落語「蕎麦の殿様」の舞台を行く 三遊亭円生の噺、「蕎麦の殿様」(そばのとのさま)
■蕎麦(そば);蕎麦切り(略して蕎麦という)の作り方は寛永20年(1643)に版本で「料理物語」が出され(写本としては1636年のものがある)蕎麦切りもその中で紹介されている。「飯の取り湯、ぬるま湯、豆腐のすり水などでこねて玉を作る。のして切る。大量の湯で煮る。煮えたら竹篭で掬い取る。ぬる湯に入れてさらりと洗い、せいろに入れ、煮え湯をかけ、蓋をして冷めぬように、水気無きようにしてだす。」というものであった。「蒸し蕎麦」である。
元禄2年(1689)の『合類日用料理抄』をみても、蕎麦切りはまだ蕎麦粉だけで打つ「きそば」であって、つなぎに小麦粉を混ぜる手法は元禄末頃からであろう。江戸では寛永末から売られていたが、寛文4年(1664)吉原の仁左衛門がけんどん蕎麦を売り出してから、追随するものが増えた。また夜蕎麦売りは、「夜鷹蕎麦」と呼ぱれ、宝暦頃には新たに種物を加えた風鈴蕎麦が現われて人気をさらった。東海道筋の茶屋でうどんに対して蕎麦切りが圧倒的に優位を占めたのは元禄以後で(元禄3年(1690)『東海道分間絵図」)、見付、芋川、土山のものが著名。寛延(1749-1751)頃、しっぽくなどの種物が工夫され、白い御膳粉による三色・五色の変わり蕎麦が、やっと上流階層にも受けた。
落語では、食べ物を様々に取り上げていますが、蕎麦もその一つです。
上図:北斎漫画より素麺二題。 家来一堂もこの様な蕎麦が出て来ると思っていたら・・・。殿様も同じように思っていたのですが、思うのと出来るのは大違い。
六代目春風亭柳橋の「時蕎麦」は名人芸であったが、五代目柳家小さんの「時蕎麦」はまた違った良さがあった。それは食べる仕草と音である。蕎麦の細いのと太いものの差を感じさせたし、うどんとそばの違いもはっきりと演じ分けていた。最初の熱いときと最後の丁度イイ温度になって来たときの違いも分からせた。
■蕎麦がき(そばがき、蕎麦掻き);蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒のつまみとするなど広く食されている。
蕎麦切り・蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴である。5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程、日本では古くから蕎麦が食べられていた。江戸時代半ばまではこの蕎麦がきとして蕎麦料理を食べられていたが、江戸中期には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていた。
■殿様の知ったかぶり落語小咄;通常本題が短い噺には、お殿様の噺ですからこの様な小咄を入れます。
■天眼鏡(てんがんきょう);《人相見が使って、運命など普通には見えないものまでも見通すところから》柄のついた大形の凸レンズ。
■門前払い(もんぜんばらい);江戸時代の追放刑の中で最も軽いもので、奉行所の門前から追い出すこと。
■切腹(せっぷく);自分の腹部を短刀で切り裂いて死ぬ自死の一方法。腹切り(はらきり)・割腹(かっぷく)・屠腹(とふく)ともいう。主に武士などが行った日本独特の習俗の刑罰。武士にのみ許された処刑法で死罪です。
■御前蕎麦(ごぜんそば);麻布永坂の信州更科蕎麦処 布屋太兵衛によると「蕎麦の実の芯だけで打ったそば」で、江戸城に収めていたことからの由来ある名前だという。見事な白さで細く透明感も感じる出来であった。細く長く、食感は柔らかいけれどしっかりした味わい。十割蕎麦で、北海道蕎麦の芯のみを使用という御前そば。
■手打ち蕎麦(てうちそば);機械打ちに対して、手で打った蕎麦。
■馬タライ;馬の身体を洗う大きなタライ。こんなので蕎麦打ちされたら、食べられない。
■六尺棒(ろくしゃくぼう);門番等が使う長さ六尺の警棒。ドブなどをかき回したりするから、そんな物で蕎麦を作られたら大変。落語「たがや」に出てくる殿様、槍先をたがやに切り落とされヤリの柄は使いようがないから蕎麦を伸ばす麺棒になった(?)。正式には丸棒の④麺棒。
■のばし板;②麺台
■半切り;①こね鉢
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