落語「三人娘」の舞台を歩く
   
 

 五代目 春風亭柳朝の噺、「三人娘」(さんにんむすめ)  

 

 ある方が身延(みのぶ)さんを信仰いたしまして、これはまぁ江戸の商人(あきんど)でございます。
自分の願(がん)がかないましたので、願解き。
身延さんへお参りをしまして、江戸へ指して戻り道、いつも行き来しているところなんですが、かえって慣れている道というのは、自分に心の油断がありまして、ちょいと道を迷いました。
行けども行けども人家がない。そのうちに雪がしんしんと降り始めて・・・。

 「驚いたなぁ。こりゃ、凍え死にすんのかねぇ。野宿をする訳にはいかねぇ。おっ、向こうに明かりが見えんな」。
あすこへ行って、一夜の宿を願おうってんで・・・。
「こんばんわ、こんばんわ。・・・あの~、旅の者でございやすが、道に踏み迷いまして、えぇー、このとおり雪が降ってまいりまして、お泊めもうしていただけませんか?」
「あい、すいません。手前どもは、娘が三人と私、つまり女のよったり(四人)暮らしで、えー、男の方は泊める訳にまいりませんのです」。
「いや、おかみさん、そんな薄情なことは言わないで、これも身延さんの引き合わだと思いまして、地獄で仏の例えで、えぇー、どこでもよろしいんで、土間の隅でも結構ですが、えー、お泊め申していただけませんか。こうやっている間にも、体が、何ですか、凍えてきそうでございまして・・・」。
「さようでございますか。それじゃ、まぁ、無下にお断りもできませんから、どうぞこちらへ」。
と、田舎家の女主(おんなあるじ)が、旅人を家(うち)の中へ招(こう)じ入れる。

 囲炉裏へ粗朶(そだ)をくべまして・・・、「どうぞ、お当たりを」。
「えッえッえッ。すいません。何よりのごちそうでございまして。この上、火に当たらしていただけるなんぞ、ありがとうございます」。
「あの~、おっかさん。お風呂が沸きましたけど・・・」。
「そう。じゃ、旅の方、おもてなしもできませんが、どうぞ、お風呂などお召し上がりくださいまし」。
「この上、お湯を頂戴できる。へぇへぇ、ありがとうございます」と、旅人が礼をいいながら、湯殿(ゆどの)へ行きました。

 湯船へ浸かって、今度は流しへ出て、体を洗い始めた。
ところが、田舎のあばら家ですから、湯殿の戸なんざぁ節穴だらけ。
三人の娘がこの節穴から中を覗いてる。

 「あらッ お姉さんたち」、「な~に」、「今、私、覗いてたけど、初めて見た。男。あれが、男っていうんだねぇ」、「そうなんだよ。なんか、変わっているかい」、「変よ」、「何が変だい」、「だって、私たちが山で見る、けだものやなんかは尻尾が後ろにあるでしょ。あの人、尻尾が前にぶらさがっているわよ」。
「あら、そうかい。じゃ、私が覗いて・・・。あらっ、本当だよ~。お前さん、見てごらんよ」、「そお。じゃ、私も・・・。まあぁ~、変なもんね、あの尻尾。何かしら、あれ。触ってこようか。お姉さん、ねぇ、じゃ、年の順にさ、一番下の私から行ってくるわ」、「そうかい、じゃ、お前、早いとこ触っておいで」。

 「旅のお方」、「何ですか。お嬢さん」、「すいませんが、お姉さんたちと相談が出来上がったの」、「何です」、「その、前にある、その尻尾を触らせてくださいな」、「おー、こんなもんでよけりゃ、別に減るもんじゃないし、どうぞお触んなさい」。

 「行ってきたわ」、「何だったい。あれッ」、「何か細長い、肉のようなものよ」、「そう。じゃ、あたしが行ってくるわ」。

 真ん中の娘が触りに来たときには、最前、この若い娘が触った後ですから、そう柔らかくはない。
「行ってきたよ」、「何だったい、ありゃ」、「ちがうわよ。あんた肉っていったけど、あんな硬い肉があるかね。ありゃ皮だよ」、「じゃ、あたしが・・・」。

 と言うわけで、総領娘が触りにきたときには、すっかり、この硬くなった。
「ありゃ、違うよ。お前。ありゃ、骨だよぅ」、「違うわ。肉だったわよ」、「いいえ、皮よ」、「違うよ。ありゃ、骨だよ」。

 「うるさいね。お前がたは何を言い合いをしているんだい。肉だ皮だ骨だって」、「実は、おっかさん。ねぇ、旅の方の、あの尻尾を触ったのよ」、「ばっかだねぇ。お前ッ。あんなもん触っちゃだめだよ」、「でも、あれ、おっかさん、肉でしょ」、「いいえ、骨よねぇ」、「皮でしょ」。
「いいや、あれは、骨でも肉でも皮でもないよ。ありゃ~、ねぇ~、水鉄砲」。



 

ことば

身延さん(みのぶさん);身延山久遠寺。山梨県南巨摩郡身延町身延3567。鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれたお寺です。日蓮宗の総本山として、門徒の無二の帰依処として知られています。

