■マクラから、
え~、この頃は『援助交際』ちゅなんがあるんですてねぇ、今まではなんかよぉね、公衆電話なんか入りますといっぱいこんな名刺のね、色刷りの名刺みたいなんが貼ったぁって、『電話一本で、すぐあなたのおそばへ』ちゅなんがあったんですねぇ。
まぁ今でもあるんですけど、あのぐらいのところが関の山やったんですけど、この頃は援助交際。そぉかと思いますと、『テレクラ』いろんなもんが出てまいりまして、このヴァージンといぅものが大層安くなりましたですなぁ。え~、もぉ大安売りみたいなもんで、真っさらで結婚なさるっていぅ人は
まずなくなりましたなぁ。結婚するまでさらやちゅうと、何かちょっとも持てたことのない、よっぽどブスか、よっぽど変チキな女ごやと思われるみたいで、それまでの数が多けりゃ多いほど、そんだけいろんな人に好かれたのが、わたしんとこへ来たんやと、こぉステータスになろぉかといぅぐらいなもんで。ですからもぉ、昔とただ今とではずいぶんと変わりました。それから言葉も変わりましたですなぁ。今はもぉ言葉数が少なございますでしょ、ですからあの『ヴァージン』 『処女』もぉいくつかしか言葉がない。
昔みたいに聞ぃて分かる人には分かる、分からん人には分からん、あるいは昔分かってたものが今になって分からん、ちゅうのがあるんです。ですからこの、昔は伏せ字ちゅうてね、本なんかでも『チョメチョメ』ちゅうのがあったんです。であの、菊池寛の『第二の接吻』といぅ本がありますけども、あれでもひどい、はなはだしぃときには『接吻』といぅ言葉が使こたらいかなんだ。官憲といぅものがそぉいぅものを取り締まりまして、『第二のチョメチョメ』と書いたぁった。これねぇ、第二の接吻と言ぅほぉが嫌らしないんです、第二のチョメチョメ言ぅたら、これ何かしら思てねぇ、わたしらちょ~ど青春時代そぉいぅ時代ですから、このチョメチョメを自分で勝手に埋めるんですね。で、ずいぶんやらしぃ本や、ホンにこれは発禁になってもえぇな、思てたん。そののちに、そぉいぅ制約が解けまして『第二の接吻』といぅのが出版されて読んだら、ちょっともやらしぃことないんですあれ。期待はずれで、わたしがっかりしたことがありますが。
それと同時にね、そぉいぅ固有名詞、このごろやったら『男性自身』とか『女性自身』とか、なんか週刊誌のタイトルみたいなこと言ぅて誤魔化しますが、昔はあれでもあったんですよ、男性のものでもね『へのこ』なんちゅなこと言ぅたんですね。せやから、大阪の一番最初の市役所のあった江之子島、あそこ、『へのこじま、へのこじま』言ぅてた。ところが、この頃『へのこ』言ぅたって何のこっちゃ分かれしまへん。ヘノコにマラね、こんなん今、通用せぇしまへん。昔やったらでっせ、『朝マラが立つ』ちゅなこと言ぅたんですけど、今の人『朝マラ』言ぅたら分からしまへん。マラが分からんでしょ、それからヘノ コが分からんでしょ、せやからそぉいぅヘノコとかマラとかいぅ言葉を使こた落語いっぱいあるんですよ。『焼き餅の角(つの)をヘノコで叩き折り』といぅ川柳がある、これなんか昔は、我々が高座でしゃべると、「まぁ嫌らしぃ」と、こぉやったんですね。 今は何のこっちゃ分かれへんちゅう顔をしはる。で、今の人は、『焼き餅の角をチョメチョメで叩き折り』ちゅうと、「まぁやらし」と言わはるんです。こら『第二の接吻』のチョメチョメとよぉ似たやつが逆になってるんですなぁ。せやから女ごはんでも『新鉢(あらばち)』てなことを申しましたですなぁ。新鉢に『オボコ』、オボコといぅのはね、今でもオボコイといぅ言葉がありますけども『未通女(おぼこ)』いまだ通ぜざる女と書いて『オボコ』と読んだんです。つまりヴァージンのことなんです。オボコといぅのはいっぺんも通ったことのない、いまだ通ったことのない女といぅので、これが未通女。新鉢といぅのは新しぃ鉢と書いて『アラバチ』こぉいぅ言葉が今はのぉなったんです。ですから、そぉいぅ言葉を前もってインプットしといていただかんと、これからやります噺といぅのは何のこっちゃ分からんよぉなりますんで、これはそぉいぅ言葉がまかり通っておりました、それが一般語であった頃の噺でね。
