落語「羽根突き丁稚」の舞台を行く
   

 

 三代目 桂米朝師匠の噺、「羽根突き丁稚」(はねつきでっち)より


 

 お正月となりますと和服、日本髪がグッと増えます。 まぁ、所帯やつれした、おかみさんでも、樟脳の匂いの染み付いた着物を箪笥から出してきて、年に一遍(いっぺん)か二遍しか着いひんちゅうやつでな。 で、白粉(おしろい)を、こおぉ、厚顔に三文がんほど付けたりして。 ”元日や おのが女房に ちょっと惚れ” てな川柳がありますけど、あれ、ああして見ると、うちの嬶(かか)、まだいけるがな、てな気になったり・・・。
 また、十(とお)から十一、十二ぐらいのお嬢ちゃん。 学校行きの格好なんか見てると、本当に子供ですけれども、お正月やというんで、振袖なんか着てな、こう、和服を着けますと、グッと大人っぽく見えるもんで・・・。
 おやっさん、こう、チビチビ、置き炬燵でなんかやりながら、「あれぇ。あれ、うちの子か~。えぇ、娘になりよったな~。もうじき、嫁入りやでぇ。こら、高ぉつくがな」 なんて、心配するのも、これも、お正月です。
 子供から大人に、片足踏み込んだか踏み込まんか、というぐらいの女の子の色気はまた格別で。大きな羽子板を持ちまして、カチン、カチンと羽を着く。近頃では交通事情なんかで、あんまりやりまへんけど、あれも風情のあるもんです。

 袂(たもと)気にしながらなっ、 「ひ~とめぇ、ふ~ためぇ、ちーかめ(近眼)」んなこと言やしまへんけど。そうすると、近所の悪童がやって来るもんで、「花ちゃ~ん。おめでとうさん。あんた、お正月やさかい、そうして、べべ着てたらえらい、別嬪(べっぴん)さんに見えるわ」、「なぶらんといて」、「なぶってへんがな。綺麗って褒めてんねや。な~、その羽子板、わしに一遍、突かして~な。その羽根、一遍、突かして~な」、「嫌やッ」、「そんなこと言わんと、突かして~な」、「あんたなんか嫌いやさかい、突かしたらへん」、「んな根性悪いこと言いないな。一遍や二遍突いたかて減るもんやあらへんやないか~。ええぇ、ちょっとだけ」、「あんたなんかに突かしたらなぁ、お母ちゃんに怒られる」、「言いやがったな、こいつ~。よし、頼めへんわいッ」、ダーンと突き倒す。男の子は乱暴ですなぁ。突き倒しといて羽根と羽子板を引ったくると、カチーンと、突き上げると、この羽根が樋(とゆ)にピュッと止まってしもうた。
 「知らんでぇ~」、ちゅうんで男の子は羽子板、放(ほ)り出して逃げて行ってしもうた。

 女の子はわんわん泣いてると、近所のお医者はんが年始帰りですか、髭の端にビールの泡、乗したりして、ステッキ突いて通りかかって、「これこれこれ、何をそう泣いてんねや、この子は、えぇッ。あ~あ~、せっかくのベベがホコリまびれやないかいな。どうしたん? はッ、羽根が止まったんかいな。あ~、わしが取ってやる」。
 ステッキを逆手に持つと、樋の下からコンッっと、突きますとコロッっと羽根が帰る。「さぁ、泣きやみや」、と言われても、女の子は泣き止(や)みまへんな~。羽根と羽子板と抱えて、家へ泣いて帰って来る。