身延山久遠寺、本堂。 昭和60年(1985)、日蓮聖人700遠忌の主要記念事業として再建された。間口32m、奥行51m。一度に 2500人の法要を奉行できる。

  かつて身延山は甲斐の国の波木井(はぎい)の郷内にあり、領主の南部実長公の領地でした。三度幕府をいさめたのち、一代をしめくくるため、日蓮聖人は山林に身をかくせとの故事により、信者である南部実長公の支援のもと、文永11年(1274)5月17日に入山しました。同年6月17日、久遠寺を建立。この日が身延山開闢(かいびゃく)の日となりました。以来、日蓮聖人はこの地でひたすらに法華経の読誦と門弟たちの教育に終始し、身延山を生涯の住処としました。弘安5年(1282)の9月8日、病身を養うためと両親の墓参のために、ひとまず山を下り常陸の国(茨城県)へと向いました。しかしその途中、武蔵の国池上(東京都大田区池上。池上本門寺)にて61歳の生涯を閉じました。聖人のご遺言「いづくにて死に候とも墓をば身延山に建てさせ給へ。」により、遺骨は身延山に奉ぜられて心霊とともに祀られました。お題目は「南無妙法蓮華経」。
  身延は人里離れた深山であって衣食の調達は極めて不便であり、鬱蒼(うっそう)とした大木にかこまれた猫の額ほどの地に造られた庵室は湿気が多く、日照時間もみじかく、夏には大雨・長雨で交通がとだえ、冬ともなれば深山は特に雪が深く人の訪れもなくなってしまう。その様な過酷な地であった。

景勝奇覧「甲州身延川」北斎画  夜の身延川でイワナ漁に精出す漁師達

富士川(ふじがわ);今から400年前、徳川家康の命を受けた京都の角倉了以(すみのくら_りょうい)によって慶長12年(1607)富士川が開削され、鰍沢から駿河の岩淵(いわぶち。静岡県富士市岩淵)まで開通しました。信州往還(信州に向かう甲州街道)と駿州往還(すんしゅうおうかん。富士川街道=みのぶ道。鰍沢-岩淵)の交わる地点に位置していた鰍沢は、この開削により富士川舟運の要衝地、鰍沢河岸として流通の拠点として大きく発展していきました。
 当時の主な積み荷は「下げ米、上げ塩」と呼ばれました。下り荷は甲州や信州から幕府への「年貢米」、上り荷は「塩」と海産物が中心。塩は鰍沢で陸揚げされ、桔梗俵(底を桔梗の花ツボミの形状に五角形につくった俵)に詰め替えられ「鰍沢塩」として甲州一円はもとより、信州まで運ばれました。
 当時、富士川を行き交った高瀬舟(円生は底の平らなペカ船と言っている)は、鰍沢から岩淵までの約72kmを半日で下り、帰りは船に縄をつけて船頭たちが引っ張りながら富士川を4~5日かけて上ったそうです。 約7百年前に日蓮上人が開いた身延山へも舟運が便利で、鰍沢は宿場町としても栄えました。明治期には生活物資の出入りはもとより、船を利用しての身延参詣の泊り客や東海道線岩淵(富士川)から船を利用する客で大変にぎわいました。
 繁栄を極めた富士川舟運でしたが、明治44年の中央本線の開通、および身延線の開通により物資の輸送が鉄道へと移り、300年の歴史を閉じました。
富士川町役場ホームページ http://www.town.fujikawa.yamanashi.jp/kanko/meisho/fujikawa.html 
より訂正要約。

右図;広重画「富士川上流の雪景」

この項、落語「鰍沢」より孫引き

江戸の商人(えどのあきんど);この噺の旅人も道に迷うのですが身延への道ではよく道に迷うものです。落語「鰍沢」でも、江戸の商人が雪の降る時期、道に迷い一軒の民家に泊めてもらいます。「鰍沢」では鉄砲を持った女主人”お熊”に追いかけられて雪の山道を逃げることになりますが、この噺では3人の娘にちょっかいを出されたぐらいで済んだのは、幸せなことでした。

願解き(がんほどき);神仏にかけた願がかなったとき、そのお礼参りをすること。お願いをするときは願掛けと言います。

■凍え死(こごえじに);寒さにこごえて死ぬこと。凍死。

地獄で仏(じごくでほとけ);危難の時に思わぬ助けにあったたとえ。

囲炉裏(いろり);地方の民家などで、床(ユカ)を四角に切り抜いてつくった炉。地炉。

粗朶(そだ);伐り取った樹の小枝。薪とし、また、堤を築く材料や海苔を着生させる材料とする。

お風呂が沸きました;山の中の一軒家なので、内風呂を持っていました。粗末な湯殿だったのでしょうが、凍え死にしそうだった旅人には天国のようにありがたかったでしょう。

湯殿(ゆどの);浴室。風呂場。

節穴だらけ(ふしあなだらけ);節穴=板などの節の穴。板に多くの節穴が開いてるような外板での作りでは、安普請の湯殿だったのでしょう。普段は、女性だけの家族ですから、覗かれる心配も無かったのですが、雪が降って来る外の寒さが、湯殿に直に伝わってきます。目線も。

娘が節穴から中を覗いて;異性が裸でいれば、だれだって覗きたくもなるのは当たり前です。

尻尾が前に;えッ?どういうこと。男性にだけしかない尻尾?

触ってこようか;おッ~、大胆な娘ッ子達です。

細長い、肉のようなもの;普段はね。

ありゃ皮だよ;触られれば・・・。

骨だよ;だんだん堅くもなりますよ。

総領娘(そうりょうむすめ);長女。流石長女だけあって、堅くなったところを触ってきました。

あんなもん触っちゃだめだよ;そうですよ、触っちゃダメ。

水鉄砲(みずでっぽう);あの尻尾って、小便小僧のように水鉄砲だけの役割りだけじゃないでしょう。

右図:「ダビデ像」は、イタリア・ルネサンス期の巨匠ミケランジェロによる彫刻。1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した。ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つ。フィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されています。
大理石で身の丈5.17mにかたどられた大きなこの像は、旧約聖書の登場人物ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している。
 三人娘が節穴から覗かなくても、ここに素裸の青年が居ます。どうぞご覧ください。でも、触っちゃダメ。


                                                            2018年12月記

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