落語「のっぺらぼう」の舞台を行く
   

 

 五代目春風亭柳好の噺、「のっぺらぼう」より


 

 長い噺で、終わりの無い噺が始まります。

 四谷の左門町に播州浅野家の浪人民谷伊右衛門と言えば四谷怪談ですが、その隣の隣の隣に住んでいた、小間物を商っていた吉兵衛さん。良い品物を担いで歩くので、良いお客さんが沢山着いていました。
 中でも贔屓にしていただいたのが、赤坂のさるお旗本。今日も好きな碁に熱中して、立て続けに3番も負けてしまった。妙な日も有ると外を見ると暗くなっていました。

 「吉兵衛、遅くなってしまった。気を付けて帰りなさいよ」、「ありがとうございます。奥様、先程の話のお品次回には必ずお持ちいたします。では、お休みなさい」、と言って屋敷を出た。赤坂見附のところに溜池がございましたが、今は小さくなっておりますが、そこに架かっていますのが弁慶橋。いつもの帰り道、ここを渡っていますと、橋の中央で手を合わせている十六~七の娘さん。髪は文金高島田、夜目にも美しい友禅の振り袖を着て身投げの様子。後ろから抱きしめて、「まあまあ、おやめなさい」、娘は泣くばかり。「死んで花実が咲く物でも有りません。何か有るのでしたら話に乗るので言ってごらんなさい」。娘は泣くばかりでしたが、落ち着いたと見えて・・・、「おじさん、私の死のうとした理由聞いてくれますか?」、「亀の甲より年の功、聞きますよ」、「おじさん、こんな顔でも・・・聞いてくれますか?」、振り向いた娘の顔を見ると、茹で玉子をむいたようなペロリとしたのっぺらぼう。驚いた吉兵衛さん、娘を突き飛ばし、荷物をほったらかして一目散に逃げ出した。

 四谷見附までやって参りますと、真っ暗な中に提灯の明かりが、一つ点いています。夜通しやっている蕎麦屋さんで、助かったと思って無我夢中で屋台にかじり付いた。「どうしました」、「後ろから誰か追っかけてこないか?助かった。今、弁慶橋の所で、娘ののっぺらぼうを見てきちゃった」、「ええ~、のっぺらぼうを旦那も見たんですか」、「『見たんですか』とは・・・?」、「こんな生温かい晩には、出るんですよ。あすこには歳いったカワウソが住んでいて、こいつがキツネ・タヌキ以上に化けるんです。まごまごして居たら暗い川底に引き摺り込まれてましたよ。命拾いをしましたね。旦那、もしやのっぺらぼうというのはこんな顔ではありませんでしたか?」、ひょいと見ると、蕎麦屋の親父ものっぺらぼう。何処をどう走って帰ったか、自分の家の前。

 「(ドンドンドンと戸を激しく叩く)オッカア、戸を開けてくれ」、「ハイハイ、分かりましたよ」、「オッカア、後から誰か追いかけてこないか? おかしな晩だ。お屋敷からの帰り、弁慶橋で娘の身投げを止めたら、その娘がのっぺらぼうなんだ。駆け出して四谷見附まで来ると蕎麦屋が出ていた。助かったと思って、『親父、そこでのっぺらぼうを見たぞ』と言ったら、蕎麦屋の親父ものっぺらぼうなんだ。一晩にのっぺらぼうを二人も見ちゃった」、「ヤダよこの人。夜遅くまで碁なんかやっているからだよ。本当に見たのかぃ。お前さんの見たのっぺらぼうはこんな顔だったのかぃ」、オカミサンの顔ものっぺらぼう。驚いたのなんの。気を失って、そこにバッタン。

