落語「仏の遊び」の舞台を行く 柳家喜多八の噺、「仏の遊び」(ほとけのあそび)より
■五戒(ごかい);在家(ザイケ)の守るべき5種の禁戒(キンカイ)。
■「鈴振」(すずふり);僧侶の厳しい修行の一つとしてマクラの中でこの噺をしています。落語「鈴振」に詳しいことを書いています。
■布施(ふせ);僧に施し与える金銭または品物。「お布施を包む」。仏事を執行した僧への謝礼としての金品、したがって、檀家から寺へ包むもの、と理解されている。ふつう財施・法施・無畏施を三施という。布施をする人をダーナパティ(dānapati)といい、施主(せしゅ)、檀越(だんおつ、だんえつ、だんのつ)、檀徒(だんと)などと訳される。「ダーナ」は、「与える、施す」が原意であるから、「旦那」は、財産家、主人、夫、パトロンをも意味するようになった。なお、菩提寺にお布施をする家を檀家(だんか)という言葉も、檀那、檀越から来たものである。
■ナマンダブ;阿弥陀さまは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という声(ことば)の仏さまになって、私たち一人ひとりの今、ここに届いてくださっています。「南無阿弥陀仏」とは阿弥陀さまが「あなたを守っています。あなたを救います。あなたを忘れない。(本願寺派布教集)
■木魚(もくぎょ);(右写真)読経をするときに打ち鳴らすことで、リズムを整える。また、眠気覚ましの意味もあり、木魚が魚を模しているのは、眠るときも目を閉じない魚がかつて眠らないものだと信じられていたことに由来する。
禅宗や天台宗、浄土宗などで用いられる。浄土宗では木魚の使用が禁じられた時期もあったが、その後念仏を唱えるときに使用されるようになり、念仏を邪魔しないために裏打ち(いわゆるバックビート)で木魚を打つ慣わしとなっている。
小さな座布団状の台の上に置かれ、先端を布で巻いたバチで叩くと、「ぽくぽく」という感じの音が鳴る。大きさは直径6cm程度から、1m以上のものまである。自らの尾を食う魚や、2匹の魚や龍が珠を争う姿などを図案化した鈴のような形をしている。表面には魚の鱗が彫刻されている。クスノキなどの木を材料としてつくられる。内部は空洞になっている。開口部である「響孔」にあたる部分から刃を入れ、内部を空洞に作る。
■褌(ふんどし);下帯。男子の陰部をおおい隠す布。たふさぎ。ふどし。こんな不潔なものを阿弥陀さんの頭に乗せるなんて、僧侶としての自覚がなさ過ぎます。
■阿弥陀さん(あみださん);〔仏〕西方にある極楽世界を主宰するという仏。法蔵菩薩として修行していた過去久遠の昔、衆生救済のため四十八願を発し、成就して阿弥陀仏となったという。その第十八願は、念仏を修する衆生は極楽浄土に往生できると説く。浄土宗・浄土真宗などの本尊。阿弥陀仏。阿弥陀如来。略して弥陀。無量寿(仏)。無量光(仏)。
■生臭坊主(なまぐさぼうず);肉食をする僧。戒律を守らない僧。不品行な僧。
■法事(ほうじ);死者の追善供養のため、四十九日まで7日ごとに行う仏事や、年忌に営む仏事。栄華物語月宴「御―も六月十余日にせさせ給ふ」。「亡父の法事で国に帰る」。
■吉原(よしわら);江戸幕府によって公認された遊廓。始めは江戸日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあり、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転し、前者を元吉原、後者を新吉原と呼んだ。元々は大御所・徳川家康の終焉の地、駿府(現在の静岡市葵区)城下にあった二丁町遊郭から一部が移されたのが始まり。
■御初回(ごしょかい);吉原の見世で遊ぶとき、一会目を”初会(回)”(しょかい)と言い、この時は挨拶だけで花魁はツーと帰ってしまう。
■医者の格好(いしゃのかっこう);僧侶が吉原に出掛けるのは、幕府からキツく止められていた。万が一露見したら日本橋袂の晒し場に晒され、本山に帰されそこで処分を受けた。吉原通いは破壊行為に違いは無いが、そこは生身の悲しさ、煩悩の念押さえがたく、人目を忍んでの遊びとなった。同じ坊主頭の医者に変装して、医者特有の長袴を着て、脇差しをさして出掛けるのだった。
■後光(ごこう);仏・菩薩の体から放射するという光輝。また、それを表すために仏像のうしろに添えた金色の輪。「後光が差す」。
■通夜(つや);神社・仏閣に参籠して終夜祈願すること。おこもり。平家物語3「清盛厳島へ参り通夜せられたりける夢に」。
■お釈迦様(おしゃかさま);釈迦牟尼(しゃか‐むに)、(梵語 kyamuni 「牟尼」は聖者の意)、
仏教の開祖。インドのヒマラヤ南麓のカピラ城の浄飯王(ジヨウボンノウ)の子。母はマーヤー(摩耶マヤ)。姓はゴータマ(瞿曇クドン)、名はシッダールタ(悉達多)。生老病死の四苦を脱するために、29歳の時、宮殿を逃れて苦行、35歳の時、ブッダガヤーの菩提樹下に悟りを得た。その後、マガダ・コーサラなどで法を説き、80歳でクシナガラに入滅。その生没年代は、前566~486年、前463~383年など諸説がある。シャーキヤ‐ムニ。釈尊。釈迦牟尼仏。
■馬引いて(うまひいて);付き馬。噺のマクラでどの師匠連も”馬”の説明をするが、それによると、雷門近くの松並木で馬子さんが客待ちしていた。その馬に乗って客は吉原に通った。その道を”馬道”と言い今でも”馬道通り”と呼ばれているが、この道の名前は吉原が出来る前から有ったので、噺家の説には直ぐには信じられない。
■若い衆(わかいし);ぎゅう(妓夫、牛太郎=若い衆)。客引き。遊郭の若い衆(使用人)。小見世では客引きなどをする見世番。歳を取っていても”若い衆”と言う。江戸訛りでは、衆は”し”と読み、”しゅう”とは読まない。
■お払い(おはらい);吉原の言い方で、お支払い。勘定。
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