落語「夢たまご」の舞台を行く
   

 

 桂枝雀の噺、「夢たまご」(ゆめたまご)より


 

 夏の暑さの真っただ中の夕方。小腹の空いた男、何か虫養(むしやしな)いがほしいと思っていたところへ、「たまご~、たまご~、夢たまご~。たまごは要らんかなぁ~?」、「これは良い。玉子屋、ゆで卵を一つくれんかぃ、なんぼかいな」、「1銭です」、「一つくれんかいな、ゆで卵」、「お間違いの無いように。これは『夢玉子』でございます」、「夢玉子ってなんや」、「この玉子を食べると、夢が見られるのです。見られる夢は、色々あってどれがどれだか分かりません。自分の売っているのはこういうお楽しみのお分かりになるお方向けの、どういう夢を見るかわからないほうのものです」、「それ貰おう。夢玉子と言っても、ゆで卵ですからその様にお召し上がり下さい」、「1銭置いたよ」。

 「たまご~、たまご~、夢たまご~」。

 「ゆで卵の夢玉子か。良くむけるな。黄身が喉につかえそうになったら、白身を間に挟むんだ。(旨そうに口に運ぶ)」。

 「『たまご~、たまご~、夢たまご~。たまごは要らんかなぁ~? 夢玉子、一つ1銭~』、違うがな。わしは売る方で無く、買った方だッ。 ん?・・・、そうか、これは夢かッ。夢玉子屋になった夢を見ているんだ。玉子屋は街がこんな風景に見えるんだ。街が外れたら、レンゲ、タンポポの花盛りだッ。暑いのに、レンゲ、タンポポか? これが夢だからなんだ。ははは。お日~さん、山の向こうにお帰りになるんだ。そろそろ家に帰ろうかな」。
 「お帰りなさい」、「そうか。これが玉子屋の家なんだ。だから迷わず帰って来たんだ。さっきの声は嫁さんだな」、「はいはい。『タライに湯が入っているから、汗流して下さい』、か。よくできた嫁さんだな。はいはい。『汗流したら、お膳が出来て、1本付けてある』か。はいはい、わっかりました。『あんたの好きなハツのお作りが出来ている』か、本当だ。旨いな~。これも幸せの極みかも知れんな~」。
 「お父さん」、「この子は何処の子や」、「隣町のお婆ちゃんのところでお祭りがあるん。泊まってくる」、「気をつけて行ってらっしゃい」、「玉子屋の息子だな。幸せのまた上の幸せだな。はいはい、『先寝かせていただきます』。お~、蚊帳が吊ってある。豚の蚊遣りも有るよ。着物脱いで、何か着て布団に入ったよ。玉子屋にしてみたら自分の嫁さんだが、わしにしてみたらヒトの嫁さんだよ。こんな事あっても・・・。夢の中だからな~、ま、良いだろう。そならそうさせていただきます」。

 「痛い。何するんじゃぃ。お、お前は玉子屋」、「お前は誰と何してんじゃぃ」、「(パンパンパン)痛い。あ、夢醒めたんかぃ。あッ、玉子屋あんなとこ歩いている。歩いている間に夜中までの夢を見たんだ。あの玉子屋、夢の中だと言ってもあんな事が有ったなんて知らんだろう。後ろ姿を見ていると、お可笑しいような、哀れなような・・・」。
 「たまご~、たまご~、夢たまご~。たまごは要らんかなぁ~? なんぼ、夢の中でも、して良いことと、悪いことがあるぞ~」。

 



ことば

マクラから、桂枝雀の創作落語で、「落語というものは”夢か現(うつつ)か、現か夢か”というようなところじゃないか、というようなことに思い至りまして、まぁこしらえたもんでございます」。という枝雀の思いから生まれた噺です。 不思議なSFのような感覚になる噺で、枝雀の世界観が作品に込められているように思います。
 *注、”夢か現(うつつ)か、現か夢か”、目の前に見えている出来事が、夢なのか現実なのか。意外で信じられない気持を表す詞。

小腹の空いた;お腹が空いた時。

虫養い(むし やしない);ほんのちょっとした食事。腹の足し。軽食。虫押さえ。『大阪ことば事典』

ハツのお作り;マグロの刺身。上方ではマグロの寿司を食べるようになったのは近年のこと。マグロは下卑の食として、中以上及び饗応にはこれを用いず。マグロを京阪では『初の身』と言う。と、守貞漫稿は言う。

ゆで卵(ゆでたまご);鳥類の卵、特に鶏卵を、殻のままゆでて凝固させたもの。地域により「うで卵」とも言う。近畿地方では固ゆで卵を「煮抜き卵」・「煮抜き」とも呼ぶ。卵が常温の場合、7~8分前後で半熟に、10分前後で固ゆで卵になる。残念ながら、夢たまごの作り方は分かりません。

レンゲ;蓮華草。マメ科の二年草。中国原産。春、紅紫色の蝶形花を輪状に付ける。東アジアに分布。日本では緑肥・飼料作物として古くから栽培されたらしい。明治末期から北海道を除いて全国の田で春を彩ったが、その後減少。レンゲ。ゲンゲ。漢名、紫雲英。
 湿ったところに生える。全体に柔らかな草である。茎の高さ10~25cm。根本で枝分かれし、暖かい地方では水平方向に匍匐して60~150cmまで伸びる場合もある。茎の先端は上を向く。また、根本から一回り細い匍匐茎を伸ばすこともある。葉は1回羽状複葉、小葉は円形に近い楕円形、先端は丸いか、少しくぼむ。1枚の葉では基部から先端まで小葉の大きさがあまり変わらない。花茎は葉腋から出てまっすぐに立ち、葉より突き出して花をつける。花は先端に輪生状にひとまとまりにつく。
 ゲンゲの花は、良い「みつ源」になる。蜂蜜の源となる蜜源植物として利用されている。
 春の季語。ゆでた若芽は食用にもなる(おひたし、汁の実、油いため他)。民間薬として利用されることがある(利尿や解熱など)。ゲンゲの花を歌ったわらべ歌もある。「春の小川」などが知られている。「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」は、江戸時代に滝野瓢水が詠んだ俳句。遊女を身請しようとした友人を止めるために詠んだ句で、蓮華(遊女)は野に咲いている(自分のものではない)から美しいので、自分のものにしてはその美しさは失われてしまうという意味。下写真、千葉県大多喜のレンゲ畑。

