落語「与太郎戦記」の舞台を行く 春風亭柳昇の噺、「与太郎戦記」(よたろうせんき) ~戦場にかける恋~ より
■五代目 春風亭 柳昇(しゅんぷうてい りゅうしょう);1920年〈大正9年〉10月18日 - 2003年〈平成15年〉6月16日)、東京府北多摩郡武蔵野村(現: 東京都武蔵野市)出身。本名、秋本 安雄(あきもと やすお)。ペンネーム、林 鳴平。出囃子は『お前とならば』。数々の新作落語を創作した。
太平洋戦争中は陸軍に召集され、歩兵として中国大陸に渡ったが、敵機の機銃掃射で手の指を数本失っている。利き手をやられたため、元の職場に復職することもできず途方に暮れていたところ、戦友に六代目春風亭柳橋の息子がおり、その縁で生活のために柳橋に入門して落語界入り。
手を使った表現が多い古典落語では成功はおぼつかないと考え、新作落語一本に絞って活動して成功を収めた。数は少ないが古典落語のネタも持っており、『雑俳』や『お茶漬け』(茶漬間男)等を演じた。
年齢を重ねるごとに老人然とした風貌になり、しなびた声・口調に変わっていったが、これがとぼけた味となり、新作派の大御所として、地位を確固たるものとしていく。80歳を過ぎても高座やテレビへの出演を積極的に続け、まさに生涯現役の噺家であったが、高座やテレビ出演での挙措に衰えが囁かれるようになった矢先の2003年6月16日、胃癌のため82歳で死去。
■飄々とした語り口で笑いを誘いながら、生死をかけた戦いの様子が語られます。
上海 - 香港は約1600km。さらっと語られていますが8ノット(約15Km/h)の船団という話ですので、ジグザグ運動をしなければ片道130時間くらいの航海になります。暁雲丸は最高速度7ノットですから船団には追いつきません。外れくじの船に乗り込んでしまいましたが、人間何所で運に背中を押されるか分かりません。
■1944年 - 中支派遣船舶司令部へ分遣、船舶警護分隊長として部下14名、九二式重機関銃3丁とともに輸送船「暁雲丸」に乗船。伍長に進級。香港からの帰り道、台湾高雄港付近で敵艦載機の雷撃により撃沈されるが、救助される。
■ノット【knot】;
船舶・海流などの速度の単位。1時間に1海里(1852メートル)の速度を1ノットという。
■8月は戦争に負けた日;天皇陛下の玉音放送が流された日で、昭和20年(1945)8月15日。終戦記念日と言われていますが、敗戦記念日です。世界的には、天皇陛下が玉音放送をしただけであって、戦争は続いていた。
■重機関銃隊(じゅうきかんじゅう たい);九二式重機関銃(きゅうにしきじゅうきかんじゅう)は、1930年代前期に開発・採用された大日本帝国陸軍の重機関銃。右写真。
左、戦時下標準船として大量に作られた貨物船。右、焼玉エンジンを載せた戦時標準船。870t、7ノット。
■暁雲丸(ぎょううんまる);一番小さな汚い石炭船だった。もともとはイギリスの
Ethel Moller号という貨物船で太平洋戦争の緒戦でシンガポールで拿捕したのを東亜海運に配給されて『暁雲丸』と改名した船。
日本が日露戦争をやっていた頃に造られたという排水量が1000トンたらずの老朽船。スクリューは2組み付いていると喜んだのに。秋本指揮官以下15名の隊員が乗り込んだ時の武装は、九二式重機関銃が3挺、秘密兵器の打上筒という対空用兵器が3発のみ。
大砲などはまったくなし。
■伍長(ごちょう);陸軍下士官の最下位。軍曹の下。(下記参照)
■陸軍大尉(りくぐんたいい);将校の階級の一。少佐の下で尉官の最上位。
・将官:長期間にわたり単独で作戦を実施することが期待される典型的な部隊や編制(旅団以上の部隊や艦隊・戦隊等)を指揮する士官が将官である。
■上海から香港(しゃんはいーほんこん);上海市:拼音: Shànghǎiは、中華人民共和国の直轄市である。有数の世界都市であり、同国の商業・金融・工業・交通などの中心地、香港・北京と並ぶ中国最大の都市の一つである。アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界9位と評価された。
■之字運動(のじうんどう);艦船が漢字の「之」の字を描くように短時間内で針路を変化させてジグザグに進行する航行方法のこと。ジグザグ航行ともいう。戦時中において、敵潜水艦の魚雷攻撃を避けるために行われる。ただし、複数の潜水艦による狼群戦術で攻撃された場合、第一撃を回避しても他方向からの第二撃を回避することは難しく、絶対的な効果はない。大型低速船の場合には回頭に時間がかかるため、之字運動の実施には限度がある。また、護送船団を組みながら複雑な之字運動を実施することは、乗員の精神的負担が大きかった。
第二次世界大戦期の日本においては、船団運動規程により商船が用いる之字運動のルールが定められていた。「A法」「B法」など18種以上のパターンがあったが、しかし制式之字運動のパターンは米海軍に解読されており、効果は半減していた。船長によっては独航の際に制式之字運動から外れ無秩序な航路を設定する者もおり、この場合には魚雷を見事かわすことに成功している。
■4隻の貨物船(かもつせん);貨物船(かもつせん)とは主に貨物輸送を行う船舶。 航空機に比べて速度は遅いが、低い運賃で一度に大量の貨物を運ぶことが出来る。また、巨大な構造物をそのまま運搬することも可能。4隻とは、日東丸(にっとうまる)、高射砲まで積んだ新しい船で、専門の海軍が乗船している。暁勇丸(ぎょうゆうまる)、2番目に大きな貨物船。次が白山丸。一番小さいボロ船が暁雲丸であった。結果的には貨物船では暁雲丸だけが魚雷攻撃をかわし、帰港できた。
■2隻の駆逐艦(くちくかん);『くり』、船長は現役海軍軍人で少佐。『初雁』(はつかり)は元商船の船長で少佐の2艦。
■厚利丸(こうりんまる);前回の暁雲丸と違って13ノットが出る貨物船であったが、青島に行く途中爆撃を受けて沈没。
柳昇は真岡丸(4000t級)に助けられ青島に運ばれ、傷痍軍人として部隊から外れる。
■高雄(たかお);高雄市(たかおし/カオションし、中国語: 高雄市、英語: Kaohsiung)は、台湾南部に位置する都市。 17世紀に打狗(台湾語: Táⁿ-káu, ターカウ)という小さな村から発展し、都市へと成長した。ターカウとは平埔族マカタウ族の集落タアカウ社の名称に由来し、そのマカタウ族の言語で「竹林」を意味する言葉であった。1624年にオランダはこの場所に砦を築いたが、1661年に鄭成功によって駆逐され、1664年に万年州(萬年州)が設置された。1684年清の統治が開始され、台湾府の一部として鳳山県が設けられ県治が興隆荘(現在の左営)に設けられた。1858年の天津条約で清は台湾島に複数の開港地を設けることを約束させられ、そのひとつである打狗港は1864年に開港し、以後外国貿易で栄え始めた。
■青島(ちんたお);青島市(チンタオし、せいとう し、中国語: 青岛市、拼音: Qīngdǎo Shì)は、中華人民共和国山東省に位置する主要な港湾都市。副省級市・計画単列市、国家歴史文化名城に指定されている。中国の海洋産業の中心都市であり、東部沿岸の重要な経済と文化の中心であり、近代的な製造業やハイテク産業基地も立地する。また国際的な沿岸リゾート地、東北アジアの国際海運センター、中国国内の主要な地方国際空港所在地であり、中国人民解放軍海軍北海艦隊司令部のある軍港でもある。
以下の書籍より写真等を引用しています。
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