落語「足上がり」の舞台を行く 三代目桂米朝の噺、「足上がり」(あしあがり)より
■三代目桂米朝(かつら べいちょう);(1925年(大正14年)11月6日 - 2015年(平成27年)3月19日)は、落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」(やそはち)。所属は米朝事務所。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。
旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身。1979年(昭和54年)に帝塚山学院大学の非常勤講師を務めた。1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。尼崎市に住んだ。
■足が上がる;「解雇される」の意味。現在では死語になっているのでサゲが分りにくい。
古くから上方にあるネタで、三代目桂文團治が得意としていたのを、四代目桂米團治に受け継がれ、さらに米朝が師匠米團治の高座で演じていたのを聞き覚えて伝えられた。
後半部は「四谷怪談」の芝居が中心となり、演者には歌舞伎に精通していることが求められる。米朝は芝居の台詞にも工夫が必要があるとし、例えば、お岩の幽霊に悩む伊右衛門の「夜毎に悩ます鼠の祟り」を「サラサラと言うたらいかん。『夜毎に悩ます』で間を取ってから『鼠の祟り』と言わんと台詞が締まらへんのや」と、説明している。
■番頭(ばんとう);商家の使用人の最高職位の名称で、丁稚 (でっち。小僧)
、手代の上位にあって主人に代わって店の万事を預るもの。主人に代って手代以下の者を統率し、営業活動や家政についても権限を与えられていた。商家によっては番頭1人の場合と、複数制の場合とがあるが、後者の場合は、番頭のうちの上位者が支配人とされた。近代的企業組織の成立とともに消滅した。
■店の金を着服(みせのかねを ちゃくふく);金品などをひそかに盗んで自分のものにすること。お金を扱う職業であれば、つい魔がさして誘惑をおこしてしまいかねない犯罪ですが、その責任は重い。
特に、業務においてお金を扱う、預かる立場、地位にある従業員が、会社のお金を横領した場合には現在「業務上横領」という重い犯罪となります。
横領罪の刑罰は決して軽くありませんし、逮捕されるリスクも高い、責任の重い犯罪です。金額が高額となる場合には、初犯であっても実刑となる可能性も大いにあります。
■芸妓遊び(げいぎあそび);芸妓(げいぎ)とは、舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つ。
江戸時代には男芸者と女芸者とがあった。江戸時代には京都や大坂で芸者といえば男性である幇間(太鼓持ち)を指し、芸子が女性であったが、明治になると芸者が男性を指すことはなくなり、以降は大阪でも女性を芸者というようになった。京都では芸妓(げいこ)とよばれる。現代では料理屋(料亭)、待合茶屋に出入りする芸者が売春を行うことはない。地方の温泉地等ではコンパニオンと呼ばれる派遣の芸妓(酌婦)などが存在し、また俗に枕芸者と呼ばれるものも一部に残っている。
■中座(なかざ);大阪市中央区道頓堀にあった劇場。慶安5 (1652) 年創設。当時大坂に3つあった大芝居小屋のまんなかにあったため中の芝居と呼ばれ、角の芝居 (現角座) とともに大坂の代表的な歌舞伎小屋として栄えた。何度か火災で焼失したがそのたびに再建され、1920年からは松竹の経営。1世中村鴈治郎の本拠地となった。
45年に戦災で焼失。再建後は関西歌舞伎の衰退に伴い、松竹新喜劇の本拠地となった。現在は歌舞伎、大衆演劇、新喜劇などを上演していた。客席数 802。大阪でもっとも伝統と古格を保つ歌舞伎劇場として存在意義をもっていた。1999年(平成11)10月経営不振などの理由により閉館した。
