落語「鏡代」の舞台を行く
   

 

 二代目柳家つばめの噺、「鏡代」(かがみだい)より


 

 有る男が呉服屋の娘を見初めて恋煩い。

 友達の知恵で、呉服屋の娘に惚れた男が、下女を通じ仕立て物を頼む中に恋文をはさんで送った。
 幾日か後、その仕立てが出来たので、期待に胸ふくらませて包みをあけると、中に手紙らしいものが入っている。「さては色よい返事か」と喜んで開けてみると、1円札が包んであって、表書きに「お鏡代」と書いてあった。

 



ことば

■小噺程度のものだが、二代目柳家つばめが一席物にまとめた噺。

考え落ち、つまり、色っぽいことを考える前に、おのれの顔と相談せよという“考え落ち”なのである。
 醜いために悲劇が喜劇となるほどの悲劇はない、というが、いくらスタニフラフスキィに通じていようとも、容姿美しからざる役者が華麗なる役割をふりあてられることはあり得ない。やれ悪役としての内的演技が素晴らしいだの、やれ苦悩の描写が迫真的だのと評論家の賛辞は浴びても、高額の出演料とスポットライトは、常に二枚目のものである。たまに醜に徹した演技に感動して、身も心も捧げたいと楽屋を訪れる女性もいないことはないが、その種のことに感動する人は、つまりそういう実生活の辛酸を身にしみて体験した人であって、虚実皮膜のうちに類は友を呼んでいるのである。(馬場雅夫)​

二代目柳家 つばめ(やなぎや つばめ);(1875(明治9)年2月11日 - 1927(昭和2)年5月31日)、本名、浦出 祭次郎。
 1901年秋、三代目柳家小さん門下に入り、柳家小きんとなる。 1905年3月、四代目柳家小三治を襲名。実力が認められ師匠小さんの娘を嫁に貰い、落語研究会にも加入する。 1911年4月、神田立花亭において真打に昇進する。 1913年4月、二代目柳家つばめを襲名。このあたりが最も羽振りがよかった。
 1917年に新たに発足された演芸会社に加入。 関東大震災後、睦会に加入するが、だんだん芸の力も落ち始め、晩年は不遇で小唄の師匠をして生計を立てていたという。
 ウイキペディア

(かがみ);通常、主な可視光線を反射する部分を持つ物体。また、その性質を利用して光を反射させる器具を指す。
 光の反射には光が一方向にはね返る鏡反射と四方八方にはね返る乱反射があり、通常、鏡は鏡反射する滑らかな表面をもつ光をほぼ全反射するものをいう(特殊な鏡にはレフ板のような乱反射鏡もある)。
 鏡に映る像は鏡像といい、これは左右が逆転しているように見えるものの、幾何学的に正確に言えば、逆転しているのは左右ではなく前後(奥行き)である。なお、これらの鏡像の発生原因を、自分が鏡に向き合ったとき、自分の顔の左側から出た光線および顔の右側から出た光線が、それぞれ鏡に反射した後、それら両方の反射光線が、いずれも右目に入射する時の、両光線の相互の位置にて説明できるとする見解がある。

 古くは金属板を磨いた金属鏡が作られた。大量生産されるようになった鏡の多くはガラスの裏面を金属面にしたもので裏面鏡という。裏面鏡は金属面がガラスの内側にあるので傷みにくいが、鏡の裏側で反射する構造になっているため表面での光の反射の影響を受けてしまい像に多少のブレがある。一方、光学器械に使用される鏡は光を正確な位置に反射させる必要があるため金属やガラスの表面で光が反射するようにした表面鏡である。
 鏡には、鏡台、姿見、壁掛け鏡、卓上立て鏡のような形態がある。

 上、ディエゴ・ベラスケス 『鏡のヴィーナス』

 落語にも鏡を扱った噺「松山鏡」が有ります。また、次の456話「」にも有ります。



                                                            2021年8月記

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