 「あぁ~~ん」、「これこれ、もう、お正月早々そんな声出して泣きなはんな。今まで機嫌よ~遊んでたと思たら、どないしたんやいな」、「うち、一人で羽根突いて遊んでたら、お向かいの、竹ちゃんが来て・・・」、「また竹ちゃんかいな、何であの子とそないケンカするんや。もう、あの子も悪さやさかいな~。どないしたんや?」、「でなっ、お正月やさかい、『そないして、お化粧してベベ着てたら別嬪さんに見える』」、「褒めてくれてんやったら泣かいでもえぇやないか」、「ほんでな~、『わしに一遍突かしてくれ』言いやんねやわ」、「突かしてくれ? 妙なこと言うたな~、あの子。この頃、まあ、ちょっと色気づきやがって、何ちゅうこと言うねいな。ほいで、あんたどない言うたん?」、「あんたなんか嫌いやさかい突かしたらへん、言うた」、「そんなおかしな言い方しなはんな。好きやったら突かすんかいな。そんな無闇に突かれてたまるかいな」、「ほな、『一遍や二遍突いたかて減るもんやない』って」、「よぉ~、そんなこと言うたな~、あの子。何ちゅうこと言うねんや」、「あんたなんかに突かしたら、お母ちゃんに怒られる」、「あ~、よ言うたんなはった」、「ほな、『こないしたる。』言うて、パーンとひっくり返して、とうとう、突いてしもたんやわ」、「え~、ほな、あんた、突かれてしもたんか?」、「ほな、突くなり、止まった」、「騒動やがな。止まったりしたら。どないしたらえぇやろ・・・」、「ほな、お医者はんが来はってな、直(じき)に降ろしてくれはったんや」。

 



ことば

■この噺は小娘を使ったバレ話になっています。正月の風景に溶け込んだほのぼのとしたいい噺です。娘の言葉の足りなさと、母親の先走った誤解が噺を面白くさせています。この様な軽い噺も米朝さんが演ったんですね。

樟脳の匂い(しょうのうのにおい);樟脳は、無色半透明の光沢ある結晶で、特異の芳香をもつ。水には溶解せず、アルコール・エーテルなどに溶解。クスノキの幹・根・葉を蒸留し、その液を冷却すると結晶が析出する。精製するには再び昇華させる。ピネンを原料として合成もされる。セルロイド・無煙火薬などの製造、防虫剤・防臭剤・医薬などに使用。カンフル。
 樟脳を蒸留・分取した残余の精油を樟脳油という。帯黄色ないし帯褐色。これをさらに分留して白油・赤油・藍油を製する。白油は防臭・殺虫用、赤油は石鹸香料・サフロール製造原料、藍油は防臭・殺虫などに用いる。
 着物などの衣料は箪笥にしまっておくときに、着物が虫に食われて穴が空くのを予防するため、樟脳を一緒に入れる。しかし、臭いがきついので、箪笥の肥やしになっていたりすると、着ると樟脳の臭いが着物から発散する。

三文(3もん);安い白粉でも・・・。少量の白粉でも・・・。

振袖(ふりそで);身頃と袖との縫いつけ部分を少なくして「振り」を作った袖をもつ着物。 現代では若い女性の、黒留袖や色留袖、訪問着に相当する格式の礼装で、成人式、結婚式の花嫁衣装・参列者双方で着用される機会が多い。
 振袖は、現代では、若い未婚の女性が着用するとものと見なされる場合が多いが、本来は着用者が未婚か既婚かということで決める物ではなく、若い女性用の和服であった。それゆえある程度の年齢になると一般的な女性は着用しない。 「振り」とは「振八つ口」とも呼ばれ、身頃に近い方の袖端を縫い付けずに開口している部位のことを指す。現代の振袖の特徴は「振り」があり、かつ、袖丈が長いことである。袖に腕が入る方向に対して垂直方向の長さが袖丈である。振袖はその袖丈の長さにより「大振袖(本振袖)」(袖丈114
cm前後)、「中振袖」(袖丈100cm前後)、「小振袖」(袖丈85cm前後)に分類される。 現代では最も袖丈の短い小振袖はほとんど着用されず、もっぱら大振袖・中振袖が用いられるが、格式がある柄付けならば小振袖でも中振袖でも第一礼装となり、一般的な大振袖より格が落ちるわけではない。今日の成人式に着用される振袖はほとんどが大振袖(本振袖)である。 例外的に、演歌歌手など芸能の女性は年齢・既婚などに関係なく公演等で振袖を着る場合がある。
 振袖の元になったのは、振八つ口のあいた子供用の小袖である。稚児大師図(香雪美術館蔵・鎌倉後期)などに見られるように、子供の小袖は中世の時代は体温を逃がすために振り八つ口をあけていた。それに対し大人の小袖は袂が短いのが古くからの形であった。
 江戸期、女性の衣装としてのみ発展し、関所を通る際は未婚女性は振袖を着用しないと通過が出来ない(年齢や身分をごまかしているのではと因縁をつけられたため)など、未婚女性といえば振袖を着用するものという認識が広まった。関所の近くにはたいてい貸し振袖屋があったという。

 https://www.suzunoya.com/furisode/ 「鈴乃屋」ホームページより晴れ着の振り袖。

羽子板(はごいた);鎌倉時代、羽根突きの道具として用いられたが、徐々に厄払いとしても使われるようになり、魔除けとして正月に女性にあげる習慣も江戸時代のころ出来たとされる。江戸時代に入ると、歌舞伎役者などをかたどった押絵羽子板が流行し、元禄期以降になると、遊びの道具として定着した。井原西鶴の『世間胸算用』に、正月に羽子板が江戸の市場で他の正月用の玩具と共に売られていたという言及がある。その後種類が増加し、金箔、銀箔を施した高級品も現れ、幕府が華美な羽子板の販売を禁止したり、製造について制約を課すなどの干渉をすることもあった。文化、文政年間になると、押し絵により人気俳優などの有名人を模った羽子板も登場、明治時代に入ると、新たな技術が応用され、羽子板の種類は更に増えた。 現代においても、羽子板は運動・遊戯としての羽根突きに使われる実用品と、厄除けや美術品の両方が作られている。「江戸押絵羽子板」は東京都により伝統工芸品に指定されている。

 浅草寺境内で12月に行われる羽子板市での羽子板売りの小屋(上)。羽根(下)。

(たもと);和服の袖付けから下の、袋のように垂れた部分。特に振り袖の袂は長いから手で押さえながら羽子板を扱ったのでしょう。娘らしく可愛い仕草の一つです。

別嬪(べっぴん);美女、美人。
 べっぴんは元々、京ことばで「別の品物」「特別によい品物」を意味する「別品」に由来する説がある。本来、「別品」は品物だけを指す言葉であったが、優れた人物にも使われるようになり、女性に限らず、男性にも用いられた。その後、べっぴんは女性の容姿のみを指す言葉になっていった。 漢字ではべっぴんは「別嬪」と書く。「嬪(ひん)」という言葉は、中国語で「皇帝の側室」「宮廷の女官」という意味である。「別品」が美人のことを指すようになり、「高貴な女性」を意味する「嬪」の字が当てられ、「別嬪」と書かれるようになった。

(とゆ);樋(とい)と言います。屋根面を流れる雨水を集め地上あるいは下水に導くための配管、設備。建築では特に雨水などの液体を運ぶのに用いる雨どい・雨といのことをいう。「とゆ」「とよ」ともいう。 地上に仮設して水を流す筒状の樋は筧(かけい・かけひ)と呼ばれる。「ひ」(=樋)とは堤などから排水するための門のことで、「とい」の語は「戸樋(とひ)」のこと、筧はすなわち「懸樋(かけひ)」のこと。
 軒樋(のきとい、のきどい)、軒下に敷設して屋根からの水を集めて流す役割を担う。断面形状が略半円弧、U字、倒コの字、V字、逆台形で上面開口となっており溝状のもの。
 樋に羽子板の羽が引っかかってお医者さんのステッキで、下から突いて降ろして貰った。長い竿竹を持ってきて上から突くより、下から突いた方が簡単に取れるものです。

丁稚(でっち);丁稚とは商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。職人のもとでは徒弟、弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった。明治時代以後はいわゆる近代的な商業使用人となっていく。 現代でも一般社員(ヒラ社員)が自嘲的に、「まだ丁稚です」と比喩的に使う事もある。上方ことばの「丁稚」に対して江戸言葉では「小僧」とよばれる。
 竹ちゃんは商家の使用人では無い(?)ので、題名の丁稚という呼称は違和感があります。



                                                            2020年12月記

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