 「チョイとお前さん、起きておくれよ。お前さん!」、「ここは何処だぃ~」、「ヤダよ。気味の悪い声出して。うなされていたから起こしたの。何か悪い夢でも見ていたんじゃ無いの」、「夢。夢か。夢で良かった。今日はお屋敷に行っただろう」、「行ってませんよ。品物が無いって休んだじゃないか。夕方からそこで飲み始めて、寝ちゃったんじゃないか」、「これはハッキリした長い夢見ちゃったな。弁慶橋で娘の身投げを止めたら、その娘がのっぺらぼうなんだ。駆け出して四谷見附まで来ると蕎麦屋が出ていた。助かったと思って『親父そこでのっぺらぼうを見たぞ』と言ったら、蕎麦屋の親父ものっぺらぼうなんだ。そこまでは良いんだ。帰ってみると、お前までのっぺらぼうなんだ。こんなのっぺらぼうと夫婦かと思ったらゾーッとして・・・」、「やだよ、この人は・・・、何年一緒に暮らしているんだぃ。気味の悪い事言って。私がのっぺらぼうの訳が無いじゃ無いか。本当かい。夢の中で私がのっぺらぼうだったのかぃ。私がぁ・・・、じゃぁこんな顔かい」、ヒョイと見ると、またまたオカミサンの顔がのっぺらぼう。驚いた旦那は、また気絶して・・・。

 「チョイとお前さん、起きておくれよ。お前さん!」。
これを繰り返すから、この噺は延々と終わりがありません。世にも恐ろしい話で失礼します。

 



ことば

五代目春風亭柳好(しゅんぷうていりゅうこう);(1967年7月13日 - )は、落語芸術協会に所属する落語家。本名 平山 哉(ひらやま はじめ)。神奈川県川崎市出身。出囃子は「おいとこ」。
 1986年12月、五代目春風亭柳昇に入門。春風亭柳八を名乗る。1991年2月二つ目。戦中戦後にかけて活躍した三代目“野ざらし柳好”、ゆっくりとした口調で穏やかな高座が人気の四代目に次いで、2000(平成12)年、真打昇進と同時に五代目を襲名。先代を彷彿させるおおらかな愛嬌のある芸風で、古典落語の登場人物を生き生きと演じる。得意ネタは『井戸の茶碗』『薬缶』など。弟子に春風亭柳城(真打)と、春風亭吉好(2013年に二つ目昇進)がいる。 母校の東京農業大学で特別講師を務める。 2001(平成13)年 平成12年度 国立演芸場花形演芸会銀賞を受賞。

のっぺらぼう;のっぺらぽん。丈が高く、顔に目鼻口のないばけもの。茹で玉子をむいたようなペロリとした顔の妖怪。古くから落語や講談などの怪談話や妖怪絵巻に登場してきた比較的有名な妖怪であり、小泉八雲の『怪談』の「貉(ムジナ、MUJINA)」に登場する妖怪としても知られる。また、しばしば本所七不思議の一つ『置いてけ堀』と組み合わされ、魚を置いて逃げた後にのっぺらぼうと出くわすという展開がある。妖怪としての害は人を驚かすことだけで、それ以上の危害を与えるような話は稀。
 落語「化け物使い」にも出てくるお化け。志ん朝は、のっぺらぼうをまじまじと見ていると恥ずかしそうにしているので、「もじもじする事無いよ。なまじ目鼻があるために苦労している女は何人も居るんだから」。

  

 最近のマネキンはのっぺらぼうが流行みたいです。 銀座にて

 原典でもある、小泉八雲の「貉(むじな)」 から、
 江戸は赤坂の紀伊国坂(きのくにざか)は、日が暮れると誰も通る者のない寂しい道であった。ある夜、一人の商人が通りかかると若い女がしゃがみこんで泣いていた。心配して声をかけると、振り向いた女の顔には目も鼻も口も付いていない。驚いた商人は無我夢中で逃げ出し、屋台の蕎麦屋に駆け込む。蕎麦屋は後ろ姿のまま愛想が無い口調で「どうしましたか」と商人に問い、商人は今見た化け物のことを話そうとするも息が切れ切れで言葉にならない。すると蕎麦屋は「こんな顔ですかい」と商人の方へ振り向いた。蕎麦屋の顔もやはり何もなく、驚いた商人は気を失い、その途端に蕎麦屋の明かりが消えうせた。全ては狢が変身した姿だった。

四谷左門町(よつやさもんちょう);新宿区にある同名の町。歌舞伎四谷怪談に出て来る民谷伊右衛門の住所地で、実際の田宮(読みは同じだが字体が違う)伊右衛門の住まいの後に出来た”於岩稲荷”が有る所。
 のっぺらぼうの蕎麦屋がいた、四谷見附から新宿通りを新宿方向に向かうと、1kmほどで消防博物館が有る四谷三丁目交差点を左に曲がったところに左門町が有ります。