■粉つぎ(ふんつぎ);金継ぎ。「漆(うるしの木の樹液)」を使って壊れた器を修理する日本独自の古来からの伝統技法です。
表面塗装に「金粉(または他の金属粉)」を使った装飾をおこないます。
金継ぎ修理を施され、蘇った器は、それ以前のものよりも「高い価値」を認められる物もあります。
現代においてこのような価値観を持ち続けている文化は珍しい。
三谷一馬画 左、焼き付け師。 右、継ぎ物師。
鎹(かすがい)で治す方法、上もんでしたら金のカスガイ、そこそこのもんでしたら銀のカスガイ、どんなもんでも継がしてもらいます。噺の中の粉つぎ屋の話。
焼継の方法、まず、割れた茶碗や皿の破片の割れ口に「白玉粉」と呼ばれる鉛ガラスの粉末を塗布し、元の形状に固定します。次に、加熱することで、陶磁器の割れ口に塗った鉛ガラスを熔かし、破片同士を接着します。顕微鏡写真から、充填剤である擦り込み土と、接着剤の役割をはたす鉛ガラスを確認することができます。文政11年(1814)に記された『塵塚談(ちりづかだん)』によれば、「寛政2年(1790)頃までは、江戸では焼継が知られていなかったが、京都にはその頃から焼継があった。「近頃は、江戸で焼継商売をする者が非常に多くなり、このため瀬戸物屋の商いが減ったと言うほどである」と記されています。
今は接着剤などを使えば、誰でも割合簡単に接着できますが、昔は修理専門の職人がいました。古い時代は、陶磁器類の接着に漆を使っていましたが、18世紀末の寛政年間頃に、白玉粉で接着してから加熱する焼き接ぎ方を発明した人がいて、普通の安い茶碗などこの方法で修理するようになりました。
落語「井戸の茶碗」に、筒井筒の名器が粉つなぎされたものです。(下・写真左)
写真右;重要文化財 青磁茶碗 銘「馬蝗絆(ばこうはん)」 12世紀(南栄) 将軍足利義政があるときこの青磁にヒビが入ったので同じ物を中国に所望したが、中国にもこれだけの品は既に無く、茶碗に鉄のカスガイを打って返してきた。それがまた良いというので名物になった。東京国立博物館所蔵見聞。
■いてこましたろか;する。遣ってやろうじゃないか。物にする。等の下品な語。
■ガニ股(がにまた);ガニ股とは、太ももの骨に当たる大腿骨が外側にねじれた影響で、両膝が外側に開いてしまい、足のつま先が外側を向いてしまっている症状を指します。
ガニ股を発症するのは2種類あり、元々形成されている骨格でガニ股になってしまう場合があれば、日常生活の中での癖や習慣からガニ股を発症する場合があります。
■修学旅行(しゅうがくりょこう);日本において小学校、中学校、高等学校、義務教育学校、中等教育学校、特別支援学校の小学部・中学部・高等部の教育や学校行事の一環として、教職員の引率により児童、生徒が団体行動で宿泊を伴う見学、研修のための旅行。特に「宿泊を伴うこと」「行き先がある程度遠隔地であること」で遠足や社会科見学とは区別され、「宿泊施設が野営地ではないこと」で野外活動と区別される。
学校の教育課程上では、特別活動の1つ学校行事に位置づけられている。日本の修学旅行は明治時代から「長途遠足」などの名称で実施されるようになったもの。しかし、各地で違った形式で行われていたことから、1900年(明治33年)に文部省普通学務局がドイツで実施されている教育旅行を参考に『独国ノ修学旅行』を刊行し具体的実施方法の整備を図った。『独国ノ修学旅行』ではドイツの教育学者クリスティアン・ゴットヒルフ・ザルツマンがシュネッフェンタールの学校で1784年から1803年まで数回実施したモデルを紹介している。
■土器(かわらけ);① 釉(うわぐすり)をかけないで焼いた陶器。素焼きの陶器。古くは食器として用いたが、のち、行灯(あんどん)の油ざらなどに用いられた。
② 素焼きの杯。酒を飲む器。
③ (杯を、人にすすめたり、人から受けたりするところから) 酒盛り。酒宴。
④ 女性が年ごろになっても、陰部に毛がはえないのをいう俗語。また、その女性。
2022年6月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