落語「成田詣り」の舞台を行く
   

 

 五代目古今亭今輔の艶笑噺、「成田詣り」(なりたまいり)


 

 ご主人は出入りの者を連れて、旅だった成田までお詣りに出掛けますが、その前の晩の話です。

 「オイ、明日は一番鶏ダ。お店(たな)の旦那が成田まで行くんだ。気疲れするから旅の時ぐらいは気心の分かった頭(かしら)と行きたいと言うんだ。あっちで一泊、こっちで一泊しながら行くんだ。明日は一番鶏ダ」、「分かってますよ。一番鶏だからご飯を間に合わせれば良いんでしょ」、「一番鶏ダッ、俺は、7日も家を空けるんだ。だから寝ちまえよ」、「坊やの着物がもう少しで出来上がるんだヨ」、「俺が出掛けたら縫えばイイだろ」、「区切りだもの」、「ヤイッ、バカヤロウ、7日も家を空けると言っているだろう。血の巡りの悪い野郎だな」、「家を空けたら、留守を守っていたら良いんでしょ」、「チキショ~~。生身の人間だ。明日にはどうなっているか分からない。思い残すことがあったらいけないんだ。7日も家を空けるから、『おいとま乞い』をしておこうと思ってんだ。一人で、おいとま乞いが出来るかッ」、「何言ってるんですか。そんな事分かってますよ」、「お前、おいとま乞いが分かるのか」、「子供が起きてますよ」、「そうか」。
 ・・・・
 「もう寝たらしいじゃないか。おいとま乞いしちゃおうじゃないか」、「起きてますよ」、「寝ているよ」、「起きてますよ」、「亀」、「(元気よく)あいよ」、「まだ起きてんのか。早く寝ちまえッ」、「あいよ」。
 ・・・・
 「寝たようだから、オイ、おいとま乞いしちまおうじゃないか」、「まだ、起きてますよ」、「(小声で)寝てるよ」、「亀」、「あいよ」、「まだ起きてんのかッ」、「うん」、「イビキかいて寝ちまえッ」、「あいよ。グ~~、グワ~~、グ~~」、「子供なんて罪が無いな・・・。イビキかいて寝ちゃえといったら寝てしまった」、「グ~~」、「どうだ、あの高イビキ」、「グ~~」、「よく寝てやがんな」、「グ~~」。
 「オイ、寝ちゃったよ」、「グ~~」、「おいとま乞いしようじゃないか。えぇ?大丈夫だよ、寝ちゃったよ」、「グ~~」、「亀」、「グォ~~」、「亀坊、寝ちゃったかィ」、「グ、グ~」。
 「この野郎、イビキで返事しているよ。この野郎ッ。寝ないのか」、「寝られやしないじゃないか。寝ようと思うと、耳元で『おいとま乞い、おいとま乞い』と言うんだもの。ウルサくて眠れやしないじゃないか。そんなにおいとま乞いがしたかったら、すれば良いじゃないか」、「お前、おいとま乞いしてもいいのか」、「親子の間で遠慮はいるもんか」、「そうか、亀坊がおいとま乞いしても良いと言うんだ。おいとま乞いしようじゃないか」。

 と言うわけで、昔はのんきで御座いまして、おいとま乞いは無事済みまして、翌朝。
 親子三人で朝飯を食べていると、前のお米屋さんのニワトリがときの声を上げながら、上になったり下になったり戯れています。その様子をジ~ッと見ていた亀ちゃんが、箸と茶碗をそこに置きますと、「チャンッ」、「ビックリするなぁ~。大きな声出して」、「あッ、あのう~~。お米屋のニワトリも、成田にお詣りに行くぜ」、「バカ、ニワトリが成田に行くわけ無いだろう」、「だって、今、おいとま乞いをしているじゃないか」。

 

 文章に書き上げたのですが、この様な噺は文体では伝わらないでしょう。やはり聞くのが一番。今輔が描く、夫婦の夜の会話は実に見事でお客さんの笑いを含めて、ほのぼのと見事に表されています。みんな大なり小なり経験があることです。

 



 マクラより
 男と女ではその本能が違います。男はタダ繁殖しようとしますが、女は良い子孫を残そうとするのが本性です。
どんな奥様でも、自分の亭主は良い種だと思って、他では散らさないようにしますが、男は無責任に種を撒き散らそうとします。人間だけでなく、動物も植物も同じです。感情の無い植物も、種を残したいという本能があって、雌しべは1本で、雄しべは16本も有ります。15本の雄しべは無駄になってしまいます。

 これは英国の話ですが、ジョージ五世陛下が家畜品評会に奥様同伴でいらっしゃいました。会場の中央に堂々とした種牛が繋がれていて、皇后陛下が係の者に聞いた。「他にも種牛が居ますが、どうして特別優等賞なのですか?」、係の者は困ってしまいましたが、なるべく上品に、と言っても種牛ですから上品にはなりません。「この種牛は1日に42回種付けが出来ますので・・・」、「まぁ~、1日に42回。すごいですから私も皇后賞を出しましょう。この事を皇帝陛下にしっかり言上して下さい」、「はッ」。やがてジョージ五世陛下がその前に立ちますと、「特別優等賞の他に皇后賞ッ」、「1日に42回種付けが出来ると言上しましたら皇后賞を・・・。このことを皇帝陛下にしっかり言上して下さいと御伝言です」。
 「一頭の雌牛にか?」、「いえ、42頭の雌牛にです」、「その事を皇后にしっかりと伝言しておくように」。

