落語「霜夜狸」の舞台を行く
   

 

 宇野 信夫原作

  五代目古今亭今輔の噺芸、「霜夜狸」(しもよだぬき)より


 

 これは山奥の山番小屋の、話しで御座います。月が出たが、ひどい風で山の木の葉が全部飛んでしまいそうな寒い晩です。爺は庄屋様から頂いただけあって、美味い酒を飲んでいた。春も夏も秋もあっと言う間に過ぎてしまう。「歳を取ってからは、冬だけが長げぇもんで困るよ、年寄りはきっと冬の間に歳を取るんだな。顔や手にシワがよるのも、きっと寒い内の事だよ」。と思っていると戸を叩く音がした。

 (トントン)「今晩は」、「こんな夜更けに村の衆が来る訳はなし。誰だい?」、山に住む古狸が寒さに負けて爺さんの所にやって来た。「木枯らしの晩は、あなたを見込んで、 暖まらしていただこうとお願いに」、「狸に化かされるほどもうろくはしねぇや。狸汁にして食っちまうから、そう思え」、「帰りましても、この寒さはしのげません。火のそばへ寄らせてください」、「帰らねぇと、薪ざっぽうで叩きのめすぞ」、「今夜、凍えて死ぬかもしれませんが、因縁と思ってあきらめます。うう~、寒い、寒い!。太兵衛さんお騒がせしました」、「待て。そんなに寒いか。火のそばにいても寒い晩だ。よし、年寄りは年寄り同士、構わねぇから、入んな。待ちな、人間に化けて入って来い」、「あなたのお友達になれる様に、狸親父に」、「狸親父はいけねぇな、俺の伜に化けろ。もっとも、その伜は一昔前に逝っちまったのさ。伜は俺に瓜二つで、瓜実顔の良い男だったよ」、「では、戸の隙間から覗いて・・・、(イイ男どころか馬面顔だ)太兵衛さんの若い頃・・・、化けますから手を叩いてください」。
 戸を開けて、年頃十六、七の息子が入って来た。「おお、伜!驚いた。そっくりだな。こっちへ来て、火に当たんな」、「おかげて、生き返ったようでございます」、「どんどん薪をくべてやろう。本当は伜ではないのか。伜・・・いや、タヌ公、俺も、伜を持って行かれた時は、ヤケを起こして、流れ流れてこんな山奥に来てしまったが、庄屋様を始め村の衆のお情けで、こうして山番をして、寒い思いもせずに暮らしているんだ。お前が本当の伜の様な気がしてならねぇ、どうだ、一杯呑むか」、「では一杯頂戴いたしましょう。・・・、旨い酒ですね」。
 「なあタヌ公、毎晩、伜の姿で、遊びに来てくんねぇ」、「ありがとうございます。お酌をいたしましょう」、「はは、俺が酒を呑んでいると、伜が『おとっつぁん、もういい加減に止しねぇよ』と言った事があったっけ。早死にをするくらいだから、苦労性でなぁ。内気なおとなしい良いヤツだったよ」、「太兵衛さん」、「伜が太兵衛さんではおかしい。『おとっつぁん』と呼んでおくれ。ま、一杯・・・」、「私にも『伜』と呼んでください。お酒は好きでございますが、腹鼓でもしましょうか」、「腹鼓はいけない」、「では、あなたの十八番の義太夫でも聴かせてくれませんか」。下手な義太夫を語り始めた途端、伜の狸はイビキをかいて寝始めてしまった。「タヌ公。人に義太夫を語らせて、寝ちまうヤツもねぇもんだ」、「いいえ、寝ちゃあおりません。狸寝入りでございます」。

 冬の間、3年間も通って来ていました。山田の蛙(かわず)も鳴き始めました。温かい晩のことです。
 「今晩は」、「おお、伜か。入いんな」、「お山の花が残らず咲いてしまうでしょうね」、「これからは一人で暮らさなければならない。ホントに良く来てくれたな」、「木枯らしの吹く寒い晩、あなたのお情けで暖かい火に当たらしていただき、夜の白々明けまで、話し合ったり、お酒を呑んだり、冬中楽しく暮らしましたが、この御恩は忘れません」、「御恩だなんて。さみしくてならねぇ冬の間、話し相手が出来て、助かったよ」、「毎年、寒くなると持病が起こって困りましたが、根切りになりまして。木枯らしが吹き始める頃になりましたら、また、伺いますから、今夜は御挨拶だけに」、「そうかい。ああ、早く冬が来ると良いなぁ」、「また、春になったばっかりで、おとっつぁんは、気が早いなぁ」。
 里で吹く囃子の笛の音がここまで聞こえてきた。「麓で若い衆が吹くんだ。春になるとジッとしていられないんだ」、「私も若い時分、月の良い晩には、腹鼓を打ちましたよ。つきましては、ご厄介になりましたので何かお礼をしたいと思いまして・・・」、「水臭い事を言うなよ、お前と俺の仲で何もそんなこと。寒くなったら毎晩来いよ。それがお礼というもんだよ」。
 「おとっつぁん、この世の中で何が一番欲しいと思いますか」、「そんな事は考えた事もねぇが・・・、そうさなぁ、小判の一枚も欲しいかなぁ。俺もよる歳だからなぁ~、いつお迎えが来るかわからねぇ、そうなったら、村の衆に手数をかけなきゃならねぇ、お坊さんにお経のひとつもあげてもらいてぇし、それには小判の一枚もあったら良かろうと思うのさ・・・。それより、今晩泊まっていけよ。けんちん汁があるよ」、「はい、そうします。春になると眠くなります。歳のせいですかね~」、「花の咲く時分は、誰でも眠くなるもんだよ~」、狸はイビキをかいて寝入ってしまった。「寝付きの良い奴だな。伜や・・・本眠りだ。こんな晩に風邪を引くんだ。俺の甚平を掛けてやろう。どう見ても伜そっくりだ。伜じゃないのかな」。

