落語「手紙無筆」の舞台を行く 春風亭小朝の噺、「手紙無筆」(てがみむひつ)より
■無筆(むひつ);字の書けない人。江戸時代、教養の高さや識字率の高さはヨーロッパの最先端パリやロンドンを数倍引き離して5割以上の力を持っていた。江戸の終わり頃には男子70~80%、女子で20%、武家では100%の高さを誇っていた。女子の低いのは、稽古事の踊・唄・楽器・作法や裁縫、家事万端にも時間を割いています。子供は5~8歳になると寺子屋に入った。12~3歳までの生徒に読み・書き・そろばんを特に教えた。
■手紙(てがみ);半切紙(ハンキリガミ)=書簡用の丈短く横に長い和紙。もとは杉原紙を横に二つに切ったもの。
■書生(しょせい);学業を勉強する時期にある者。学生。明治・大正頃の用法。
■鳥目(とりめ);(鳥のように夜目が見えなくなるからいう)
夜盲症(ヤモウシヨウ)のこと。
■ミミズク(木菟・角鴟);
フクロウ目フクロウ科の鳥のうち、頭側に長い羽毛(いわゆる「耳」)を持つものの総称。ワシミミズク・オオコノハズクなど。右写真。
■本所(ほんじょ);東京都墨田区の一地区。もと東京市35区のひとつ。隅田川東岸の低地。商工業地域。江戸の後期に江戸が拡大して隅田川の東まで御府内とした。その時、本所とその南・深川が選ばれた。明治に入って本所区、深川区になった。
隅田川の対岸、スカイツリーやアサヒビールの本社やビアホールがあるのも墨田区本所辺りです。
■徳川家康公;(1542~1616) 徳川初代将軍(在職1603~1605)。松平広忠の長子。幼名竹千代。初名元康。今川義元に属したのち織田信長と結び、ついで豊臣秀吉と和し、1590年(天正18)関八州に封ぜられて江戸城に入り、秀吉の没後伏見城にあって執政。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で石田三成らを破り、03年征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を開いた。将軍職を秀忠に譲り大御所と呼ばれた。07年駿府に隠居後も大事は自ら決し、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、幕府260余年の基礎を確立。諡号(シゴウ)、東照大権現。法号、安国院。
織田信長公;(1534~1582) 戦国・安土時代の武将。信秀の次子。今川義元を桶狭間(オケハザマ)に破り、諸方を征略、1568年(永禄11)足利義昭を擁して上洛したが、73年(天正1)義昭を追って幕府を滅ぼす。安土城を築き、天下統一の歩を進めたが、京都本能寺で明智光秀に襲われて自刃。
豊臣秀吉公;(1537~1598一説に1536~1598) 戦国・安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。木下弥右衛門の子。幼名、日吉丸。初名、藤吉郎。15歳で松下之綱(ユキツナ)の下男、後に織田信長に仕え、やがて羽柴秀吉と名乗り、本能寺の変後、明智光秀を滅ぼし、四国・北国・九州・関東・奥羽を平定して天下を統一。この間、1583年(天正11)大坂に築城、85年関白、翌年豊臣の姓を賜り太政大臣、91年関白を養子秀次に譲って太閤と称。明を征服しようとして文禄・慶長の役を起し朝鮮に出兵、戦半ばで病没。
■忠犬ハチ公;死去した飼い主の帰りを東京・渋谷駅の前で約10年間のあいだ待ち続けたという犬。犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれている。
渋谷駅前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなって、待ち合わせの場所としても有名。
■上野動物園(うえのどうぶつえん);東京都台東区上野公園の桜の名所上野恩賜公園内にある東京都立の動物園。落語「動物園」を参照。
■広小路(ひろこうじ);江戸時代から火災が多い江戸の街中に、火除け地として設置され、江戸の三大火除け地は浅草雷門前の浅草広小路、隅田川に架かる両国橋の両岸の両国広小路、上野御成街道、上野寛永寺黒門前の上野広小路が有った。この噺の広小路は寛永寺の跡地が上野公園となり、その中にある上野動物園の帰り道、上野公園からだらだらと下ってきた所が、山下でその先が上野広小路です。繁華街として、賑わっている。
広重画 江戸名所図会より、左「広小路」、現・松坂屋辺り。右、「上野山下」、公園から降りた京成上野駅辺り。
■本膳(ほんぜん);日本料理の正式の膳立てで、二の膳・三の膳などに対して、主となる膳。一の膳ともいう。膾(ナマス)・坪(ツボ)・香の物・味噌汁などの献立から成り、飯をこれにつける。
■御平(おひら);(女房詞)
御平椀の略。平型かぶせ蓋の塗物椀で、煮しめを盛る器。
2017年2月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |