落語「虎の子」の舞台を行く
   

 

 五代目古今亭今輔の噺、「虎の子」(とらのこ)より


 

 子を持って知る親の恩、この言葉が身にしみる歳になってきます。子供が成長するに従い、試験地獄と言う事が有り、幼稚園から、小学校、中学校、高校と狭き門をくぐってきます。高校入試になると大変です。

 「オイ、今帰ったぜッ」、「今帰ったじゃ無いですよ。明日亀ちゃんの入試発表ですよ。心配じゃ無いんですか」、「心配だから酔っているんじゃないか。仲間が言っているんだ『棟梁の亀ちゃんは全国から生徒が集まる難しい学校なんだ。優秀な子が集まるので亀ちゃんは大丈夫だろうか』と言うんだ。石屋も左官屋も『ダメだろう』と言うんで拳固を振り上げたんだ。喧嘩になって旦那が間に入ってくれたんだ。『出入りの職人同士で喧嘩はダメだ』と旦那と皆で飲みに行ったんだ」、「それは良かった」。
 「亀はどうしてる」、「漫画読んで笑っているから『寝なさい』と電気を消したら寝たみたい」、「腹の中では自信があるんだな。『お父ッつあんは、この学校に入ったら、どんな大学校にも行かしてやるから。でも、落ちたら、お父ッつあんの友達の所に大工で入れるからな』と言うと『大丈夫だよ』と言っていた」、「私も、15人にひとりという難しい学校で大丈夫と言ったら『虎穴に入らずんば虎子を得ず』だよと言うんだ。良い事言ったわよ、『家のお父さんは腕が良くて名人肌なんだ、でも、建築学の基礎をやってないからダメなんだ。僕が青写真焼いて、お父さんにジャンジャン仕事を回すんだ』、そ~言ってたわよ」、「息子に使われるようになれば親は幸福だ」。
 「明日は発表日だ。神様にお願いしよう。フン、ウン(二拍手)、伊勢の大神宮様、水天宮様には八幡様、お稲荷様、道陸神様、金毘羅様、八百万の神様、家の亀に合格できますように、合格できましたら純金の鳥居を奉納します」、「チョッとお待ちよ。純金の鳥居だなんてッ。あの子の洋服を買って、教科書を揃えて、月謝・入学金を払ったら、純金の鳥居だなんて・・・」、「こうやって頼んで合格しちゃえば良いんだ。神様だって金がないと言えば待ってくれるよ。神様、今のは内緒話です。ナムアミダブツ、ナンミョウホウレンゲキョウ・・・」、「貴方、朝になりましたよ」。

 「さ~、亀、行こう。ここが高校か、立派だな。もう来ている人がいるよ。(掲示板を見ても)無いな~、似ている名前は有るんだが・・・」、「お父さん、有った」、「有ったのに下向いて陰気になっちゃって」、「補欠の一番なんだ」、「あれは、落第の優等生か。残念賞だな。鶴吉がいるから亀吉も入れてくれ、縁起が良いじゃないか。掛け合ってくる」。
 「ごめんなさいましぃ」、「何か御用ですか」、「補欠の一番になった山本亀吉の父なんですが・・・」、「大丈夫ですよ。補欠の一番なら・・・」、「請け合いますか」、「それは出来ませんが、去年はお父さんが北海道の支店長に栄転され、繰り上げになりました。一昨年は子供が嬉しかったんでしょうな、交通事故で辞退され去年は入りましたが、繰り上げになりました」、「支店長か、交通事故はどの子が良いでしょう。私がやって来ます」、「大丈夫ですよ。繰り上げになりますよ」、「知らせてくれるんですね。葉書じゃ無く電話でお願いします」、「良いですよ。当直ですから」。
 「大丈夫だって。メソメソするな。繰り上げになるってよ」。

 「おっ母ぁが外に出て笑っているよ」、「亀ちゃん補欠の一番だったんだってぇ」、「バカ、家に入れ。大きな声で言うな。補欠というのは落第した事を言うんだ。合格したんじゃ無いんだぞ」、「私だって分かっていますよ。今、学校から電話がかかってきたから知っているんでしょ。繰り上げになったんだって」、「それを先に言え。一杯用意しろ」、「亀ちゃん、トンカツも用意したよ。おめでとう。これはね、写真機が欲しいと言ってただろ。お母さんからのプレゼント。虎の子です」、「お父さん、こんなに貰って良いんですか」、「お父さんには内緒のお金で、針仕事で貯めたお金が1万円になったのさ」、「そんなに大事なお金、どうして僕にくれちゃうんです」、「『恐い思いをしなければ幸運はつかめない』とお前は言っていたでしょ」、「言いました」、「そ~らご覧なさい。その補欠に入ったんですもの、それで虎の子を上げるんです」。

