落語「田端君」の舞台を行く
   

 

 自作
 三遊亭歌之介の噺、「田端君」(たばたくん)より


 

 日本も長寿国になりました。世界的にも長生きな国で、新聞にその訳が載っていました。一番目が『食生活が豊かになった』、二番目が『死ななくなった』、これって凄いですね。私は鹿児島県出身で大田舎で、化粧品は”椿油”と”ももの花”しか無いんですよ。
 家のお婆ちゃん、”野間おとみつ”と言うんですが、元気なんです。八十八になるんですが、死ぬのを忘れたんじゃないかと思います。病院から帰って来たらニコニコしているので、「お婆ちゃん、なんか嬉しいことが有ったの?」、「世の中には気前の良い先生がいるね。明日病院でご馳走してくれるんだよ」、「初めて行った病院だろ。何て言ったの」、「野間さん、明日は何も食べないで来て下さい」。
 良く聞いたら胃の検査が有るから、何も食べないで・・・。
 これが最後かと思ったから、東京見物させた。区役所に連れて行ったら、急に大声で鹿児島の民謡を歌い出した。周りの視線が気になったので、「お婆ちゃん、大きな声だしちゃ、迷惑になるよ」、「良いんだよ」、と言うので、箱を見ると、”貴方の声をお聞かせ下さい”と書いてあった。
 その帰り、駅で千円札を拾った。黙って自分の財布にニコニコしながらしまってしまった。落とした人が「それ私のですが・・・」、「すいません、私のと良く似ていたもので・・・」。
 「お婆ちゃん、健康の秘訣は・・・」、「病気をしないことだよ」。そのお婆ちゃんが危篤だという連絡を貰ったので、病院に駆けつけると・・・、「まだ、生きてるよ」。
 容体が悪化したので先生を呼ぶと、「お婆ちゃん、誰か会いたい人がいたら呼びなさい」、「先生、他の先生に会わせて下さい」。この一件以来元気になってゲートボールに行っています。100歳まで生きるでしょうね。
 鈴本の楽屋は”お達者クラブ”みたいです。

 高校に入ったら、隣の生徒が肩幅広く牛乳瓶の底のような眼鏡を掛けた田端君だった。「焼酎臭いよ」、「朝寒かったから、母親が一杯引っかけて行けというので焼酎飲んできた」、2時間目になると「たばこが切れてきた」、先生に聞かれて「たばこは吸わん」と笑った口元が煙草の脂で黄色くなっていた。校内放送で「田端、たばこが終わったら職員室に来なさい」。
 私は数学は嫌いでした。答えが一つしか無いなんて。人生色々あって良いのに・・・。 
 英語の時間、次の言葉を英語に直せ、との問題が出た”うどん”、田端君「簡単たい。ラーメン」。あれは、ジャパニーズ・ヌードルと言うらしいのですが、訳さなくても、うどんで十分通るみたいです。

 田端君は馬小屋の2階に住んでいた、夜、2階に上がると40Wの裸電球にミカン箱が転がっていてエロ本が散らかっている。さつま白波を6:4に割ってもう呑んでいた。「野間、お前も呑め」。
 裸電球に蛾が飛んできて鱗粉を飛ばしています。野間君酔っていますから、「芸術的な夜だッ」、輪ゴムで蛾を打ち落とすんです。本人は酔っているから良いんですが、裸電球と黒縁眼鏡が光る不気味さです。「馬小屋で寝ていると、キリストみたいになってきた」、キリストがさつま白波を6:4に割って呑むか。二人で2本空けて、翌朝は二日酔いです。
 遊びに行こうと二人乗りで町に出掛けた。可愛い子がいたので声を掛けたが口笛が吹けなくて、息がスースー漏れるだけだった。「茶飲みに行かんかね」、九州の女はキツいですから、「行かんッ」、「ダワッ、たわけだ。たわけだ」。
 先生にトイレで見つかって「田端、煙が出ているぞ」、「ウンコの煙です」、「開けるぞ」、「未だ流していないので見て下さい」、ウンコの上にたばこが刺さっていた。「これは何だ」、「ハイライト」、「どういう事だッ」、「昨日たばこを食べたんです」、これで不問になった。
 ラサールの生徒と電車の中で一緒になった。折りたたみの将棋盤を出して、駒がないのを動かして将棋をしている。頭の中で棋譜が出来ていた。これを見てびっくりして「田端、上を見たらキリが無いね」、「馬鹿野郎、下を見たら、後が無いよ」。
 お互いに友達は大切にしましょう。

 