タンポポ(蒲公英);キク科タンポポ属の多年草の総称。全世界に広く分布。日本にはカンサイタンポポ・エゾタンポポ・シロバナタンポポ、また帰化植物のセイヨウタンポポなど10種以上あり、普通にはカントウタンポポをいう。根はゴボウ状。葉は土際にロゼットを作り、倒披針形で縁は羽裂。春、花茎を出し、舌状花だけから成る黄色の頭花をつける。痩果は褐色で、冠毛は白色、風によって四散する。若葉は食用、根は生薬の蒲公英ホコウエイで健胃・泌乳剤。たな。
 和名「タンポポ」の由来は諸説ある。花後の姿が綿球のタンポに似ているので、「タンポ穂」とよばれたとする説。花茎を切り出して、その両側を細く切り裂いて水に浸けると反り返り、鼓の形になるので、タン・ポン・ポンという音の連想からという説。タンポポが鼓を意味する小児語であったことから、江戸時代にツヅミグサ(鼓草)と呼ばれていたものが、転じて植物もタンポポと呼ばれるようになったとする説がある。下写真。

タライ(盥);平たい桶のことを言う。通常丸い形をしており、比較的浅い。一般にいわれる洗い桶としての簡易洗面器も、この一種である。また、顔や手足を洗うためにも使われる。 近年においては近代化、また利便性の向上に伴い、使われる機会は少なくなってきている。 洗濯機が無かった時代において、主に洗濯の用途などで多く用いられた。嫁入り道具に必要なもののひとつとされる地域もあった。 語源として、「手洗い」が詰まって「たらい」となったともいわれる。たらいは、戦前までは木製であった。(これは桶の製作技術を転用したものである) 第二次世界大戦後、軽量化、耐久性の向上を図るため、アルミニウムやメッキ鋼板で作られるようになった。 その後、トタンを用いた金だらい(かなだらい)が生産、流通の中心となった。さらに近年ではプラスチックを用いた製品が生産、販売されている。
 この噺のように、行水に使う。この場合、昼までに水をはり、日光で温まった日向水を利用した。
 右図、歌麿画 「たらいで洗濯する婦人」

蚊帳(かや);蚊を防ぐために吊り下げて寝床をおおうもの。麻布・絽(ロ)・木綿などで作る。かちょう。
 蚊の侵入を防ぎながら空気の通りを妨げない物として、窓に網戸、屋内で蚊帳がある。いずれも目が1mm程度の細かな網を蚊の侵入方向に張り巡らせて侵入を防ぐものであり、人間の寝所等の周りに吊るして防御するものが蚊帳、それを推し進めて窓に網を張り家全体への家の侵入を防ぐものが網戸である。
  日本には中国から伝来した。当初は貴族などが用いていたが、江戸時代には庶民にも普及した。
  「蚊帳ぁ~、萌黄の蚊帳ぁ~」という独特の掛け声で売り歩く行商人は江戸に初夏を知らせる風物詩となっていた。現在でも蚊帳は全世界で普遍的に使用され、野外や熱帯地方で活動する場合には重要な備品であり、大半の野外用のテントにはモスキート・ネットが付属している。また軍需品として米軍はじめ各国軍に採用されており、旧日本軍も軍用蚊帳を装備していた。 現在、蚊帳は蚊が媒介するマラリア、デング熱、黄熱病、および各種の脳炎に対する安価で効果的な防護策として、また副作用が無いので注目されている。

豚の蚊遣り(ぶたの かやり);『けむくとも 末は寝やすき 蚊遣りかな』
 かつて日本においては、ヨモギの葉、カヤの木、スギやマツの青葉などを火にくべて、燻した煙で蚊を追い払う蚊遣り火という風習が広く行われていた。また、こうした蚊を火によって追い払う道具は蚊遣り具、または蚊火とよばれ、全国的に使用されており、大正時代まではこれらの風習が残っていた。現代において蚊の駆除器具として一般的に使用されているものとしては、蚊取り線香がある。ただしその歴史自体は非常に新しいものであり、和歌山県出身の上山英一郎が線香に除虫菊の粉末を練りこんだものを1890年に開発したのがその始まりである。蚊取線香の防虫能力は高く、大正時代末には蚊遣り火や蚊遣り具にとってかわった。ただし蚊取線香も火を用いることには変わりなく、安全性を高め灰の処理を容易にするために蚊遣器と呼ばれる陶製の容器に入れて使用することも多かった。やがて1963年には防虫成分を電気によって揮発させ防虫効果を得る電気蚊取が開発され、煙や灰が出ないことなどから1970年代には普及し、従来の蚊取線香にとってかわった。また、同時期にはスプレー型の殺虫剤や防虫剤も開発され、これも蚊の対策として広く使用されるようになった。
 右写真:蚊遣り。深川江戸資料館蔵。



                                                            2021年1月記

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