 



ことば

五代目古今亭今輔 (ここんていいますけ)、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。そのエピソード。
 ・ 家出同然で上京し上野松坂屋に勤務するが、銘仙織元の息子だったので、銘仙のことで上司と喧嘩し、僅か20日で退社した。以後、11の店を転々とする。
 ・ 数度に渡り師匠を変えたのは持って生まれた正義感であり、その硬骨ぶりが身上。正に不世出の闘志の男であった。圓右一門、右女助一門を去ったことを「逆破門」と解説している。
 ・ 一方でそれによる苦労も味わったためか、のちに香盤(序列)問題や噺に対する志向の違いから一時破門状態となった直弟子の古今亭今児(のちの桂歌丸)が詫びを入れて復帰を申し出た際には「べつに私が破門にしたわけでも何でもありません。あなたのほうから勝手に来なくなっただけじゃありませんか」と言いつつ、「一度飛び出したもんをまたうちに入れるわけにはいかない」として総領弟子である四代目桂米丸に再入門させるという形で復帰を許した。 米丸はこのことを「(歌丸に)たいそう腹を立てていたのだろうがそれを抑え、彼に“師匠をしくじった”という疵をつけないための配慮だったのだろう」と振り返っており、また歌丸も「ただそのまま元に戻したのではお互いに何かと頃合いが悪いが、米丸師匠のところなら今輔師匠の目も届くし私も余計な気を遣ったり引け目を感じたりしないで好かろうという、今輔師匠ならではの判断だった」と振り返っている。
 ・ かつて共に一朝に教えを受けた元弟弟子林家彦六とは喧嘩友達であった(しかし、影では互いの健康に気遣っていたという)。
 ・ 「古典落語も、できたときは新作落語です」というのが口癖で、新作落語の創作と普及に努めた。弟子たちに稽古をつける際も、最初の口慣らしに初心者向きの『バスガール』などのネタからつけていた。だが、もともとは古典落語から落語家人生をスタートしていることもあって、高座では古典もよく演じており、一朝や前師匠小さんに仕込まれただけあって高いレベルの出来であった。特に『塩原太助』は、自身が上州生まれだったこともあり人一倍愛着が強く、晩年は全編を通しで演じていた。
 ・ 新作を手がけるようになったのは柳家金語楼のアドバイスがきっかけだった。このこともあって今輔は金語楼を生涯の師と仰いでいたという。周囲からは「金語楼の真似だ」と言われることもあったが、今輔はむしろそれを誇りにしていた。また『ラーメン屋』『バスガール』は金語楼(有崎勉)の作。
 ・ 芝居噺も得意としたが、ある日、客席から「ドサだ!」とヤジが飛んだ。自身の上州訛りが馬鹿にされ衝撃を受けた今輔は、金輪際芝居噺を封印しようとしたが、劇作家の長谷川伸の協力で長谷川作の芝居噺を演じた。今輔は終生、長谷川の好意を徳としていた。長谷川の葬儀では「先生!」と号泣する今輔の姿は人々の感動を誘ったという。
 ・ 自身の直弟子は皆「さん」付けで呼び、また直弟子や後輩の噺家に対しても敬語で話しかけていた。これは、今輔が自身の子供を連れて街を歩いている時、ある先輩の噺家に「今輔」と呼び捨てで呼ばれたのを聞いていた子供が「父さんを呼び捨てにして偉そうに…、そんなにあの人偉いの?」と聞かれて困ったことがきっかけだったという。
 ・ 1962年5月に起きた三河島事故の際、「事故で亡くなった」と誤報されたことがある。これは実際に事故で亡くなった漫才師のクリトモ一休(春日三球・照代の三球の元相方)が今輔の弟子の今之輔(後の三遊亭右女助)の定期券で事故を起こした列車に乗車しており、定期券が現場から発見された際に一部マスコミが「今之輔」を「今輔」と誤って伝えたためである。
 ・ 自身の経験を踏まえて、「大きな名跡の襲名は40代までにやるべきだ」というのが持論だった。このため、今輔の総領弟子で自身の前名を与えた四代目桂米丸が49歳の時に「六代目今輔」の襲名話をもちかけた。だが、米丸は「生前贈与はありえないだろう」「自分には大きすぎる」と考えて断っている。
 ・ 1974年(昭和49年)に落語芸術協会の二代目会長に就任し、真打の給金制度の改革、二つ目昇進15年で自動的に真打昇進する制度の制定に尽力した。だが、75歳という高齢での会長就任ということもあって会長就任後の今輔は心身を激しく消耗させたようで、総領弟子の米丸は当時の今輔の様子を「高座から下りている時は憔悴しきっているように見えた」と振り返っている。結局、会長就任から3年足らずで今輔は亡くなることになる。
 ・ 自己管理や生活指導に対しては厳しく「12時を過ぎると飲んじゃいけません。12時を過ぎるともう次の日だ。二日間飲むことになるから12時を過ぎたらだめです」と後輩に忠告していた。
 以上ウイキペディアより