 ところが狸は、この夜を境にプッツリと姿を見せなくなってしまった。木枯らしが吹いても雪が降っても一向に姿を見せません。とうとう、二冬が過ぎてしまいました。

 「あいつも古狸だそうだから、寿命が尽きてしまったんだろう。もう、この世にはいねぇかもしれねぇ~な。南無阿弥陀仏」。
 (トントントン)「今晩は。おとっつぁん、私でございます」、「ああ、伜か、入んな入んな」、「おとっつぁん、お久しゅうございます」、「去年も今年も、影も見せねぇから、いったいどうしたんだ」、「私も早く伺いたいと思っていたのですが、手間がかかりまして。一昨年、おとっつぁんに、何か欲しいものは無いかとおたずねいたしましたよね、その時、小判が一枚欲しいとおっしゃいまして。私もどうにかして、小判を一枚欲しいと思いましたが、人目をかすめて取ったりしたのでは、菩提の為の小判にはなりませんから、海を渡って、佐渡へ行きまして、泥にまみれましたものや、人の捨てた砂金と言うものを集め、やっと2年掛けて小判を一枚、ふかしました。私のせめてもの、ご恩返し、どうぞおとっつぁん、受けて下さい」、「すまねぇ、すまねぇ。俺が変な事を言ったばっかりに、苦労をさせた。堪忍してくれよ。これで後々の心配はねぇよ。有り難く頂戴するよ」、「私もホッとしました。生まれた地はイイもんですね」、「そりゃ~、そうさ」。
 「おや、笛が聞こえますね。2年前と同じ人でしょうか」、「違うだろうよ。また、新しい若い者が吹いているのだろうよ」。「じゃあ、今夜はこれでおいとまをいたします」、「もう帰るのか」、「帰ったばかりで、住み家にも帰っていません」、「それだったら、止めないから、冬になったら、また、来てくんなよ」、「木枯らしが吹くようになったら伺います。白髪が増えましたね。お身体を大切にして下さいよ」、「ありがとうよ」。
 「ああ、良い月夜になりました。おとっつぁん、真昼のようです」、「ああ、こりゃまぶしい。向こうの山の木が一本一本見える」、「おとっつぁん、さようなら」、「また来いよ」、「おお、駆ける駆ける。早いなぁ、危ねぇぞ、ころぶぞ」、「大丈夫ですよ。ポンポンポン」、「腹鼓を打ってやがる。年寄りのくせに大丈夫かな~。お~~い。あんまり打つと破けるぞよぉ〜」。

 



ことば

原作;劇作家でエッセイストでもあり、落語にも大変精通していた宇野 信夫(うの のぶお、1904年7月7日 - 1991年10月28日)原作の新作落語です。話中では、風の音、薪をくべる音、薪のはぜる音、笛の音、鐘の音などがふんだんにちりばめられ、物語風に演じられます。昭和の三大名人・三遊亭円生師が演じた音が有名ですが、私は、あの『おばあさんの今輔』の五代目・古今亭今輔師の音から書き起こしています。寒い月夜の晩の、狸とお爺さんのやりとりは、ほのぼのとしていながら、亡くなった伜の事など、ちょっとしんみりさせる部分もあり、聞き終わった後で、民話のような、良い噺だったなぁと思えます。

