落語「突き落とし」の舞台を行く 三遊亭円生の噺、「突き落とし」(つきおとし)より
■廓噺の三大悪
■禁演落語(きんえんらくご);落語五十三種を、戦時中の昭和16年10月30日、時局柄にふさわしくないと見なされて、浅草寿町(現台東区寿2-9)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象とした、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目のこと。当然この「突き落とし」も入っています。戦後の昭和21年9月30日、「禁演落語復活祭」によって解除。
■男の三道楽(おとこのさんどうらく);飲む、打つ、買う。飲む=酒を飲むこと。打つ=博打を打つこと。買う=遊所で女を買うこと。志ん生はこの中で一番偉いのが、打つだと言います。それは博打に親分が有って、他の道楽は一番になっても親分は居ません。今回の”突き落とし”は吉原を舞台にしていますから、当然買うです。金が無いのに遊びに行きたくなるのは男のツネです。落語には吉原の噺が沢山有ります。花魁に騙される噺、花魁を騙す噺、心中を持ちかけられたり持ちかけたり、深入りしすぎて勘当になったり、世間から爪弾きされたりロクな事は有りません。「紺屋高尾」のようにハッピーエンドになる例は少ないようです。
■お鉄漿溝(おはぐろどぶ);
■若い衆(わかいし);通常は”わかいしゅう”と読みますが、江戸訛りで”わかいし”と発音します。粋に聞こえるでしょ。妓夫(ぎゅう)。牛太郎。客引き。客引きの若い衆。遊廓の若い衆(使用人)。小見世では客引きなどをする見世番。歳を取っていても”若い衆”と言う。
■オバさん;遣り手。お客と見世との間に立って料金、花魁等の組み合わせの世話をします。川柳にも、
■書き付け(かきつけ);勘定書き。
■紙入れ(かみいれ);紙幣などを入れて持ちあるく入れもの。財布。落語「紙入れ」に、そのものズバリで詳細があります。
■座頭(ざがしら);芝居その他演芸一座の頭。座長。特に、人形浄瑠璃・歌舞伎などの一座の主席役者。立役者。
■建前(たてまえ);むねあげ。上棟式。殿堂・家屋の棟木を上げたさいに、大工、左官、鳶の職人頭等が集まって、建築主と即席のいすテーブルを作って、神を祀って酒肴で行う儀式。
■居続け(いつづけ);遊所などで、晩に遊ぶだけではなく、翌日も一日中帰らずに遊ぶこと。費用が掛かるのは当然、仕事をしないのでその内に遊ぶ金が不足してきます。
■馬(うま);雷門近くの松並木で馬子さんが客待ちしていた。その馬に乗って客は吉原に通った。その道を”馬道”と言い今でも”馬道通り”と呼ばれているが、この道の名前は吉原が出来る前から有ったので、噺家の説には直ぐには信じられない。又帰りの客を大門前で待っていた。遊びすぎて勘定の足りなくなった客を見世側はその馬子さんに頼んで勘定の取り立てを依頼した。馬に乗せて帰り、その家の前に馬を繋いで集金できるまで待っていた。回り近所ではその様子から「”馬”を連れて帰ってきた」と、勘定が足りないことが一目瞭然に判ってしまった。その後、馬子さんでは不都合があるので、自分の見世の者が付いて行き取り立てた。と志ん朝も談志も小三治も他の落語家も言っているが、落語だから”まゆつば”と思っていたら、本当らしい。
■江戸っ子の連れション;関東の連れション。仲間同士横に並んで公衆便所などで男が小用を足すこと。
■大見世の遊び(おおみせのあそび);先ず大見世に上がるには、茶屋(引き手茶屋)を通さないと登楼が出来なかった。支払いの費用一式を茶屋が連帯保証人になって、見世側に保証した。茶屋からの依頼書で花魁が空いているかを確認し、空いていれば見世に同道した。見世に上がっても初回では相手にされず、裏を返して初めて花魁の挨拶を受けた。二日間は通常通りの費用が掛かります。そして、三日目、馴染みとなって初めて名入りの箸袋が用意されます。でも、花魁が気に入らなければ、枕を共にすることが出来ません。花魁に気に入られて初めて夫婦と同じように遊ぶことが出来ました。三回とも祝儀を置かなけらばならず、別に床に納まるときも、床花という祝儀を花魁に渡します。
■角海老(かどえび);角海老楼、吉原遊廓・京町一丁目に存在した超一級の妓楼。明治17年「角海老楼」という当時は珍しい洋風の建物で、木造三階建ての大楼を建てた。その大きな時計台がシンボルの妓楼であった。当時の「角海老楼」は総籬の高級見世で、一般大衆が遊べるような見世では無かった。歴代の大臣が遊びに来るような格式のある見世であったという。
昭和33年公娼制度が廃止になると、見世も運命を共にした。
時計台を乗せた洋式の遊廓「角海老楼」。絵葉書より
■大文字(だいもんじ);大文字楼。吉原遊廓・江戸町一丁目に存在した超一級の妓楼。関東大震災を最後に見世を閉めてしまった。現在の吉原公園の所に有った。大文字楼は江戸時代から、京都の島原遊廓風情を真似ていた妓楼でもあり、花魁衆の着物の着方や帯の結びなども、京都の島原太夫と同じようにしていました。
歌舞伎役者、中村芝鶴の母が経営していた妓楼だったので、お正月などには、よく余興があって、アーティスト達が集うサロン的な存在でもあったのでしょう。
歌舞伎役者、芸人、歌人、作家などが集い楽しめた格式高い大見世でもありました。
大文字楼とその中庭。絵葉書より
■御初回(ごしょかい);遊廓では、初めてのお客を「初会」、二回目(二会目)を「裏を返す」、三回目(三会目)になって初めて「馴染み」と呼ばれる。
■台の物(だいのもの);台屋(だいや)の料理。吉原の遊廓では料理は通常作らなかった、その為外部から出前を取った。その出前をする仕出し屋。料理屋、菓子屋、弁当屋、鰻屋、・・・等々、今のデリバリー屋。料金は高かったのに、容器が大きく飾り物が多く、料理そのものは少なかったが、見た目は豪華であった。
■女の子(おんなのこ);女郎。花魁(おいらん)。吉原の娼妓。岡場所では飯盛り女。
■芸者(げいしゃ);歌舞や三味線などで酒席に興を添えるのを業とする女性。芸妓(ゲイギ)。芸子(ゲイコ)。
■おシケ;円生の江戸訛りで正確には、お引け(おひけ)と言います。遊廓では即寝床に向かう事はなく、酒盛りをするか、芸者、幇間をあげて飲みあかします。ま、どちらにしても、酒を飲んで遊んでから個室に向かいます。お酒を切り上げたその時、または、その時間を言います。例外として超安い女を買うと、それだけの事もあります。これを無粋といいます。
■姉さん(あねさん);自分より上司のオカミサンに尊敬を込めて言う称。回りでは言うが本人は言わない。
■品川 (しながわ);江戸四宿のひとつで、東海道五三次の最初の宿駅。女郎(飯盛女)が多くいて、宿場と言うより遊所として栄えた。海が見えて風光明媚な所でしたが、ここには吉原のように外周にお歯黒ドブが無く、何処に突き落とせば良かったのでしょうか。
「品川青楼遊興」(三枚続き)豊国画 寛政年間 東京国立博物館蔵
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