶を14杯飲む。(これもウソ八百)
 ・山の手士某(藩中之人とも)、63歳、1升入で4杯(4升)、東西の謡をうたい、一礼して直に帰る。
 ま、全てがウソと言うより、創作されたものです。

 

ことば

箱根(はこね);箱根町は、神奈川県西部、箱根峠の東側に位置する町で、足柄下郡に属する。
 かつては旅人を随分悩ませた箱根八里と箱根関所ですが、箱根七湯といわれた豊かな温泉にも恵まれ、江戸時代後期になり温泉場での宿泊が「一夜湯治」の形で庶民の間に定着すると、箱根は、伊勢講・富士講など多くの旅人で大変な賑わいを見せるようになりました。
 明治時代になると関所が廃止され、現在の国道1号(東海道)となる道路が開通します。交通が便利になるに伴い、箱根は湯治場としてだけではなく、避暑地としても有名になり、東京や横浜に居住する外国人にも愛され、別荘も建てられるようになりました。
 大正時代に入ると、箱根登山鉄道が湯本から強羅まで開通し、1936年(昭和11年)には富士箱根伊豆国立公園に指定され、四季折々の美しい自然景観や旅館・ホテルなどの宿泊施設、豊かな温泉に加え、登山電車・バス・ロープーウェイ・遊覧船など変化に富む乗り物と美術館・博物館などの多様な観光施設を備えた近代的な観光リゾートとして、年間約2千万人の観光客を迎える国際観光地となっています。 (箱根町観光協会 箱根観光ガイドより)

 「箱根」 左から芦ノ湖と富士山、ロープウエー、彫刻の森美術館、箱根登山電車(出山の鉄橋)

金蒔絵の入った盃(きんまきえ-);漆器の表面に金箔を細かくした消粉で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を蒔いては磨くことで器面に定着させたものを蒔絵といいます。漆芸の技法の一つで特に豪華な美しさで知られています。 または、平脱(へいだつ)」や漆器表面に溝を彫って金銀箔を埋め込む「沈金(ちんきん)」、夜光貝、アワビ貝などを文様の形に切り透かしたものを貼ったり埋め込んだりする「螺鈿(らでん)」などとともに、漆器の代表的加飾技法の一つ。

上図:左、漆器の板屏風に描かれた蒔絵の菊。右、お盆に描かれた蒔絵。

盃の種類;志ん朝さんも噺の中で久蔵さんに言わせています。(要約には省略)
可杯(べくはい);可杯はすり鉢状の小ぶりの盃で、下に高台が付いていない。そのため、酒を注いだ後に床などに置こうとすると、酒がこぼれてしまう。盃を置く為には、注がれた酒を飲み干さないといけないという物である。
・座興杯(ざきょうはい);座興杯は可杯と同じ様に、酒を注いだ後に置くと酒がこぼれる杯で、こちらは器に穴が開いているため、飲み干すまで指でその穴を押さえて置かなけれいけない。座興杯はお座敷の遊びの為の杯で、大きさが大・中・小とある。サイコロのようなコマを回して、出た目の器に酒を注いでもらい、それを飲み干す。
・馬上杯(ばじょうはい);馬上で酒を飲みやすいように、ゴブレット状の足を付けた盃。
・猪口(ちょこ);小ぶりの杯。 

 左から2個は座興杯、右側2個は可杯でベイゴマのように底が尖っている。中央のは可杯でかつ穴が空いている。

唐土(もろこし);「諸越(中国の越の国)」の訓読から、昔、日本で中国を呼んだ称。

儀狄(ぎてき);中国、夏(か)の伝説上の人物。初めて酒を造ったという。転じて、酒の異称。

酒呑童子(しゅてんどうじ);丹波国の大江山、または山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。酒が好きだったことから、部下たちからこの名で呼ばれていた。文献によっては、酒顛童子、酒天童子、朱点童子などとも記されている。彼が本拠とした大江山では龍宮御殿のような邸宅に住み、数多くの鬼共を部下にしていたという。

 大江山の酒呑童子と源頼光主従 (歌川芳艶 江戸時代) 

■『明けの鐘ゴンと鳴る頃三ヶ月型の櫛が落ちてる四畳半』 久蔵さんが言うように私も分からない。

雨戸叩いてもし酒屋さん無理言わぬ酒頂戴な』 イイ夫婦仲です。

■『朝顔のツボミのようなあの筆先で書いた恋文今朝開く』 ラブレターでは味わいが変わってしまいます。



                                                            2014年12月記

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