落語「市助酒」の舞台を行く
   

 

 六代目笑福亭松鶴の噺、「市助酒」(いちすけざけ)より


 

 時候は1月から2月に掛けての大阪のお噺です。船場でも夜、火の回りを致します。また質屋さんも有った。これは裏長屋もあったし、大きな商いをしている店でも当座のお金が必要になる場合もあって必要とされていました。

 ここの質屋さんも夜遅くまで丁稚相手に帳合いをしています。そこに「(トントン)火の元用心、お頼み申しまっせぇ~、うぅ~」、「市助やな、ご苦労~さん、ごくろ~さん」、「(トントン)火の元用心、お頼み申しまっせぇ」、「また、酔~てくさる、どんならんなぁ。(大きな声で)いっぺん言ぅたら分かった~る、どびつこい。分かったぁるわいッ!」。
 「これ、番頭どん、いま何じゃお前さん、大きな声出しなさったなぁ~、何か有りましたか?」、「いえ、定吉が眠たがりまして・・・」、「いや分かったぁる、なるほどな~市助が来て『火の元用心、お頼の申します』ちゅうたときに、お前さん『ご苦労~さん、ごくろ~さん』と応えてなはったんは、分かったぁんねん。ところがま~市助も酔~てんねやろ、お前の声が聞こえなんだんやろ、ほでまた言うたさかいちゅうて『どびつこい』てな、ものの言い方がおますかいな。お前さんも船場の店を預かってる番頭さんやろ、ちょっと気ぃ付けなあかんで。あぁして市助かて好き好んで火の回りしてんねやないで、こら町内のためにしてくれてるこっちゃ。これッ、これ常吉、また居眠ってる。こないして居眠るさかいに番頭さんに叱られんねん、少々眠たかっても辛抱しなはれ」、「えらいすんまへんです」。
 「昔からも言ぅとおりな『禍は下から』ちゅうてな、いやいやお前さんはそんな気持ちで言ぅたんやないやろけど、まぁお前が荒くれない言葉使こたさかい市助、自分の悪いこと棚にあげてお前さんの悪いこと町内で触れ歩いてみ、お前さんかてそれ聞ぃたらあんまり気のえぇもんやないやろ。せやさかいな、べつにわざわざ謝らんでもえぇけど、今度また市助見たらそこはあんじょ~言ぅてやんなはれ、分かったぁんな。も~今晩遅いさかいに、休みなはれ」、「ほんなら旦さん、休ましていただきます」、「旦さん、ほんならお休みやす」。

 その晩はそのまま寝ましたが、明くる日番頭さん、市助が通ったらことわり言わんならんちゅうので待っと~りますところ、市助のほ~も何ぼお酒を呑んでても『あぁ夕べ質屋さんで叱られた』意識がございます。質屋の表をば顔隠すよ~にして走って通りました。
 「これ、これこれ、これッ市助どんちょっと待っと~くれ」、「番頭はん、夕べえらいすまんこって」、「いやいや、何も謝ってもらおと思て呼び止めたんと違うねん、ちょっと頼みがあるんで・・・」、「なんでしょう」、「店先ではもしお客さんが来はったら具合が悪いねん、すまんけど遠慮せんとこっち入っとくれ、この台所まで来と~くれ」、「あの~番頭さん何かご用事でも?」、「実は今日がわしの死んだ母親のな、祥月命日(しょ~つきめいにち)やねん。ほんでまぁ、こないしてご主人に仕えててお乞食さんにご報謝するてなことでけへん。せやさかいな、仏の供養にお前さんにちょっとひと口呑んでもらいたいと思てな」、「さいでおますかいな。いや、お叱り受けんのかと思いましたら、何でおます、わたしご馳走になりますの。喜んでご馳走になりますで・・・」、「常吉、用意は出来たるか・・・。こっち持っといなはれ。さ、何もないねんけどな」、「こらど~も、常吉っとん恐れ入ります。いただきます。では会所の方でいただきます」、「会所で吞んだら意味が無い、ここで吞んで欲しい」、「あ~、おっきはばかりさん。お燗までしていただき、普段は燗冷(かんざ)を吞んでいるのに、番頭さんにお酌まで・・・、おおきにありがとさんで、大きな器で(ウゥ・ウゥ・ウゥ・・・プハァ~)まことに結構なお燗でおます。(ウゥウゥウゥ・・・ハァ~)えぇご酒でおますなぁ、薦樽(こもだる)で、そ~でおまっしゃろ・・・。も~計り酒と違いましてなぁ(ウゥウゥウゥ・・・ハァ~)何でおます? 遠慮なしに箸付けさしていただきます」、「番采(ばんざい)もんでえらいすまんねけどな、菜ぁの炊いたんや。揚げと菜ぁと炊いたんとな、こっちにあんのが、お酒呑みのお方の口に合うそ~なが『阿茶羅(あちゃら)漬け』や」、「わたしまた、これで一杯いただくのがいたって好きでおます。酢の塩梅もよろしおます」。