四谷怪談(よつやかいだん);歌舞伎脚本『東海道四谷怪談』で有名。五幕。四世鶴屋南北作の世話物。文政8年(1825)初演。浪人民谷伊右衛門は私欲に迷って妻のお岩に毒を盛り憤死させ、家伝の秘薬を盗んだ小仏小平をも惨殺し、二人を戸板の裏表に釘付けし死骸を川に流したが、そのお岩の亡霊に悩まされて自滅する。南北の代表作。
 しかしこの話は実在のお岩さんから、200年後に創られた、全くのフィクション。本当は、四谷左門町に住む、お岩は御家人田宮(読みは同じだが字体が違う)伊右衛門の妻で人も羨む仲の良い夫婦であったが、30俵3人扶持で台所が苦しく、夫婦は商家に奉公に出て家計を支え、家を再興した。この健気な一生を送ったお岩の美徳を祀ったのが於岩稲荷。人々もこの女性を慕い「於岩稲荷」と呼んで信仰し、参拝客も増え屋敷内の神社から今の神社になった。歌舞伎も大いに当たったが、その影響で稲荷もたいそう大きくなった。
 落語「ぞろぞろ」から孫引き

小間物(こまもの);目貫(メヌキ)・小刀や化粧品・櫛・カンザシ・紙入れ・扇子・風呂敷などのこまごました品物。それを商うのが小間物屋。
 目貫は、刀剣類の柄(ツカ)の側面につける飾り金物。刀心を固定させる目釘の鋲頭や座の飾りとするのを真目貫(マコトノメヌキ)といい、近世、装飾化して目につきやすい位置に飾るのを飾目貫(カザリメヌキ)という。
 落語「小間物屋政談」にも出てくる小間物屋。

赤坂(あかさか);港区赤坂。TBS-TVがあり、乃木神社や氷川神社、落語「寛政力士伝」で紹介した雷電の墓が有る報土寺、落語「景清」の円通寺、過去には勝海舟が住んでいた地でもあります。

旗本(はたもと);江戸時代、将軍直属の家臣のうち、知行高が1万石未満の直参で御目見(オメミエ)以上の格式のあった者。御目見以下を御家人(ゴケニン)という。

赤坂見附(あかさかみつけ);現赤坂の北東部にある地名。江戸城外堀に面した城門に因む名。赤坂御門。

 明治初期の赤坂御門。手前が赤坂の町で、高麗門の先は江戸城内で、内堀までは一般人でも通行は支障有りませんでした。

溜池(ためいけ);赤坂見附から南に外堀があって、現在は埋め立てられて外堀通りと名が変わっています。1km程南に、首相官邸近くに溜池交差点が有り、江戸時代そこを中心に大きな溜池がありました。五代目柳好は間違った解説をしています。弁慶橋が架かったお堀と混同しているようです。

弁慶橋(べんけいばし);赤坂見附の外堀通りから紀尾井(きおい)町に有るホテルニューオオタニに入って行くところに架かる橋。木で出来たようなコンクリート製の橋で、釣り堀や貸しボートが有ります。この道はホテルニューオータニに行く道ですから、夜が更けても人通りや車の通が激しいところです。弁慶橋を渡らずに左側の濠に沿った道が、小泉八雲のいう紀伊国坂で左側は御所(現赤坂離宮)なので薄暗い上り坂です。上がりきる手前が筋違い御門で、円生が噺の中で首くくりの多いところだと言っています。それを右に見て、坂を上がりきると正面に四谷見附が見えます。
 噺の時代設定が江戸時代だったら、未だ弁慶橋が架かっていません。紀尾井町は紀伊家、尾張家、井伊家の屋敷が並んでいました。外堀の内側、城内ですから小泉八雲が言うように、濠の外側の紀伊国坂を登るのが距離にしても自然です。明治に入ったら都心にカワウソは居ないでしょうがムジナだったら未だ居たでしょう。

 「弁慶橋」 明治東京名所図会 図中、左の奥に見えるのがプリンスホテル、右側の高台が赤坂見附御門跡、濠はここで行き止まりになっている。濠の右側の凹んだところが外堀に抜ける水路。橋の左側は紀尾井坂で、岩倉具視や大久保利通などの明治の重鎮が暗殺者に襲われた。橋の右側が赤坂見附の交差点。