ことば

三遊亭歌之介(さんゆうてい うたのすけ);昭和34年(1959)4月8日生まれ。本名・野間 賢。鹿児島県出身。
 昭和53年(1978) 大阪市立汎愛(はんあい)高校卒業後、三代目・三遊亭圓歌(えんか)に入門。前座名、歌吾(うたご)。
 昭和57年 二つ目昇進。三遊亭きん歌となる。住まいであったアパート「善兵荘」の廊下に140人のお客を集め落語会を行う。廊下での落語会は、業界初。 これにより家賃滞納を完済した。
 昭和58年 この年のフジTV「らくごin六本木」に最多出演。「田畑君」「松岡君」「一八君」「野間家の人々」「寿の春」などの新作でTV界デビュー。
 昭和60年(1985) 若手演芸大賞最優秀二つ目賞を受賞。NHK新人落語コンクール入賞。
 昭和62年 真打昇進試験に、新作「寿の春」で合格。先輩18人抜きで真打昇進。志ん朝、小朝の今まで二人しかいない入門9年目で真打昇進の大抜擢を受ける。初代・三遊亭歌之介となる。
 昭和63年 故郷鹿児島にて、ミニ独演会(一回30分)を一日14ヶ所で行う。
 平成3年(1991) 国立演芸場 花形演芸大賞 金賞受賞。
 平成30年(2018)4月22日、東京・国立演芸場で行われた「三代目 三遊亭圓歌 一周忌追善落語会」の席上、翌2019年3月鈴本演芸場下席より四代目三遊亭圓歌を襲名することが発表された。師である三代目圓歌が亡くなる前年の2016年落語協会納会で、「圓歌」の名跡を歌之介に襲名させたいとの遺志が同協会長の柳亭市馬へ伝えられており、三代目が死去した2017年末の協会理事会で承認を得ていた。
 写真: 三遊亭圓歌襲名披露興行ポスター。3月21日鈴本演芸場を皮切りに5月20日国立演芸場まで披露興行が続きます。

長寿国(ちょうじゅこく);2040年長寿国予測では、スペインは平均余命が85.8歳となり、日本の85.7歳を抜いて世界一の長寿国となる見通し。次いでシンガポール(85.4歳)、スイス(85.2歳)の順となる。 米国は2016年の43位から、2040年には64位(79.8歳)に後退して、39位へと急浮上する中国に抜かれる見通し。2016年から2040年にかけての平均余命の伸びは、世界平均の4.4歳に対し、米国は1.1歳にとどまる。ポルトガル(84.5歳)は23位から5位へと浮上。イタリア(84.5歳)は7位から6位へと上昇する。 次いで7位はイスラエル(84.4歳)、8位フランス(84.3歳)。9位ルクセンブルク(84.1歳)、10位オーストラリア(84.1歳)の順。また世界全体の平均寿命は、2016年の73.8歳から2040年には77.7歳に達するという。

 厚労省が100歳以上の日本人高齢者数を発表した。現時点で全国に6万7824人で、約6万人(正確には87.9%)が女性です。(2018年現在)

椿油(つばきあぶら);ツバキ属のヤブツバキの種子から採取される植物性油脂。食用のほか、化粧品、薬品、また石鹸などの原料としても用いられる。化粧品としては、 髪油(鬢付け油)、スキンケア、保湿に用いられる。中でも純日本産(長崎・五島列島や伊豆諸島産)の椿油は純度が高く重宝されている。

ももの花(もものはな);オリヂナル株式会社(東京都江東区毛利2-1-2)のハンドクリーム。化粧品、医薬部外品の製造・販売をしています。 商品として、オリヂナル、ももの花、カオール、バスコロン、ピーチフラワー等が有ります。当時国内には手指専用のクリームがなく、多くの主婦が水仕事などで手荒れに悩まされていました。昭和28年より60年以上ミリオンセラーを続けるピンクのハンドクリーム「ももの花」、息の長い商品と評価。
 左、スタンダードももの花。 右、ハンドクリーム

胃の検査(いのけんさ);血液検査も有りますが、バリウム検査と胃カメラ検査の2種類が有ります。バリウム検査は簡易的で最終的には医師による胃カメラ検査で詳細なことを把握します。どちらも胃の中に物が有ったのでは細かな検査が出来ません。
 当日は基本的に食事をしない。 胃カメラ検査の当日は、基本的に食事はできません。 前日の決められた時間までに食事を済ませ、それ以降はいっさい固形物を口にしないのが基本です。水であれば当日も自由に飲んでよいこともあります。