 市助、酒の能書きを並べて一人悦に入っています。燗の仕方や、黙ってても次が出て来るタイミングや町内の人が呼んでくれたり、寒いときは、この様に腹から暖まる(ウゥウゥウゥ・・・ハァ~)。菜の焚いた醤油がイイ、豆腐屋の評判もイイ。頭(かしら)がまわらな、尾がまわらんと言うように、番頭さんがイイから常吉さんがイイ、将来出世しますよ。(ウゥウゥウゥ・・・ハァ~)。ベンチャラを百万遍(ウゥウゥウゥ・・・ハァ~)。
 だんだんと、酒飲みのイヤらしさが出て来て、酔いが深く回ってきた。
 「市助さん、私は昼間仕事も有るので店に出なくてはならない。市助さんも忙しいだろうから、夜、もう一度いらっしゃい。またご馳走しますから・・・」、「いえ、改めて来るような失礼は致しません。私は昼間はヒマですから大丈夫です」。
 「この街で丁稚さんが水を掛けたと言いがかりを付けられ、どう転んでも誰が言っても、解決が付かなかったが、私が行って解決できた。どう転んでも2両近くの金が掛かったもめ事です。金の多寡を言うわけでは無いが、その時ご苦労さんと心付けを貰ったのが1朱(1両の1/8)ですわ、アホらしゅうて。常吉どん、お酒こっちです。(ウゥウゥウゥ・・・ハァ~)。お金の多寡ではありませんけれど、ひとの気持はそんな物では無い。1朱ぐらいだったら、もらわん方が・・・」。
 「チョッと、さっきも言った様に店に出なアカン。今晩改めてきたら良いから、もう、これ位にしてたらどうだ」、「そうですか。分かりました。燗が出来ていたらこちらに貰う。私、これを言われるのが一番いやや。ひとにご馳走になっていると気を使って呑まな・・・。お母さんも気ぃ良くなったでしょう。これで帰ります。ごっそうさんでした。フン」、「えらい口汚しで悪かったな。常吉、会所まで送って行って。足元が危ないから」、「何するんだッ!足元が危なくなるほど吞ませたか。一人で帰れます。馳走になりました。さよなら」。

 「あっちから、ブツブツ言いながら来るのは市助じゃないか」、「そうです」、「呼んでやりぃ」、「市助ッ!」、「若旦那どうしたんですか」、「4~5人で吞んでいたとこだ。仲間に入りぃ」、「酔ってません。シラフです」、「市助の十八番が始まった。吞ましてやりぃ」。若い者がよってたかって吞ましたものですから、今度はグテングテンに酔ってしまった。皆が会所の方に寝かせておいた。
 若旦那達は、市助が寝過ごすと可哀相だからと起こしに来た。
 「ナンボ酔っても、仕事は仕事」、街を回り始めた。「(トントン)火の元用心、お頼の申しまっせ」、「市助どんご苦労はん」。「(トントン)火の元用心、大切にお頼み申しまっせ」、「ご苦労さんでした」。「(トントン)火の元用心、頼のんまっせ、(トントン)火の元用心、お頼の申しまっせ(ドンドン)、火の元用心せぇよこらッ(ドンドンドン)返事せんかいッ!」、「市助、そこ空家や」、「三遍も言わして。空き家なら空き家とぬかせ。寒いのに。(トントン)火の」、「ご苦労さん」、「まだ、火の・・・までしか言っていないのに。(ドンドン)火の元用心、頼のまっせ(ドンドン)火の元、あんじょ~せぇよッ!」。
 大きな声出して質屋さんの二、三軒手前までやってまいりますと、番頭さん「あッ、しもた。昼間呑まさなんだらよかった、えらいことしたなぁ」、番頭さんポイッと庭へ飛び降りて潜り戸のところで待ってました。ところが、隣りまでドンドンドンドンと戸が割れるほど叩いとった市助も「お昼ここで一杯よばれた」といぅ気持ちがあるさかい、表の戸~をば(コツコツ)と小さな叩き方しよった。番頭さん、ガラッと戸を開けるなり、「市助どん、うちは火の元大切にするさかいに」、「いやぁめっそ~な、お宅はど~でも、大事おまへん」。

