落語「芋俵」の舞台を行く
   

 

 三遊亭小遊三の噺、「芋俵」(いもだわら)


 

 ある泥棒が料理屋さんに侵入した。昼間の集金で100両が入ったのを知っていた泥棒。その100両を懐に入れたが、腹が減っていたのを思いだし、料理屋に何が出来るか聞いた。「当店は川魚料理の店で鯉こくか、鯉の洗いしか有りませんが・・・」、「久しく食べたことがない。それを持って来い」、腹一杯食べて帰ろうとした泥棒、「チョットお待ち下さい。貴方は知らない家に入ってきて金子を持って行くのが商売です。手前どもは料理を作って食べて貰うのが商売です。で、料金をいただきたいのです」、「それは道理だな。幾らだ」、「100両です」、「高いな。でもしょうが無い払うよ。無いわけじゃないんだから」、「アリガトウございます。またのお引き立てをお願いします」。
 表に出ると、子分が「中の守備は・・・」、「シー。声(鯉)が高い」。

 兄貴が子分を呼んで、盗みの打合せをした。「表通りの伊勢六という質屋に入ろう」、「あすこは、締まりが硬いんだ。止めようよ」、「そこを逆手に考えた。芋俵が有るから、人を一人ここに入れて、伊勢六の前で咳払いをするから『実は芋屋に釣り銭忘れてきた』という、俺が『ドジ、マヌケ』と言う、『こんな重い物を担いで戻れない。丁度イイ、伊勢六さんに預かってもらおう』と置いていく。相手だって夜、表に出しておけないだろう。店の中に取り入れるよ。夜中に芋俵から出て、締まりを開けて我々を招き入れて、仕事をする」。
 「よく考えたが、誰が中に入るんだ」。与太郎を仲間に引き入れて、芋俵の中に入れた。その日の暗くなる前に担ぎ出した。与太郎さん俵の中で、鼻にワラが入って大きなクシャミをして怒られた。「出物腫れ物でしょうが無いヤ」、外には可愛いミーチャンが居たので声を掛けた。「キョロキョロしているよ」。「黙っていろッ。伊勢六の前だぞ」。

 「チョット待ってくれ」、「どうした」、「芋屋に釣り銭忘れてきた」、「このドジまねけッ!。重い物を下げて戻れない。丁度いいや。伊勢六さんに預かってもらおう。話はお聞きの様なわけで、間違いがあるといけないので二人で行って来ます。チョッとの間預かっていただけないでしょうか」、「お困りでしょうから構いませんが、今晩は早仕舞でして早くに取りに来て下さい」。プイッと行ってしまった。企んだことですから戻ってくることはありません。夕方になって芋俵を転がして店の中に取り入れたが、運悪く芋俵を逆さまに立ててしまった。

 「お清ドン、お腹空いちゃった。何か無い」、「何も有りませんよ」、「お腹空いたな~。そうだ、芋俵を預かっているんだ」、「お芋は数して入れてあるんじゃないから2~3本持っておいで、薄く切って焼いてあげるから」、「暗いからお清ドンも一緒に来て」、「男のくせに・・・」、「お清ドン、縄を解くからね」、「駄目だよ解いたら。後が大変だ。俵は一ヶ所もむと手が入るから、そこから取るんだよ。早くおやり」。「キャー、このお芋暖かいよ」、「何処に置いてあったの?」、「店先」、「あすこは西日が当たるから」、「あーッ、このお芋柔らかい」、「柔らかいのは腐っているんだよ。硬いとこ2~3本」、「お清ドン。お芋だけでは無いね。ジャガイモも入っているよ」、与太郎さん、小さな手でお尻の周りを撫でられたので、可笑しいやらなにやら。笑いをこらえようと下っ腹に力を入れた途端に、ブッー。
「あッ~、お清ドン、気の早いお芋だ」。

 



ことば

(こい);コイは外見がフナに似るが、頭や目が体に対して小さく、口もとに二対の口ひげがある。体長は 60cm程度だがまれに1mを超すものもいる。飼育されたり養殖されてきた系統の個体は体高が高く、動きも遅いが、野生の個体は体高が低く細身な体つきで、動きもわりあい速い。なお雌に比べて雄の方が頭が大きい。
 食性は雑食性で、水草、貝類、ミミズ、昆虫類、甲殻類、カエル、他の魚の卵や小魚など、口に入るものならなんでも食べる。口に歯はないが、のどに咽頭歯という歯があり、これで硬い貝殻なども砕き割ってのみこむ。さらに口は開くと下を向き、湖底の餌をついばんで食べやすくなっている。なお、コイには胃がない。コイ科の特徴として、音に敏感である。
 産卵期は春から初夏にかけてで、この時期になると大きなコイが浅瀬に集まり、バシャバシャと水音を立てながら水草に産卵・放精をおこなう。一度の産卵数は50万-60万ほどもある。卵は付着性で水草などに付着し、数日のうちに孵化する。稚魚はしばらく浅場で過ごすが、成長につれ深場に移動する。 生命力は極めて強く魚にしては長寿の部類で、平均20年以上でまれに70年を超す個体もある。長寿であることのほか、汚れた水にも対応する環境適応能力があり、しかも水から上げてしばらく水のないところで置いていても、他の魚に比べて長時間生きられるようである。 川の中流や下流、池、湖などの淡水域に生息する。飼育されたコイは流れのある浅瀬でも泳ぎまわるが、野生のコイは流れのあまりない深みにひそんでおり、産卵期以外はあまり浅瀬に上がってこない。
 滝を登るということがよく言われるがこれは中国の神話伝説の類に由来する言い伝えであって、普通程度の大きさのコイが滝を登ることは通常は無い。コイはジャンプが下手であり、『モジリ』という水面下まで上がって反転する行動が一般にはジャンプと誤認されていることも多い。ただし小型のコイはまれに2m程度の高さまでジャンプすることがあり、この場合は滝を登ることがありうるものの、格別に「滝を登る」という習性がコイにあるわけではない。
ウイキペディアより