虎の子(とらのこ);大切にして手元から離さないもの。秘蔵の金品。

試験地獄(しけんじごく);試験は、どれくらい理解したかを調べ、学業成績の優劣を判定すること。問題を出して答えさせ、及落・採否を定めること。その厳しい試験の苦しみを地獄に例えた言葉。

幼稚園(ようちえん);満3歳から小学校就学までの幼児を対象とする教育機関。ドイツ人フレーベルが創設。日本では1876年(明治9)に初めて設けられ、1926年の幼稚園令によって制度上整備された。現在は学校教育法上の学校のひとつ。

小学校(しょうがっこう);1872年(明治5)の学制以来の初等教育機関。1941年度から46年度までは国民学校。学校教育法により修業年限6年。満6歳から満12歳までの学齢児童の就学を法律で保護者に義務づけている。

中学校(ちゅうがっこう);小学校の教育を基礎として中等普通教育を施す学校。修業年限3年で小学校の6年とともに義務教育。上級学校への進学者が大多数であり、1980年代以降は常に進学者が90%を超えているが、2016年現在においても非進学者は数%存在する。 国立・私立中学校では就職者が極めて少ない。
 2018年5月1日現在で学校教育法に基づく中学校は10,270校あり、そのうち、国立71校、公立9,421校、私立778校。在校生は総数3,251,684人男子1,662,479人、女子1,589,205人が在学している。

高等学校(こうとうがっこう);日本における後期中等教育段階の学校。略して高校(こうこう)と呼ばれている。その名称から誤解されることもあるが、高等教育(ISCEDレベル5)を行う学校ではなく、後期中等教育段階(ISCEDレベル3)に相当する学校である。 1948年に発足した新制の高等学校は旧制の中学校、高等女学校、実業学校を改組再編したものである。高等学校は中学校の教育を基礎とし、中学校の課程を修了した生徒に高度な普通教育および専門教育を施すことを目的とする。主に市民としての総合的な基礎教養、大学・専門学校など高等教育機関への進学準備、また就職に向けての技術・技能の習得の教育を行う。
 1990年代以降は中高一貫制の導入、単位制の実施、総合課程の導入など教育の多様化・柔軟化がみられる。

棟梁(とうりょう);大工の元締めや職人を束ねる人などを指すことが多く尊称として扱われる。大工のかしら。工匠の親方。
 大工は普請(ふしん)の始めから仕上げまで関与することから全体を統括する立場にあり、棟梁とよばれることが多くなったものであろう。他の職種のトップは親方と呼ばれる。

左官屋(さかんや);日本の木造家屋の壁には竹などが格子状に組まれ小舞下地(こまいしたじ)で、その両面に藁を混ぜた土を塗り重ねて、さらに漆喰が塗られますが、この作業の仕上げに必要なのが左官屋です。 このように左官屋の仕事は限られていましたが、明治時代に洋風家屋が出始めると煉瓦やコンクリートにモルタルを塗る作業も加わりました。

虎穴に入らずんば虎子(児)を得ず(こけつにいらずんばこじをえず);虎の穴に入らなければ虎の子は得ることができない。このことから、思い切った冒険をしなければ目的は達成できないということの例え。
 オチの、「その補欠に入ったんですもの、それで虎の子を上げるんです」は、虎穴に入らずんばの比喩。

