■「蘭方医者」と言う似通った噺が有ります。
腹に虫が湧いたので、蘭方医者(らんぼう医者の掛詞)に診てもらうと、「カエルを飲めば良い。カエルが虫を飲んでしまうから・・・」と飲ませる。すると患者が両手をついてカエルのような恰好になってしまった。
そこで、ヘビを飲ませると、ヘビみたいに、グニャグニャになってしまった。
次に、キジを飲ませると、羽をばたつかせる恰好をするので、医者は書生に笠をかぶし鳥刺しの恰好をさせる。その書生を飲むと、やがて書生はキジを籠に入れて出て来た。ところが患者の身体が突っ張ってしまった。調べると、書生が竿と笠を患者の体内に忘れてきたのだ。
医者は、「わしではいかんから外科に行ってくれ」、「どうして」、「カサ(=瘡)がサオ(=男根)にかかった」。
三遊亭百生がやった上方のバレ噺です。注訳は付けません。
■三遊亭円遊(さんゆうてい えんゆう);本名=竹内 金太郎。
別名前=五明楼 しう雀。 嘉永3年 5月28日生(1850)~没年 明治40年11月26日 (1907)。五十八歳没。出生地=江戸・小石川小日向水道町(東京都)。右写真。
慶応4年19歳の時、二代目五明楼玉輔に入門、しう雀を名乗る。師の一時廃業に伴い、明治5年三遊亭円朝に再入門、円遊と改名。13年真打ち。滑稽な“ステテコ踊り”を売りものとし、明治風俗を折りこんだ漸新なギャグを配した新作・改作で圧倒的な人気を得た。“ステテコの円遊”、また大きな鼻のため“鼻の円遊”とも愛称され、本来は三代目であるが後年あまりに有名になったため、俗に初代といわれる。「野ざらし」「花見小僧」など現在の形をつくった。
本来の初代三遊亭圓遊(三遊亭圓勇とも)=後の初代金原亭馬生。
本来の二代目三遊亭圓遊=後の二代目三遊亭新朝(本名:山田岩吉)。
大きい鼻で知られており、「鼻の圓遊」ともよく呼ばれていた。寄席において、落語の後の余興として奇妙な踊りを披露して大人気を博した。大きな鼻をもいで捨てるような振付けから「捨ててこ、捨ててこ」と言いながら、着物の裾をまくり踊る芸が「ステテコ踊り」の異名を得、このために「ステテコの圓遊」の名で呼ばれるようになった。また古典落語を明治風に改作して演じた。明治時代の落語界において中心人物であった。全盛期には1日36軒の寄席を掛け持ちしたという伝説がある。
辞世の句は「散りぎわも 賑やかであれ 江戸の花(鼻)」。
■鍾馗(しょう き);主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したり飾ったりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。
鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。
鍾馗の縁起については諸説あるが、もともとは中国の唐代に実在した人物だとする以下の説話が流布している。
ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せた。
玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。
夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。
図;国宝『辟邪絵 鍾馗』部分。平安~鎌倉時代(12世紀)。奈良国立博物館所蔵。
■ヤブ医者(やぶいしゃ);適切な診療能力や治療能力を持たない医師や歯科医師を指す俗称・蔑称。同義語に庸医(ようい)がある。古くは1422年に「藪医師」、1283年に「藪薬師」の記録がある。
語源については、諺「藪をつついて蛇を出す」(余計なことをしてかえって事態を悪化させてしまう)からとする説、「薮柑子」「薮茗荷」「薮連歌」など、似て非なる物に「薮」の字を冠するところからとする説や、腕が悪くて普段は患者の来ない医者でも、風邪が流行って医者の数が足りなくなると患者が押し寄せ忙しくなることから、「カゼ(風)で動く=藪」という説もある。
「藪のように見通しがきかない」医者という説も存在し、この説に基づき、藪以下の全く見通しのきかない未熟な医者を「土手医者」と呼ぶこともある。また藪医者以下のひどい医者のことは、「やぶ医者にも至らない」「藪にも至らない」という意味を込めて「筍(たけのこ)医者」と呼ぶこともある。
藪医者を人名になぞらえて、“藪井竹庵”(やぶい ちくあん)とも言い、落語などで藪医者を登場させる時、この名を用いることがある。