鯉濃(こいこく);鯉の味噌仕立ての汁の事を濃漿(コクシヨウ)と言い、鯉を筒切りにして煮込んだ赤味噌汁。見た目には単にコイの切り身の入ったみそ汁のようだ。切り身、鱗が柔らかくなるまで長時間煮る。「鯉汁」とも。汁と煮つけの中間的な料理だ。
あらは廃物でも脇役でもなく、むしろコイを食べるときの主役だと思う。実に豊かな味わいで、うまい。

 

 左:鯉こく。 右:鯉の洗い。

鯉の洗い(こいのあらい);非常に薄く切り、冷水にさらしてアデノシン三リン酸(泥臭さの素)を洗い流して、急速に身を硬直させたもの。爽やかな味わいのなかに鯉のうま味が感じられる。寄生虫の肝吸虫、横川吸虫などが寄生する事があるので、刺身では無く、洗いにして虫を洗い流す。酢味噌や梅醤油などで頂きます。

薩摩芋(さつまいも);ヒルガオ科の一年生作物。中南米原産で、日本には17世紀前半に、中国・琉球を経て九州に伝わり普及。茎は蔓性で、地下に多数の塊根をつける。暖地では、秋、ヒルガオに似た淡紅色の花を開く。塊根は食用のほか、酒類・アルコール・澱粉の原料、また、蔓とともに飼料とする。異称多く、カライモ・トウイモ・リュウキュウイモ・アメリカイモなど。漢名、甘藷(カンシヨ)。
 八代将軍・徳川吉宗の当時、儒学者として知られていた青木昆陽が、町奉行・大岡忠相に推挙され、幕府の書物を自由に閲覧できるようになった。昆陽は同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し、吉宗に献上した。 1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の馬加村(現千葉市花見川区幕張町)、上総の九十九里浜の不動堂村(現:九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。これ以後、東日本にも広く普及するようになる。ただしサツマイモの普及イコール甘藷先生(青木昆陽)の手柄、とするには異説もあるが、昆陽が同時代に既に薩摩芋を代名詞とする名声を得ていたことは事実である。
 近世後期において、九州、四国を中心とした日本の西南地域ではサツマイモの日常食材化が進み、人口増加率も全国平均を大きく上回っている。風害や干害に強く人口支持力の高いサツマイモは、コメの売却で利益を得る藩にとっても都合の良い作物だった。

 

 幕末から明治期には現在もサツマイモで名高い川越の赤沢仁兵衛が実験・研究し、まとめた「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が増加した。江戸から明治に掛けての川越は、薩摩芋の名産地となった。
 『九里四里(くりより)うまい十三里(または十三里半)』、 栗(九里)より(四里)うまいと、サツマイモ(特に川越いも)の美味しさを称えた言葉。十三里は江戸時代、サツマイモの名産地で知られた川越市(埼玉県)が江戸から川越街道を通り、約十三里(52km)の距離であったことに因み、距離的概念の十三里と九里+四里を足して十三里(9+4=13)を引っかけ、洒落をきかせている。愛媛県の佐田岬半島地域でも、佐田岬半島の長さが約十三里であることから「栗よりうまい十三里」と言う。同半島は火山灰の混じる土壌でサツマイモの産地でもある。九里四里うまいを略し、『十三里』でサツマイモ、サツマイモ食品の異称にもなっている。
ウイキペディアより

芋俵(いもだわら);芋を運搬用に俵に詰め込んだもの。米俵と同じ風袋。俵には、穀類・芋類・食塩・石炭・木炭などを入れるのに用いた。 右図:米俵。

出物腫れ物でしょうが無いヤ;『出物腫れ物所嫌わず』。屁もできものも、あれこれ場所を区別しないで、おかまいなしに出る。

気の早いお芋;お芋を食べるとオナラが出るものです。食べる前からオナラが出るなんて・・・。



                                                            2015年9月記

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