宇野信夫;埼玉県本庄市生まれ、熊谷市育ち、その後浅草で暮らす。本名信男。埼玉県立熊谷中学校(現:埼玉県立熊谷高等学校)、慶應義塾大学文学部国語国文学科卒業。 父は埼玉県熊谷市で紺屋・染物屋を営んでいて、浅草に東京出張所と貸家(蕎麦屋と道具屋)を持っていた。中学を出た後は、その出張所から大学に通い、卒業後もそこで劇作にいそしみ、1944年まで住み続けた。その時代に、まだ売れていなかった、のちの古今亭志ん生ら貧乏な落語家たちが出入りして、彼らと交際した。六代目三遊亭圓生とも交友が深かった。
 1933年、『ひと夜』でデビュー。1935年、六代目尾上菊五郎のために書いた『巷談宵宮雨』が大当たりし、歌舞伎作者としての地位を確立する。以後も菊五郎のために歌舞伎世話狂言を書き、戦後は、1953年、二代目中村鴈治郎、中村扇雀(現:四代目坂田藤十郎)のために、長らく再演されていなかった近松門左衛門の『曽根崎心中』を脚色・演出し、現在も宇野版が上演され続けている。1965年、個人雑誌『宇野信夫戯曲』を創刊、1977年まで続いた。
 1972年、日本芸術院会員。1985年、文化功労者。『宇野信夫戯曲選集』全4巻があるほか、ラジオドラマ、テレビドラマ、時代小説、随筆、落語、言葉に関する著作が多数ある。
 国立劇場理事を務め、歌舞伎の演出、補綴、監修を多く行い、「昭和の黙阿弥」と称された。
ウイキペディアより一部修正。

 宇野信夫創作落語では、「江戸の夢」があります。

山番小屋(やまばんごや);山の番人。山林を火災や盗難から守る番人が住む山小屋。

庄屋様(しょうやさま);庄屋(しょうや)・名主(なぬし)・肝煎(きもいり)は、江戸時代の村役人である地方三役の一つ、郡代・代官のもとで村政を担当した村の首長。身分は百姓。庄屋は主に西日本での呼称で、東日本では名主、東北・北陸地方では肝煎と呼んだ。庄屋は荘(庄)園の屋敷、名主は中世の名主(みょうしゅ)に由来する言葉。 城下町などの町にも町名主(まちなぬし)がおり、町奉行、また町年寄(まちどしより)のもとで町政を担当した。身分は町人。町名主の職名は地方・城下町によってさまざまである。
 村請制村落の下で年貢諸役や行政的な業務を村請する下請けなどを中心に、村民の法令遵守・上意下達・人別支配・土地の管理などの支配に関わる諸業務を下請けした。

山田の蛙(かわず)も鳴き始めました;山にある田、山間の田、で鳴く蛙。冬眠から醒めた蛙が鳴き始める春先の気候。

お山の花;花と言えば桜です。山一面を覆った桜が、木枯らしや冬が過ぎ去った春真っ盛りを表しています。
下写真:吉野山の桜。
http://cocolo.jp/sakura/index/images/p_sakura05.jpg より

木枯らし(こがらし);秋から初冬にかけて吹く、強く冷たい風。木を枯らすほどの風という語源からきている。

根切り(ねぎり);根だやしにすること。根絶。持病が根絶して治ること。

小判の一枚;1両。現代の貨幣価値で約8~10万円。

江戸東京博物館蔵。大きさも金含有比率もまちまちで、時代が下がるほど金の絶対量が減っていきます。

けんちん汁;大根・牛蒡(ゴボウ)・人参・椎茸(シイタケ)などを繊切(センギリ)にして油で炒り、くずした豆腐を加え湯葉などで巻き、油で揚げたものを、実としたすまし汁。けんちん。

春になると眠くなります;中国でも同じで、孟浩然の詩『春暁』に「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、夜来風雨の音、花落つること知る多少」、春の夜は短く、また気候もよいので、つい寝過ごしてしまうという意味。

甚平(じんべい);(「陣羽折」また「陣兵羽織」の転という) 男子用の袖無し羽織の名。もと関西地方に起り、木綿製綿入れの防寒着で、丈は膝を隠すくらいとし、前の打合せを付紐で結び留める。今、麻・木綿製で筒袖をつけた夏の家庭着にいう。じんべ。右写真。

菩提(ぼだい);仏の悟り。煩悩を断じ、真理を明らかに知って得られる境地。ここでは、死後の冥福。

佐渡(さど);新潟県に属し、面積857平方キロメートルの日本海最大の島。
佐渡金山;慶長6年(1601)に発見され、産出された金銀は江戸幕府の基礎を築き、日本最大の金山とされた。3年後奉行を置き本格的に採掘に入り、江戸幕府が合計41トン採掘、明治・大正・昭和と引き継がれ、平成元年に枯渇のため閉山した。金の総生産量、合計78トンに達した。
 金鉱で働く抗夫達は無宿者が多かった。遊び人だから体力が無く数ヶ月で命を落とすと言われた。金は西三川で砂金が発見されたのが始まりと言われ、現在も採取できます。

上写真:左から江戸時代の採掘、坑道の補強、水の掻い出し。 ゴールデン佐渡のパンフレットより 
落語「お富与三郎」より孫引き

ふかし;小判を作る。偽造すると言うより、1両分の砂金を小判一枚と交換して、実質一両作る。



                                                            2016年6月記

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