落語「指切り」の舞台を行く 林家彦六の噺、「指切り」(ゆびきり、別名「写真の仇討」)より
■原典は司馬遷作『史記』中『刺客列伝』
豫譲(よじょう)と趙襄子(ちょうじょうし)の話をもとにしたもの。
■豫譲(よじょう);(? -
紀元前453年頃)中国春秋戦国時代の人物。予譲とも呼ばれる。
壁を塗る左官に扮して晋陽に潜伏していた豫譲は、趙襄子の館に厠番として潜入し暗殺の機会をうかがったが、挙動不審なのを怪しまれ捕らえられた。側近は処刑する事を薦めたが趙襄子は「智伯が滅んだというのに一人仇を討とうとするのは立派である」と、豫譲の忠誠心を誉め称えて釈放した。
やがて、豫譲はある橋のたもとに待ち伏せて趙襄子の暗殺を狙ったものの、通りかかった趙襄子の馬が殺気に怯えた為に見破られ捕らえられてしまった。趙襄子は、「そなたはその昔に范氏と中行氏に仕えたが、両氏とも智伯に滅ぼされた。だが、その智伯に仕え范氏と中行氏の仇は討とうとしなかった。何故、智伯の為だけにそこまでして仇を討とうとするのだ?」
と問うた。豫譲は、「范氏と中行氏の扱いはあくまで人並であったので、私も人並の働きで報いた。智伯は私を国士として遇してくれたので、国士としてこれに報いるのみである。」
と答えた。豫譲の執念と覚悟を恐れた趙襄子は、さすがに今度は許さなかった。
■趙無恤(ちょう ぶじゅつ / ちょう むじゅつ);(? - 紀元前425年)、中国春秋時代の晋の政治家。姓は贏、氏は趙、諱は無恤、諡は襄。趙襄子(ちょうじょうし)と呼ばれる。
■浅草寺の額;浅草寺には五重塔の下に、浅草寺の宝物を保存する場所があります。その中に文化財級の絵馬が沢山保存されています。その中から絵馬ですから馬の絵を描いた谷文晁の作品が有ります。
■鎧通し(よろいどおし);反りのない、重厚に鍛えた短刀。室町時代頃、軍陣で用いた。九寸五分(クスンゴブ)。
国宝 短刀 「粟田口吉光」(名物 厚藤四郎) 東京国立博物館蔵 小振りの割りに刀身の厚さが極端にある。
■国士(こくし);一国中のすぐれた人物。
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