鹿児島県(かごしまけん);九州地方南部に位置する都道府県。九州の南側には離島(薩南諸島)が点在する。2つの半島(薩摩半島・大隅半島)を有する。県庁所在地は鹿児島市。 世界遺産の屋久島や種子島宇宙センター、霧島山、桜島などがあり、自然・文化・観光・産業などの面において、豊富な資源を有している。
 本土は、霧島山を除けば大部分はシラス台地の地質からなっており、水はけがよく非常に脆い。また、低地や平野が極端に少ないために、県内のほとんどの市町は周囲が山に囲まれている。それ故に各市町は本土の各地に点々と散らばっている。
 日本有数の農業県で、農業産出額は平成27年度(2015年)の統計で全国3位で九州では1位。鹿児島県が日本における主要な産地となっている農産物としてサツマイモ、サヤインゲン、茶(鹿児島茶)などがある。 伝統的に焼酎製造が盛んで県内の酒造業者はほぼ焼酎を中心商品としている。
 鹿児島県キャラクターの”ぐりぶー” 

ゲートボール;・ゲートボールはチームスポーツ。チーム全員で協力しながら勝利を目指せる面白さがあります。1人だけが強くても勝てません。「仲間」と切磋琢磨し、力を合わせてこそ勝利できるのです。
・戦略型スポーツ! ゲートボールは単純にゲート通過を競うのではありません。自分のボールを他のボールに当てる「タッチ」などを組み合わせて自分のチームを有利にしたり、相手のボールの行く先を読み、作戦を立てながらゲームを組み立てていくことが重要となります。
・ユニバーサルスポーツ!ゲートボールは年齢、性別、身体的状況、言葉などの違いに関係なく、すべての人が楽しむことができるという意味を持つ、「ユニバーサル」なスポーツです。 8歳の女の子と93歳のおじいさんが、同じチームで、また対戦相手としてプレーすることだってできるのです。 そして身体的障がいを持つ人と持たない人が一緒にプレーすることができます。

 ゲートボールは日本生まれのスポーツです。手軽で体力的な負担も少ないという特性から、高齢者向きのスポーツとして全国の教育委員会から徐々に脚光を浴びるようになりました。 

日本ゲートボール連合のホームページより

お達者クラブ(おたっしゃくらぶ);1980年4月7日から1988年4月1日までNHK教育テレビで放送された高齢者向けの生活情報番組・教養番組。1976年度より放送されていた『お達者ですか』を拡充・強化してスタートした。
 ここから高齢者の集まりを、お達者クラブと言った。寄席の楽屋が高齢者の集まりだと皮肉った言葉。ある落語家さんは、楽屋では薬を飲む時間ではないかとか、薬を飲ませるのに気が疲れると言ったことも有る。

焼酎(しょうちゅう);酒類のうち蒸留酒の一種。酒税法に原料、製法等の定義があり、アルコール度数は連続式蒸留しょうちゅうで36度未満、単式蒸留しょうちゅう(本格焼酎)で45度以下と定められている。日本国内では酒税法によって種別基準が定められており、連続式蒸留しょうちゅう(旧甲類)と単式蒸留しょうちゅう(旧乙類)に分けられている(2006年5月1日酒税法改正による)。大衆酒として広く飲用されてきた歴史がある。米焼酎、麦焼酎、芋焼酎、黒糖焼酎、落花生焼酎、そば焼酎、栗焼酎、泡盛など様々な種類がある。
 
日本で16世紀から製造され、1559年の大工が残した落書きが最古の文献とされている。17世紀後半より『童蒙酒造記』といった文献に残され、各地で製造された。南九州(宮崎・鹿児島・熊本南部)を中心に醸造が盛んです。また、長崎県の壱岐、東京都の伊豆諸島、沖縄県など、島嶼でも焼酎が醸造されている。2003年には本格焼酎ブームが起き、原料のサツマイモが不足したり一部銘柄の価格も高騰した。2006年には鎮静化したとされるが、2008年には再び最高の売り上げを見せた。
 焼酎への酒税は政策的に安くされていたので、大衆酒としての地位が有った。
 「酎」が2010年まで常用漢字に含まれていなかったため、法令、その他政府文書では「しょうちゅう」あるいは「しようちゆう」と平仮名表記になっている。

さつま白波を6:4に割って薩摩酒造株式会社(鹿児島県枕崎市立神本町26) 原材料:さつまいも・米こうじ アルコール分:25度。「ロクヨン」とは、焼酎6に対して、お湯4という割り方。薩摩酒造が提案した割り方。
 お湯割りに適したお湯の温度は、80度位が丁度良いと言われています。「お湯から」の名の通り、お湯割りはお湯を先に入れるとまろやかな味わいに仕上がります。焼酎を先に入れると、焼酎の味わいがしっかりとした味わいに仕上がります。これで濃いと思う方は、ドンドン薄めて、自分が一番良いと思うところがベストです。

