落語「粉つぎ屋」の舞台を行く
   

 

 露の五郎の噺、「粉つぎ屋」(ふんつぎや)より


 

 「嬶(かか)、かか、ちょっとこっちおいで・・・。俺、こないだから気にいらんことがあんねや」、「まぁ、そんな怖い顔して、何や?」、「怖い顔もしぃたなるやないかいな、母親のお前が気がつかんちゅ~のはおかしぃで」、「いえ、わてが? 何が気がつかんのん?」、「娘やがな、民子やがな、おかしぃやないか」、「なんでおかしぃ?」、「そんなこと言ぅてたら、いてこましたろかホンマに。いぃえぇな、妙な足つきして歩いてよるやないかい。ガニマタちゅうのか、モゴモゴ・モゴモゴ、股の間へ何ぞはさんだよぉな妙な歩き方してるがな。あら普通の娘の歩く歩き方やないぞ」、「あんた分かったん?」、「分からいでか。男の俺が分かるのにお前が・・・」、「大きな声出しないな、隣り近所に聞こえたらどないしまんねん。ガニ股やの普通の女ごの歩き方やないやの、自分の娘やないか」、「自分の娘やないかて、お前が・・・ 」、「大きな声出しなはんな、言われんかて分かってるわいな。わたしにかて覚えのある話やがな・・・。初めてのもんが通ったときは、三日も四日もそれが残ってるよぉな気がして、まともに歩かれへんねん」、「それが分かってて民子に・・・」、「大きな声出しなはんな言ぅてるのに。今は言ぃなはんな」、「何やねん?」、「わたしも気になるさかい、こないだ民子に聞ぃたん」、「どない言ぃよってん?」。
 「いや、あれな、修学旅行やねん」、「修学旅行でどないしてん?」、「修学旅行でな・・・、あってんてぇ」、「何があってん」、「大きな声出しなはんなちゅうのに。『どないぞしたんか、何ぞあったんか?』て聞ぃたん。ほな、修学旅行が災いやってんてぇ。修学旅行でな、夜の外出の時に自由時間てあるやろ、あの子だけがちょっと気分の悪いことがあって部屋に残っててんてぇ。部屋の子がみな外へ行ってしもて、気分が悪ぅて寝てたら何やこのへんが重たいねんてぇ。ハッと目が覚めたら、先生(せんせ)の顔がここにあってんて」、「先生の顔が・・・」、「息が荒ろぉて、『ハァハァ』ちゅうたはってんて」、「民子黙ってたんか」、「押しのけよと思たら、『シ~ッ、静かにしぃ。黙ってたら優等で卒業さしたげる。人に言ぅたら落第やで』って言われたんやてぇ。な、あの子優等で卒業したやろ」、「ケッタイな優等やなぁ。先生に掛け合ぉてくる」、「掛け合いなはんな。先生かてこれから先のある人、わたしが話したら、『面目ない、悪かった』て謝った」、「謝ってもろたさかいいぅてお前、いっぺん割れた新鉢がさらになるもんやなしやな」、「大きな声で隣近所聞こえたら・・・、『新鉢割られた』そんなこと言ぅてどないすんのん。うちの娘かて嫁入りにも差し支えるのん。娘が辛抱してあんたとわたしとが黙ってたらそれで済む話。今やさかいにあんな歩き方してよるけれども、しばらく経ったら普通に戻る。お嫁入りしたとしても、一ぺんや二へんやったら分かれへんねやから・・・、分かるよぉな男いてへん、大丈夫」、「一ぺんや二へんやったら分からんのか? ひょっとしたらお前は・・・」、「もぉ、大きな声・・・、わたしは違うわいな。わたしはあんたが初めて。ここでみんなが黙ってたらみんなが幸せにいくのん。こんなことソォ~ッとしとこ」、「おら、腹に据えかねるけどなぁ・・・、しゃな~ない、黙ってよか」、「あとのことはわたしに任しなはれ。あんた何も言ぃなはんなや。娘っちゅうのは、せやのぉても傷つき易いもん」、「傷つき易いて、もぉ傷ついてんねやないか、そんなもん・・・」、「あんた何にも言ぃなはんな、腹に納めときなはれ。それが男といぅもん」、「難儀なもんやなぁ、男ちゅうもんわ」、「辛抱しなはれ・・」。
 さぁ、夫婦の仲はそれで済みました。娘もそれで済んだんですが、そこは母親の親心ちゅうやつです、「分からんとは言ぅたもんのひょっと分かる人があるかもわからへん。いっぺん割れたもんが元に戻ったらえぇのになぁ・・・」。
  今日日(きょ~び)やったらなんぼでも元に戻りまんねん。ちょっと縫い合わしたら終わりでんねん。もぉ何べんでも縫い合わしてる人がいてまんねんてぇ。こないだなんか仕付けの付いてる人があったんだ・・・、『躾が行き届かん』ちゅ~んは、これから始まったんやそぉでんなぁ~。