ことば

成田(なりた);お不動様の成田山新勝寺のこと。 成田山新勝寺の御本尊不動明王は、真言宗の開祖、弘法大師空海が自ら一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りをこめて敬刻開眼された御尊像です。成田山では、この霊験あらたかな御本尊不動明王の御加護で、千年以上もの間、御護摩の火を絶やすことなく、祈願してきました。
 平安時代、平将門(たいらの まさかど)の乱が起こり 不安と混乱に満ちた世の中。939(天慶2)年関東の武将・平将門が新皇と名乗り朝廷と敵対、平将門の乱が勃発します。乱世の中で人びとは、不安と混乱の中で生活していました。
 朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正 不動明王の御尊像と共に関東の地へ。 寛朝大僧正は、弘法大師空海自らが敬刻開眼した不動明王を捧持して京の都を出発。大坂から船に乗り、房総半島九十九里浜の尾垂ヶ浜(おだれがはま=千葉県山武郡横芝光町尾垂ヶ浜)に上陸します。
 成田の地にて御護摩祈祷を厳修し、 結願の日に将門の乱が終息。 寛朝大僧正は、成田の地に御尊像を奉安し、御護摩を焚いて乱の21日間戦乱が鎮まるようにと祈願します。祈願最後の日、平将門が敗北して関東の地に再び平和が訪れます。
 不動明王のお告げにより、成田の地に留まり人びとを救うため、成田山新勝寺が開山。 寛朝大僧正が都へ帰ろうとしたところ、御尊像が磐石のごとく動かず、この地に留まるよう告げます。ここに成田山新勝寺が開山されたのです。
 源頼朝、水戸光圀、二宮尊徳、そして市川團十郎 といった多くの著名人が成田山を信仰。 歌舞伎役者の市川團十郎丈が成田不動に帰依し成田屋の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったこともあいまって、成田不動は庶民の信仰を集めました。
 今の時代に続く「成田山のお不動さま」への信仰は、現代においても、十二代目市川團十郎丈や市川海老蔵丈が成田山の不動明王に深く帰依し、昔と変わらず成田屋の屋号を名乗って、伝統芸能である歌舞伎の技を守り続けています。
 1702年赤穂浪士が本所吉良邸に討ち入った翌年、江戸深川永代寺にて最初の出開帳がありました。 この間、江戸城三之丸で桂昌院、御本尊に参詣する。 成田山旅宿創設 深川不動堂(東京別院)の端緒。
(成田山新勝寺ホームページより)加筆。
右写真:成田山本堂の前に建つ、三重の塔。

 落語「寝床」に境内の写真があります。

 成田詣りが旅行と言われていた当時の話です。現代では日帰りが当然ですが、当時は1週間掛かりの旅でした。また、同じように、大山詣りや富士詣り、江ノ島見物、金沢八景見物も同じ旅でした。

    

左より、初代團十郎、二代目團十郎(助六)、七代目・八代目團十郎(勧進帳)。 

成田まで;江戸時代の列車がまだ未開通の時はゆっくり行って往復1週間と言っています。(通常3泊4日)。鉄道は明治になって着工、現在のJR(1897年(明治30年)成田駅完工 )、及び私鉄の京成電車が成田まで開通(京成は1930年(昭和5年)4月成田に完工)します。その後は、成田空港が開港し、路線が延伸されます。
 現在はJR特急成田エクスプレスで行くと東京-成田間は46分、特急料金入れても片道2844円です。泊まる楽しみは無くなりますが・・・、便利になりました。JRエアポート成田で行っても、81分1144円です。

一番鶏(いちばんどり);暁に最初に鳴くニワトリ。朝一番で起きること。

(かしら);鳶(トビ)職・左官などの親方。ここでは鳶の親方。大工のトップは棟梁(とうりょう。江戸弁で、とうりゅう)と言います。

成田詣りは女性と行くものでは無いと、昔から言われていました。結婚前だと「別れることになる」と言われ、男だけが行くところだと言われていました。それもそうでしょう、道中で楽しみがあったのですから、女性同伴では楽しみが無くなってしまいます。普通道中で、行きに『しべぇ~(四兵衛)』か、帰りに『しべぇ~(四兵衛)』かと言われ、合わせて『八兵衛(はちべぇ~)さん』と言われた。
 落語「大山詣り
も、「富士詣り」も、信心で行くよりも、その道中での楽しみ、羽目を外すことが目的の一つでもあったのです。ですから、女房達を家に残し、男だけの旅となったのです。

お米屋とニワトリ;(右写真・深川江戸資料館)。お米屋の店頭です。右上のムシロの中につがいのニワトリが飼われています。
 米を搗いて
割れ米や散らばってしまった米などを餌として飼われ、今の値段に直して1個数百円もする卵を産んでもらいます。
 このニワトリ、決して成田山には行きません。



                                                            2017年5月記

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