 鹿児島の暮らしに根付いた本格焼酎を、こよなくうまく表現している言葉の双壁が、「だれやめ」と「まつる」という言葉でしょう。 「だれ」とは「疲れ」のことです。「やめ」は文字通り止め。つまり疲労回復のための晩酌を「だれやめ」といいます。 「まつる」というのは、お祭り騒ぎをすることでなく神仏に捧げるという意味です。御神酒などのお下りを頂くのも、これと似たような言葉です。喜びは倍加し、悲しみは半減してくれるのが焼酎です。 「どら、まついもんそかい」と言うのは、「一献いただきましょうか」という意。この時、薩摩の人々は、自分を超えた生きる喜びと見ず知らずのうちに向き合っているのかもしれません。
 薩摩酒造、ホームページより

二日酔い(ふつかよい);酒などのアルコール飲料(エタノール)を、自身の代謝能力以上に摂取することにより引き起こされる、不快な身体的状態。酒などのエタノールがアセトアルデヒドの毒性に代謝され、体内にまだ残ったそれが二日酔いの症状を引き起こす。
 基本的には、夜間に酒を飲み、翌朝の起床後、顕著に現れる現象を指す。また、宿酔(しゅくすい)とも云われる。急性アルコール中毒とは異なり、生命に直接の危険はないが、しばしば頭痛や吐き気などの著しい不快感を伴う。なお飲酒後、短時間に現れるものは悪酔い(わるよい)という。一般的に二日酔いは悪酔いが翌日になって現れる状態を指す。
 アセトアルデヒドの代謝酵素であるアセトアルデヒド脱水素酵素は、人種あるいは個人の遺伝的体質により、その代謝能力に差がある。そのため、上戸と下戸に分けられるが、本人のせいでは無く遺伝子がそうさせる。

馬小屋のキリスト(うまごやのきりすと);『ルカによる福音書』における、生まれたばかりのイエスが飼い葉桶に寝かせられたとする記述だが、この場には馬は居らず、代わりに牛とロバが居る。これは各福音書には根拠がなく、『イザヤ書』1章3節に記述されている。また、西方教会では小屋(日本語では「厩」もしくは「馬小屋」と書くが、家畜小屋と考えたほうが近い)としての伝承が通例であるが、正教会では洞窟と伝承され、イコンにもそのように描かれる。新約外典『ヤコブ原福音書』は洞窟で産まれたと書いている。
 生誕の地としてよく知られた馬小屋ではなく洞窟が選ばれたのは、聖ヘレナ(コンスタンティヌス帝の母)がイエスの史跡を訪ねたときには300年以上前の宿屋や馬小屋はあとかたもなかった。それ以上に困るのは、そもそもイエスがベツレヘムで生まれたという証拠がないことだ。 

ラサール;鹿児島県鹿児島市小松原2丁目10-1 に存在する中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
 フランシスコ・ザビエルの来日400周年に当たる昭和24年(1949)の頃、カトリックの鹿児島知牧区に男子校を設立したいという要請に、世界で1,300校余りの学校を経営するラ・サール修道会が請ける形で昭和25年(1950)にラ・サール高等学校を開校、昭和31年(1956)にはラ・サール中学校を設立する。男子校であることと日本の教育理念を取り込んだ教育方針は地元の支持・支援を集めることとなる。早くから寮を設置、全国から生徒を受け入れる。質実剛健かつ自由を重んじる学風であるとともに大量に問題をこなす授業、頻繁に行われるテスト、長時間の家庭学習といった学習指導を展開し、生徒の自律的な学習を促している。その結果、早くから入試難易度や進学実績などが全国トップレベルの進学校となる。 現在、鹿児島県内で唯一の私立男子校。全国高等学校クイズ選手権の常連校でもある。 

鈴本(すずもと);上野・鈴本演芸場。安政4年(1857)より続く東京で最も古い寄席。落語を主体に漫才、音曲、奇術などが加わり、連日のどかな笑いが聞こえてくる。かつては畳敷だったが、今は5階建てのビルの3・4階吹きぬけで、285ある客席もすべて椅子席になっている。落語協会専属の寄席。客席では、食事やビールの飲食も可能です。でも、私のように酔って寝てしまわないように。
上写真:鈴本演芸場。
 東京には4カ所の寄席が有り、新宿末廣亭、池袋演芸場、浅草演芸ホール、とここ鈴本演芸場が有ります。この他にも公立の国立演芸場(千代田区隼町、最高裁判所隣)が有ります。また、永谷ホール(両国、日本橋、広小路)が有って、落語等の演芸を開いています。

 

 上写真:「お江戸上野広小路亭」。永谷ホールが経営している、御徒町駅前にある寄席です。



                                                            2019年3月記

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