 昔のことですから、する術(すべ)がない。「何とか元へ直してやれたらなぁ、何とか新鉢を元へ直す術があったらなぁ、継ぐ術があったらえぇのになぁ」と思てますと、「えぇ~ッ、粉つぎ屋でござい。えぇ~ッ、割れたもの直しまひょ。えぇ~ッ、何でも直そ。何でも継ぎます。割れたもの直そ、えぇ~ッ、粉つぎ屋でござい。割れたもの継ぎまひょ」。
  これがひょいッと耳へ入ったもんでっさかい。「えぇもんが来たッ。 あの、粉つぎ屋はん、粉つぎ屋はん」、「へッ、お呼びいただきましたのは?」、「大きな声出さんと、そぉ~ッとこっち来とくなはれ、そぉ~ッと」、「どんなもんが割れたんでおま?」、「あのぉ~、どんなもんて言ぃにくいんやけど・・・、新鉢の割れたん直りまっか?」、「へ?丼鉢?」、「丼鉢違うねん、新鉢」、「すり鉢?」、「違うねやがな、丼鉢やすり鉢やのぉて新鉢」、「せっかくですけどねぇ、わたい、あんまりやったことおまへん」、「『何でも直す、何でも継なぐ、割れたもの直す』言ぃなはったッ」、「割れたもん何でも直しまっせ。上もんでしたら金のカスガイ、そこそこのもんでしたら銀のカスガイ、どんなもんでも継がしてもらいまっけど・・・。新鉢ちゅなもん、わたし聞ぃたことおまへん」、「聞ぃたことない? 分からんか? 新鉢やがな」、「見たこともおまへん。聞ぃたことも見たこともないもんを直せちゅわれても分かりまへんわなぁ」、「ほな、見たら分かる?」、「見せてもろたら分かりますけど、見してもろたらこれなら継なげる元へ戻る、継ながらんか分かりますけど」、「ほな見せるけど、よそ行って言ぃなはんなや」、「わたい商売でおますよってに言ぅて悪いことは言わしまへん」、「ほな、見せるさかいに中へ入って表の戸ぉ閉めとくなはれ。ちょっと待っとくなはれ・・・。民ちゃん、民ちゃん、ちょっとおいなはれ、こっち・・・。そこへ座って、仰向けに寝んねしなはれ・・・、着物のすそ開いて、足広げて」。
 「そんなん、お母ちゃん、何でそんなこと?」、「あんたがな、あったやろ。修学旅行の・・・な。もぉこの頃、普通に歩いてるやろ」、「うん、あの時、何や挟げたよぉな」、「挟んだんはえぇねん。今度、挟むのん違うねん閉じんねん。閉じんねんさかい開き」、「何?」、「閉じんねんさかい、開くねん」、「閉じんのに開くて、分からへん」、「分からんでもかめへん、そこへ仰向けに寝んねして前開きなはれ。あと、お母ちゃんがちゃんとしたげるさかい。足、なるべく広げて・・・。粉つぎ屋はん、見て、直るか直らんか見て。なるべくなら直して欲しぃのん、見て」、「さ、さ、さよか。おたくのお嬢さん?わッ・・・、あ、ほんに、なるほど、あ、それそれ、あ、こりゃこりゃ、あ、どっこいこら・・・」、「よぉ見て」、「よぉ見せてもらいますけど・・・。こら・・・、あきまへんで、こら、直りまへんわ」、「こない大層ぉして見せて、あんたかてシゲシゲ見て、今さら直らんて・・・、何でこれが直らしまへんねん?」、「へぇ、土器(かわらけ)は、カスガイ止まりまへんねん」。

 