  



ことば

原典;寛延4年(1751)、岡白駒(はくく)編『開口新語』が出され、中国笑話や軽口本を簡素な漢文で、100話ほど集めたものであった。これは元になる、『百登(ひゃくなり)瓢箪』(元禄14年・1701)を漢文に略記したものです。この百登瓢箪に肉付けされて『再成餅(ふたたびもち)』(安永2年・1773)になった。その中の『火の用心』がこの話の原典になっています。それを紹介すると、
 寒風強き夜、番太が裏店を、「火の用心さっしゃりませ~」と金棒の音。ある家から「これ番太殿、ちょっと寄って一杯すすってござらぬか」、「それはありがたい」、と中に入りみれば、ネギぞうすい。日頃は好きなり、御意はよし、寒さは寒し。2杯まで代えて食い、「アイ、かたじけのふござります。火の用心はお勝手次第になりませ」。

番小屋(ばんごや)と自身番(じしんばん);
自身番=江戸時代の江戸・大坂・京都などで各町内の警備のため設けられていた番所。町方により維持されていた。はじめは各町の地主が自身で順番に詰めたところからこの名がある。のち家主や雇人が詰めるのが普通となった。
江戸では市中を二十一番組に分け、組ごとにいくつかの番小屋を町の要所に設け、その費用は町入用より支出した。その数は嘉永三年(1850)には994ヵ所であった。

左図:馬喰町自身番(江戸名所図会)

 自身番の多くは屋根に火の見を設けてある。枠火の見で、建て梯子をかけ、半鐘を吊してあった。総高は二丈六尺五寸、枠の高さは三尺五寸、幅三尺五寸四方、一丈五尺の建て梯子(はしご)を枠内に建てたものである。自身番屋内に纒(まとい)・鳶口(とびぐち)・竜吐水(りゅうどすぃ)・玄蕃桶(げんばんおけ) などの火消道具が備えてある。半鐘の合図で火消人足らが町役人とともにまず自身番屋にかけつけ、ここで勢揃いしてから火事場におしだした。

 番小屋=天保年間の制によれば、大町および二、三ヵ町合同のときは一ヵ所に五人(家主二人・番人一人・店番二人)、小町では三人(家主・番人・店番各一人)が詰め、非常のおりには増員した。交替で町内を廻り、公用に従い、火の番にあたり、町内の雑務も処理した。また書役(一人)がいて、自身番役・自身番親方ともよばれ、給金は町入用より支払われていた。町内の寄合相談などの場でもあった。町内に不審の者が立ちまわれば捕えて自身番所内にとどめておき、奉行所に訴え出た。目明しが犯罪容疑者を捕えたおりに収容し、訊問を行ったり、奉行所の町廻り同心の巡回を待ってその指示を仰いだりした。その大きさは、おおよそ九尺二間の小屋が普通で、文政十二年(1829)には、梁間九尺、桁行二間半、軒の高さ一丈三尺、棟の高さは軒に準ずると定められている。のちになると家主らの勤務は名目ばかりで、老人を安値で雇って番人としたり、時には酒食をもちこんで驚備を怠ったり、碁・将棋に耽ったりした。番人もまた軒先に草鞋(わらじ)や駄菓子・荒物・雑貨の類を並べて日銭を稼いでいた。そのためたびたび綱紀のみだれをいましめられ、無用の寄合や飲食を禁止し、弁当の持参などを令されている。家の造作も一般家屋と同じ大きさにしたり、あるいは二階づくりになったため、町入用の増大となるので禁止されたことがある。
 
右図:屋根の上に火の見を乗せた自身番。消防博物館より

 

 上図:火事のため、自身番に集合した火消し達。中央に竜吐水が描かれている。若き日の広重自筆画。消防博物館蔵。

 噺の中で『会所』と言っているのは、この自身番のことです。

木戸番=江戸・京都・大坂などの市中で町内警備のため、町境に設けられた木戸の番人。木戸は夜の四ッ時(午後十時)ごろに閉鎖し、それ以後は左右の潜戸から通行させた。医者と産婆には何もいわずに通したという。そのおりには木戸番はかならず拍子木を打って、つぎの木戸に知らせた(送り拍子木という)。夜間は拍子木を打って町内の夜警に回り、捕物があれば木戸を閉ざして犯人の逃亡を防いだ。江戸の町々の木戸は、慶長十四年(1609)にはすでにあったことが記されているから、かなり早くより存在していたといえる。番人は二人で、番太郎または番太とよばれていた。町内から支払われる給金は少額であったため、副業として駄菓子・蝋燭(ろうそく)・糊・ほうき・鼻紙・瓦火鉢・草履(ぞうり)・草鞋(わらじ)、夏は金魚、冬は焼芋などを売っていた。そのため木戸番屋は商番屋(あきないばんや)ともよばれた。番人は番屋に住みこみであった。町内の保安と警火が主目的であるため、本来ならば屈強な男子が勤めるべきであるが、町費の都合もあって老人を安い賃銀で雇うのが一般化していた。番小屋での副業はよい収入であったらしく、番太郎の職はのちに株化した。天保十三年(1842)には、町奉行から商番屋の大きさが規定されているにもかかわらず、それが守られていなかったり、一般の住宅と紛らわしいものがあるので、やめるようにと与力へ指示している。幕末の大坂でもほぼ同じ状態であって、木戸番に壮健で無い者を雇ったりしているが、夜間には木戸を閉めて番人を置かない木戸もあったという。
 右上図:路地の右側に商品が下がっているのが木戸番。左側には自身番がある。

質屋(しちや);質には土地・家屋敷など不動産を質入れして金融を受けるものと、家財道具などを担保とする動産質があり、都市において質屋というと一般には後者を指す。また、特殊なものに諸権利(営業権の株、後期には武家身分たる御家人株等)を担保とする質金融も行われた。

船場、島之内、道頓堀(せんば・しまのうち・どうとんぼり);東西の横堀川、北は土佐堀川、南を長堀川に囲まれた地域を船場と呼ぶ。同じく長堀川と道頓堀川で囲まれた地域が島之内。道頓堀は道頓堀川を渡って南側の芝居町周辺。

荒気ない(あらけない);あらくれない。「ない」は否定の無しの意ではなく、甚し(なし)の義であって、せわしない・はしたない・えげつない・切ない・勿体ない・かたじけない・はがいない。などと同類語である。大坂ことば事典

禍は下から(わざわいは しもから);災いはとかく召使いなど身分の低い者の無思慮な言動によって起こる。身分の低い者の扱いに注意が必要だと言うこと。ことわざ大事典より

祥月命日(しょうつきめいにち);死後一周忌以降の故人の死んだ月日と同じ月日。正忌。正命日。

報謝(ほうしゃ);恩に報い徳を謝すること。物を贈って報いること。仏事を修した僧や巡礼に布施物をおくること。また、神仏への報恩のため、慈善をなし、金品を施すこと。

番采(ばんざい);出来合わせのそうざいのこと。関西、特に京都でいう。守貞漫稿に、「平日の菜を、京阪にては番さいという。江戸にて惣菜という」。大坂ことば事典

阿茶羅(あちゃら)漬け;(アチャラは、ペルシア語のacharに由来するポルトガル語) 季節の野菜など蓮根・大根・筍(タケノコ)・蕪(カブ)などを細かく刻んで、唐辛子を加えた酢・酒・醤油・砂糖などに漬けた食品。ポルトガル人が伝えたという。アジャラづけ。冬の漬け物。

燗冷(かんざ);燗冷まし。燗をしたままで飲まずに冷たくなってしまった酒。

頭(かしら)がまわらな、尾がまわらん」;頭動かねば尾が動かぬ。上位の者が先に立って活動しないと下の者が働かない。

(にわ);大坂言葉で、土間(はにま)の略転で三和土(たたき)のこと。店の土間や台所へ続く土間を庭と言う。 庭園のことは、「前栽」(せんざい)という。大坂ことば事典

大事ない(だいじない);かまわない。差し支えない。別状無い。「大事おまへん」と訛り、さらに「だいない」また「だんない」という。大坂ことば事典



                                                            2018年1月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system