文金高島田(ぶんきんたかしまだ);(同じころ男髷(オトコマゲ)の文金風が流行したため) 女の髪の結い方のひとつ。島田髷の根を最も高くした、高尚・優美なもの。もと辰松島田。針打ち。文金島田。現代では結婚式で花嫁さんや芸者さんが結う髪型。
 男の髪形の文金風、辰松風(タツマツフウ)から出て、まげの根をあげて前に出し、月代(サカヤキ)に向かって急傾斜させたもの。豊後節の祖宮古路(ミヤコジ)豊後掾の始めた髪型。宮古路風。
右写真:人形の髪形。

友禅の振り袖(ゆうぜんのふりそで);友禅染、染色のひとつ。糊置(ノリオキ)防染法の染で、繊細な糊置の技法と多彩華麗な絵文様が特色。元禄(1688~1704)ごろ宮崎友禅斎が一段と美しい文様染を完成したといわれる。本来の友禅染は一切の工程が手描きであるが、明治以後型紙使用の型友禅ができ、量産されるようになった。
 友禅の名は、江戸時代の京の扇絵師・宮崎友禅斎に由来する。元禄の頃、友禅の描く扇絵は人気があり、その扇絵の画風を小袖の文様に応用して染色したのが友禅染である。多彩な色彩と、「友禅模様」と呼ばれる曲線的で簡略化された動植物、器物、風景などの文様が特徴である。考案者が絵師であったこともあって、当時は日本画の顔料として使われる青黛や艶紅などが彩色に使用された。 その後、絵画的な文様を染めるために文様の輪郭線に細く糊を置き、隣り合う色同士がにじまないように工夫する技法が開発された。やがて、この技法が友禅染めと呼ばれることが多くなる。京で生まれた京友禅の技法が、後年、友禅斎本人により加賀藩(現在の石川県)の城下町・金沢に持ち込まれ、独自の発展を遂げたものが加賀友禅である。 明治時代には、広瀬治助が捺染の技法を用いた「型紙友禅」を考案し、友禅染の裾野を広げた。 1856年にイギリスで発見された化学染料の発達によって模様の彩色は多岐に発達し、普通は単独で十分に衣装を装飾するが振袖などの特に晴れがましい衣装の場合は鹿の子絞りや刺繍、金彩などを併用することもある。

 振袖は、現代では、若い未婚の女性が着用するものと見なされる場合が多いが、本来は着用者が未婚か既婚かということで決める物ではなく、若い女性用の和服であった。それゆえある程度の年齢になると一般的な女性は着用しない。 「振り」とは「振八つ口」とも呼ばれ、身頃に近い方の袖端を縫い付けずに開口している部位のことを指す。現代の振袖の特徴は「振り」があり、かつ、袖丈が長いことである。袖に腕が入る方向に対して垂直方向の長さが袖丈である。現代では最も袖丈の短い小振袖はほとんど着用されず、もっぱら大振袖・中振袖が用いられるが、格式がある柄付けならば小振袖でも中振袖でも第一礼装となり、一般的な大振袖より格が落ちるわけではない。今日の成人式に着用される振袖はほとんどが大振袖(本振袖)である。
右写真、友禅の振り袖。

亀の甲より年の功(かめのこうより としのこう);
(「甲」と「劫」とは音が通ずるからいう。「年の功」とも書く) 長年の経験の貴ぶべきことのたとえ。

四谷見附(よつやみつけ);江戸城の外堀・内堀に架けられた橋には沢山の見附が有った。そのひとつで、江戸城半蔵門から西に甲州街道が開かれていたが、麹町を抜けて最初の見附を四谷見附といった。現在はJR四ツ谷駅が有り、地下鉄丸ノ内線、南北線がここに駅を開設している。
右写真、四ツ谷駅前の四谷見附跡。

カワウソ(かわうそ); イタチ科の哺乳類。体長約70cm。イタチに似、体は褐色。四肢は短く、蹼(ミズカキ)があって泳ぎに適し、水中で魚などを捕食。毛皮は良質。ヨーロッパからアジアに広く分布するが、日本では絶滅。最近対馬で発見されたと言うがニホンカワウソでないことが判明。
 古来の俗説に、人語をまねて人をだまし、水に引き込むという。河童の原形ともされる。
右写真、カワウソ。広辞苑



                                                            2018年2月記

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