青写真焼いて;今、建築図面はコピー機で複写したり、パソコンから図面を印刷したりしますが、10数年前までは、建築図面は元稿を複写する青焼きの図面だった。青焼きは、光に当たると褪色して見間違いが起こる欠点が有った。息子が作った図面を青焼きして貰い、それを基に建築作業をするという事。親子冥利に尽きます。

道陸神(どうろくじん);道祖神。 村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ神。また、「あの世」の入り口にある神。のちには縁結びの神、旅行安全の神、子どもと親しい神とされる。男根形の自然石、石に文字や像を刻んだものなどがある。岐神(くなどのかみ)。道陸神(どうろくじん・どろくじん)。たむけの神。さえの神。道祖。
 右、長野県上田市にある夫婦(めおと)道祖神

伊勢の大神宮様(いせの だいじんぐうさま);伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある天照大御神を祀る神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宫(じんぐう)」。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。また、神階が授与されたことのない神社の一つ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

水天宮様(すいてんぐうさま);中央区日本橋蛎殻町2-4-1に鎮座する安産・子授けの神を祀る神社。文政元年、久留米藩有馬家上屋敷内に祀られていた水天宮は、人々の信仰が篤く、塀越しにお賽銭を投げる人が後を絶たちませんでした。時の藩主は毎月5日に限り、お屋敷の門を開き、人々のお参りを許しました。そのことから有馬家と「情け深い」ことを掛けて、「なさけありまの水天宮」という洒落が江戸っ子たちの流行語となりました。

 縁日に沸く水天宮門前風景。門前にずらりと並んだ客待ちの人力車が明治らしい。右側の露天では、提灯、日傘、人形などの玩具華やかに縁日をもり立てています。山本松谷画「目で見る明治時代」より

八幡様(はちまんさま);八幡神・八幡宮の略。八幡宮の祭神八幡神で、応神天皇を主座とし、弓矢・武道の神として古来広く信仰された。やわたのかみ。
 明治元年(1868年)神仏分離令によって、全国の八幡宮は神社へと改組されたのに伴って、神宮寺は廃され、本地仏や僧形八幡神の像は撤去された。また仏教的神号の八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は明治政府によって禁止された。
 八幡神を祀る神社は八幡宮(八幡神社・八幡社・八幡さま・若宮神社)と呼ばれ、その数は1万社とも2万社とも言われ、稲荷神社に次いで全国2位。一方、岡田荘司らによれば、祭神で全国の神社を分類すれば、八幡信仰に分類される神社は、全国1位(7817社)であるという。

 

 鎌倉・鶴岡八幡宮。

お稲荷様(おいなりさま);五穀をつかさどる倉稲魂(ウカノミタマ)を祀ったもの。農耕神信仰から商業神・屋敷神など多岐の信仰に拡大し、全国的に広まった。伏見稲荷大社を中心とし、各地に稲荷社が勧請される。狐を神使とする。稲荷神社では、京都市伏見区稲荷山の西麓にある元官幣大社。倉稲魂神・佐田彦神・大宮女命(オオミヤノメノミコト)を祀る。711年(和銅4)秦公伊呂具(ハタノキミイロク)が鎮守神として創始。全国稲荷神社の総本社。二十二社の一。近世以来、各種産業の守護神として一般の信仰を集めた。今は伏見稲荷大社と称。

 

左、王子稲荷神社。 右、虎ノ門・金比羅宮。

金毘羅様(こんぴらさま);金比羅。仏法の守護神の一。もとガンジス河にすむ鰐(ワニ)が神格化されて、仏教に取り入れられたもの。蛇形で尾に宝玉を蔵するという。薬師十二神将の一つとしては宮毘羅(クビラ)大将または金毘羅童子にあたる。
 海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。

八百万の神様(やおよろずのかみさま);神道(しんとう)で数多くの神々の存在を総称していうもので、実際の数を表すものではない。
 自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、欧米の辞書にはShintoとして紹介されている。日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、多神教としてはありふれた考え方である。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。

 出雲に集まった八百万の神々。

補欠(ほけつ);欠けた部分をおぎなうこと。また、そのためにあらかじめ用意しておく控え。また、その人員。「補欠当選」等。

繰り上げ(くりあげ);次第に上へあげる。順番・時刻などを順繰りに前にもっていく。早める。



                                                            2019年8月記

 前の落語の舞台へ    落語のホームページへ戻る    次の落語の舞台へ

 

 

inserted by FC2 system