落語「雨夜の傘」の舞台を行く 二代目 露の五郎兵衛の噺、怪談「雨夜の傘」(あまよのかさ)より
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この概略はテープから起こしています。その為、名前の表記が違っているかも知れません。悪しからずご了承ください。正解をご存じの方がいらしたら是非お教え下さい。
ことば
■二代目 露の五郎兵衛(2だいめ つゆの ごろべえ);(1932年3月5日 - 2009年3月30日)、落語家、大阪俄の俄師。
本名: 明田川 一郎(あけたがわ いちろう)。上方落語協会会長、日本演芸家連合副会長、番傘川柳本社同人、日本脳卒中協会会員などを歴任した。生前の所属事務所はMC企画、五郎兵衛事務所。
彼の噺、次の噺を公開しています。「紀州飛脚」、「蛸坊主」、「宿屋かか」、「酒の粕」等があります。
・俄(にわか);吉原の俄狂言の始まりは安永、天明の頃、仲ノ町の茶屋桐屋伊兵衛が、歌舞伎の真似事が好きで、角町の妓楼中萬字楼その他二、三と相談し、思いつきの俄狂言を作って仲ノ町を往還しました。これが大当たりに当たり、面白い、風流だと評判になり、引き続いて狂言の趣向をこらしたのが俄の始めで、毎秋の定例になったといいます。
■客席から「キャァー」の悲鳴;噺も進んで後半山場の幽霊が出る段になったら、客席は息を吞んでシーンとなっているところに、急に客席から「キャァー」の悲鳴。一瞬場内がザワメキ、その後から場内から安堵の声と小さな笑い声が響いてきました。お弟子さんが客席の後ろの方で、弱そうな娘さんに冷たい物で首筋を触れたのでしょう。
■ノバク(野漠);寛永7年(1630)に徳川家御用瓦師・寺島藤右衛門が大坂拝領地として、幕府から南瓦町の地をいただき、その地が瓦土取場となり、以来200年間瓦の製造のため掘り続けた結果、すり鉢の底のような窪んだ土地になった。この地は寺島藤右衛門請地で、坪数に直すと約27、000坪(約90万平方メートル)の広さが有ったといいます。
■暗峠(くらがりとうげ);国道308号線奈良県と大阪府の県境に有ります。下写真。現在は第二阪奈有料道路のトンネルで一気に抜けられますが、今でも残っている急坂と車一台がやっと通れる国道です。落語「百人坊主」でも説明しているとおり、あまりにも急坂だったためにここは通らず、大津の方から迂回して奈良に入っています。
■室の木峠(むろのきとうげ);奈良市と生駒市と大和郡山市の三市にまたがった『室の木峠』。室の木峠最難関区間弘法大師堂まで奈良から一気に700m区間で90mを登りきる。その後一気に155m下り南生駒の町に出ます。昔ながらの峠道ですが、308号線の国道です。今はバイパスの有料道路が並行して走っていて、この峠の下はトンネルで抜けています。
「室の木峠」 Googleより
■伊勢の松阪(いせのまつざか);お絹さん一家が住んでいたところ。松阪市(まつさかし)は、三重県の中部に位置し、伊勢湾に面する市。松阪牛の生産で知られる。気候は比較的温暖。
江戸時代は伊勢商人を輩出した商業町で、三井家発祥地でも有ります。現在も紀勢本線や近鉄大阪線・山田線沿線を後背地に持つ三重県の経済拠点のひとつ。江戸時代は紀州藩領であった。東には伊勢志摩の観光地を控え、伊勢神宮の入口でも有った。
■新町の廓(しんまちのくるわ);新町遊廓(しんまちゆうかく)は、大坂で唯一江戸幕府公認だった遊廓(花街)。現在の大阪市西区新町1~2丁目に存在した。火災後、街並みが整備され、現在はその面影は残っていない。
■鍋島さんの蔵屋敷(なべしまさんの
くらやしき);佐賀藩蔵屋敷、明暦元年(1665)には堂島川に面した天満11丁目に有った。元禄5年(1692)には、多数の米蔵の他、米売り場等の業務施設、留守居小屋、役人小屋等の居住施設、藩主のための館、堂島川から船で直接屋敷に入る事が出来る船入等を有し、敷地4200坪に達した。西国諸藩の蔵屋敷中最大級の規模で有った。この屋敷は、享保9年(1724)の大火で焼失し、その後に再建された。蔵屋敷は、その後明治4年(1871)に退去するまで、同地に在り続けました。
■お岩様か累(かさね)様;怪談お岩様は、落語「ぞろぞろ」に詳しい。
右図:「お岩さん」 国芳画
■農人橋(のうにんばし);大阪市中央区にある東横堀川に架かる中央大通平面道路の橋、または、同橋東詰付近の町名。1600年(慶長5年)の記録に久太郎町橋と記されている橋が最初の農人橋といわれている。江戸時代後期に刊行された『摂津名所図会』に「いにしへ川西船場に田圃多くして、上町より農民かよひて耕作をなす」と記載され、豊臣期に市街化していた上町側(東側)から市街化する以前の船場側(西側)の農地へ渡るために架橋された。
江戸時代には谷町筋以東に大坂城代下屋敷・京橋口定番与力屋敷・大坂町奉行御金蔵などが立地し、公儀橋の一つだったが、日常の維持管理は橋周辺の町々に課せられ、東は谷町筋から西は御堂筋あたりの橋筋が橋掛かり町の範囲だった。
現在の谷町(ノバク)から松屋町筋を北に行くと、1.2kmほどで高速道路の下に有る橋、農人橋に出ます。鍋島さんの蔵屋敷にはまだ北に、2.4km程歩かなければ行けません。また、新町遊廓へはノバクから西に直線で1.8km程有ります。
■奈落(ならく);地獄。永久に浮ぶ瀬のないところ。
■執念(しゅうねん);思い込んで動かない一念。執着して離れない心。怪談物の常套句。
2017年5月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |