落語「六尺棒」の舞台を行く 立川談志の噺、「六尺棒」(ろくしゃくぼう)より
■道楽(どうらく);『マクラから・・・』、サンドラ煩悩と言って、飲む・打つ・買うと言われるが、只今買うと言うことが出来無くなりました。他のことは忘れて、それだけに打ち込むことで、大阪では極道と言われます。ですから、ボーリングをやる、ゴルフをやると言うお遊びとは、のめり込み具合が違います。この三悪(?)の中で一番良いのは意外と博打だそうで、女と酒は歳取ると弱まるが、博打はそうはいきません。しかし、博打打ちの親分はあるが、女郎買いの親分はない。この三道楽を落ちるところまで落ちると、道楽ではなく道に落ちる道落者となります。
■初代三遊亭遊三(さんゆうてい ゆうざ);(1839年(天保10年) - 1914年(大正3年)7月8日)は主に明治期に活躍した落語家。本名:小島長重。
■六尺棒(ろくしゃくぼう);樫など、質のかたい木で作った、長さ六尺ぐらいの棒。賊を防いだり、取り押えたりするのに使う。
現在も警察の立ち番がこれを持って入口で番をしています。
■苦虫噛み潰したような顔;(苦虫はもし噛めば苦いだろうと想像させるような虫)苦々しい表情。不愉快きわまりない顔つき。
■大戸(おおど);表入口の大きな戸。通常は、その中の一枚に潜り戸が設けられていて、そこから出入りが出来た。大戸を閉めるとは言わず、大戸を下ろすと言います。
大戸の仕組み:1.左上、営業中は上下二段に分かれて欄間の部分に収納されていて、梁に出たでべそ状のカギの上に乗っています。二枚重ねの奥が降りて、手前の鍵付きはけんどん式に両脇に止まっています。2.右上、下の半分を下ろしたところ。シャッターと同じで、柱には溝が切ってあります。
■勘当(かんどう);主従・親子・師弟の縁を切って追放すること。江戸時代には、不良の子弟を除籍すること。江戸時代、勘当(久離)の届出を町年寄または奉行所で記録しておく帳簿を勘当帳と言った。久離帳。記録しないのは内証勘当という。
親が子に対して親子の縁を切ること。古代においては後世の勘当に相当する法律効果は不孝(ふきょう)と呼ばれており、これに対して勘当は勘事(かんじ/こうじ)とも呼ばれ、主従関係の断絶を主人から言い渡される事を指した(なお、天皇から公卿に対して出仕を差し止められることを勅勘と呼ぶのもこれに由来している)。親子関係の一般における断絶について「勘当」と称するようになったのは室町時代以後のことと考えられている。
■向こう脛(ずね)かっぱらわれた;脛の前面。むかはぎ。-を叩かれる。弁慶の泣き所を叩かれる。ここは痛い、「鬼の目に涙」と言われるほどで、骨がむき出しでいるだけでは無く、それに沿って神経が走っているので、ぶつけると痛いところです。
江戸時代の捕縛の様子。明治大学博物館蔵。 中央の男が六尺棒を投げられ、転倒させて捕まえる様子。
■火付け(ひつけ);人家などに火をつけること。つけび。また、放火犯人。
ただし、この噺はマッチを持っていると言っていますから、マッチが国産されるのが明治8年(1875)年4月です。その後市中に出回るまでには10年や20年は掛かるでしょうから、この噺の時代は明治中頃と思われます。したがって、江戸時代のような刑罰は無かったでしょうから、火あぶりの刑では無かったはずです。でも、火付けは現在でも殺人と並んで重罪で、追いかけっこしている場合ではありません。
火事にとりつかれた男「ぼや金」
■無い子には泣きを見ない;子が無ければ親は子のために泣かされることは無い。子があればあるで親はそれなりに苦労の種が多い。
■爪の垢でも煎じて飲め;優れた人の爪の垢を貰って煎じて飲む。優れた人にあやかろうとする事。
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