■お茶屋(おちゃや);料理茶屋。お茶屋は芸妓を呼ぶ店であり、風俗営業に該当し、京都では営業できるのは祇園、先斗町など一定の区域に限られる。
■芝居見物(しばいけんぶつ);
☆芝居茶屋
『踊形容江戸絵栄(おどりけいようえどえのさかえ)』 安政五年(1858)、三代歌川豊国 安政五年七月 市村座上演の『暫(しばらく)』
☆歌舞伎芝居見物
■丁稚(でっち);(デシ(弟子)の転。一説に、双六の重一(デツチ)からともいう)
職人または商人の家に年季奉公をする年少者。雑役に従事した。上方では丁稚、江戸では小僧と呼称した。
■飼い犬に手噛まれる(かいいぬにてをかまれる);恩顧を与えた者から思いがけず害を受ける。
■請け人(うけにん);ひきうけて保証に立つ人。保証人。口入人(クチイレニン)。
■東海道四谷怪談(とうかいどう よつやかいだん);鶴屋南北作の歌舞伎狂言。全5幕。文政8年(1825年)、江戸中村座で初演された。
南北の代表的な生世話狂言であり、怪談狂言(夏狂言)。『仮名手本忠臣蔵』の世界を用いた外伝という体裁で書かれ、前述のお岩伝説に、不倫の男女が戸板に釘付けされ川に流されたという当時の話題や、砂村隠亡堀に心中者の死体が流れ着いたという話などが取り入れられた。
あらすじ
伊右衛門浪宅(ろうたく=浪人のすまい)の場 お岩をいびる伊右衛門。
田宮家に戻った岩は産後の肥立ちが悪く、病がちになったため、伊右衛門は岩を厭うようになる。高師直の家臣伊藤喜兵衛の孫・梅は伊右衛門に恋をし、喜兵衛も伊右衛門を婿に望む。高家への仕官を条件に承諾した伊右衛門は、按摩の宅悦を脅して岩と不義密通をはたらかせ、それを口実に離縁しようと画策する。喜兵衛から贈られた薬のために容貌が崩れた岩を見て脅えた宅悦は伊右衛門の計画を暴露する。岩は悶え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって死ぬ。伊右衛門は家宝の薬を盗んだとがで捕らえていた小仏小平を惨殺。伊右衛門の手下は岩と小平の死体を戸板にくくりつけ、川に流す。
三幕目 十万坪穏亡堀の場 お岩と小平の死骸が上がる。伊右衛門をなかに、直助と与茂七。
■蛇山庵室の場(へびやまあんしつのば);田宮家に入った伊右衛門は、上司である与力の伊東喜兵衛の妾に惹かれ、また喜兵衛は妊娠した妾を伊右衛門に押し付けたいと思い、望みの一致したふたりは結託して、岩を騙すと田宮家から追う。騙されたことを知った岩は狂乱して失踪する。岩の失踪後、田宮家には不幸が続き断絶。その跡地では怪異が発生したことから於岩稲荷がたてられた。
全体のあらすじと『蛇山庵室の場』の詳しいあらすじ
■お岩の幽霊(おいわのゆうれい);四谷左門の娘で、お袖の義姉。伊右衛門と恋に落ち内縁関係になるが、伊右衛門の不行状を理由に妊娠中に実家に連れ戻される。伊右衛門が父を殺した張本人だと知らずに、父の敵を討つことを条件によりを戻して子を産み落とすが、心変わりした伊右衛門の身勝手な態度や伊藤喜兵衛によるひどい仕打ちにより、多くの人たちを恨みながら死んでいく。しかしその怨念は凄まじく、幽霊となって伊右衛門やその周りの人々を苦しめ、追いつめる。
実在のお岩さんとお岩稲荷については、落語「ぞろぞろ」に詳しい。
■仕方噺(しかたばなし);身ぶり・手ぶり(ジェスチャー)をまじえてする話。また、それを取り入れた落語。
■手水(ちょうず);1 手や顔などを水で洗うこと。社寺に参拝する前などに、手や口を水で清めること。また、その水。「手水を使う」。
*モノクロ舞台写真は藤原茂一著 『幽霊お岩』 青弓社発行 より転載。
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