「野巫医(やぶい)」から来ているというもの。
野巫とは田舎の巫女のことで、医術より呪術を使う怪しい医者、ということから「やぶ医者」という言葉が生まれたという説です。
■サナダ虫(真田虫、条虫、絛虫);テニア科や裂頭条虫科の扁形動物の総称。成体はすべて人体の消化管中で生息する寄生虫。名前の由来は扁平な真田紐に似ていることによる。日本の古代には「寸白(すばく)」とよばれた。長いと10m以上になるものも存在する。
共通する特徴は、消化管や口を完全に欠くこと。体は扁平で上皮細胞がなく、体表はクチクラに覆われている。栄養分は体表から吸収する。また、宿主に固着するための吸盤などを外部に備える。雌雄同体で体内は雌雄の生殖器官のみが発達している。
大きくは単節条虫亜綱と多節条虫亜綱に分けられる。一般にサナダムシとしてイメージするのは後者である。単節条虫亜綱のものは節に分かれない扁平な体で、先端に吸盤などを持つ。多節条虫亜綱のものは、頭部とそれに続く片節からなる。頭部の先端はやや膨らみ、ここに吸盤や鉤など、宿主に固着するための構造が発達する。それに続く片節は、それぞれに生殖器が含まれており、当節から分裂によって形成され、成熟すると切り離される。これは一見では体節に見えるが、実際にはそれぞれの片節が個体であると見るのが正しく、分裂した個体がつながったまま成長し、成熟するにつれて離れてゆくのである。そのため、これをストロビラともいう。長く切り離されずに10mにも達するものもあれば、常に数節のみからなる数mm程度の種もある。切り離された片節は消化管に寄生するものであれば糞と共に排出され、体外で卵が孵化するものが多い。下写真。
魚に寄生する日本のサナダムシの感染は、年間300~500件ほどであった。魚に寄生するサナダムシの中でも国内で圧倒的に多いのは、サケ(トキシラズ、サクラマスなどの高級魚)に寄生する日本海裂頭条虫という種類である。サナダムシ感染症の主な症状は、軽い腹痛や軽い下痢など。「肛門からヒモカワ状の虫が出てくるので、精神的なダメージの方が大きいかもしれない」と述べている。サナダムシの感染者数は多くても、症状が軽いことからあまり問題視されない。そのため、サケを食べて感染するということも、あまり知られていないという。サケの筋肉に存在するサナダムシの幼虫は肉眼でも確認できるが、知らずに食べてしまうことが多い。トキシラズやサクラマスからはサナダムシが見つかっているが、同じ白鮭でもアキザケからはこれまで見つかったことはないという。
■虫拳(むしけん);
拳の一。親指を蛙(かえる)、人さし指を蛇、小指をナメクジに見立てて勝負を争うもの。蛙は蛇に、蛇はナメクジに、ナメクジは蛙に負ける。
ヘビはカエルを一飲みにする。ヘビには負けるカエルだが、相手がナメクジならばやすやすと舌でとって食べる。しかしカエルに食われるナメクジは、ヘビ毒が効かず、身体の粘液でカエルより強いはずのヘビを溶かしてしまう(実際にはそのようなことはおこらないが、古い時代の日本ではそう信じられていた。しかしナミヘビ科にはナメクジを捕食する種もいる)。このときにカエルがナメクジを食べると、その後ヘビに食われてしまうから、ナメクジを食べられない。ヘビ、ナメクジも同様の状態で、三者とも身動きがとれず三すくみとなる。
■鬼殺し(おにころし);この名称のお酒は清酒・焼酎に沢山あります。「鬼ごろし」だったり「鬼ころし」だったり「鬼殺し」だったり、あるいは「○○鬼××」だったりします。それで商標登録は可能なのです。日本における「鬼」と言う概念が「強いもの」と言うことから「強い者を倒すほどの酒」と言う意味で捉えられているものですから、名称にある程度の汎用性があるようです。アルコールの度数は、酒税法によって清酒なら清酒で、焼酎なら焼酎で、ある範囲が決められているため、特に「鬼○○」が強い酒と言うものではありません。市販で最も一般的に流通している清酒の「鬼ころし」のアルコール度数は15度です。ちょっとした銘酒だと16度~17度あるものもありますから、それ程強いと言う訳でもありません。
飲むとビックリする程、甘さ旨さの無い辛口で、美酒とは言えない酒、と友人は言っています。値段からしても、料理酒に負ける、それほどの酒とは言えません。
地下鉄の車内に掲示されていた、鬼ごろしの広告。
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