落語「夢八」の舞台を行く 二代目桂小南の噺、「夢八」(ゆめはち)
■伊勢音頭(いせおんど);伊勢神宮参拝の帰りに古市 (伊勢市)の遊郭へ上がった客らによって全国に広まった民謡。伊勢参りは、信心目的ばかりでなく江戸期には古市の遊郭や観光そのものが旅の目的ともなっていた。「荷物にならない伊勢土産」とも言われ、伝えられた各地で作り替えられ普及した唄や踊りがある。主に祝い歌として歌われている事が多く、祭りなどの伝統行事、通過儀礼の席で歌われる事が多い。古市近くの川崎から生まれたことから川崎音頭とも呼ばれた。
■重箱(じゅうばこ);食物を盛る箱形の容器で、2重・3重・5重に積み重ねられるようにしたもの。多くは漆塗りで、精巧なものは蒔絵・螺鈿(ラデン)などをほどこす。
■むしろ;畳表のい草・蒲(ガマ)の穂・麦藁(ワラ)・稲藁・竹などで編んだ粗末な敷物の総称。「わらむしろ」の略。
■夢(ゆめ);睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像のこと。睡眠中にもつ幻覚のこと。視覚像として現れることが多いものの、聴覚・触覚・味覚・運動感覚などを伴うこともある。通常、睡眠中はそれが夢だとは意識しておらず、目覚めた後に自分が感じていたことが夢だったと意識されるようになる。
現代の神経生理学的研究では、「夢というのは、主としてレム睡眠の時に出現するとされ、睡眠中は感覚遮断に近い状態でありながら、大脳皮質や(記憶に関係のある)辺縁系の活動水準が覚醒時にほぼ近い水準にあるために、外的あるいは内的な刺激と関連する興奮によって脳の記憶貯蔵庫から過去の記憶映像が再生されつつ、記憶映像に合致する夢のストーリーをつくってゆく」と考えられている。
未開人や古代人の間には、睡眠中に肉体から抜け出した魂が実際に経験したことがらが夢としてあらわれるのだ、と考えられていた。だから急に起こすと、魂が帰れなくて死んでしまうと言う。
夢八のように起きていて夢を見るのを、白昼夢(白日夢)とも呼ばれる。目覚めていながら夢を見ているかのように現実から離れて何かを考えている状態をいう。空想や妄想と同様、夢を見ている自分を自覚できること、夢の内容を自分でコントロールすることができるという点で、通常の睡眠時の夢とは異なる。
■長屋(ながや);噺の八兵衛さんはこの長屋の住人。甚兵衛さんはこの長屋の大家さんです。
夢八は部屋に入るなり「畳が上げてある」と指摘しています。留守番をするような家は当然人が住んでいるのにおかしいなと思ったのです。大家とすれば死人に畳を汚されたら困るので部屋の隅に積んでいたのでしょう。
上図;長屋模式図 江戸東京博物館蔵 ■大家(おおや);そのよび名から長屋の持ち主のように思われがちですが、じつは土地・家屋の所有者である地主から、長屋の管理を任されている使用人で、家守(やもり)、家主(いえぬし)ともよばれていました。現代で言う管理人です。豊かな地主は多くの長屋を持ち、それぞれに大家を置いた。
2015年7月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |