落語「江戸荒物」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「江戸荒物」(えどあらもの)より


 

 よぉこそのお運びで、相変わらず古い噺を聞ぃていただきます。

 この「江戸荒物」なんといぅのはもぉおよそ時代遅れの、もぉこんなもん今どきやったらおかしぃんかいなと思われるぐらい、古い噺でございます。なにしろ「東京が江戸と言うてた頃」といぅ言葉が出て来るんやさかいね、で、荒物に限らずですな~、このものの称えがみな東京ばっかりになってしまいまして、東京のことやったらみなご存知で、こっちのこと言うたら分からんといぅ。
  「縁の下の舞」やとか、諺でもこっちのほぉが通じんよぉになってしまいまして、せやから荒物屋の称えが、たとえば「れんげ」ちゅうたら、今こっちでも分からん「すりこぎ」言わんならんといぅ。で「いかき」では分かりませんが「ザル」なら分かります。
 「たわし」なんか昔は「切りワラ」言うてね、ワラをこぉ束ねて、そぉ左官(しゃかん)屋さんが使こてましたけどなぁ、左官屋さんもないよぉなってしもたんかなぁ、あれ。みなもぉコンクリートになってしまいましたさかいね。ワラをグ~ッとこぉ束ねて端をザクっと切ったんで洗ろてたんですなぁ。大正ぐらいになってから「亀の子ダワシ」ちゅうのがでけまして、針金に棕櫚を巻き込んで、あらもぉ効果ありますけどな~。
 包丁は金物屋さんですが、まな板は荒物屋ですね~。磨き砂、切りが無いほどありまして、「朸(おぉこ)」あれを「天秤棒」、天秤棒言うても分かりまへんやろな、も~。見た人ありますか? この中で。若い人は天秤棒なんか見たことないんやないか思いますがな~。言ぃ換えても分からんよぉなことなってしまいました。荒縄、麻縄、釣瓶(つるべ)縄なども有りました。
 だいたい「荒物屋」が、京都はあるんですな~、京都ちゅうとこはえぇとこでんな~、未だによそにない店がありますわ。焙烙(ほぉらく) なんかよそで売れしまへんで、焙烙。京都は毎年割ったはりまっさかいな、あれ。ありがたいとこでございますが。焙烙なんかでも「何をしまんねん?」ちゅうて「あら割るもんや」なんか言うてね、本来の意味は分からんよ~なってしまいました。豆炒ったり、アラレを炒ったり、ゴマを炒ったりね、焙烙でやるとまた味が違うなんか言うんですが、そんなものみな扱つかってたんですな~。せやからま、「荒物屋」ちゅうのは不思議な商売でっせ、瀬戸もん屋にもあるもんやけども、荒物屋行たら壺やとか土器(かわらけ)やとかすり鉢とか、これ荒物屋でんな~。でこの、桶屋はん行たら桶は専門店なんですけど、荒物屋行たら安もんの手桶やとか、ちょっとした洗い桶なんかあるんですな~。で、金物屋行たらバケツやとか何とかあんねけど、この安もん・・・、何でも「安もん」が上に付きまんねん、荒物屋ちゅうのは。で、洗濯石けんは荒物屋で浴用石けんは化粧品屋で、線香屋行たらえぇ線香並んでまんねんけど、墓線香っちゅうやつとか、あんなんみな荒物屋扱おてました。
 蝿(はい)取り紙やとか、蝿取りリボン、夏場んなったらあんなもんが並びます、蝿叩きやとかね。冬はあんなもん売ってぇしまへんけどな、季節きせつの物が並びます。でこの、夏んなると安もんの団扇やら、安もんの扇子やら渋団扇なんかみな荒物屋で。虫籠、蛍駕籠、七夕になると笹や短冊を起きます。カンテキやとかね、あれもも~、カンテキが分かりまへんな~、七輪ちゅうてもコンロ言うても分からんでしょ~な、今は。今、カンテキ見よ思たら料理屋行かなんだらあれ分からん、てなことなってきて、えらい高級なものになってしまいました。ホントに荒物屋てな不思議な商売でございまして、ワラジ、草履などは荒物屋ですな~。糊なんかも売ってたんでっせ、洗濯に使う玉糊、それからフノリ、こら壁塗るのに使こた。 
 便利な商売ですなぁ荒物屋、暮れになると餅焼く網とか、神の紙器ちゅうて神さんにそなえる三方みたいな、あんなもんも売ってますし、三宝はんのお札入れて納める小型の神棚、やっぱりこれみな荒物屋にあるといぅよぉな。
 おそらく百やそこらではききまへんやろなぁ、あそこに売ってたもんは。 まぁまぁ、そぉいぅ店がどこにでもありました。大阪でも今でもあると思うんですけど「荒物屋」なんてことは言わんだけの話です。そういぅたら「金物屋」なんかもあんまり言わんようなりましたな、この頃は。も~何でもスーパーで片付くんで、あら便利な言葉でございます。 「スーパー行てこい」ちゅうたら、何でも揃いまんねやさかいね。昔の荒物屋、本当に文具店で売ってるようなものから何から何まで揃ろてたんですが、ま~種類の多い不思議な商売で、これはも~明治のごく初め位の、古い古いお噺でございます。

 

  「ベランネェ・・・、ベランネェ」、「だれや? 表でベラベラと言うてんのわ。 誰やいな?」、「ワッチでござんすが・・・」、「パッチ・・・、パッチやったらメリヤス屋行かんかいな」、「ワッチデゴザンスよ」、「片口やったら瀬戸物屋や」、「ホンマに。わいやがな」、「何や、おまはんかいな。どないしたちゅうねん?」、「今度、商売ってぇものをおっぱじめちゃってねぇ」、「ほぉ『おっぱじめ』たん。どんな商売や?」、「東京荒物といぅものをおっぱじめちゃって」、「しかし、東京荒物とはえぇ思い付きかも分からんなぁ。江戸が東京と変わって、都があっち移ってから、何でもかんでも東京ばやりじゃ。下駄の鼻緒でも東京新柄とか、浴衣でも東京新染めてなこと言うと評判がえぇらしぃが、荒物はなぁ、昔から江戸荒物と言うて、東(あづま)の荒物はちょっと一味違ご~て粋(いき)な、とか言うたもんや。そらなかなか東京荒物てなえぇ思い付きやがな。せやけど、東京から品もん仕入れるのんが大変やろ?」、「いや、品もんは安堂寺橋から仕入れまんねや」、「いっぺんに、大阪になってもたやないか」。
 「ナ~ニ、ベラボォが・・・」、「あけへんあけへん、今更ベラボォちゅうたかてあかんちゅうねや・・・。しかしお前、安堂寺橋から仕入れたもんが、何で東京荒物や?」、「さぁさぁ、それをな、売り手がポンポンポ~ンと江戸っ子でやったら、あんた東京荒もんやと騙されまっしゃろが」、「ほぉほぉ、なるほど。で、そのポンポンポ~ンという江戸っ子て誰やねん?」、「『誰』って、最前からわてが言うてまっしゃないか」、「あれが江戸っ子かい、あれ? う~ん、そらあかんで」、「あきまへんか?」、「だいちお前、お客さんが入って来はったらどない言うねん?」、「お客さんが入って来はったら『オイデナハレマセ』と」、「ほ~、で、去(い)にはるときは?」、「ヨォ、オイデナハレマシタ。マタ、オイデナハレマセント、ハリタオスゾ、コンチクショ~」、「喧嘩やがなお前、江戸っ子ちゅうたらベラボォとコンチクショ~さえ言うてたらえぇよぉに思てんねん、そんなもんやないで」、「あきまへんか?」、「わしも、しばらく向こうにおったことがあるけど、向こうの商人(あきんど)ちゅうのはそんなもんやないで」、「違いますか?」、「第一お客さんが入って来て『おいで・・・』何とか、そんなんとちゃうで」、「どない言いまんのん?」、「『イラッシャ~イ』、とこう言うねん」、「あぁ『いらっしゃいッ』」、「『イラッシャ~イ、何でもアリマス』とこう言うねん」、「何のこったんねん、それ?」、「『何でもおます』ちゅうのは『何でもアリマス』とこう言うねん」、「はぁ」、「『イラッシャ~イ、何でもあります』、いにはる時には『どぉもありがとぉございました。お気に入ったらまたいらっしゃい、ありがとぉございます』と、そら腰の低い丁寧なもんやで」、「あぁ、さよか」。

 「だいち、物の称(とな)えが違うで『ザルでもって天秤棒でもって・・・』何のこっちゃ分かるかえ?」、「何や分からん」、「『ザル』ちゅうたら笊(いかき)のこっちゃ」、「アッ、笊のことザルっちぃますのん?」、「そぉやがな、荒もん屋の商品や覚えとかないかんで『天秤棒』ちゅうのは朸(おぉこ)のことや」、「はぁ、朸が天秤棒」、「『ザルでもって天秤棒でもって、一貫二貫三貫、二四(にし)と四貫(シカン)と八百になりやす』なんか言うと歯切れがえぇやろがな」、「おぉ、なるほどな~」。
 「『アマ、シバチにシがねぇから、シをモッチキナ』てなもんやなぁ」、「何のこったんねん、それは?」、「まぁこっちで言うたら『嬶(かか)ぁ』てなもんやなぁ。下町いうとこ行くちゅうとな、嬶ぁちゅうとこ『アマ』と、こう言うのや」、「嫁はんのことアマ」、「『アマ、シバチにシがねぇから、シをモッチキナ』こらお前『火鉢に火が無いさかい、火を持って来い』ちゅうねや」、「ほぉ、シバチにシがねぇから、シをモッチキナ・・・、あッなるほど・・・、ザルでもって天秤棒でもって、一貫二貫三貫、二四と四貫八百になりやすか・・・、さいなら」、「おいッ、ちょっと待て。もっといろいろ教せたるさかい、ちょっと待ちっちゅうねや」、「いやいやも~店開けてまんねや、帰らないけまへん。さいなら」。

 「アホらしなってきた、江戸っ子かましてビックリさしたろ思たら、向こぉのほぉがうまいねや。えッ、『イラッシャ~イ、何でもアリマス』か、なるほどなぁ『オイデナハレマセ・・・』こらあかんわ。やっぱりこら稽古せなあかんなぁ、今戻ったで」、「どこへ行てしもたんやいなあんた、店開けるなり飛び出して。ご近所の人が買いに来てくれはったけど、値段が分からんさかい、帰(かい)ってもろてんねやがな。何をしてなはったんや?」、「ポンポン言うな。ちゃ~んと勉強に行ってきたんじゃ」、「さぁ、これでだいぶ調子が変わったなぁ『いらっしゃ~い、何でもあります』う~ッ。いらっしゃ~い、何でもあります。ザルでもって天秤棒でもって、一貫二貫三貫、二四と四貫八百になりやす。ありがとぉございます。お気に入ったらまたいらっしゃい。ありがとぉございます。アマ、あま、あんまぁ、あんまぁ」、「按摩はん呼ぶのんか、あんた?」、「何かしてんねん『あまぁ』ちゅうたら、われのこっちゃがな」、「わて、尼はんと違うであんた、髪あるで」、「違うがな、江戸っ子はお前『アマ』っちゅうねがな」、「情けな・・・」。
 「アマッ」、「何やねん?」、「うちの嬶、江戸っ子ならんな~、もっちゃりしてけつかる『何やねん?』シバチにシがねぇから、シをモッチキナ」、「あんた、何を言うてんねん?」、「シバチにシがねぇから、シをモッチキナ」、「ナメクジでも出たんか、あんた? 塩何にすんねん?」、「塩やあるかい。おら『火鉢に火が無いさかい火を持って来い』と言うてんねやがな」、「最前、十能にいっぱい入れといたけど、も~無いか?」、「いや、火はあるけどな」、「あったらえぇやないか」、「ゴジャゴジャ言うな。稽古してんねや、 ホンマにもぉ・・・、『いらっしゃ~い、何でもあります』かッ」。

 「ごめんやす」、「イラッシャ~~イ、何でもあります」、「ちょっとなぁ、草鞋を一足わけてもらいたいと思いましてな」、「えぇ、一貫二貫三貫、アマ、シバチにシがねぇから、シを・・・」、「あの~、大層な買いもんやおまへんので・・・。あのな、草鞋を一足わけてもらいたいと思て」、「ザルでもって天秤棒でもって・・・」、「いや、一足だけでよろしぃねん」、「一貫二貫三貫、二四と四貫八百になりやす」、「言葉の分かる人おらんのんかいな? また来ますわ」、「ありがとぉございます。どぉぞお気に入ったらまたいらっしゃい。ありがとぉございます」、「何が売れたんや?」、「何も買わんといによったがな」、「あんた、えらい礼言うてたやないかいな」、「品もんが減らいでえぇがな」、「何をアホなこと言うてんねん、あんじょ~店番しなはれ、ホンマに」。

 「おぉ、ご免よッ」、「イラッシャ~イッ、何でもあります」、「タワシ有るかい?」、「ザルでもって天秤棒でもって」、何を言ってんだ・・・? タワシは有るかってぇんだッ」、「一貫二貫三貫・・・、二四と四貫八百になりやす」、「何をわけの分からねぇこと言ってやがる? タワシは有るかってぇんだいッ」、「アマぁ、シバチに・・・、タワシて何や? オッサン」、「『オッサン』だって言いやがる。タワシはねぇのかよッ?」、「タ、タワシ?」、「そこに有るじゃねぇかィ」、「あぁ、これがタワシ? 切り藁のことをタワシっちゅうのかいな。コレナラアリマス」、「何を言ってんだ・・・、幾らだよぉ?」、「え?」、「幾らだよぉ」、「イクラでもよろしぃわ」、「幾らでもいぃの? 気前のいぃ商人だなぁ・・・、じゃあ二銭置いとかぁ、三つばかり貰ってくよ。あ~ばよッ」。
 「どぉもありがとぉ・・・、ございません。も~、いらっしゃい・・・ますな。あぁ恐わ、ほんまもんが出て来やがんねん。二銭置いて三つ持って行きやがったんや。あれ、もとが八厘についたぁんねやで、タワシえらい損やがな。店倒されてしまうがな、タワシやの~てタオシやがな。も~江戸っ子やめたろ。慣れんことやらんほぉがえぇわ」。

 「ハイ、ちょっくらおゆるしぃ」、「はッ?」、「おゆるしぃ」、「うわぁ~、田舎から出て来たばっかりの女衆(おなごし)さんやで。こんなんにポンポンと江戸っ子かまして、シュッと止めてもたろ・・・、イラッシャ~イ、何でもあります」、「ハイ、おら~ぬぅ、横町の長谷川から来よりましたんじゃがぬぅ、家(うち)方さぁに、なぁひろはぁのつんづべなぁのおざぁちゅ~てやおざ~ちゅめぇでぬぅ?」、「? イラッシャ~イ、何でもあります」、「おら~ぬぅ、横町の長谷川から来よりましたんじゃがぬぅ、うち方さ~に、なぁひろはぁのつんづべな~のおざぁちゅ~てやおざぁちゅめぇでぬぅ?」、「アマ・・・、何でこんなんばっかり入って来るねんやろなぁ、ぺらぺら言われたら分からんわ、も~ちょっと分かるよ~に言うてぇな」、「おら~ぬぅ、横町の長谷川から来よりましたんじゃがぬぅ、うち方さぁに、なぁひろはぁのつんづべなぁの、おざぁちゅ~てやおざぁちゅめぇでぬぅ?」、「ペラペラペラ、ぬぅ~? あのなぁ、そぉペラペラ言われたら何のこっちゃ分からんねがな。こぉ、長ご~に引っ張ってゆっくり言うてもらえんかい?」、「やれ、辛気じゃぬぅ~。おらぁ~~ぬぅ~~」、「長いなぁ~」、「横ま~ちィの長谷川から来よりましたんじゃがぬぅ~、うち方さぁ~に~、なぁひろはぁの~つんづべなぁの~おざぁちゅ~てやおざぁちゅ~めぇ~でぬぅ、と言ぃよるのにこの人辛気(しんき)じゃぬぅ」、「だんだん分からんよぉなってきた。ちょっと待ってくれよ・・・、『おらぁぬぅ横町の長谷川』、あぁ、長谷川はんとこの女御っさんかいな」、「あぁ『長谷川から来よりましたんじゃがぬぅ』、この『ぬぅ』が分からん。ぬぅて何や?」、「ぬぅ」、「もぉえぇもぉえぇ、え~っと何か言うたなぁ『うちかたさぁに』、うち方さまにか『なぁひろはぁのつんづべなぁ』これが分からん・・・、何のこっちゃこれ? 『なぁひろはぁのつんづべな・・・、なぁひろはぁ』七ひろ半のつるべ縄・・・、女っさん、つるべ縄ちゅうてんのんか?」、「だけん最前から『つんづべなぁ』」、「『つんづべなぁ』と縺(もつ)らかす(もつれる)さかい分かれへんねやがな。七ひろ半のつるべ縄かい? えらいことしたぞ、大概のもんは揃えたつもりやったんやが、つるべ縄だけうっかりしてたなぁ」、「『つるべ縄おまへん』そんな『おまへん』てなもっちゃりしたこと言われへんな~、え、有ることが『何でも有りマス』やさかいに、無いことは、んッ! 女御っさん、つるべ縄は今『ないマス、無いマス』」、「やぁんれぇ~、今からのぉ(綯う)とっては間に合わんがな」。

 



ことば

荒物屋(あらものや);雑多な物が並んでいて、何所で買おうかと言うときは、荒物屋に行けば用が足ります。マクラで米朝が荒物屋について語っています。

縁の下の舞(えんのしたのまい);上方で行われた「いろはたとえ」の中にある句。無駄骨折り。また、陰でやっている善行は人目に立たぬ意。四天王寺に経供養といって、太子殿の前庭で非公開の舞楽を行う行事があり、衆人の眼に付かずに舞うところから出た語。

れんげ;れんぎ(連木)、が訛ってれんげ。元は大阪言葉で、”すりこぎ”のこと。
 右、すりこぎとすり鉢。

すり鉢(すりばち);食物をすりつぶしながら混ぜるための鉢。食材を細かな粒子状に砕いたり、ペースト状にすりつぶす加工を行うための調理器具で、陶製のものが多い。味噌・胡麻などを入れて擂粉木(スリコギ)で擂りつぶすのに用いる鉢。漏斗状の土焼製で、内面に縦のきざみ目がある。摺粉鉢。御回し。
 「する」という言葉が「お金をする」につながる忌み言葉として嫌い”当たり鉢”、”当たり棒”と呼ばれることもある。そのためすり鉢でする行為を”当たる”と表現する事もある。さらに、すり胡麻のことをあたり胡麻と呼ぶなどすり鉢ですった調理物を示す意味の言葉としても用いられる。 

いかき;畿内、奥州にては、いかき。江戸にて、ざるという。
 右、いかき売り。

たわし;古くは藁や縄を丸めたものが洗浄に用いられていた。明治時代の中ごろ、文京区小石川の少年、西尾正左衛門が、醤油屋に奉公していたとき、樽の掃除に使えるものを考えて、母親が作っていた靴拭きマットにヒントを得て考案した。靴拭きマットは従来の縄でできたものとは違い、シュロを針金で巻いた構造であった。しかし、すでに特許が取られていたこと、すぐに毛先がつぶれて効果がなくなることが問題であった。そこで、マットに用いていたシュロを針金で巻いたものを丸めて、亀の子束子と命名し洗浄用に売り出したところ、大ヒット商品となったとされる。その後、シュロより固い繊維である椰子の実の繊維を用いた、より耐久性の高い亀の子束子の製造を西尾が始めて現在に至る。 1908年(明治41年)、西尾は実用新案を取得。実用新案の権利期間が満了する直前に特許を出願し、1915年7月2日に特許第27983号「束子」を取得した。
 洗浄のために用いる繊維を固めたブラシに似た道具。繊維の部分を対象物にこすり付けることで汚れを落とす。 当初はシュロの繊維が使用されていたが、大正末期から昭和初期にかけて原料としてのシュロが不足し始めたため、より安価なヤシの繊維(パーム)が用いられるようになった。棒状のたわしを卵円形に曲げて固定した典型的なものは、一般的には亀の子束子(亀の子たわし)と呼ばれることが多い。しかし、この名称は日本においては株式会社亀の子束子西尾商店の登録商標(第393339号など)となっている。

  

 左、亀の子だわしと、右、ワラを丸めたたわし。

磨き砂(みがきずな);三重県津市の半田地域は、磨き砂が採掘出来る土地で戦前戦後は、業者も多く盛んで、家庭用洗剤等として幅広く使用されてましたが、大手洗剤企業などの液体洗剤などの発売で、時代と共に使用が激減いたしました。 現在は、義歯制作、金属研磨・加工等、仏具(線香たて 香炉灰等)の灰の代用品として、使用されてます。 また、科学洗剤の使用できない場合などに使われております。 現在、当店の製品は「磨き砂(干粉)と、生砂、ポリ小袋入り」の3種類を販売してます。 以前は、界面活性剤の洗剤を混ぜた、「クレンザー」を製造してましたが、需要がなく、現在は製造しておりません。 当製品は固形・液体洗剤等を含まない、混合していない、天然成分の珪砂を販売しております。
 三重県津市神戸・堀川商店ホームページより

おうこ);枴とも書く。物を荷(ニナ)う棒。天秤棒。

荒縄(あらなわ);わらで作った太い縄。ワラで作られているので、腐食し土に還元されます。麻縄ほどの強度はありません。

麻縄(あさなわ);麻糸をよって作った縄。天然素材なので腐食し、土に還元されます。 摩擦に非常に強い。【用途】街路樹の結束。 造園樹木の根巻。 植木の手入れ等に。

釣瓶縄(つるべなわ);釣瓶についているなわ。いどなわ。縄やさおの先につけて井戸水をくみあげる桶。〈吊る瓮(つるへ)〉の意といい、木製やブリキ製のものが普通だが、古くは陶製のものであったという。《和名抄》には水を汲む器なり〉とある。古く《日本書紀》神代下に〈豊玉姫の侍者(まかたち)、玉瓶(たまのつるべ)を以て水を汲む〉とある。ポンプ井戸が普及する前は、たいていこの釣瓶を用いた〈車井戸(くるまいど)〉や〈はね釣瓶(桔槹(きつこう)ともいう)〉で水をくんでいた。
右図:「江戸風俗絵入り小咄を読む」武藤禎男著より

渋団扇(しぶうちわ);柿渋を表面に塗った団扇。丈夫で、実用的なので火をおこすときなどに使った。

カンテキ;七輪。土製のこんろ。ものを煮るのに炭の価が七厘ですむ、という意によるという。
 絵:広辞苑から

パッチ;股引(モモヒキ)の、長くて足首まであるもの。江戸では絹製のものを呼んだ。

玉糊(たまのり);防染糊の一つのことです。もち米の粉を水で固く練り、煮て、鶏卵、小麦粉、大豆粉を加え、消石灰液で練り固めた友禅用の防染糊です。もち米を煮るとき玉状になるのでこの名がつきました。

■ふのり(布海苔・海蘿);海産の紅藻類の一属。マフノリ・フクロフノリなどの総称。潮間帯の岩石に付着して繁殖。長さ10cm内外。管状で、生長すると中空となり、不規則に分岐し、枝の基部にくびれがある。紅紫色で、表面は粘滑光沢がある。
 
フクロフノリ・ハナフノリ・マフノリなどを天日にさらして乾燥したもの。水を加えて煮て糊として、織物の糸や絹布の洗い張り、捺染(なつせん)などに用いる。

片口(かたくち);一方だけに注ぎ口のある器。特に長柄の銚子にいう。 
 右写真:片口。

ベランネェ;べらぼうめの転訛。人をののしっていう語。ばか。ばかめ。

ベラボォ(べらぼう);1 程度がひどいこと。はなはだしいこと。また、そのさま。「今日はべらぼうに寒い」「べらぼうな値上がり」。
2 普通では考えられないようなばかげていること。また、そのさま。「そんなべらぼうな要求はのめない」。
3 人をののしっていう語。たわけ。ばか。「何をぬかすか、このべらぼうが」。また、寛文(1661~1673)末年ごろ、見世物で評判になった、全身真っ黒で頭はとがり、目は赤く丸く、あごが猿のような奇人「便乱坊 (べらんぼう) 」「可坊 (べくぼう) 」からという。「篦棒」は当て字。

 川柳川柳師匠と五街道雲助師匠の会話から「べらぼうめッ」。雲助師のホームページより
 ちょっと以前にかの川柳川柳大兄と楽屋でこの話をしていた時に、大兄曰く・・・・ 、  「オレのがきの時分に、ウチの方でね(因みに川柳師は秩父の山間の生まれ育ちです)あの便所のさァ、もちろんその頃だから汲み取りのやつでさ、あれ糞が溜まってくると、した後におつりがはねかえって来るんだよ。雲ちゃんなんざ知らないだろうけどさ。だからその防止ってほどのもんじゃないけど、甕の上に縦に棒が渡してあるんだよ。つまり糞がこの棒に一旦当たってそれからズルリッと下に落ちるから、はねないわけなんだよ。わかるだろ。でね、この棒のことをべらぼうと言ってたよ。ウチのほうじゃ」。
  これを聞いたあたしは、持った湯呑みをバッタと落としましたね。 これだったんですよ。 「べらぼう」は「便乱棒」が訛ったものだったんですよ。関東一帯で使われていた言葉が秩父に残っていたとしても不思議はありません。便乱坊の見世物が転じてべらぼうになったのではなくて、便乱棒に糞が積もったような姿の生き物の見世物だから便乱坊だったんです。たぶん。(^^;;  「糞ッたれ」だの「小便たれ」だの「犬の糞で仇」だのとスカトロ系の罵倒語の好きな江戸っ子にしてみれば、これ以上の罵倒語はありますまい。
  「糞でも食らってやがれ、このべらぼうめッ」。 

安堂寺橋(あんどうじばし);大阪市の東横堀川に架かる橋。大阪市中央区南船場1丁目1。大阪市中央区松屋町住吉および松屋町と南船場1丁目の間を結んでいる。橋の上を阪神高速1号環状線が通過している。
 江戸時代初期には架橋されていたとも言われ、安堂寺橋通は大坂と奈良を最短距離で結ぶ暗越奈良街道に接続する重要な道筋として栄えた。清水谷屋敷を横断し、玉造(町人地)の南縁を経て、東成郡中道村に至るまで人家が連続し、事実上の大坂の東玄関となっていた。橋の東詰は東堀の材木浜で、材木をはじめ竹や竹皮の取引も行われていた。橋の西詰は南船場の安堂寺町(もともと内安堂寺町だった現在の安堂寺町とは異なる)につながり、金物問屋や砂糖商の密集する町であった。商人が密集し人の往来が盛んな場所であったが、落語の演目の一つである「饅頭恐い」に登場するように、自殺の名所として悪名高い場所でもあった。

十能(じゅうのう);炭火を載せて運んだり、火を掻き熾(おこ)したりするために使う、柄のついたひしゃく型またはスコップ。ひかき。鉄製であることが多く、柄の部分まで鉄製のものを「共柄(ともえ)」、柄が木製であれば「木柄(もくえ)」と呼ばれる。先端部は鋳鉄製あるいは、メッキ薄板金製で角スコップの形状をしている。主な用途は、炭火を利用する囲炉裏あるいは石炭ストーブや暖炉などへの燃料(炭など)の投入や移動。また、溝の掃除、焼却炉の灰かきにも用いられる。
 炭十能と呼ばれるものは、火のついた炭を運ぶために柄杓の形をしたものであり、鍋の形状にも近い。鋳鉄製、銅製、アルミニウム製などがある。形は似るが火起こしと違って底部に炎を通す隙間がないので、木炭を炭十能に入れ直火に掛けることでの着火は難しい。また、茶道などで用いるものなど家屋内で使用するものは、熾った炭を入れたまま畳に置けるよう木製の台座が付いており、この台座付きの炭十能は直火に掛けることができず炭への着火に全く適さない。 「十の能力(使い道)がある」から、十能と称されるようになったという説もある。

 

  上図:左、炭十能で火の付いた炭を運ぶもの。 右、スッコプ型の十能。

女衆(おなごし);女中・下女・はしため。雇われた順あるいは年齢順に、松竹梅からとってお松どん、お竹どん、お梅どんと呼んだ。長じるとお松っつぁん、お竹はん、お梅はんとなる。決して呼び捨てにはしなかった。

辛気(しんき);思うようにならず、くさくさすること。じれったく、いらいらすること。辛気臭い。

(ひろ);(「広」の意) 両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。縄・水深などをはかる長さの単位。1尋は5尺(1.515メートル)または6尺(1.818メートル)。ななひろはぁ:11~13m。

焙烙(ほうろく);素焼きの平たい土鍋。火にかけて食品を炒ったり蒸し焼きにしたりするのに用いる。ほうらく。炒鍋。早鍋(ワサナベ)。

焙烙割り(ほうろくわり);1.目かくしをして二手に分れ、竹刀で相手の頭にかぶった焙烙を打ち、多く割った方を勝とする遊戯。 2.焙烙を高所から落して割り、厄除(ヤクヨケ)とすること。

土器(かわらけ);釉(ウワグスリ)をかけずに焼いた素焼の陶器。

綯う(なう);数本の糸・ひも・わらなどを、よりあわせて1本にする。あざなう。よる。「縄を綯う」。オチで使われている言葉:いまここで縄を綯うでは、間に合わないと。

蝿取りリボン;ハエの駆除用品の一種。誘引材が付いた粘着テープを天井や鴨居などから吊し、寄ってくるハエを捕獲する。
 日本でよく見るタイプはカモ居加工紙が昭和5年(1930)に発明した天井吊り下げタイプである。それまで海外で使用されていたタイプは平紙状の粘着・誘引シートを設置するだけという素朴なものであった。吊り下げタイプは海外にも大量に輸出されている。その多くでは1つのパッケージに何本かがセットになっており、数箇所に同時に設置したり、定期的に交換される替えとして利用される。 高さ8cm程度の紙筒に入ったテープを引き出して使用する。テープ先端には画鋲が取り付けられている製品もあり、これを天井や鴨居などに刺して固定する。近年では、シートタイプやスティックタイプも散見されるようになった。古典的な製品ではあるが、基本的に殺虫剤の成分が入っていないため、食品を取り扱う事業所などでよく使われる。

蝿叩き(はえたたき);虫を叩き潰す部分は広く平らな形状となっており、蠅叩きを振り下ろした際の風圧で小さな虫を吹き飛ばしてしまわないように網目状になっている。また、柄の部分は持ちやすいように細くなっている。樹脂製の製品では末端部(吊り下げ穴などが設けられる部分)に叩いた後の虫の死骸をつまむため、取り外し式の樹脂製のピンセットを内蔵しているものもある。 最近は樹脂製のものが多いが、金属製のものもある。かつてはシュロ製で、「はえうち」や「はいうち」(福岡)ともいい、江戸時代慶長年間の『童蒙先習』には「直なる物。棕櫚葉は蠅うちに」とある。

  

  江戸言葉について
 江戸は天生十八年(1590)八月一日、家康公が入城してから発展した街です。集まって来たのは、三河・駿府・岡崎など家康公ゆかりの地の商人と、江戸の近在民達でしたので、始めはそれらの地方語がごっちゃになった言葉で話していましたが、そのうち、独特の調子が出来てきます。
 まず、東国は気性が荒っぽいので言葉もぞんざい粗暴になります。また、集まった者の多くは街造りのための人夫や職人でしたので、賃金を余計に貰うため、物事を大袈裟に言いました。そして、江戸を早く日本の首都とするため、工事を急がされていたため、それが言葉に影響して、中を飛ばし、省略し、巻き舌、早口でしゃべる「江戸弁」となって行ったのです。
 そもそも「江戸っ子」と言うのは、意外に新しく出来た言葉で、寛政七年(1795)に刊行された「廓通荘子(くるわつうそうし)」と言う洒落本に出て来る「江戸っ子」と言う言葉が一番古いものになります。それ以前は「江戸者」と言っていたのですが、なんか田舎臭く、促音を入れないと江戸人の言語感覚にマッチしないので、「江戸っ子」と自然に詰まって出来た言葉なのです。後の天保年間(1830〜43)には、戯作者の為永春水さんの書かれた本の中に「東男(あずまおとこ)」と言うのも出てきますが、これも江戸人の言語感覚に合わなかったのか、自然消滅して、わずかに「東男に京女」と言うことわざの中にのみ生き残るだけです。残ったのは「江戸っ子」だけで、「てやんでぇ、こちとら江戸っ子でぃ、べらんめぇ」と啖呵を切ると、威勢が良くて淡白な江戸人らしく聞こえるから不思議。噺の主人公さんも、この江戸弁マジックに取りつかれたのでしょうね。
 そして、「べらんめぇ」と言う言葉ですが、元々は「べらぼうめ」と言う言葉で、これが江戸っ子の巻き舌、早口で言うと「べらぼうめ」が「べらんめぇ」となるのです。では、この相手を罵る「べらぼう」の語源ですが、これには二つ説があります。一つ目は、「箆(へら=竹・木・象牙・金属などを細長く平らに削り、先端をやや尖らせた道具)の棒」と言う意味。お前なんかは、穀潰し(ごくつぶし=食べるだけで何の役にも立たない者)だ、ヘラの棒みたいな野郎だ、と言う意味です。けど、相手を罵るのに「へらぼう」では締まらないので、いつしか威勢よく聞こえる様に濁点が付き「べらぼう」になったと言うものです。もう一つは、寛文年間(1661〜73)に、全身が黒くて頭がとがり、目が赤く猿に似たあごをもつ「便乱坊(べらんぼう)」と言う奇人が見世物に出されました(一説には、この奇人は南方より輸入されたオランウータンではないかと推測)。この「便乱坊」と言う奇人は、動きが緩慢で、のろのろしていたため、人を罵る言葉に用いられ、「べんらぼう」が、威勢よく聞こえる様に「ん」の発音が省略され、「べらぼう」になったというものです。



                                                            2019年5月記

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