ことば

マクラから、
 え~、この頃は『援助交際』ちゅなんがあるんですてねぇ、今まではなんかよぉね、公衆電話なんか入りますといっぱいこんな名刺のね、色刷りの名刺みたいなんが貼ったぁって、『電話一本で、すぐあなたのおそばへ』ちゅなんがあったんですねぇ。 まぁ今でもあるんですけど、あのぐらいのところが関の山やったんですけど、この頃は援助交際。そぉかと思いますと、『テレクラ』いろんなもんが出てまいりまして、このヴァージンといぅものが大層安くなりましたですなぁ。え~、もぉ大安売りみたいなもんで、真っさらで結婚なさるっていぅ人は まずなくなりましたなぁ。結婚するまでさらやちゅうと、何かちょっとも持てたことのない、よっぽどブスか、よっぽど変チキな女ごやと思われるみたいで、それまでの数が多けりゃ多いほど、そんだけいろんな人に好かれたのが、わたしんとこへ来たんやと、こぉステータスになろぉかといぅぐらいなもんで。ですからもぉ、昔とただ今とではずいぶんと変わりました。それから言葉も変わりましたですなぁ。今はもぉ言葉数が少なございますでしょ、ですからあの『ヴァージン』 『処女』もぉいくつかしか言葉がない。
  昔みたいに聞ぃて分かる人には分かる、分からん人には分からん、あるいは昔分かってたものが今になって分からん、ちゅうのがあるんです。ですからこの、昔は伏せ字ちゅうてね、本なんかでも『チョメチョメ』ちゅうのがあったんです。であの、菊池寛の『第二の接吻』といぅ本がありますけども、あれでもひどい、はなはだしぃときには『接吻』といぅ言葉が使こたらいかなんだ。官憲といぅものがそぉいぅものを取り締まりまして、『第二のチョメチョメ』と書いたぁった。これねぇ、第二の接吻と言ぅほぉが嫌らしないんです、第二のチョメチョメ言ぅたら、これ何かしら思てねぇ、わたしらちょ~ど青春時代そぉいぅ時代ですから、このチョメチョメを自分で勝手に埋めるんですね。で、ずいぶんやらしぃ本や、ホンにこれは発禁になってもえぇな、思てたん。そののちに、そぉいぅ制約が解けまして『第二の接吻』といぅのが出版されて読んだら、ちょっともやらしぃことないんですあれ。期待はずれで、わたしがっかりしたことがありますが。
  それと同時にね、そぉいぅ固有名詞、このごろやったら『男性自身』とか『女性自身』とか、なんか週刊誌のタイトルみたいなこと言ぅて誤魔化しますが、昔はあれでもあったんですよ、男性のものでもね『へのこ』なんちゅなこと言ぅたんですね。せやから、大阪の一番最初の市役所のあった江之子島、あそこ、『へのこじま、へのこじま』言ぅてた。ところが、この頃『へのこ』言ぅたって何のこっちゃ分かれしまへん。ヘノコにマラね、こんなん今、通用せぇしまへん。昔やったらでっせ、『朝マラが立つ』ちゅなこと言ぅたんですけど、今の人『朝マラ』言ぅたら分からしまへん。マラが分からんでしょ、それからヘノ コが分からんでしょ、せやからそぉいぅヘノコとかマラとかいぅ言葉を使こた落語いっぱいあるんですよ。『焼き餅の角(つの)をヘノコで叩き折り』といぅ川柳がある、これなんか昔は、我々が高座でしゃべると、「まぁ嫌らしぃ」と、こぉやったんですね。 今は何のこっちゃ分かれへんちゅう顔をしはる。で、今の人は、『焼き餅の角をチョメチョメで叩き折り』ちゅうと、「まぁやらし」と言わはるんです。こら『第二の接吻』のチョメチョメとよぉ似たやつが逆になってるんですなぁ。せやから女ごはんでも『新鉢(あらばち)』てなことを申しましたですなぁ。新鉢に『オボコ』、オボコといぅのはね、今でもオボコイといぅ言葉がありますけども『未通女(おぼこ)』いまだ通ぜざる女と書いて『オボコ』と読んだんです。つまりヴァージンのことなんです。オボコといぅのはいっぺんも通ったことのない、いまだ通ったことのない女といぅので、これが未通女。新鉢といぅのは新しぃ鉢と書いて『アラバチ』こぉいぅ言葉が今はのぉなったんです。ですから、そぉいぅ言葉を前もってインプットしといていただかんと、これからやります噺といぅのは何のこっちゃ分からんよぉなりますんで、これはそぉいぅ言葉がまかり通っておりました、それが一般語であった頃の噺でね。

粉つぎ(ふんつぎ);金継ぎ。「漆(うるしの木の樹液)」を使って壊れた器を修理する日本独自の古来からの伝統技法です。 表面塗装に「金粉(または他の金属粉)」を使った装飾をおこないます。 金継ぎ修理を施され、蘇った器は、それ以前のものよりも「高い価値」を認められる物もあります。 現代においてこのような価値観を持ち続けている文化は珍しい。

  
 三谷一馬画 左、焼き付け師。 右、継ぎ物師。

 (かすがい)で治す方法、上もんでしたら金のカスガイ、そこそこのもんでしたら銀のカスガイ、どんなもんでも継がしてもらいます。噺の中の粉つぎ屋の話。
 焼継の方法、まず、割れた茶碗や皿の破片の割れ口に「白玉粉」と呼ばれる鉛ガラスの粉末を塗布し、元の形状に固定します。次に、加熱することで、陶磁器の割れ口に塗った鉛ガラスを熔かし、破片同士を接着します。顕微鏡写真から、充填剤である擦り込み土と、接着剤の役割をはたす鉛ガラスを確認することができます。文政11年(1814)に記された『塵塚談(ちりづかだん)』によれば、「寛政2年(1790)頃までは、江戸では焼継が知られていなかったが、京都にはその頃から焼継があった。「近頃は、江戸で焼継商売をする者が非常に多くなり、このため瀬戸物屋の商いが減ったと言うほどである」と記されています。

 今は接着剤などを使えば、誰でも割合簡単に接着できますが、昔は修理専門の職人がいました。古い時代は、陶磁器類の接着に漆を使っていましたが、18世紀末の寛政年間頃に、白玉粉で接着してから加熱する焼き接ぎ方を発明した人がいて、普通の安い茶碗などこの方法で修理するようになりました。  落語「井戸の茶碗」に、筒井筒の名器が粉つなぎされたものです。(下・写真左)

 

 写真右;重要文化財 青磁茶碗 銘「馬蝗絆(ばこうはん)」 12世紀(南栄) 将軍足利義政があるときこの青磁にヒビが入ったので同じ物を中国に所望したが、中国にもこれだけの品は既に無く、茶碗に鉄のカスガイを打って返してきた。それがまた良いというので名物になった。東京国立博物館所蔵見聞。

いてこましたろか;する。遣ってやろうじゃないか。物にする。等の下品な語。

ガニ股(がにまた);ガニ股とは、太ももの骨に当たる大腿骨が外側にねじれた影響で、両膝が外側に開いてしまい、足のつま先が外側を向いてしまっている症状を指します。 ガニ股を発症するのは2種類あり、元々形成されている骨格でガニ股になってしまう場合があれば、日常生活の中での癖や習慣からガニ股を発症する場合があります。

修学旅行(しゅうがくりょこう);日本において小学校、中学校、高等学校、義務教育学校、中等教育学校、特別支援学校の小学部・中学部・高等部の教育や学校行事の一環として、教職員の引率により児童、生徒が団体行動で宿泊を伴う見学、研修のための旅行。特に「宿泊を伴うこと」「行き先がある程度遠隔地であること」で遠足や社会科見学とは区別され、「宿泊施設が野営地ではないこと」で野外活動と区別される。
 学校の教育課程上では、特別活動の1つ学校行事に位置づけられている。日本の修学旅行は明治時代から「長途遠足」などの名称で実施されるようになったもの。しかし、各地で違った形式で行われていたことから、1900年(明治33年)に文部省普通学務局がドイツで実施されている教育旅行を参考に『独国ノ修学旅行』を刊行し具体的実施方法の整備を図った。『独国ノ修学旅行』ではドイツの教育学者クリスティアン・ゴットヒルフ・ザルツマンがシュネッフェンタールの学校で1784年から1803年まで数回実施したモデルを紹介している。

土器(かわらけ);① 釉(うわぐすり)をかけないで焼いた陶器。素焼きの陶器。古くは食器として用いたが、のち、行灯(あんどん)の油ざらなどに用いられた。
 ② 素焼きの杯。酒を飲む器。
 ③ (杯を、人にすすめたり、人から受けたりするところから) 酒盛り。酒宴。
 ④ 女性が年ごろになっても、陰部に毛がはえないのをいう俗語。また、その女性。



                                                            2022年6月記

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